3.1 その刹那が全て

想念観察を始めて想念と表現に注目していくと、その起こり始めから終わりまでには、いろいろな変化が起きていることに気づきます。

特に「最初が肝心」という諺は、想念観察にも当てはまります。

そのあたりの事情について宇宙の人はこう言っています。

 

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結論から先に言ってしまえば、想念と表現が起こり始めたとき、その刹那があなたと(あなた)の全てを語ります。

この起こり始めに注目して見守っていることができれば、「後に続く想念や表現には注目しなくても差し支えない」と言っても言い過ぎではありません。

その後に続く想念や表現には、ときがたつほど、エゴ体のあなたの装飾が施されて真相が分からなくなります。

現にこのように書いている内容は、すでにエゴ体の学習になっていて、(あなた)がこのアドバイス通りに実行しようとすると、何かの手を打ってくるでしょう。

エゴ体のあなたの大義名分は、現状維持と安全確保です。

そのためには手段を選びません。

エゴ体は不都合が起きる前に、できるだけ早く分析して状況を把握し、現状を守るのための予防策を素早く実行に移さなくてはならないと常に考えます。

そのためのあらゆる対策を知っているし、すでに何度も試して成功しています。

そうしなくては、自身の抱えている心の傷や不安・恐怖に触れられることになり、それを抱える基になった窮状の苦痛を再現することは、エゴ体には耐えられない屈辱であり、存在意義を危うくすることだからです。

エゴ体のあなたは危機管理の専門家で、しかもベテランです。

対策とは、つまり「余計なこと」です。

 

エゴ体のあなたは、真相のねじ曲げ、真相からの逃避、都合良い分析、いろいろな弁解、都合良い納得、焦点のすり替え、相手への逆襲、不都合の無視、依存、責任転嫁、都合良い自責、感情の抑制、優劣判断、損得勘定、これらの組み合わせ、など実にいろいろな「余計なこと」を知っていて臨機応変に素早く使い分けます。

また、エゴ体のパーソナリティーによって、これらの余計なテクニックには得手不得手があります。

例えば逃避がとても巧みなあなたは、弁解をしながら焦点をすり替えつつ、真相をねじ曲げ分からなくして、他の誰かに責任転嫁し、真相にメスが入らないよう工作します。

また、分析と自責が得意なあなたは、真相を巧みに歪曲して都合良く明らかにし、都合良く納得した上、それに劣等表現を加えて自身の責任まではそれらしく言及します。

しかし実は、全てがエゴ体のものさしでしかも一人芝居で処理したことですから、真相つまり、あなたの最も痛いところを突かれているわけではありません。

これらのテクニックの使い分けは、高度に発達したエゴ体ほど巧妙を極めていて、しかも(あなた)の選択のスピードに劣らないほど素早いのです。

 

あなたが会社で、上司から大きなミスを指摘された場合を想定してみます。

ここでは、AさんとAさんを苦手としているあなたとの関係が伏線になっています。

逃避と弁解が得意なあなたは、仕事で「ミスをした」と気づいて「しまった」という思いから始まり、はっきりした証拠がないことを素早く分析した後、「この部分はAさんの出張報告から引用したもので、私はこれ以上の情報を貰っていない」と弁解するかも知れません。

しかし本来は、Aさんの報告書を引用するとき、Aさんにいきさつや事情をよく確認すべきだったのに、Aさんを嫌っていつも避けているあなたは、それを怠ったという裏事情がありました。

(あなた)は「しまった」を受け取った刹那に、その裏事情(真相)に気づいていたのに、なぜかあなたの「言い訳」の方を選択してしまいました。

 

分析と自責が得意なあなたは、「しまった」と思った後、「すみません。これは私のミスです。すぐAさんに聞いて直します。」と言ってその場を処理しましたが、Aさんを嫌っていつも避けている状況は抑制したままになっています。

(あなた)は「しまった」を受け取った刹那に、自身の抑制に気づくチャンスでしたが、なぜかその傷に向き合うことを避けてしまいました。

このケースで(あなた)は、Aさんに対する自身の想念と表現について、しっかり見守っていく必要があります。

仕事上のミスは、あくまできっかけに過ぎません。

このケースのように(あなた)は、想念観察を始めたときから、自身の真相に行き着くため、あなたとの暗闘を余儀なくされると、知らなくてはなりません。

当分の間、トラブル嫌いの(あなた)は、ほとんどいつもあなたにだまされ、いかにも真相めいた偽物を掴まされるか、逃避に合意していることでしょう。

 

(あなた)のより客観的な真相は、必ずしも、想念と表現が起きなくては何も分からないわけではありません。

少なくとも(あなた)の同化していないチームは、バランスを常に把握しています。

彼らにとって想念と表現は、あくまで二次的なものです。

つまり、想念と表現の様子は本来、(あなた)にとって真相の確認にすぎません。

想念と表現が展開する前に、潜在サイドの(あなた)は、信号・刺激を受け取った後のあなたの反応の刹那をとらえ、自身の気づきに生かしているのです。

 

想念と表現の手前に気づきがあります。

気づき(イメージ)は一瞬で全てを語ります。

そして気づきのさらに手前に、あなたと(あなた)のバランスがあります。

(あなた)の意識体チームは、一瞬の気づきで全てを知り、同時に意図の選択もしています。  

但し水を差すようですが、(あなた)の一瞬の気づき(イメージ)の全てがより客観性のある真相とは限りません。

(あなた)がそのときその刹那に、どのレベルに意識を開いて固定しているか、(あなた)がどれほどあなたと本来のバランスを取り戻しているかが、客観性の透明度を高くする決め手になるでしょう。

 

一瞬の気づきができてもできなくても、一喜一憂しないで下さい。

気づきのチャンスは、寄せては返す波のように次々とやってきます。

それは、あなたが余計なことをしている最中にもやってきています。

この項の初めに「後に続く想念と表現には注目しなくても差し支えない」と言いましたが、実は次のチャンスはあまり待たずにやってきます。

ですから(あなた)には、注目しないでいる暇はあまりありません。

従って「想念と表現の起き始める刹那に焦点を合わせて、ただ淡々と無心に見守っている」、(あなた)がすることはこれだけです。              

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最初は珍しさもあり、また興味もありますから、真剣に途切れなく見守っていこうとしますが、そう長く続くものではありません。

段々飽きてきますし、今までに気づかなかった自身の状況を体験するようになってくると、いろいろ疑問も起きてきて、度々中断するでしょう。

また最初は、想念のどれが始まりでどれが終わりで、次の始まりはどれかなど簡単に分かるものではありません。

そこはやはり、工夫と体験の多さから、自分なりの感覚を磨いていくしか仕方がありません。

無理に観察の効果を上げようとしても、その「私が…」「私が…」の能動姿勢が、エゴレベルのエネルギーをさらに加えることになり、結局遠回りになってしまいます。

また、ただ淡々とが、ただダラダラとになってしまっては想念観察とは言えません。

ただ淡々との中にも、ざぶんと寄せてきては砂浜に流れて、そして引いていく波のように常に変化があるので、想念の最初の「ざぶん」の「ざ」のときに特に注目して見守っていけば、より真相に近づきやすいのです。

 

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気づき(イメージ)にもいろいろな種類と意識レベルがあります。

(あなた)の周りには、日常のエゴレベルから潜在サイドの深く高いレベルまで、様々な意識レベルが存在していますから、(あなた)がPCに向かってファイルをクリックするように、どこに焦点を結ぶかによって、その同調した意識レベルから、いろいろな信号や刺激が次々とやってきます。

最近地球でもチャクラのメカニズムが解明されてきたように、(あなた)は元々、全ての意識レベルにアクセスする機能を備えています。

従って、(あなた)の選択によっては、一日の内でも、生きるか死ぬかの死闘を繰り広げるエゴレベルから、「大いなるあなた」の「ただ淡々と在る」最も深く高い意識レベルまでの様々な気づき(イメージ)を体験することができます。

全ては(あなた)の選択に掛かっています。

このレポートで言う「意識を開く」とは、地球から宇宙へと(あなた)の選択肢を限りなく拡大することに他なりません。                   

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