◆ 鯉の由来(1)

 

 

● 『日本書紀』に景行天皇が美濃(岐阜)に行幸したとき、美女を見そめて求婚したが、彼女が恥じて隠れてしまったため、天皇は池に鯉を放って、見にくるのを待ったという説話があります。

 

 『日本書紀』卷第七 「大足彦忍代別天皇  景行天皇」

 

  四年春二月甲寅朔甲子、天皇幸美濃。左右奏言之「茲國有

佳 人。曰弟媛。容姿端正。八坂入彦皇子之女也。」天皇欲得爲妃、幸弟媛之家。弟媛聞乘輿車駕、則隱竹林。於是、天皇權令

弟媛至、而居于泳宮之。【泳宮、此云「區玖利能彌揶」】鯉魚浮池、朝夕臨視而戲遊。時弟媛欲見而其鯉魚遊、而密來臨池。天皇則

留而通之。爰弟媛以爲、夫婦之道、古今達則也。然於吾而不便。

 則請天皇曰、「妾性不欲交接之道。今不勝皇命之威、暫納帷幕

 之中。然意所不快。亦形姿穢陋。久之不堪陪於掖庭。唯有妾姉。

 名曰八坂入媛。容姿麗美。志亦貞潔。宜納後宮。」天皇聽之。

 仍喚八坂入媛爲妃。

景行天皇

 

 (口語訳)

 景行天皇の治世4年春2月11日、天皇は美濃に行幸した。その時、側近の者が、「この国には、美しい女性がいます。弟媛(おとひめ)といい、容姿端麗な美人です。八坂入彦(やさかのいりびこ)皇子の娘です。」と言った。天皇はこの女性を妃にしようと思い、弟媛の家に出かけた。弟媛は天皇が来ると聞いて駕籠に乗って逃げだし、竹林に隠れてしまった。そこで、天皇は弟媛を引き出そうと考え、泳宮に滞在した。【泳宮とは、「くくりのみや」という】 鯉を池に放って、朝夕に眺めて楽しんだ。ある時、弟媛は、その鯉が泳ぐ姿が見たくなり、こっそりと池にやって来た。天皇はすぐに引き留めて、求婚した。弟媛はどういうことか問い質すこともできず困り果て、天皇に言った。「私は夫婦の営みを望みません。今は天皇の威光に背く事もできず、お側に召されております。しかし、心は晴れ晴れとしません。また容姿も美しくはありません。久しくお仕えることは出来ないでしょう。私には姉がおります。名を八坂入媛(やさかいりびめ)と言います。要望は麗しく美しい人です。貞操も固い人です。どうぞ後宮に召して下さい。」天皇はこれを聞いた。そして、すぐに八坂入媛を妃に迎え入れた。

 

 この記述により、この頃(75年頃か?、または550年頃か?)から、すでに鯉が観賞として飼育されていたことがわかります。しかも、この恋物語に関連して、鯉の名前の由来を「コイ=恋」 とする説もあります。しかし、鯉の語源については諸説がありますので、次回に紹介したいと思います。

 

 

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