◆ 登竜門と鯉

 

 

● 鯉の由来2の中で、「鯉変じて竜となる」という言葉には易学的な解釈が込められていることを述べさせて頂きましたが、今回は、この言葉のもとになっている中国の『後漢書』の一説を紹介したいと思います。

 「登竜門」といえば、「鯉が険しい滝を登り、竜になった」という故事から、立身出世のための厳しい関門とか、厳しい選抜試験のたとえとしてよく使われています。

 ところで、この「登竜門」というのは、「登竜の門」という風に理解しているのではないかと思いますが、本来は「竜門を登る」というのが正しい読み方です。ところが、いつの間にか「登竜の門」と誤釈されてしまったために、上記のような意味で使われるようになってしまいました。

では、実際に、鯉は滝を登って竜になることができたのでしょうか‥。

  

『後漢書』 -党錮伝・李膺-

 

 是の時朝廷日に亂れ、綱紀頽弛し、膺獨り風栽を持し、

 

聲名を以て自ら高くす。士其の容接を被る有る者は、名

 

づけて龍門に登ると為す。

 

「龍門」の注として、

 
三秦記に曰く、河津一名龍門、水險しく通ぜず、魚鼈の属、

 

能く登る莫し、江海の大魚集ひて龍門の下に薄ること数千、

 

上るを得ず、上らば則ち龍と為るなり。

 

鯉の滝登り 『応翠画譜』

浅井応翠筆 明治13年

 

(口語訳)

 この頃より朝廷が日に乱れはじめ、国の秩序は廃れてしまったが、李膺(110〜169)ひとりだけは信念を持ち、人々からの信頼を得て高義であった。そのような彼に認められた者は、名付けて竜門に登る(者として、将来が期待されるような)ものだといった。

 

 三秦記によると、黄河の急流に龍門というところがあり、水の流れが険しいので、魚やスッポンの類は、通る事ができない。大河の大魚がこの龍門の下に数千匹集まって試みたが、登る事はできなかった。もし登る事ができれば竜に化身するということだ。

 

※龍門:今の山西省と陜西省の間にある場所のことで、古代、治水に功績をあげて夏王朝を開     いた禹(う)が切り開いたところ。

 

● 読んでみると、不思議なことに、この文章のどこにも「鯉」という字が見あたりません。それに相当するものといえば、「魚鼈」と「大魚」だけですが、ともに登る事が出来ないという言葉で締めくくられています。しかも、この文章には「登る事が出来たならば、竜となろう」という仮定条件が使われていることを考えれば、「鯉変じて竜となる」というのは、いつの間にかこの言葉が確定条件となって一人歩きをしてしまったことになります。しかも「魚」は「鯉」と解釈されて、広く喧伝されるようになったという事がわかります。

 これはきっと、鯉が持つ秘めたパワーみたいなものを人々が感じ取り、鯉ならば出来るにちがいないという畏敬の念があったからだろうと思えてきます。鯉はそれだけ期待され親しまれた魚であった証拠であるとも言えるようです。

 

 

 

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