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大正時代に日本人の設計によって建てられた赤い三角帰根の洋館。
かって周辺は、黒松の林で洋館もあちこちで見られたが、当時のままで残っているのはここだけ。3代目の持ち主渡辺俊司さんは、建物の修復工事を行い、ギャラリー& コンサートホールとして、西洋館倶楽部を1995年にオープンさせた、市民サークルからシャンソンを中心にしたプロのリサイタルまで幅広く利用されている。シャンソニエールホールは客席50ほどのミニホールだが、「銀巴里」や閉館された渋谷「じゃんじゃん」のような丈化先信地を目指している。
建物は戦時中に焼夷弾が落とされた。近所の人たちとの消火活動で焼失を逃れ、2階の壁には、不発弾の落ちた跡が今も生々しく残っている。
「多くの人の手によって守られてきた建物ですし、どうしても保存したかった。音楽ホールにしたのは身近でいい音楽を聴いていただきたかったから」と渡辺さん。
目まぐるしく移りゆく時間の中で、大正ロマンのおもかげ漂う西洋館から、今日も丈化の調べが奏でられる。
(国有形指定文化財)

黒松の林の中に別荘風の建物が点在し、かつて"東の鎌倉"とも言われた千葉県市川市。永井荷風ら多くの文人が住居を構え、料亭、映画館、芝居小屋など遊ぴの文化が市川にはあふれていた。以前は古い西洋館も散見されたが、今では完全な形で残るものは当家だけ になり、1999年国の有形登録文化財に指定された。この西洋館に音楽ホールを併設して コンサートなどを催している。昔のように市川を再び文化の薫り高い街にするのが夢だ。
我が西洋館は木造三階建て和洋六部屋と屋恨裏部屋からなり、ツタに覆われた二階のベランダや出窓のある赤い三角屋根の容姿は「大正ロマン」のおもかげを伝える。市川は戦前から東京近郊の住宅地として発展、当時は日本橋の商家のだんな衆が市川に別荘を建てていて、いわゆる二号さんの家も多かったという。
西洋館は私の祖父である東京株式取引所の仲買人(今の証券会社)、丸水渡辺商会社長の渡辺善十郎が建てた。明治31年(1898年)創業の古い店で、昭和初期の株式取引出来高帳 を見ると、杉野喜精氏(山一証券)らと上位を争う大手の仲買人だった。
閑東大震災で深川の家が被災、江戸川を越えた市川に安全な土地を求めたためで、西洋館は日本屋敷の母屋に隣接する応接室としてつくられた。明治、大正の 名大工「大亀」が図面なしで建てたが、日本人の設計、施工による洋館は珍しいと言われる。贅(ぜい)を尽くし、十分に手間をかけた建物は、80年近くたった今でも狂いはない。
その後、災害時の避難用として空き家になっていたが、昭和10年(1935年)三月、東久邇宮盛厚王殿下が陸軍仕官学校卒業後、市川の国府台野戦重砲兵第一連隊に赴任され、宿舎に当家が指定された。大変名誉な出来事だった。井戸水で腸チフスをおこされてはおそれ多いと、水道も市内で最初にひかれたともいう。
米軍の空襲の時は、邸内に焼夷(しょうい)弾が落ちたが、近所の方々の消火活動で消失を免れた。不発弾の落ちた傷跡は二階の出窓の縁に今もある。
戦後は私の両親の住宅となり、西洋館だけが残った。
7年ほど前に母が病に倒れると西洋館は主(あるじ)を失った。私は、どうしても保存したいとの気持ちが強く、晋楽ホールとして残すことを決めた。古い建物をただ保仔するだけでは意味がないし、良い音楽を身近で聴いてみたかったこと、有効活用して大勢の人に建物を見てもらうことが 大切だと思ったからだ。
渡辺 俊司:いちかわ西洋館倶楽部オーナー、会社員

いちかわ西洋館倶楽部
    市川市新田5-6-21
    пF047-322-2012

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