◆ 鯉と寺社

 

 

  あけましておめでとうございます。

 新年を迎え、今年一年の幸せを願って初詣に行かれた方もたくさんいらっしゃることでしょう。今回は、そんな点から、鯉にまつわる神社やお寺をご紹介したいと思います。お近くに住んでいらっしゃる方は、一度、訪ねてみては如何ですか?

 

● 栃木県小山市の高椅(たかはし)神社  マピオン

 

 ‥平安時代の長元2年、神社の敷地内に井戸を掘ったところ、井戸から大きな鯉が出てきた。そこで、この神社の神主が、この鯉を都に持って行き、後一条天皇にその旨を申し上げた。すると、天皇は全く奇異なことであるとお思いになられ、この神社に対して「日本一社禁鯉宮」としての勅願を下された。

 それ以来、この神社の氏子達は鯉を食べることはもちろん、鯉の絵柄が付いたものの使用さえも禁じられたといわれている。この風習は、今日でも続いており、端午の節句にも鯉幟を立てることはないらしい‥。

 

 

● 岡山県倉敷市の鯉喰神社 マピオン

 

 この地には、人々を苦しめる鬼がおり、名前を温羅(うら)といった。この鬼を退治したのが、吉備津彦命である。吉備津彦命は、温羅を退治しようと強弓で矢を射る。ところが、温羅はことごとく矢を振り払ってしまう。そこで、吉備津彦命は2本の矢を放つと、一本の矢が左目に命中し、目からおびただしい血が溢れし出し川となった。たまりかねた温羅は、姿を雉に変えて山中へ逃れたが、吉備津彦命も姿を鷹と変えてこれを追う。そこで温羅は、次に姿を鯉に変え、この川の流れの中に身を隠した。しかし、吉備津彦命は、姿を鵜に変えて追いかけ、ついに鯉に化けた温羅を食べてしまった‥という

 

 その場所が、現在の鯉喰神社と言われ、この地に社を建てて、温羅を祀ったそうです。

なんとなく桃太郎伝説に似ていますね。

 

 

● 大阪市都島区中野町の大長寺 マピオン

 

 ‥江戸時代の寛文八年(1668年)、淀川の網島に誰袖音吉(たがそでおときち)という漁師が住んでいた。音吉は漁をするのが好きで、毎日夜明け前から漁に出ていた。
 そんなある日、音吉は鱗に巴紋がついている不思議な大鯉を捕まえた。珍しい鯉だったので、音吉はそれを見世物にしたが、十日ほどして鯉は死んでしまった。
 その夜、村の大長寺の住職、鏡誉上人が不思議な夢を見た。それは、巴紋の付いた立派な大兜をかぶった武士が枕元に立って、「自分は大阪夏の陣で討ち死にした武士だが、過去の因果で魚となり、未だに成仏できずにいる」と語るというものだった。
 上人は、このことを音吉に話し、死んだ鯉を譲り受け、大長寺に塚を立てて、「滝登鯉山居士(りゅうとりざんこじ)」という法名を与えてねんごろに弔ったという

 

● 京都府伏見区上鳥羽岩ノ本町の浄禅寺(恋塚寺) マピオン

 

 ‥古くよりこの上鳥羽にある池の中には、巨大な鯉が棲んでいて、時々、姿を溶解に変えて村人を襲った。そこで、この鯉を退治して、祀ったのが、この寺にある「鯉塚」という‥。

 

 

● 大阪府豊中市庄本町の椋橋(くらはし)総社 マピオン

 ‥昔、素戔嗚尊が、高天原から2匹の大きな鯉に乗ってこの地を訪ねた。ところが、この地まで来ると鯉が力尽きて死んでしまい、そこで、「鯉塚」を建ててに祀った‥

 

 ‥昔、行基という僧が猪名川に橋を架けようとした。ところが川の流れが急で思うようにいかない。そこで、この御社に籠もり祈願したところ、川の鯉が群れをなして橋を作り、無事に工事を終えることが出来たという。そこで、この庄本地域では鯉を食べることを禁じ、鯉を氏神の使いとして崇めるようになったという。‥

 

 という2つの伝説が当社には残っています。

 

 

● 岐阜県各務原市の慈眼寺

 

 岐阜県各務原(かかみがはら)市の苧(お)ヶ瀬池にある慈眼寺には、紅白の麩(ふ)でつくった神輿(みこし)をコイに食べさせ、その食べぐあいによって天候を占う行事があるという。

 

● 東京都品川区南大井の大経寺 鈴ケ森刑場跡に鯉塚がある。

 

● 東京都東上野の報恩寺

 

 当寺では、毎年1月12日に「コイの俎(まな)開き」という祭事が行われている。この祭事は、約870年前から伝わっており、国の無形文化財にも指定されている。烏帽子、直垂の装束をつけた四条流家元により、古式に則って、箸と包丁で料理されている。捌かれた鯉は参拝客らに振るまわれるので、興味のある方は、見学してみてはいかがですか?

 

 

 

 前のページに戻る  トップページ


Copyright (C) 2003 Kinkouen Ltd. All right reserved.