三重大学における最終講義
海岸工学の発達過程の概説
1976.2.16
菊岡 武男
1.
はじめに
私共の学科で「海岸工学」なる授業を選択科目として設けたのは、1959年度からであり、そのねらいは海面干拓、埋立による農地造成の計画・設計・施工の分野に関連して必要な海岸工学の一部について授業科目として課すことにその目的があったと考えている。
ところで、海岸工学(Coastal Engineering)なる用語は、第2次世界大戦後から次第に使用されてきたが、とくに1950年カリホルニアのLong Beachで行われた第1回海岸工学国際会議を契機として、逐次普及してきたようである。そして最近ではCoastal Engineerなる用語も文献に次第に見られつつある。その意味では、「海岸工学」という授業科目が1959年度から登場したことは、当時としては、かなり斬新な構想であったと思っている。
海岸工学は、海洋学、気象学、水理学、構造力学、土質力学、地質学その他の学問の助けを借りて成り立っている学問分野であり、いわゆる学際領域(interdisciplinary)の学問である。この学問の発達の模様をできるだけ過去に遡って、現在に至るまで概観することは興味があるが、今回は、前世紀中頃から1950年頃(第2次世界大戦後5年)までについて、しかもこの学問分野のうちで限られた(1)波の予知、(2)浅海域における波の変化、(3)沿岸流、(4)構造物に対する波力、(5)感潮河口を対象に、それらに関する研究の発達過程を概観してみよう。
2.
波の予知
一定風域(風送距離)内の風によって発生する最高波に関しては、1874年にStevenson 1) が提唱した式があり、現在でも海岸工学関係の書物(例えばQwinn 2)
Miniken 3) の著書)に見ることができる。この式は波高を風域に関係づけて、風速よりも風域が波高を支配するような場合のデータに基いた経験式であり、波高(ft)は風域(mile)の平方根の1.5倍に等しい(風域が30mile より大なる時)註1) というものであり、北海等では現在でもあてはまる式といわれている。
|
註1)風域が30mileより小さいとき(mile はnautical mile をいう) H=1.5 √F + 2.5 −4√F ここにH= 波高(ft), F= 風域(mile) F<30 mile |
第2次世界大戦初期頃から敵前上陸作戦に必要な世界各所の海岸における深海波(沖波)から磯波に至る各種の波の信頼できる予知方法の研究が、とくにアメリカで重要視されるに至り、これに関する文献としては例えばBates 4), Revelle 5) の発表があり、「ノルマンジー、ビルマ及び日本への進撃と波予知の利用」についてふれている。
1942年カリホルニアのLa Jolla にあるScripps
Institution of Oceanography では軍関係の援助をうけて、海の波、うねり及び磯波の予知法の基礎的研究を行うための委員会を組織し、Sverdrup 及びMunkが中心となり、又O’Brienがアドバイザーになって研究その他の活動が進められた。その研究活動の一つは波の推算方法に関するマニュアルの作成であり、その成果はU.S.Navy 6) から刊行されている。又その他の目標としては波の推算技術訓練を軍関係者に対して行うことであった。
このマニュアルでは波の物理諸量、風速、風域についての多くの観測値から有義波(significant wave)の波高、周期を風速及び風域の関数として図表で示している。これは波の予知についての一つの大きな成果であった。この成果に対してO’Brien 7) は1944年に、「このような図表が作成されたのは、重力の作用する摩擦のない流体という前提があるから、風域、風の吹続時間、風速、波高、周期について力学的に相似となる模型法則を開発して、実用面により有用なることが望ましい」ことを提言した。
Sverdrup及び Munk 8) はその提言をうけて、次元解析の手法を用いて、1947年マニュアルの改訂を行い、次の現象に寄与する変数を2つの無次元図表(風域図表と風の吹続時間図表)で表すS.M法といわれる波の推算方法を提唱するに至った。
その後、世界各所において実験室あるいは野外において研究・調査が行われ、それらのデータに基づいて、S.M法は1952年にBretschneider 9) , 1953年にNeumann
10) その他によって修正されるようになった。この修正により今日のS.M.B法といわれる波の推算方法が普及しているのである。
なお、その後アメリカではCostal Engineering Centerで、現場技術者向きのマニュアルとして、かぜ、風域、波の関係を見出す図表の簡略化を試みて、1966年及び1974年にU.S.Army 11)12) から発表されている。
上述の波予知の方法は、ある地点における波に関係する気象統計データを収集し、それを設計に役立てる上で現場技術者の設計業務に大いに貢献してきた。ある海域で過去の天気図が利用できるならば、その天気図から風、風域がわかり、それより日々の波高、周期が計算できる。このような実用面としては、1947年Scripps Institution of Oceanography 13)
が行ったカリホルニア海岸ぞいの
数地点における波の統計データがある。このように天気図から波のデータを求める方法は、波の実測記録をとるよりも経済的で、また信頼度も劣らないので、最近では世界各地で用いられるようになってきた。つまり過去の気象データから、設計地点において発生した波を追算(hind-casting)する手法が普及するに至った。
一方、このようなS.M.B法とは別に、波の発達と伝播に関して、早くから、波は一様ではなくて波高、周期とも、波のスペクトルがあると認められており、1944年当時の波の予知方法6)(U.S.Navy 慣行)では、波のうち比較的高い波が対象とされていたが、波を説明する上では物足らなかった。そこで前述のように1947年Sverdrup 及びMunk 8) がマニュアルを改訂するに当たり、1/3最大波の平均波高と平均周期をもつ波をいわゆる波として定義する統計用語を導入し、これを有義波と称した。現在、多用されている波、風、風域に関する図表はこの有義波に関するものである。一方、波のスペクトルに関する研究はその後も著しく進歩して波の予知方法に大きく貢献しつつあり、Neumann 10) は波の観測データに基づいた理論的な波のスペクトルを1953年に提唱し又P.N.J法14)として1957年に発表されている。
前述のS.M.B法は有義波高を予知するために用いられ、それより波のスペクトル及び波の統計的分布を求めることができるのであり、P.N.J法は波のスペクトルを予知するために用いられ、それより有義波高及び波の統計的分布を求めることができる。
3.浅海域における波の伝播
波が浅海域に入ると、深海波の状態から水深変化に伴う波高、波長、波速の変化を生ずる。ゆるやかな海底こう配の浅海域へ微小振幅波が海底等深線に直角方向に進む場合について、1930年代にLanb15) の理論を用いてO’Brien は砕波直前までの波の伝播について理論的に考察しており、その要旨は1942年U.S.Army 16) から発表されている。その後、Scripps Institution of Oceanography 17) によってその理論と実測値の比較が行われた。又その実測値の一部はU.S.Navy 18) から発表されている。
これらの波が海岸線(汀線)に直角方向から入射せず、斜めに入射すると、波は水深の浅いところでは、深いところよりも遅く進むことになり、波峯線は次第に海底等深線に平行し、海岸線に平行して入射するようになるが、この現象について1848年にHarrison 19) が観測及び理論的考察を行った。この現象を屈折(wave refraction)と名付けたのはDavis であり、Davis 20) は波峯線群に直角方向に波のエネルギーは集中するから、海岸線の凸部の岬部分では波のエネルギーは大となり、又凹部の入江部分では小さくなると定性的な解析を1912年に行った。その後1919年にJohnson 21) はこの考えを用いて屈折図を創案し、又この研究に基づいてO’Brien は凹凸のある海岸線での波高の分布を定量的に求める研究を行い、Snell の法則を適用してO’Brienの指導のもとに多くの実験的研究の成果22),23)24) を総合して、海底こう配がゆるく海岸線が凹凸している場合の波の進み具合を図式解法によって求める方法を考案し、U.S..Army 16) 及びU.S.Navy
18) から発表した。
さらに1947年Jsaacs 25) は波峯線を画かずに波向線図を作成する方法を発表し、又1948年にはJsaacsの方法を進歩させた屈折図作成方法がJohnson等26)の共同研究としてU.S.Navyから発表された。
第2次世界大戦中に発生した波理論に関する重要な研究テーマの一つは、上陸作戦に伴う移動性防波堤の開発に関連するものであった。これに関連しては、Townson 27) の最近の発表がある。この分野の問題点は防波堤末端周辺の波の回折(diffraction)であり、1944年Penny及び
Price 28)は防波堤末端の波の回折、島の風下浜への波の回折、多段防波堤の間隙内への波の回折について研究し、その後1948年Putnam及びArthur 29) は模型実験を行いPenny及び Priceの理論は実験とよく合うことを確かめ且つその理論の簡略化を行い、実用に供しやすい形で回折図を作成することに成功した。そのほかBlue及びJohnson 30), Johnson 31)
,Carr 及びStelzriede 32) 等も模型実験を行い、Penny及び Priceの理論と実測値がよく合うことを確かめた。
ゆるやかな海底こう配で且つ水深が比較的浅い海面を波が伝播する場合には、海底の摩擦及び浸透が影響する。この分野の研究に理論的取扱いをした初期のものとしては、1949年のPutnam及びJohnson 33) が挙げられる。その後、1953年にSavage 34) はこの理論を実験的に確かめ、又Bretschneider及びReid 35) は1954年に水深の減少、海底摩擦、浸透及び屈折の影響を総合した波高変化の計算式の誘導及び計算の図表化を試みている。
4. 砕波及び磯波
屈折あるいは回折現象を伴いながら海岸に向かって進む波は、遂に砕波となるか又は崖等に衝突して反射するが、このような海岸近くの波の伝播及びこれに伴う波の打ち上げ等は、実際面を担当する技術者の最大関心事である。
砕波の波高、砕波水深、砕波に及ぼす海底こう配の影響等に関する野外及び実験室におけるデータは、第2次世界大戦中及び戦後にかけてアメリカで多く収集され17),36),37)、又その理論的取扱いは1950年代前半ではBresel 38) ,Wiegel 39) 等によって行われた。
5. 海辺付近の流れによる海岸地形の変動
古来から、海岸付近の流れによって港湾の埋没あるいは河口閉塞が行われており、海岸工事に携わる技術者は現在でも腐心しているところである。港湾埋没の事例を紹介したものとしては1973年のTownson 40) の発表がある。河海工事技術者としては、長い間過去の経験が設計・施工の唯一のよりどころであったが、ようやく19世紀末頃には世界各地でかなりのデータがそろうようになった。又各種の調査、研究も行われるようになり、その端緒となるものとしてはGilbert 41),42) の発表が挙げられる。なおイギリスにおける海岸漂砂の移動に関する初期の研究については1974年のTownson 43) の発表がある。1919年Johnson 21) は海浜の変動についての理論をまとめており、現在でもその成果は評価されている。Dent 44) は1916年に漂砂移動を防止する防波堤、突堤等の機能に関して発表し、そのほか今世紀初頭から実験室的研究の重要性が認識され、この方面にたくさんの研究成果が現れ、一方野外での観測と模型実験とを平行して行う研究手法も盛んになりKrumbein 45) やSaville
46) 等が成果を発表している。
海浜形状の変動の他の重要な一面としては、季節的変動があり、前世紀末から今世紀のはじめ頃Cornish 47) ,Johnson 21)
,Dent 44) 等は海岸地質学あるいは土木工学の立場から、この現象を観察し、海浜の季節的変動は波の季節的変動に依存することが大きいことを明らかにした。その後、この問題に関しての模型実験的研究も次第に盛んになり、海浜の平衡状態は、波形こう配と関係があることが1930年代から1950年代にかけて、かなり明らかにされた48),49),50),51),52),53),54),55)。
6. 河海構造物に作用する波力
河海構造物に作用する波力について最初に貢献したのはStevenson 1) であり、防波堤の設計に寄与するところが大きかった。Stevenson 56) はすでに1842年に波力計を考案し実用に供し、又1904年Gaillard 57) は別の波力計を使用した。
Stevensonについで防波堤の設計に進歩をもたらしたのはSainflou 58) であって、鉛直壁面に作用する重複波の波圧を取扱ったことで知られている。1920年から1930年代には広井 59) やMolitor 60) が鉛直壁面にあたる砕波の波圧式を提唱し、又Bagnold 61) は砕波圧に関する模型実験的研究を行った。
1938年Iribarren 62) は割グリ石より成る防波堤の設計に用いる計算式を提案し,その後Hudson 63) はIribarren
式の改良のための模型実験的研究を行い、さらに割グリ石より成る防波堤斜面の石塊の安定計算法を提案した。
河海工において、杭構造物が登場したのは、油田開発のため海中にドリルする必要から、その足場基礎として杭工が実施されたのにはじまる。こうした海中ドリルは1894年カリホルニアのSummer Land で行われたのが世界で最初
であるといわれている64)。 それ以後この種の杭構造物が次第に出現するようになり、これに呼応して1940年代から海中の杭に作用する波力の研究が行われ、その最初はMunk 65) の研究であった。Munkは杭を通過する水面振動流れによる力を考え、杭表面の剪断力による形状抵抗のみに着目していたが、その後Morison 66),67) は慣性抵抗をも加味する新しい波力理論を展開し、いわゆる円形柱体波圧理論の端緒をひらいた。
7. 感潮河口部
感潮河口部では海岸工学上実に複雑な問題があり、その第一に挙げられるのは「航路としての河口水深の維持」であり、Stevenson 1)や
Eades 68) はすでに前世紀の終わりごろ、その著書で河口閉塞の問題にふれ、その原因を考察し、又その改良方法を提案している。Reynolds 69) は移動床の感潮河口の模型実験的研究を行った先駆者である。
潮汐の干満によって、感潮河口部では、時間的に貯留され(上げ潮時)、ついで一時的に排水される(下げ潮時)。このような交換総量をtidal prism というが、これが感潮河口の維持に重要な役割りを果たすことは、前掲のStevensonやEads が指摘しており、その後、これに関する理論的裏付けを1923年にChapman 70) が発表し、それを基礎にBrown 71) は感潮河口の流れをさらに解明した。さらにその後、感潮河口部における海岸工学上の諸問題の解明にO’Brien 72), Escoffier 73) 等が貢献している。
感潮河口では周知のとおり上流よりの洪水と下流からの塩水の干渉があり、これも海岸工学上の重要問題である。換言すれば、塩水楔、密度流、拡散の問題の解明ということになるが、この分野を最初に取扱ったのはTaylor 74) であり、Taylor はこのような場合の流れは一種のフルード数によって説明できることを示した。その後1934年O’Brien 及びCherno 75) は密度流の模型実験的研究を行い注目された。その後の密度流に関する理論及び模型実験的研究では、前掲の一種のフルード数をdensimetric Froude number と称し、現在でも用いられている。註2)
8. 終わりに
海岸工学のしかもごく限られた分野の研究について、現在の海岸工学の抬頭期ともいうべき前世紀中頃から1950年頃までの進歩の跡を概観し、それに貢献した人々を紹介した。1950年頃から現在までの約25ヶ年間における海岸工学の進歩発展はめざましく今日の隆昌を見るに至った。この間に貢献した人々の
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註2)これと並んで一種のレイノルズ数も用いられ、これを densimetric Reynolds number と称している。 |
研究を紹介し進歩の跡をたどることは他の機会に譲りたい。
わが国における海岸工学の抬頭は第2次世界大戦後といっても過言でなく、わが国では、アメリカにおける海岸工学の進歩に伴い波の予報、追算理論が1945年頃から公表され、それが戦後はじめてわが国にも紹介されてからのまだ浅い歴史しかもっていない。それにもかかわらず過去25年間のわが国の海岸工学の進歩発展はめざましいものがある。1946年には、当時海岸浸食で注目されるようになった新潟海岸をはじめとし、その後相ついで鳥取海岸、富山海岸でも調査が行われ、海岸工学関連の研究施設が運輸省港湾技術研究所、京都大学防災研究所、農業土木試験場をはじめ、多くの大学の水理実験室に整備されてきた。
また1953年の台風13号、1959年の伊勢湾台風及び1960年のチリ地震津波による海岸災害とその復旧対策はわが国の海岸工学の発展を加速させることになった。1954年から毎年土木学会においては海岸工学講演会が開かれ、又1957年には同学会から「海岸保全施設設計便覧」が発行され、又農業土木学会においては農林省土地改良計画設計基準監修委員会を組織し、その一部門として干拓、埋立に関する同基準が農林省から発行され、実際面の設計、施工の進歩発展に貢献している。このほか行政面では1955年制定された海岸法に基づく「海岸保全施設築造基準」が設けられ同様な貢献をしている。
これら海岸工学の進歩の跡を総括的にながめること、あるいは農業土木の立場からその学問、技術及び実施の面に焦点を絞って海岸工学の進歩の跡をながめることは、共にきわめて有意義且つ必要なことであるが、これらも他の機会に譲りたい。
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