Pierce Arrow Badgers Homepage

メンバーの皆様へご挨拶

私たちピアスアローバスケットボールチームはチーム結成以来の夢であった、「“バスケットを通じた国際交流”の実現を夢見て」をモットーに8回のハワイ遠征を始め、20数回の国際試合を体験し、国内外に数多くの友人及び良き理解者を得て、その方々のお力添えや、メンバーの皆様の協力により幾多の大会、或いはクリニックキャンプを開催し現在に至りますが、今まで以上に「バスケットを通じた国際交流、子供もお年寄りも楽しめるバスケットボールの普及、数年来の私たちの夢である“誰もがいつでも利用できる、観やすく、プレーしやすい、バスケットボール専用体育館”の建設」をめざし、自分たちも楽しみつつ、日本のバスケットボール界の発展に微力ながら応援しようではありませんか。

ピアスアロー“バジャーズ”代表
古宮正晴
komiya
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[目次]

@ ピアスアロー“バジャーズ”ヒストリー (History of Badgers)
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ピアスアロー“バジャーズ”ヒストリー

***俺たち26年の奇跡***

71年度 ピアスアロー結成
千葉県房総半島最南端館山市に位置する県立安房高校バスケットボール部の在京OB、古宮・忍足・八川・菱川が中心となり、在京OBの親睦を深める事を目的にチームを結成。
チーム結成当初は試合の機会も少なく、千葉県の数少ない公式大会、都内のクラブチームへの対戦申し入れというゲームのマッチメイクから活動を開始、苦労多き時代であった。
*千葉県立安房高校バスケットボール部...創部70年の歴史を誇り、戦後はインターハイ5回、関東大会12回の出場歴を持つ千葉県下のかつての名門校。
75年度 豊島区バスケット協会リーグ加盟
豊島区バスケットボール協会小林氏(当時協会組織委員)の推薦を得て、組織、レベルの高さでは都内一の規模を誇る豊島区リーグに加盟する。
●成績:14勝2敗1分
76年度
●成績:16勝5敗
77年度 豊島区リーグ1部昇格
豊島区リーグにおいては、協会規約である最下部4部からスタートし3部2部へと順調に昇格するも、さすがに1部の壁は厚く、加盟後2年,7シーズン目、4度目の入替戦にして初めて81−56のスコアで、トライトンを下し、念願の1部昇格を果たす。
●成績:13勝5敗
この頃からチームの目的を“親睦”から“勝つことの追求”へと移行していったため、残念なことながら発足当初のメンバーから数人の退部者は出たがチームの結束は更に固まる結果となる。
78年度 豊島区秋季トーナメントにて初優勝
1978年度秋季トーナメントにおいて協会加盟以来、初の優勝を果たす。
当時学生界NO.1 シューターの高木君(中央→三井生命、1980〜84オールジャパン)をメンバーに迎え、チーム内において勝つことの追求への意識が更に高揚する。
●成績:16勝5敗
79年度 第1回千葉県高校OB選手権優勝
チームの活動も軌道に乗り年間試合数も増える一方,プレーヤーが社会人・学生であるため、各個人のスケジュール調整という同好会チーム特有の問題を抱える。
(当時のコーチ忍足君は「大会の始まる前はメンバー集めに毎日2時間位は電話のかけっぱなしだった」と当時を振り返ってくれた。)
一方、この頃からメンバーを安房高校OBにこだわらず、島村君(東大→MSK)をはじめ、数人の有力選手を迎え,チーム強化が図られる。
●成績:12勝9敗1分
80年度 第2回千葉県高校OB選手権優勝
小・中・高校生対象のバスケットボール教室を館山市において主催。
12月 当時立教大学コーチ岡山氏、東京大学コーチ山本氏の賛同を得、両氏及び東大現役選手を地元館山市に招き、小・中・高校生を集め、バスケットボール教室を主催。
●成績:12勝11敗
81年度
●成績:13勝4敗1分
優勝1回
82年度
●成績:8勝7敗1分
83年度 初の入替戦出場 1部残留
83年度冬季リーグ戦において1部最下位となり、屈辱的な入替戦出場を余儀なくされるも高原君(東大→日本興業銀行)の驚異的な活躍(41得点)により、80-50のスコアで“豊島クラブ”を破り、1部残留を決める。
当時チームの大黒柱であった菱川君(東工大→三菱重工業)の体力的な衰えが見え始める一方、チーム待望のセンタープレーヤー北島君(東大→日本興業銀行)をはじめ、クレバーなセンターフォワード長谷川君(慶応→電通),名ディフェンダー内田君(慶応→MBK)、得点力のある青木君(早大→新日鉄→早大)、大石君(東大→鹿島建設)等の多数の有力選手を迎え、一段と選手の厚みを増し、チーム強化が図られ、メンバーも40人を越える。
●成績:15勝5敗2分
84年度 第1回 ハワイ遠征 ハワイロア大学定期戦
1月 JALスポーツデスクの協力により、休みの都合のついたメンバー13名が、同好会チームでは日本で初めてと思われる第1回のハワイ遠征に参加、ハワイロア大学と2試合を対戦する。
結果的に両ゲームともに敗退したが、地元新聞に4日間連続の取材を受ける等言葉では言い表せない程の歓迎をうけ、大いに交流を図り、友好を深めた。帰国後、この模様は日本の新聞3紙を通じ伝えられるほど、画期的なイベントであった。
*ハワイロア大学...ハワイロア大学はカネオエ村(ホノルルからおよそ8マイル)に位置し、1967年にユナイティッドメソディスト協会により創立される。男女共学全寮制で、自由・アカデミックな雰囲気のもと、小人数で構成する学部で様々な実践的研究を行っている。モットーは“高みはまだ達せられていない”である。バスケットボールチームは1984-85シーズンの開幕戦を前シーズンNCAA選手権優勝チームジョージタウン大学と行い、74-75 と敗れてはいるが,12月20日現在4勝7敗であり今シーズンは目を見張るものがある。
6月 アフリカガボン共和国ナショナルチームのメンバーであった ジーン君(192cm 日本電子工学院留学)を迎え、チーム力強化に加え、国際的な交流の意識も更に強まる。
夏季リーグ*秋季トーナメント連続優勝
豊島リーグでは,チーム力の充実により、今年度全大会の制覇を目標に現在に至る。
●成績:15勝2敗(11月30日現在)
85年度 第2回ハワイ遠征
JALスポーツデスク、日本旅行の御協力によって参加メンバー28人で遠征。ハワイロア大学及びカルイワ高OBチーム と計4試合対戦。
国内では、豊島リーグにおいて連続優勝記録を更に伸ばし8連覇。新人では慶応大学のキャプテンであり、シューターフォワードの佐藤直樹(F186cm ,三井不動産)、早稲田大学のキャプテンであり、リードガードの柏木茂幸(G 175cm)、東京大学のシューティングガードの中井敏明(G175cm,三井銀行)の3選手が入会。また、慶応大学出身(3年目)の広松英樹(F190cm,日本航空)がカムバック,更にチームが充実する。
またこのシーズンは、チームのレベルアップを図るため、実業団リーグ1位の丸紅、3位の第一相互銀行、全国クラブチーム選手権大会ベスト4の弥生クラブと対戦する。
3月下旬にハワイロア大学が第3回定期戦のため来日予定であったが、直前にフィリップ O ボサード博士が総長を辞任するというアクシデントがあり、大学側の都合で延期。後任の総長はマービュ J アンダースン博士(前ハワイ大学総長)。
86年度
今シーズンの新人は慶応大学のリードガード野間和昭(G175cm,日本航空),筑波大学の紙戸大輔(F196cm,東京海上)、同じく筑波大学の名ディフェンダー粟谷修(G177cm,大修館),早稲田大学の三木春吉(C/F192cm,東京海上),同じく早稲田大学のシューティングフォワード菅野幹雄(G/F186cm,日本経済新聞社),慶応大学の長田学(C/F190cm,日本経済新聞社)更にオールラウンドプレーヤーのマイククリフォード(G/F206cm,IBM)
●豊島リーグでは12連覇
87年度
6月富浦バスケットボールフェスティバル'87第1回大会
房総半島一帯の地域に密着したバスケットボールの普及とバスケットよる町起こしに協力。米軍横須賀基地(シーホークス)チームを招待し開催する。(観客1500人)
今大会終了後の珍事としてJR富浦駅では構内から乗客があふれ、切符は売切れ、20分も電車が遅れてJRより注意される。
3月富浦バスケットボールフェスティバル'88第2回大会
ピアスアローとの定期戦の為ハワイロア大学"マングース"チームが来日し第1戦を第2回大会とする。この来日にはアンダースン学長を始め、アルバートミン体育局長,グレン恵子教授,リチャード バリー事務局長の協力で実現する。
前座試合にミニバスケットボールの試合を行ったのだが、約1500人の観客の前で試合をする事はミニの選手にとっては初体験で,2,3人の選手が試合開始のあいさつの時に「おしっこ」を漏らすという珍事が起こった。こういう経験を何度もさせてあげようと思い第3回大会を開催する事を確認した。
ハワイロア大学との来日第2戦は会場を東京豊島体育館に移し開催した。
新加入選手
88年度 第4回 ハワイ遠征 9戦目にして初勝利
3月 ハワイロア大学定期戦9,10戦の為遠征し初めて勝つ。
新加入選手
89年度 富浦バスケットボールフェスティバル'89 大物チーム登場
5月 オールジャパンディフェンディングチャンピオン日本鉱業"グリフィス"にピアスアローがチャレンジした。これは日本鉱業高木コーチ,高橋マネージャー等の協力で開催が決定したもので、女子も三井生命日本興業銀行が参加するビッグな大会となる。
この大会で初めてアメリカ式にコートサイドぎりぎりまでスタンドを設け、新日鉄のバンド,共同石油のチアリーダーも協力頂き本格的なアメリカの大学のアリーナを思わせるような雰囲気だ。資金面でもキリンビール、三菱商事、ゴールドウィン,大塚製薬他数社が協力してくれた。不足分はメンバーや地元関係者がなべ、やかんを売り歩き調達する。よりよい大会を開催するにはいろいろな面で限界を感じるが、大成功だった。
1月 千葉県富浦中学校とアメリカンスクール調布の交流試合に協力。
3月 第5回 ハワイ遠征NCAAチームと初対戦
シャミナード大学と対戦し延長の末敗れる。
新加入選手 "スーパーダンカー"マイケルコーイ選手の加入により、勝つバスケットよりも一人でもバスケットファンを多くする為に見せるバスケット始まる。
90年度 ピアスアローとハワイロア大学交流の立役者グレン恵子教授死去
11月 ピアスアローの良き理解者であり、ピアスアローのハワイのお母さんと呼んでいたグレン恵子教授がハワイの病院で喘息のため亡くなる。(教授の御主人は第2次世界大戦終結と同時に米軍厚木基地の司令官に就任しマッカーサー元帥を迎えた人)
1月 千葉県富浦中学校とアメリカンスクール調布の交流試合に協力。
3月 第6回ハワイ遠征第1回 グレン恵子杯
ピアスアローとハワイロア大学の定期戦は今大会よりグレン恵子杯となる。ハワイオールスターズとの交流試合では延長の末残り3秒の逆転3ポイントシュート
新加入選手
91年度
3月 第7回 ハワイ遠征第2回 グレン恵子杯
ハワイロア大学 ハワイパシフィック大学と合併
新加入選手
92年度
3月 第8回ハワイ遠征BYUと対戦
BYUの体育館は小さいながら(5000人収容)すべての設備が整ったバスケット専用の理想的な体育館である。日本でも早くこういう体育館を作ってほしい。
ハワイパシフィック大学NAIA全米チャンピオンになる。
新加入選手
93年度
5月さざなみスプリングカップ'93 開催
冠大会とする。観客は2日間のべ1000人。三井生命を始め日本リーグ4チーム、関東実業団2チームを招く。この模様はフジテレビ「おはようナイスディ」で放映される。
第1回ザ ファース エクスチェンジ"ニューヨークニックス"キャンプへの千葉県中学校選抜メンバー参加に協力
新加入選手
94年度
5月さざなみスプリングカップ'94開催
日本リーグ6チーム関東実業団3チーム。冠大会として第2回となるが(観客は3日間でのべ2500人)年々参加チームもグレードアップする。JR東日本、日本マクドナルド、安田火災を始め数社の協賛企業が協力。この模様は ラジオニッポンで紹介される。
JR富浦駅前の3on3 コート作成に協力。
第2回ザ ファース エクスチェンジ"ニューヨークニックス"キャンプ及びデラウェア州ウィルミントン市の招待への千葉県中学校選抜チームの参加に協力。ウィルミントン市長より名誉市民証を受賞。
95年度
5月 さざなみスプリングカップ'95開催。日本リーグ,関東事業団他。
7〜8月 ザ ファース エクスチェンジ さざなみサマーキャンプに協力。小・中・高校生を対象。
8月 第15回朝から夜までエンジョイゲーム
中・高校・実業団・クラブチーム・個人参加他。以後、毎年8月末に行う予定。
97年度
ピアスアロー「バジャーズ」バスケットボールクラブ一時活動停止
成績 昭和46年ピアスアロー創部以来平成9年5月末日(26年間)
534戦 424勝 97敗 6引分 7不戦勝
97年度
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メンバーの紹介

85〜93年度 プレーヤー一覧表(5ゲーム以上)

名前出身勤務先身長体重
吉田正俊早稲田大学ジャパンエナジー16463
高木寛治中央大学三井生命19074
三木晋吉早稲田大学東京海上19284
紙戸大輔筑波大学東京海上19689
粟谷修筑波大学大修館17871
魚井達浩同志社大学東京海上19689
西谷洋介東京大学BAY & Company19383
秋田誠一郎慶應義塾大学三菱銀行18174
実吉邦純慶應義塾大学三井生命19076
石川善太東京大学三菱商事18278
後藤敏博中央大学いすゞ自動車19083
広瀬昌也青山学院大学大和證券18481
COY.MHawaii Pacific横須賀米海軍204100
花村明秀東京大学大成建設18680
西英則立教大学住友商事18079
金子健史慶應義塾大学三井物産18379
小沼洋一慶應義塾大学三井生命19880
松本慎太郎法政大学三井生命19481
渡辺信宏中央大学大和證券19888
外山英明青山学院大学大和證券19887
日下部大次郎同志社大学日本興業銀行19886
ブライアン.Sオレゴン大学フェニックス19689
菊地隆司東京大学東大大学院18378
湯浅光則慶應義塾大学三井信託銀行17772
J.ハリソンアメリカン大学ハワード大院19690
松本泰尚東京大学東大大学院17868
JOHN.PStanford大学ジャパンエナジー19379
ミロ ミヤトビッチAustralia日鉄商事201105
池田政隆東京大学在学中17774
東英樹筑波大学三井生命19683
門脇俊光京都大学日本航空17565
高橋光晴東京経済大学野村證券18678
伊藤伸次中央大学松下電器18676
有川太郎東京大学在学中17264
赤峰信慶應義塾大学三井物産19078
池田尚司京都大学日立製作所18377
JAYSON.Gサンダーバード大学17268
AURTHER.BオレゴンSt.大学ブリジストン19090
新井信二拓殖大学四国電力19278
JOHN.C.MアリゾナSt大学香港在住19079
D.ブルトンStanford大学San Fransisco在住208108
T.ホーバスPenn St.Atlanta Hawks20498
ネルソン BUSC東京海上20097
名前出身勤務先身長体重
J.クラウドガボン高校19389
内田好治慶應義塾大学三井物産18073
柏木茂幸早稲田大学新潟教員17667
小梶雅三明治大学富浦ロイヤルホテル17574
伊藤誠慶應義塾大学三井物産18078
佐藤直樹慶應義塾大学三井不動産18684
北島清光東京大学日本興業銀行19091
嶋村登志雄東京大学三菱商事18376
中井敏明東京大学さくら銀行17367
東真哉東京大学三井物産18673
吉岡堅二郎立教大学ジャパンエナジー18374
木村和正宇都宮大学三井Computer Service20194
青木久幸早稲田大学朝日航洋18072
五十嵐隆東京大学三菱商事18075
柏木豊慶應義塾大学三菱商事19077
安味邦泰中央大学三井生命17276
金木昭彦國學院大学亀田病院17565
高原洋太郎東京大学日本興業銀行18667
野間和昭慶應義塾大学日本航空17669
長谷川潤慶應義塾大学電通18876
菅野幹雄早稲田大学日本経済新聞社18579
野口直彦東京大学松下電器18273
広松英樹慶應義塾大学日本航空19084
MIKE.CテキサスA&M大学204100
長田学慶應義塾大学日本経済新聞社19079
成瀬英明早稲田大学朝日生命17364
細川洋一東京大学清水建設18376
池田弘樹慶應義塾大学大和證券18376
大石修一東京大学鹿島建設18378
渡辺信二慶應義塾大学フジテレビ18677
村上貴昭立教大学三井生命18374
斉藤一人筑波大学白鴎女子短大19182
岩崎高治慶應義塾大学三菱商事17668
小金丸隆則慶應義塾大学三井信託銀行17670
ROBERT.Cハワイロア大学ウエハウザー19686
川原信隆東京大学東大病院18376
RAY.Rハワイ ロア大学19587
SCOTT.MWillamate大学ワシントンDC在住198100
柳沼和登志慶應義塾大学18375
JOHN.Sアーバン大学テキサス在住19083
小島裕二三青山学院大学NEC18673
八木公彦筑波大学東京海上18175
阿部達也京都大学リクルート17566
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Pierce Arrow Badgersに参加する外国人選手たち(さざなみスプリングカップの記事より)

#42 ミルトン・ベル
203cm,103kg,フォワード,ジョージタウン大学出身
高校時 :McDonald High School All-American Game MVP
(米国の高校には全国大会はなく、全米の高校生トップ24人が選出され、東西に別れて争うこの大会が唯一の全国レベルのものである。)
大学1年時:Big East ALL Rookie Team
1993年 :NBA Detroit Pistons 在籍
現在 :ヨーロッパのプロリーグでプレー
所見 :すばらしいジャンプ力を生かしたスーパーダンカーであり、 ショットブロック、3ポイントも得意なオールラウンドプレーヤー
#25バイロン・タッカー
212cm,110kg,センター,1〜2年:ノースカロライナ州立大,3〜4年:ジョージメイソン大
1992年:NBA GS Warriers Campに#23John Patrickとともに最終テストまで残る
1993年:NBA Washington Bullets Campに最終テストまで残る。
現在 :ヨーロッパのプロリーグでプレー
所見 :長身でしなやかな身体を持ち、インサイドプレーに強く、ショットプロック、リバウンドダンクが得意
#33ブレント・ウィリアムス
203cm,100kg,ガード・フォワード,スタンフォード大大学院卒
1991年 :NIT優勝
1994年 :NBA Phoenix Suns の入団テストに最後まで残る。
現在 :ヨーロッパのプロリーグでプレー
1995年 NBA Chicago BullsのFree Agent Campに招待されている。
所見:大型ガードとして全米でも注目されている選手。大学時のチームメイト #23 John Patrickとのコンビプレーが見物。ダンクシュートはもとより彼のクレバーなプレーにも注目。
#23 ジョン・パトリック
193cm, 85kg,ガード,スタンフォード大学卒
1991年:NIT優勝
1992年:NBA GS Warriers Campに#25バイロンタッカーとともに最終テストまで残る。
所見:ボールハンドリング、ドリブル、3ポイントシュートが得意な、基本を大切にするプレーヤー。アシスタントコーチとして先の日本リーグでJapan Energyを準優勝に導いた。
#54 アビ・コモラセ
198cm, 97kg,フォワード,ハワイパシフィック大学卒
1993年 :NAIA優勝
#35 ジェームス・ハリソン
198cm,100kg,フォワード,アメリカン大学卒、現在、ハワード大大学院
所見 :大学時はキャプテンとしてチームをまとめる。NCAA関係者に数多くの知人を持ち、Japan Energy千葉県中学校選抜チームのNBA New York Knicks Summer Campの代表として活躍し、日本と米国のバスケットを通じた国際交流の立て役者でもある。米国でもその人望、活躍は高く評価されている。
#53 カヨ・ヘイズ
198cm,100kg,ガード,ディアンザカレッジ卒
1988年:NBA Sacramento Kings Camp
1988年:Sacramento Kings Pro-Am Summer Leagueで優勝
1991年:ヨーロッパのプロリーグでプレー
所見 :ボールハンドリング、360度回転ダンク、アシストの得意な選手。
#8 ミロ・ミヤトビッチ
201cm,105kg,センター,クロアチア出身、オーストラリア シドニー マッコリー大学卒
18〜23才:サウスイースタンオーストラリアバスケットボールリーグ(セミプロリーグ)で活躍。
所見 :24才で来日、弁護士として日鉄商事に勤務。インサイド選手ながら3ポイントも得意。
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