因果は巡る糸車

 某県某市の某高校の体育館。

 今日は、卒業生が体育館を借り切っての同級会が開かれていた。

 全員出席ではないが、卒業してから十数年ぶりに逢うクラスメートたちの話が弾む中、出口に近い隅っこのテーブルにひとり座り、ちびちびとウーロン茶のグラスを傾ける青年がいた。
 それなりに着飾っているクラスメートとは違い、真面目さが感じられるスーツ姿で、メガネをかけた地味な青年だった。

 賑やかに騒ぐクラスメートは、誰一人として、彼に声をかけない。

 この同級会に彼が来るとは、誰もが思っていなかったからだ。

 しかし、同級会も佳境に差し掛かり、中締めということになり、酒宴の区切りということで、誰かが一言挨拶をしなければならなくなった。
 しかし、酒もだいぶ進んだとはいえ、改まって人前で何かをしゃべるというのは、気恥ずかしいものがある。

 そこで、一人が名案を思いついたとばかりに声を上げた。

「おい! お前、なんかしゃべれよ!」
 その声に、クラスメートの視線が隅のテーブルに一人座っていた地味な青年に集まった。
「そーだよぉ〜。
 せっかく来たのに、ずーっと黙ったままじゃん!」
「ほら、前行けよ!
 行って、なんかしゃべれよ!」
 最初に声を上げた男が、かつてクラスの中心だったこともあって、クラスメートたちは、それに便乗して騒ぎたて、地味な青年を前へと追い立てた。
 青年は、強引にマイクを持たされ、おどおどした表情で元クラスメートたちを見回した。
 自分が挨拶をしなくてよくなった安心感と、不安げなようすの青年を滑稽に感じ、会場からはくすくすと笑い声がしている。
「あ、あの……きょ、今日は……」
「聞こえませーん!」
「でっかい声出せえ〜!」
「なんでもいいから、はやくしろ〜!」
 小声でしゃべりだした青年に野次が飛び、青年への嘲笑がさらに強くなった。
「な、なんでもいいの?……え、えと、それじゃ……今日は、み、みんなと久しぶりに逢って……いじめられたことを思い出しました!」
 意を決し、口にした青年の言葉に、体育館の中が水を打ったように鎮まった。

 高校生の頃。青年は、クラスでのいじめの対象になっていた。
 容姿も平均以下で目立つところがあるわけでもなかったのだが、他人と少し違う観点でものを見ているような言動が浮いていたのか、それとも、何を言われても怒ることなくいたことが周りの嗜虐心を煽ったのか、あるいは、ある特殊な事情が原因か、青年は、学校で孤立した存在だった。
 それゆえ、同級会のお知らせを送っても、誰一人として青年が出席するとは思っていなかったのだ。

「今日も誰も声をかけてこないし、みんな、あの頃と全然変わってないみたいで、妙に懐かしかったです」
 先ほどのおどおどした態度と違い、毒を含ませた言葉を口にした青年の雰囲気に、クラスメートたちは、気圧されていた。
「今後、もう二度と逢わないだろうけど、みんな、せいぜい元気に過ごして下さい」
「な、なんなんだよ! てめえ!」
 にこやかに笑い、ぺこりと頭を下げる青年に、最初に声を上げたリーダー格の男が弾かれたように立ち上がった。
「なにって……なんでもいいって言ってたから、思ってること言っただけだよ?」
「だからって、せっかくの同級会で言うことじゃねえだろ!」
「せっかくの同級会だからこそだよ、言ったのは」
 激昂する男に、青年は、冷たい声で言い返す。
「あの頃、ボクがどんなにつらかったか、思い知ってほしいからね。
 何より、いじめられていたのは事実だし。
 それを言って、何が悪いの?」
「い、いじめてたわけじゃねえよ……あ、あれは、ただふざけてただけっつーか……」
「……ふざけてた?
 いないものとして無視する。
 みんながやりたくないことを押し付ける。
 陰でこそこそ笑って馬鹿にする。
 何か悪いことがあれば、全部僕のせいにする。
 それもクラス全員でね。
 ずいぶん陰湿なことされたけど、それをふざけてたってで済ませられると思ってんの?」
「だからって、今んなって言うことねえだろうが!」
「だいたい、今さら俺らにどうしろってんだよ!」
「十数年前のことなんか持ち出してんじゃねえよ!」
「だいたい、そんな暗いヤツだから、いじめられんだ!
 このバケモン!」
「そうだ! このバケモンが!」
「バケモン! お前なんか来てんじゃねえよ!」
 男たちが口々に青年をののしる。
 女たちは、気味が悪いものを見る目で、青年を睨みつける。
 そして、「バケモン」という高校時代に影で言われていた呼び名で口々に罵倒する元クラスメートたちを青年は、冷ややかな目で見ていた。
「なに黙ってんだよ! バケモン!」
「そうだよ! なんか言ったらどうだ!」
 罵詈雑言を浴びせるが、けして青年に近寄ろうとしない元クラスメートたちを見て、青年は、静かに問いかけた。
「黙ってたのは、口を挟む隙もなく騒いでたせいなんだけど……まあ、いいや。
 で、他のみんなも同じ意見なの?
 いじめられたのは、ボクのせいで、キミたちは悪くないって、そういうこと?」
「当たり前だろ! なあ、みんな!
 俺たち、悪くねえよな!」
 リーダー格の男の呼びかけに、声を出す、うなずくなど反応は様々だったが、一様に同意を示した。
 それを見て、青年は、ひとつ深いため息を落とす。
「わかった。
 もう何も話したくない。流ちゃん、代わって」
 ボソッと呟くように言い、青年は、目を閉じた。
 そして、ひとつ身震いをしたあと、ゆっくりと目を開けた。
「黙りやっ!」
 青年の口から発せられた厳しい口調での一喝が騒いでいた男たちを黙らせた。
「よくもまあ自らの非を認めもせずに、身勝手にものを言えるものよのう、ぬしら」
 声は青年のもの。
 しかし、完全に別物になった口調と雰囲気に元クラスメートたちは、息を呑んだ。
「しかし、あれだ。
 これでぬしらは、贖罪の機会を完全に失のうたのう」
 憐れみのこもった視線を向け、青年は、やれやれと肩をすくめた。
「な、なんだよ、それ……つーか、い、いったい、なんなんだよ、お前」
「ん? 我か? 我は、こやつに取り憑いておるものだ。
 こやつ、ぬしらとは二度と言葉を交わすつもりはないらしい。
 ゆえに、我が代理を任されておる。
 こやつの霊能、まさか知らぬわけではあるまい?
 ぬしらは、それをもネタにして、こやつを疎外しておったではないか」
 何を今さらといった顔で言われ、声を上げたリーダー格の男は、ぞくりと背筋を震わせた。

 高校生の頃、青年が特異な存在として扱われた原因がこれだった。
 口先だけで霊能を語る者は多いが、彼の場合、それは真実。
 実際、占いや呪術などの現象を引き起こしたことも一度や二度ではなかった。
 最初は、物珍しさから騒いでいたものもいたが、彼の能力が珍しいだけではすまないとわかると、次第に彼を避け始め、孤立させたのだった。

「しょ、しょうがねえだろ!
 そんなことができるやつなんか異常なんだよ!」
「なるほどな。異常であるから、疎外してもしようがないということか。
 しかしのう、ぬしら、そのような理由であったにせよ、疎外されたものは、多大な辛苦を味わうのだぞ?
 それに対する責、ぬしらにはないというのか?」
「そ、それは……」
 青年の問いに、男は、言葉を詰まらせる。
「無論、必ずしも仲良くせねばならぬということはない。
 こやつは、殊更、特殊であるというのは事実であるしのう。
 どうしても、馴染めぬ、気に触る、嫌悪するということもあろう。
 しかし、だからというて、ぬしらのように、いじめに走らねばならぬという道理は、我には見えぬのだがのう。
 しかも、ぬしらは、こやつに様々なことを頼んでいたではないか。
 占いをしてくれ。霊視をしてくれ。前世を見てくれ。天気を変えてくれ。誰かを呪ってくれ。
 こやつは、それに応え、ことごとくそれを成し遂げたではないか。
 しかし、ぬしらは、戯れで頼みいれたことが、己が知らぬ不可思議な力の働きで為されたことを気味が悪く思い、こやつを疎外するに至った。
 勝手過ぎはせぬか?
 十やそこらの子どもならいざ知らず、17、8ともあれば、多少の分別もあろう?
 なのに、かような陰湿な行いをするとは、恥ずかしくはなかったか?
 ああ、己が行いを省みることができるのであれば、かような行いはせぬか。
 となれば、ぬしら程度には所詮無理な注文であったの。
 我の浅慮であった。すまぬな」
「ふっ、ふざけんじゃねえ!」
 青年に慇懃に頭を下げられ、男は、怒りに顔を赤くする。
「さっきから黙って聞いてれば……」
「黙ってはなかったぞ?
 そろいもそろって、たった一人に身勝手な自己主張をべらべらとしゃべっておったではないか?」
「だ、黙れ! 今は、そんなこといいんだよ!
 とにかく、今さらこんなこと持ち出して、何の意味があるってんだ!
 いじめったって、んなこたぁもう時効だ!
 古い話持ち出すんじゃねえ!」
「勝手に時効など決めるでない!」
 厳しい一言を浴びせられ、男は、身をすくませた。
「心の傷に時効などない。
 そう簡単に癒えるのであれば、今、ここでこのような話しておらんわ」
「だ、だったら、お、俺らにどうしろってんだよ!
 ここで、全員、お前に向かって土下座でもしろってのかっ!?」
「いんや、別段、何も求めてはおらぬぞ」
「へっ?」
 思いもしなかった反応に、男は、間の抜けた声を漏らす。
「ぬしも言うておったが、謝られたところで、それは過去の話。
 今になって何かをしたところで、心の傷が変わるわけもない。
 それに、集団がまとまるには、共通の敵が必要。
 事実、こやつをいじめの対象としていたぬしらの団結は、固いものになっているではないか?
 今もおぬしの言葉に、皆同意を示し、一丸となって、こやつを責めて立てておる。
 その結束を為すため、こやつが標的になったのも、またそのような運命であったのであろうな」
「じゃ、じゃあ、なんで今んなって……」
「あの時と同じことをこやつにしようとしたからだ。
 締めの挨拶、誰もしたくはないからといって、大人しいこやつに押し付けたではないか?
 そのあまりの姑息さにほとほと呆れたのよ。
 こやつの心の中の恨み辛みをぶちまけたのは、そのせめてもの意趣返し。
 そのくらい行う権利、こやつにもあると思うぞ?」
 先ほどのスピーチのことを指摘され、クラスメートたちは気まずそうに視線をそらした。

 高校生の頃も、青年をいじめていたのは、こいつなら何を言っても言い返せない大人しい性格だからというものあった。
 特異な能力、不思議な言動などがあったのは確かだか、青年は、大人しく優しい性格だった。
 その頃は自覚してなかったが、いや、気付いていたがあえて無視をして、青年をいじめの対象としていたのだった。

「ゆえに、それだけのこと。
 なにかしらの償いなど、こやつは求めておらん、その点は、安心いたせ」
 青年にそう言われ、元クラスメートたちは、ほっと胸をなでおろす。
「あとは、己が運命のまま。
 消えぬ罪に押し潰されぬようにな」
 そう言って、青年は、手近なものにマイクを渡すと、元クラスメートたちの真ん中を堂々と突っ切って体育館の出入口へと向かった。
「な、なに? おい! 今、なんつった……待てよ!」
 青年の言葉を聞きとがめ、リーダー格の男は追いかけると、彼の肩に手をかけた。
「手を離せ。我にもう話すことなどない」
「んなわけあるか! お前、なんか気になること言ったじゃねえか!
 わざと不安煽ってんのか!? 意地の悪いことしてんじゃねえよ!」
「意地が悪い、だと?」
 青年は、男の手を振り払い、くるりと振り向いた。
 その顔は、冷たさを感じさせる笑みが張り付いていた。
「今まで、こやつにさんざんいじめをしてきたぬしの口から、かような言葉が出てくるとは思わなんだわ!
 これは、愉快! まっこと愉快!
 はらわたが煮えくり返るほどの愉快ぞ!」
 青年は、声を立てて笑った。
 しかし、それは、人の心をひどく怯えさせるほどの冷たさを帯びた笑いだった。
 ひとしきり笑うと、青年は、出口に近い自分の席に乱雑に腰を下ろし、怯えた目で見る元クラスメートたちを冷ややかに見回した。
「時代が変わっても人は変わらぬのう。
 いつもこれよ。人は己が行いに因る業に目を背け、好き勝手を口走る。
 いやいや、知ってはおるぞ。
 人のすべてがそのような下衆でないことぐらい重々承知しておるわ。
 そも己が利のために生きること、すなわち、それは生きとし生けるものの本能。
 それを他者が否定することは、たとえ我らであってもまかりならん」
 そして、自分のグラスにウーロン茶を手酌で注ぎ足し、一息に飲み干して言葉を続けた。
「だがのう、それは本能の話。
 人は、理性の生き物ではなかったか?
 その点が人と他の獣をわけ、ぬしらは霊長を名乗るのではないのか?」
「……ん、んなこと知るか!
 分けわかんねえことばっか言いやがって、バカにしてんのか!?」
「呆れてはおるな。
 正直なところ、ここまでとは思うておらなんだのでな。
 少々気落ちしておるところだ」
 憐れみの目で見つめ、青年は、気の毒そうに言った。
「しかし、なんだ。ぬしらに意地の悪いと言われるのは心外でな。
 ぬしらごときと同位置なるようで、かなり気分が悪い。
 説明するゆえ、心して聞けい」
 かなり失礼なことを言う青年に怒りが増してくるが、クラスメートたちは、説明を聞くために口を閉じた。
「まあ、説明などせずとも考えれば分かることだと思うのだがのう。
 因果応報という言葉があるのは知っておるか?」
「な、なんだよ、急に……そりゃ知ってっけど、えっと、なんだ、悪いことしたら、その分だけ悪いことが帰ってくるってやつか?」
「正確に言えば、悪行だけでなく善行にも因るがのう。
 つまり、だ。ぬしらの行ったいじめという悪行。
 これを因として果の報いが為されるということだ、これから先のう」
「ま、待てよ……嘘だろ?
 てめえ、さっき、なんもしなくていいって言ったじゃねえか!」
「あれは、こやつがなんの報いも求めてはおらんという話。
 己が行った悪行に対する報いは、己に返ってくる。
 そこに、こやつは何の関係もない。
 では、ひとつ、問おう。
 なぜ、他者を傷つけてはならぬと思う?」
 青年は、男に向けて指を突き出し、講師のように尋ねた。
「そ、そりゃ悪いことだから……」
「そう。
 他者を傷つけるという行いは、その対象となったものの権利を奪う悪行であり、それと同じく、自らにもまた悪行という傷を負わせることになるのだ。
 そして、その行いには、当然、それに見合った報いが訪れる。
 ゆえに、ぬしらは、こやつに対して行ったことに対しての報いをこれから受けることになるであろうな」
 とつとつと語る青年の言葉に、体育館の中がざわつく。
「で、でたらめだ! そ、そんなわけあるはずがねえ!
 お、俺らは、悪くねえんだ!
 そんなこと、あ、あるわけ……そうだ! 宗教だ!
 こいつ、なんか宗教やってて、あとで俺らに壺とか売りつけるつもりなんだ!」
「ぬしらごときを陥れるために、なにゆえ、そのような面倒をせねばならんのだ。
 わずらわしい」
 リーダー格の男に言葉に、青年は、冷ややかな一言を浴びせた。
「ゆえに、安心せい。
 壺や印鑑、某の水晶などを売りつける算段なぞ用意してはおらんでな。
 しかし、心せよ。
 先ほども言うたが、見合った報いは、必ずや訪れるでな」
 謡うように語る青年に、不安に駆られた元クラスメートたちのざわめきがいっそう高まる。
「そ、そんな……ど、どーすりゃいいんだ?
 な、なあ! 知ってんだろ?
 お、教えてくれよ!」
 狼狽した様子で詰め寄るリーダー格の男に、青年は、静かに首を横に振った。
「な、なんでだよ! あ、謝るから!
 なあ! 謝るから、悪かったから、そんなのなしにしてくれよ!」
「なしにして欲しいゆえに謝るなど、本末転倒。
 そのような謝罪など、するだけ無駄というものよ」
「じゃ、じゃあ、な、なんか善いことすりゃいいんだろ?
 あ、悪行って悪いことなんだしよ。
 そうすりゃ、チャラになんじゃねえか?」
「それも今となっては、無駄なこと」
 男の思いついたことを、青年は、ため息混じりに否定した。
「己が為した悪行を帳消しにするために行う善行に何の意味がある?
 そのような心持ちであれば、どのような善行であっても、それは、報いを逃れたいがための行い。
 いくら為したところで、徳が積めるとは思えぬのう。
 己が行いを真に悔いれば、それも為しえるのであろうが、ぬし、こやつが尋ねたはずぞ。
 悪いのは、誰かとな。
 その折、己が悪くはない、悪いのは、こやつと答えたのは、つい先ほどのことではなかったかのう?」
 問われ、男は、数分前のやり取りを思い出した。
「あ、あれは、売り言葉に買い言葉で、ほ、本心じゃなかったってか……」
「真実か?」
 突き刺すような短い問いに、男は、息を呑む。
「それ、は……」
「謝りたいと思うておったのか?
 自らの行いの愚を自覚しておったのか?」
 言い淀む男に、青年は、追い討ちをかけるように問いを繰り返す。
「ぬし、『ふざけていた』とも言うておうたな?
 つまりは、戯れ。
 されておったこやつには、それでは済まなかったが、ぬしらにとっては、気に留めるほどの事のない瑣末な行いであったのではないか?
 そのように思うておった行いに、ぬしら、真に悔いることができるのか?」
「ま、待てよ!」
 突然、リーダー格の男とは別の元クラスメートの男が声を上げた。
「ふ、ふざけてたって言ったのは、そいつだろ?
 お、俺は、そんなつもりじゃなかったぜ」
「お、俺も! 俺もだ!
 悪いな〜とは思ってたんだ。これ、ホントな!」
 別の元クラスメートの言葉を皮切りに、他の者も一斉に声を上げた。
「悪かった」、「ごめん」、「ホントはやりたくなかった」、「そいつに乗せられて仕方なく」、「悪いのはそいつなんだ」などの次々と上がる言葉に、リーダー格の男の顔が見る間に青ざめていった。
「ず、ずりぃぞ! お前ら! 全部、俺のせいにするつもりかよ!
 お前らだって、笑ってたじゃねえか!
 惨めだって、無様だってよお!
 頭おかしいんじゃねえかって、一緒んなって馬鹿にしてただろ!」
 必死に言う男の声に、クラスメートたちは、無言で視線をそらした。
「やはり、この程度か、ぬしらの固い結束なぞ」
 そんな惨状を冷ややかに見つめていた青年は、吐き捨てるように呟いた。
 そして、孤立し、立ち尽くす男に向けて言う。
「咎無きを咎と為し、それにより築いた絆のなんと脆いことか。
 のう、ぬし、今ならば、分かろう?
 こやつが味わいし孤独を。
 多勢に切り捨てられる痛みの何たる惨きことかをな」
「ひ、ひでえよ、みんな……」
 男は、絶望に打ちひしがれたのか、力なく床に座り込んだ。
「な、なあ、いいだろ?
 悪いのは、そいつってことでさ。
 お、俺たちには、なんにも、お、起きないよな?」
 仲間に裏切られ、茫然自失となった男に目もくれず、他の元クラスメートは、こびるように青年に問いかけた。
「何を言うておる。そんなわけあるまい?」
 しかし、青年は、冷たくそれを切り捨てた。
「こやつは、問うたぞ。
 他のみんな、つまりは、ぬしらも、そこな男と同じ意見なのかをな。
 答えを促したのは、確かにそやつやもしれぬが、ぬしら全てがその言葉に乗っておったではないか。
 違うというのなら、なにゆえ、そのときに『違う』と言わぬのだ?」
「だ、だから、それは……乗せられ、て……」
「ほう。では、なにゆえ、今になって、そやつを切り離す。
 それは、報いを逃れたいがためではないのか?」
「違うなんて言ったら、俺までいじめられるし……」
「そのためならば、悪行をも肯定するわけか。
 こやつの受けた苦しみになど、報いる必要はないというのだな?」
 歯切れ悪く言う元クラスメートの言葉を青年は、つぶさに切り捨てていく。
「中心であったのは、確かにそやつ。
 でものう、それに乗るか否かの選択は、ぬしらにあったはず。
 強制されておったわけでもあるまい。
 学級の風潮がそうであったのやもしれぬが、否定することもできたはず。
 しかし、ぬしらは、こやつを苛むことを選択したのだ。
 ある者は、戯れに。
 ある者は、己が標的になることを恐れ。
 その身勝手な行いを、ぬしらは、真に悔いることが出来るのか?」
 問う青年の言葉が体育館の元クラスメートたちの心を苦しめる。

 自分は、青年に対して行った行為を本当に悔いることができるのか?
 自分のしたことを罪として認められるのか?
 それは、今まで受けたことのない苦しい問いかけだった。
 その葛藤に、体育館中の者たちは、悩み苦しんでいた。

 そんな元クラスメートたちを見回し、青年は、ひとつため息をつくと、椅子から腰を上げた。
「我の言うことはもうない。
 あとは、己が心に問うことだ」
 そう言うと、青年は、元クラスメートたちに背を向け、体育館の出口へと向かった。
 その時、座り込んでいたリーダー格の男がゆらりと立ち上がった。
 そして、手近のテーブルに置いてあったビール瓶を逆手に掴むと、奇声を上げて青年に飛び掛った。
「うあああああぁぁぁぁぁぁぁ!」
 その声に、青年が振り向いた瞬間、男は、手にしたビール瓶を振り下ろした。
 「パシャーンッ!」と地面にバケツの水をぶち撒けるのにも似た音を立てて、ビール瓶は、とっさに頭をかばった青年の腕にあたって砕け散り、青年は、殴られた衝撃で瓶のかけらが散らばる床に倒れこんだ。
「……見ろよ、みんな。こいつのこの顔をさ。
 霊能者ぶってても、こいつ、殴られんのも避けられねえんだぜ?」
 男の言葉に、クラスメートたちの視線が青年の顔に向けられる。
 その顔は、高校生の頃、いじめられていたあの臆病な姿を思い起こさせた。
「霊能者なんてのは、嘘っぱちなんだよ!
 こいつは、俺たちを脅して楽しんでるだけの最低なやつなんだ!」
「で、でも、も、もし……言ってることが、ホントだったら……」
 誰かの呟きに、男は、身をビクッとすくませる。

 高校時代、偶然が重なったにしては、青年の起こした現象はあまりに多過ぎた。
 そんな得体の知れない存在が、これから自分に、いじめの報いが訪れると言ったのだ。
 それは、青年の存在と同様に、あまりに得体の知れない化け物じみたことで、そこには得も言われぬ恐怖があった。

「こいつ、俺たちのこと、呪うつもりなんじゃねえか?」
 思いついたように、別の誰かが呟いた。
「だってよ、いじめたのが悪いことってんなら、今までにその報いってのが来ててもいいんじゃねえか?
 でも、誰もそんなことねえだろ?
 だからさ、こいつ、今から帰って、俺たちのこと、呪うつもりなんだよ。
 バケモンなんだし」

 バケモン。
 バケモンだから無視してもいい。
 バケモンだから笑ってもいい。
 バケモンだからなにしもていい。

 青年を指すその呼び名が元クラスメートたちに暗い感情を思い起こさせた。

「じゃあ、今のうちに、こいつをどうにかしちゃえば、呪われなくてすんだりして……」
「そうかもしれねえよな。
 だいたい、こんなこと言うこいつが悪いんだしさ」
「そう、だよ、こいつ、バケモンだし」
 まるで、言い訳のように口々に呟きながら、じわじわと距離を詰め元クラスメートたちに、青年は、恐怖に顔を引きつらせ、床に手を着いて、這うように逃げ出した。
「逃げんな! バケモン!」
「ひあぁっ!」
 だが、すんでのところで足を掴まれ、そのまま、力任せに体育館の中に引きずり込まれる。
 数人がかりで、体育館の中央にまで引きずられ、掴まれていた足を乱暴に離される。
 床にうずくまる青年を元クラスメートたちが男も女も関係なく無言で取り囲んだ。
 目を血走らせ、息も荒い十何人もの人間に囲まれ、恐怖に怯えた青年が震えた口唇をわななかせ、声を漏らした。
「や、やめっ……」

 それが合図になった。

『うおおおおおおぉぉぉぉぉっ!』
 怒号が体育館を震わせ、元クラスメートたちは、一斉に青年に襲い掛かった。

 殴る。
 蹴る。
 踏みつける。
 残った酒やジュースをかける。
 料理の乗った皿を投げつける。
 椅子で叩く。

 その場にいた全員が狂気に駆られ、床にうずくまった青年を痛めつけた。
 口々に罵声を浴びせ、言葉にならないような奇声を上げ、痛みに声すら上げることのできない青年を何度も何度も暴行を繰り返した。

 それは、騒ぎに駆けつけた高校の警備員が止めに入るまで続いた。

 その後、パトカーと救急車が呼ばれ、集団リンチ事件として報じられた。

 数日後。某病院の病室。
「失礼しました」
 スーツ姿の男が二人、頭を下げ、病室から退室した。
 ベッドの上には、包帯だらけの青年が静かに横たわっていた。

 事件は、不起訴になった。

 病室で行われた事情聴取で、青年は、高校時代に、元クラスメートたちにいじめに遭い、同級会でそのことを責めたがため、逆上されたと証言したが、それは不問にされた。

 体育館で青年を暴行した元クラスメートたちは、著しい錯乱状態であり、また、高校時代のいじめについて、元クラスメートたちは、そのような事実はなく、ただの行き過ぎた悪ふざけがあっただけだと、口を揃えて証言した。
 その中には、霊や運命などを口にした青年の言動、高校時代の奇異な行動もかなりの誇張を交えて語られ、この事件は、大きく取り上げられることもなく静かに終息していった。

「結局、それを選んじゃったか」
 たった今、部屋を出て行った刑事にそのことを告げられ、青年は、一言呟いた。
『そのようだのう』
 その呟きに応え、青年の頭に声が響く。
「流ちゃん」
 それは、あのとき、青年に代わって元クラスメートたちと言葉を交わしたものだった。

 青年の霊能は本物であり、声の主は、彼に取り憑いた17柱の1柱、名を流といった。

『しかし、毎度毎度、かような目に遭うは、おまえの逃れようもない運命なのだな』
 寂しそうな流の言葉に、青年は、自嘲気味に笑った。

 実のところ、青年は、何度もこのような目に遭ってきた。

 それは、現在ではなく、過去……それは過去世と称される霊魂に刻まれた記憶だった。

『男、女、生まれたばかりの赤子、老人、獣であるときもあったが、おまえは、常に迫害を受けるのう。
 多勢の中で、常に独り。
 頼るものもなく、いつも、ただ独りだ』
「独りじゃないよ。
 いつも流ちゃんたち、みんなは一緒だったよ」
『しかし、ともにあるとはいえ、我らは、おまえには触れられぬ。
 心の内で言葉は交わせども、おまえの孤独を埋めるには足りぬ』
「それでも、みんながいてくれるから、ボクは、耐えられる。
 もしかしたら、流ちゃんの声も、過去世の記憶も、ボクの頭がおかしいだけなのかもしれないけど、それでも、みんなの声が聞こえるから、ボクは、独りでもいられる。
 だから、ありがとう」

 病室には、青年の声のみ。

 ここに他のものがいたのならば、確かにただの独り言に聞こえ、口さがない者は、青年を異常者と決め付けるかもしれない。
 だが、青年の特異な知覚は、自分のそばに、いつも寄り添う存在を確かに捉えていた。

『傷は、痛むか?』
「うん……かなり。でも、覚悟はしてた。
 これは、あの人たちを追い詰めた報いだから。
 でも、あの人たちは、もう無理だね」
 いたわる流の言葉に応えた青年は、元クラスメートたちの行く末に思いを馳せた。

 過去の行為を掘り起こされたことにより精神が錯乱状態であったという口裏合わせが巧をなし、この傷害事件が不起訴になったとはいえ、加害者であることは事実であり、元クラスメートたちを見る世間の目は、長らく冷たいものになるだろう。

 しかし、それ以上に深刻なのは、流が告げた行いへの報いについてだった。

『あやつらに、三度、問うたのだがな。
 真に悔いることができるのか、とのう。
 だが、誰も応えなんだ。
 それどころか、おまえにかような暴行を加え、さらには、人の定めし法の下での裁きも虚言にて逃れおおせた。
 これでは、もう無理よ。
 この行いに対し、あやつらは、この先、悔いることなどない。
 しかし、因果は巡る。
 報いとは、すなわち罪の贖い。
 それを放棄せし、あやつらには、二度と消え事のないこの歪みが付きまとう。
 おまえがかような大怪我を負う覚悟をしたような、己が非と向かい合うことをせぬ限りのう。
 ひょっとして、何人かは、それを為せるやも知れぬ。
 しかし、虚言を弄して裁きを逃れたのを見れば、大半は、このままなのであろうな』
「そう、だね……人間は、弱いから、自分が悪いって事を認められないんだ。
 したことが、悪ければ悪いほど、人間は、自分は悪くないって思っちゃうんだよね。
 そうしなければ、心が壊れちゃうから……だから、自分以外に原因を押し付けるんだ。
 今まで、ボクがされてきたみたいにさ。
 でも、それじゃ、いつかその報いを受ける。
 悪いことが起きるってだけじゃない。
 そんなの歪んだ心で生きてたら、世間から弾き出される」
『いやいや、そうとは限らぬぞ?
 その場合、それは、世間が正しきものであることが前提となるでな。
 おまえも知っていよう?
 昔も今も、小ずるい者ほど、上へと成り上がっていく世の中。
 おまえのようにまっすぐ生きるものほど、蔑まれるような世の中。
 憎まれっ子、世のはばかるという言葉もある。
 案外、したたかに世間を生きていくやも知れぬぞ?』
「ああ……たしかに、そうか、そうだったね……」
 流の言葉に、青年は、世の不条理さを感じ、深いため息をついた。
『しかしのう、おまえは、たしかにまっすぐ生きているやもしれぬ。
 だが、それはけして正しいことではないと知れ?
 正しく生きるとは、世に合わせることもせねばならぬのだぞ?
 おまえは、それができぬ。まっすぐにしか生きられぬ。
 ゆえに、傷つくことも覚悟しておるはず。
 しかし、それを正しいと違えてはならぬ。
 おまえは、正しくはない。
 ただ、まっすぐなだけということを心に留めい』
「うん……分かってる、ボクなんかが正しいわけない。
 この怪我がそのなによりの証だもんね」
『……のう、悔しいか?
 この調子で、あやつらが世間で成り上がっていったとしたら、おまえは、それをどう思う?』
「成功したら、すごいって思うよ。
 でも、それだけかな?
 わざわざ、あの人たちの前に言って、恨み言をいうつもりはもうないよ」
『言えば、また殴られるやも知れぬからか?』
「そうじゃない。
 ただ、ボクはもうあの人たちになんの興味もないってだけ。
 ああ、でも、悲しいとは思うかな?
 ただ、悲しいな。
 誰かを傷つけても平気でいられるひとがいるってことが、凄く悲しいよ」

 切ない悲しさが青年の心を締め付けた。

 この歪みを抱えたままの元クラスメートたちは、今度は、別の場所で誰かを傷つけるのかもしれない。
 傷つけられた人の苦しみを思うと、青年は、悲しくなった。
 それにより、元クラスメートたちの心がさらに歪んでいくこともまた悲しかった。

『悲しいか。たしかにのう。
 だが、それもまた運命。
 おまえが気に病むことではない。
 この件は、もう終わったこと。
 おまえができることはなく、すべては、あやつらの選択だ。
 ……もう眠れ。いささか、我もしゃべり過ぎた』
「……うん」
 そう言われ、青年は、静かに目を閉じた。
『のう、奉……人間は……嫌いか?』
 流の気遣うかのような問いに、奉と呼ばれた青年は、しばし、考え……
「嫌いだね、人間は。
 だから、ボクは、人間が好きなんだと思うよ」

 このような生涯を幾たびも繰り返し、そのたびに、人に裏切られる。
 だから、人間を嫌う。
 だが、それは、青年−奉が人を好きであるということの表われでもあった。
 好きな人間に裏切られるから、人間が嫌いになる。
 しかし、人間が好きだから、奉は、人とともにあろうとする。
 そして、また裏切られる。

 けしてかみ合わぬ矛盾を抱え、奉は、幾たびもそれを繰り返す。

 間違っているのは、それを受け入れられない世界か、それともまっすぐにしか生きられない奉か。

 その答えは出ることなく、因果という糸を巡らせた糸車は、軋んだ音を立てて、ただ回っていく。

―了―

この話は、フィクションです。

こんな暗い話、
ここまで読んでいただいてありがとうです。
最初は、復讐を果たす
勧善懲悪物にしようかと思ってたんですけど、
それだと、優位な立場からの傲慢な話になり、
いじめをしていた人たちとなんら変わらなくなるので、
こんな結末になりました。
己が為したことへの責任は、誰であろうと
しっかと果たさねばならんのです。

流ちゃんの初登場でした……まあ、姿のない状態ですけど。
いつか、縁ちゃんと一緒に主役を張る日はくるのでしょうか?
使いどころが難しい二人なので、未定です。

この話の奉は、B&Cの奉と同一存在です。
奉は、どの時代、どの世界においても、こんな感じです。
極稀に、受け入れてくれる人間もいますが、
今のところ、世界でも10人程度しか存在してません。

もう一度、この話は、フィクションです……半分くらい。

転輪閣
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