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太陽系の小惑星に「Kim Shin」
これは元の小惑星名12771 という星で札幌在住の渡辺和郎さんが 発見された小惑星です。
今回命名は、2003年のスペースシャトルコロンビア号で亡くなった宇宙飛行士達へのレクイエムを、事故後1年目の2004年 1月にケネディ宇宙センターで演奏したこと。
そして2000年秋に若田光一宇宙飛行士がCDアルバム「久遠 の宇宙」を宇宙へ持って行ってくださったことなど命名の理由になったそうです。
これは「音楽で地球をまるごと包みたい」と言う想いで、音楽を創り演奏している音楽家の夢を叶えるべく、多くの方々のお力添えで実現したことですし、今日までの歩みが沢山の方々と共に歩いてきた事へのご褒美だったのではないかと、感じています。
この名は学術名として普通の星の名と同じ扱いで、人類が存在するかぎり未来永劫残されるそうです。また小惑星命名辞典にも掲載されます。
惑星の存在場所としては下の写真にもあるように火星の更に外側を、約3,35年周期で太陽の周りを回る小惑星です。偉人でもない普通の市民の名前が命名されたこと、それこそ星に恥じぬようにこれからも人々の役に立つ音楽を創り奏でていきたいと思っています。
赤い線で挟んだ二つの星がKimshin星だそうです。
実際はひとつですが、時間をづらして写真を撮るのでふたつになってい
るそうです。
他の星は皆縦にずれていますがKimshin星は斜めにずれていま
す。これは動いている惑星だという証拠だそうです。
これがおおよその軌道だそうです。
とてもわかりやすいです。
「小惑星に越谷のシンセサイザー奏者名」
2008年04月24日
◇宇宙への願い 共感が縁

 登録番号12771、固有名「Kimshin」――。数ある小惑星の一つに先月、作曲家でシンセサイザー奏者のキム・シンさん(53)=越谷市在住=の名前が付いた。「音楽で丸ごと地球を包みたい」という願いが共感を呼び、命名につながった。「宇宙から曲を奏でるような気持ちで演奏していきたい」とキムさんは喜んでいる。
 この小惑星は94年4月に国内で発見されたが、これまで名前がついていなかった。直径約7キロ程度で、楕円(だえん)形を描きながら太陽の周囲を約3・35年で公転している。
 元宇宙開発事業団参事の寺門邦次さん(65)が小惑星を見つけた知人のアマチュア天文家に頼んで命名してもらった。
-----中略
 「シャトルにCDを」というキムさんの夢は、00年の若田光一さんの搭乗で実現し、12日間宇宙を旅してきた。その4年後には、シャトル事故があったケネディ宇宙センターで鎮魂の演奏をした。同センターでは、宇宙を旅したCDのタイトル曲「久遠の宇宙(そら)」も演奏し、客席から「プラネット(惑星)の光景が浮かんだ」と声をかけられ、「願いが伝わった」と思ったとキムさんは話す。いずれも寺門さんが調整してくれた。
 今回の命名は2人が出会って10年になるのを機に寺門さんが考えた。寺門さんは「宙がえり何度もできる無重力」で知られる向井さんの宇宙短歌や手話、若田さんの四股などいろいろなアイデアを出してきた。「宇宙とふれあい、親しみをもってもらうことが宇宙開発には大切なこと」との思いからだ。
 キムさんの創作のテーマは平和、環境、震災復興、難民救済など多岐に及ぶが、共通しているのは「いつくしみ」だ。「宇宙って、いつくしみそのものではないでしょうか。地球や人々を優しく包んでくれている」。キムさんは自分の願いを重ね合わせて、宇宙に心をはせている。
                                             (マイタウン埼玉より)

コロンビア事故から1年/越谷のキムさん演奏
「宇宙に届け」散った夢にレクイエム

 スペースシャトル「コロンビア」が空中分解し宇宙飛行士7人が死亡した事故から1年。米国内では大規模な追悼式が行われたが、シンセサイザー奏者のキム・シンさん(49)=越谷市在住=は先月7日、フロリダ州のケネディ宇宙センターで鎮魂のメロディーを奏でていた。
シンセサイザー奏者のキム・シンさん=
先月7日、フロリダ州のケネディ宇宙センターで。
 03年2月1日。家族や友人らが待つ地球着陸までわずか16分、事故は起きた。その時と同じ青空の下、キムさんはセンターの屋外ステージで演奏した。「私も自分の夢に向けて頑張ります。どうぞ安らかに……」。夢半ばで散った7人、これまでの宇宙船事故の犠牲者に語りかけた。
 演奏した4曲の中に「久遠の宇宙(そら)」があった。00年、若田光一さんとともに12日間宇宙を旅した同名のCDアルバムに収録された曲だ。客席では米航空宇宙局(NASA)職員やたまたま居合わせた観光客が聴いてくれた。「あなたの曲を聴いたらプラネット(惑星)の光景が浮かんだ」と声をかけられた。自分の夢が伝わったと思った。
 「音楽で丸ごと地球を包みたい」。これがキムさんの夢だ。若田さんがCDを持参してくれたのも、今回、NASAが演奏を特別に許可してくれたのも「私の夢を理解してくれたからだと思います」とキムさんは話す。
 在日朝鮮人を父に日本人を母に持ち、自らを「在日地球人」と呼ぶ。平和、環境、震災復興、難民救済……。創作活動のテーマは多岐に及ぶ。その中で宇宙とは−−。「地球も人間もその一部。特別なものじゃない。でも宇宙を知れば知るほど、地球が大事に思えてくるんです」
 追悼演奏で宇宙に心をはせた。キムさんにとって「夢の過程の意義ある出来事」だったという
(asahi.com MYTOWN埼玉2004.2.6より)

     
宇宙・人に聞く
さまざまなアプローチで「宇宙」にたずさわる「人」にインタビュー


音楽で丸ごと地球を包みたい

仕事として宇宙へ飛び立つ宇宙飛行士も、
少ないながらも個人の持ち物を持っていくことができます。
それは各人各様ですが、若田宇宙飛行士がスペースシャトルで飛行したさいに、
ひとつのCDがいっしょに宇宙へと飛び立ちました。
今回は、そのCDを作られたアーティストであるキム・シンさんに、
ご自身と音楽、また宇宙との関わりについてうかがいました。

ノルベール・パルーシュ さん
「向井さんのシャトル打上げを見にいきました。
すごいですね。音というより、空気の振動が近づ
いてくるのがわかるんですよ」とキムさん。

キムさんと宇宙との関わりについておうかがいする前に、音楽との出会いについて聞かせてくださいませんでしょうか?

−えー、お話しすると永〜いおはなしですが…(笑)。もともと仕事として民族芸能の劇団で、キーボード奏者として音楽にはたずさわっていました。でも作曲をしていたわけではありません。15〜16年ぐらい前でしょうか…鍼治療を受けたんですが、そのときに、とても気の受け方が良いと、いとこの治療師から褒められたんです。それでピアノよりもこういったことを仕事にすればいいのにと言われたんですが、「それなら音楽の方が早いから」と、つい口から出てしまったんです。言葉にしたことは実行したいと思い始めた頃でしたので、それからコンピュータを買いシンセサイザーをそろえて音楽を作り始めました。音楽を創るにあたって、人は心と身体が平安であってはじめて幸せではないかと思ったので、そのために音楽が役に立てばということが、音楽創りの原点になりました。

なるほど、以前から作品を作っていたわけではないんですね。

−そうなんです。はじめはどこに発表するとか人に聴いてもらうということは考えずに、プライベートのものとして創っていました。それでひょんなことから、地元の音楽家の方にさそわれて、小さなコンサートで4曲だけ、それこそ自分の作品を生まれてはじめて、人に聴いてもらうことができたんです。そのときに山本さん(現在のキムさんのプロデューサー)にはじめて出逢ったんです。そして山本さんの「あなたの音楽をもっとたくさんの人に聴いてもらいたい。音楽で世界中から難民の子供をなくせたら…」という想いとともに、僕の音楽の旅が始まりました。

では、宇宙との出会いのようなものはどこにあったのでしょう。

−コンサート活動のはじめから「音楽で丸ごと地球を包みたい」と言ってきました。僕はシンセサイザーですので、電気がなければ音も出ません。そして、地球にはその電気も届かないところがありますので、せめて地球上の40億人ぐらいの人たちに音楽を聴いてもらい、役に立てたらと想っていましたし、プロデューサーの山本さんもそれを実現させましょうと言って、コンサートを企画してくださっていました。そんなことを想っているなかで山本さんが、音楽がシャトルに乗って地球をぐるぐる回れば、うそつきにならずに、ある意味で、地球上の生きとし生けるすべての命に届けることができるのでは…と、途方もないことを思いついたんです。そして人から人へとその想いが伝わって、1年後には向井千秋さんの、2度目のフライトの打上げを、フロリダのケネディ宇宙センターから見上げている自分がいました。まさか自分がシャトルの打上げを見るなんて、これは自分の人生に予定されていないと思ったほどです。

実際にシャトルの打上げをご覧になって、どうでしたか?

−そのすさまじさに本当に驚きました。音がすごいんです。見学している場所はシャトルから5kmほど離れているので、音が十数秒遅れてくるんですね。音というより、空気の震えが津波のようにわぁーと近づいてくるのがわかるんです。その振動だけは体験しなければわかりませんね。そして1機のシャトルに、世界中の科学者の夢や子供たちのあこがれ、そしてたくさんの人たちのロマンまでも乗せているんだなーと思い、とても感動しました。

作曲する時には、どのようにして創るのですか?なにか具体的なイメージなどがあるのですか?

−そうです。1曲ごとに、具体的な人や出来事との出逢いがあります。出逢ったことに心の何かがふるえた時に、イメージの中に映像が浮かぶんです。そしてその映像を頭の中で思いつつ楽器に向かうと、音楽が出てくるんです。だから感動しないと何も出てこないんです。宇宙を旅したCDの中の「久遠の宇宙」は、佐渡島へ行った時、空と海と大地と人の暮らしが一体に解け合ったイメージが頭に焼き付いて生まれた作品です。

若田宇宙飛行士と宇宙を旅したCD「久遠の宇宙」と演奏中のキムさん

ご自身の宇宙への興味というか、以前からそうしたものはありましたか?

−そうですね…夜空の月や星をながめたり、星座の写真を見ればきれいだなと思ったり、誰もが普通に思うような興味はありました。

それが変わりましたか?

−激変したということはないんですが、宇宙というよりも、「宇宙の中の地球」を今まで以上にと言うか、もっと普通のことのように思うようになったかも知れませんね。毛利さんが「人が帰れるところは地球しかない」とおっしゃっていたんですけれども、本当にそう思います。「ほんとうにそうだな!」って。宇宙を知れば知るほど、地球が大事に思えます。

若田さんがCDを持って行ったことについてどうでしたか?

−そのいきさつも僕にとっては本当に、これからの自分の生き方さえも変えてしまうようなことでした。「音楽で地球を丸ごと包みたい」という想い、夢の実現のために心を尽くしてくれた方がいたんです。そして夢がかなって喜んでいる僕たちを見て、あんなに喜んでいることに感動したと言ってくださったんです。僕も人の夢の実現のために、自分にできることがあったら力になりたい、それがなによりかっこいい生き方じゃないかなと思うようになりました。

これからの夢というか、やっていきたいというか、そういったものはありますか?

−活動は今まで通りに歩いていきたいと思っています。なによりも出逢った人たちが、自分が真似したいぐらいにすばらしい人たちばかりでしたから。これは僕だけではないと思いますが、“出逢い”“感動”“感謝”、これはひとつのセットのように、ここからは何かが生まれてきます。僕の音楽もまるで法則のようにこのセットから生まれてきました。先ほども言ったように「音楽で地球を丸ごと包みたい」ということ。これは40億の人々に音楽を届けたいということなんですが、その夢…いまはまさに、その夢の真っただ中という感じですね。

取材した「越谷市科学技術体験センター」の「ムーンウォ−カー」に挑戦するキムさん
「在日地球人」を自称するキムさんは、昨年12月、種子島での「H2Aロケット4号機打上げ応援コンサート」に出演するなど、ますます宇宙とのつながりも深まってきていそうです。  4枚目のアルバム「エスペランサ」も、日本語では「きぼう」。偶然にもISS日本実験棟と同じなのも、ひとつの縁でしょうか。  国際的というよりも地球的なキムさんの音楽、みなさんもどこかで耳にしているかもしれません。

 キムさんのインタビューには、地元の科学館である越谷市科学技術体験センター(愛称・ミラクル/電話048-961-7171)の一室をお借りしました。ご協力を感謝します。







                                     
宇宙開発事業団HP(No.256 2003 MAR)より

ネパールの子らに贈り物
100万円寄金、音楽出前演奏---ラ・ネクサスとキム・シンさん


ネパール・カトマンズの施設の子らのために、東埼玉経済連合女性部門ラ・ネ.クサスの皆さんとシンセサイザーの著名奏者キム・シンさん(越谷市在住)らが訪れ、100万円を寄付し、音楽の出前演奏をして喜ばれた。
ラ・ネクサスは越谷市内でのコンサート閉催の利益を松伏町にある重度障害者施設「中川の郷」に寄付してきたが、今年は海外の恵まれない子らへ、と決めていた。昨年9月、キムさんが都心の科学技術館で開いたコンサートで、ネパールの社会福祉家アヌルダ・コイララさんと知り合った。人身売買で売られた少女たちを取り戻して収容する教育施設「ネパール母の家」がドイツ財団の手で作られるが運営資金に協力を依頼された。
キムさんの話を聞いたラ:不クサスの元代表ら5人は12月2日から8日までカトマンズを訪間、100万円をアムラダさんに渡した。今夏、キムさんのコンサートで得た利益に七年間貯めた基金、会員有志の寄付も加えた。キムさんはシンセサイザーの機器を運び込み、少女たちの前で演奏。初めての生演奏に少女たちは目を輝かせ、お返しに踊りを踊ってくれたという。
一行は、愛と夢のメツセージ実行委員会を代表した小貫茱実さん(草加市八幡町)らも加わり、12人。現地のボランティアの皆さんも集まったという。ラ・ネクサス事務局の井上加代子さん(越谷市東越谷)は「不足していると聞いていた鉛箪、ボールペンやクレヨンなど持てるだけ持ち、差し上げました。無邪気に、ナムスデ(こんにちは)と手を合わせてあいさつする少女たちの笑顔をいただき、久々に心を洗われる思いでした。お金は大事に有効に使って下さるとのことで、ホッとしています」と話していた。
 アヌラダさんは、ネパールのマザー・テレサと言われる活動家。一行の善意に感激して声にもならなかったほどだったという。
                                          
 (東武よみうり 2001年12月24日より)

地域から地球へ〜環境面〜
[夢を追う]音楽で地球を包みたい−−シンセサイザー奏者、キム・シンさん

CDを手に自然の大切さを訴えるキム・シンさん

 「一つ一つの音符に心がこもっていた。地面に落ちた果実にいとおしさがわき、もっと心を込めて農作物を作ろうと感じた」
 昨年6月に宮古島(沖縄県)で開いたコンサートの後、シンセサイザー奏者のキム・シンさん(45)=埼玉県越谷市=は、地元の専業農家の人から声を掛けられた。
 キムさんの曲はコンピューターで多くの楽器の音色を再現する。人や自然をテーマにしたメロディーはシンフォニーのような深みがあり、多くの人が「懐かしい音だ」と感想を漏らす。

 在日朝鮮人の父親と日本人の母親の間に東京で生まれ、4歳からピアノを習った。民族歌劇団で2000回以上の公演に参加したが、与えられた楽譜を演奏することにあきたりなかった。
 1991年にはり治療を受けたとき、体と心が解き放たれるのを感じた。自分もほかの人にやすらぎを与えようと思い立ち、人や自然と触れ合う感動を表現する曲をつくり始めた。

 阪神大震災で乳児を亡くした母親の投書に打たれてつくった「光の子に導かれて」という曲は口コミで広まり、神戸市で何度もコンサートを開催した。チェルノブイリ原発事故で被害を受けたベラルーシの人々の心をいやそうと作曲した「いつくしみ」も現地に紹介され、生演奏を聴きたいという声が寄せられている。
 作曲した90曲のうち18曲を2枚のCD(コンパクトディスク)「海神(かいしん)」「久遠(くおん)の宇宙(そら)」に収めた。CDは宇宙飛行士の向井千秋さんに贈られ、本人から「通勤の車で聴いています」の返事が届いた。
 「音楽で地球を丸ごと包みたい。音楽を通して人や自然に優しく接する人が増えれば、地球の環境も守れる」と全国を駆け回る。

                                    

 【田中泰義】(毎日新聞2000年2月17日東京朝刊から)

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