2001年に読んだ本
銀座のカラス(上)(下) 椎名 誠:新潮文庫:\583(上・下とも):1994年12月1日発行(上・下とも)
2001年12月28日読了
『哀愁の町に霧が降るのだ』『新橋烏森口青春篇』(ともに新潮文庫)に続く椎名誠の自伝的青春小説第3弾。前2作と違い主人公は三人称の「松尾勇」となったが、その松尾が勤める小さな業界新聞社が新橋から銀座に引っ越すところから物語は始まる。そしてそれまで発行部数800部というこぢんまりとした月刊誌のヒラ編集部員だった松尾青年は上司の突然の退社により否応なしに編集長という立場になってしまうのである。時はニッポンの高度成長期、若いエネルギーを仕事と酒と友人とにぶつけつつ、ほんのりと恋愛模様も交えて松尾青年は熱き日々を過ごしていくのである。
松尾青年は何か困難なことにぶつかると、しばらく苦闘した挙げ句『まあいいや、どうだって・・・』という心境に陥ることがしばしばである。この感覚は以前『ハマボウフウの花や風』(文春文庫)を読んでいたときに感じた“オレにはどうしようもないことなんだよなあ”的感覚に通ずるモノがあると思う。しかし松尾青年にはそうやって周囲の状況に流されていくうちに見えてくるモノがあるようで、その後できちんと苦難な状況から抜け出しているのである。つまりこれは松尾青年なりの処世術なのであらうか(笑)。
物語の終盤、松尾青年は部下の菊田とともに会社にこもって徹夜で新しい雑誌の企画書作りをする。ワタシもサラリーマン時代に、同じように会社にこもって徹夜で提案書作りをしたことがあったので、その時の高揚した気分と窮屈なYシャツにネクタイ姿で一晩中パソコン(この小説の時代なら机か)に向かっている疲労感というのがものすごぉ〜くよくわかる。でもワタシの場合は、徹夜の翌朝は物語のラストシーンのような爽快な出来事は一切なく、オフィスの椅子を並べてだらしなく寝てしまっていただけだったのだが。(^_^;)
雷撃深度一九・五 池上 司:文春文庫:\552:2001年1月10日第1刷
2001年12月9日読了
太平洋戦争開戦記念日をはさんで太平洋戦争中最後の艦艇同士の戦いの本を読む。とはいえ本書はノンフィクションではない。1945年7月16日、グアム島−レイテ島間の海域で日本海軍の伊号第五八潜水艦がアメリカ海軍の重巡洋艦「インディアナポリス」を撃沈した。「インディアナポリス」はグアム島の前に立ち寄ったテニアン島で日本に投下されることになる原爆2発を降ろしていた。もしテニアン島に立ち寄る前にインディアナポリスが撃沈されていたら・・・というのはよく言われる『歴史のif』だが、本書の主眼はそこではない。クライマックスは伊号第五八潜と「インディアナポリス」との死闘であり、両艦の出港からそこに至るまでを時間の経過とともに両艦の視点から交互に描いていく。こうやって書くとまるでノンフィクションだが、本書はノンフィクションのような乾いた筆致で虚実織り交ぜつつ艦対艦というより人間対人間の戦いを描いていくのである。そして伊号第五八潜と「インディアナポリス」が会敵してからは、双方の指揮官(あえて“艦長”とは書かない)の虚々実々の息詰まる駆け引きに引きずり込まれて一気に読んでしまった。
で、読み終わった時に最初に思ったことは『まるで松本零士の「戦場まんが」だ』ということ。史実を下敷きにはしているものの、「戦場まんが」唯一(だと思う)の海戦モノ『オーロラの牙』を思い出したのである(なので『オーロラの牙』をご存じの方なら本書の雰囲気が判っていただけると思う)。本書は史実に詳しい方はもちろん、ワタシのように通り一遍の太平洋戦史しか知らない者や、あるいは戦史に全く詳しくなくても充分に楽しめる戦争サスペンスである。作者はこの作品が第一作だが、すでに第二作『八月十五日の開戦』も発表されている。早く文庫落ちしないだらうか。(^_^;)
アイウエオの陰謀 東海林 さだお:文春文庫:\438:1998年2月10日第1刷
2001年11月24日読了
戦慄の小説の後は楽しい本を、ということで東海林さだお氏の作品である。今回はちょっと毛色を変えて小説仕立てである。
とはいえそこは東海林氏、ただの小説ではない。いつものエッセイで見せるユニークな視点と頻繁な改行の心地よいリズムを武器に、我々が普段何気なく見ている五十音図に隠された陰謀を暴き、九九の謎に迫り、大工道具やヤカンの気持ちを考察し、様々な魚類の本当の姿に迫るのである。
この本に収められている作品のなかで『わたしは冷蔵庫』だけはちょっと異質なものを感じる。自分は壊れた冷蔵庫であると主張する男と電気店の夫婦との会話、というそれだけの作品なのであるが、オチがない不安定さもあって何かとても不条理なモノを感じるのである。
なお、この本の解説を書いているのは赤瀬川原平氏である。これだけでも得をしたような気になってこれまたよい。(^o^)
テロリストの半月刀<シミタール>(上)(下) ラリー・ボンド/訳・広瀬 順弘:文春文庫:\524(上・下とも):1997年7月10日第1刷(上・下とも)
2001年11月11日読了
著者は元海軍軍人で、戦争ゲーム制作者を経て『レッド・ストーム作戦発動<ライジング>』(文春文庫)で今をときめくトム・クランシーの軍事アドバイザー兼共著者となったことを機に作家になった人物。デビュー作『侵攻作戦レッド・フェニックス』から、続く『核弾頭ヴォーテックス』『ヨーロッパ最終戦争1998』(いずれも文春文庫)まではテクノ・スリラー的要素が強かったが、この作品ではこれまでとは作風を変え人物が主役となっている。
本作はタイトルの通り様々な形の一般人を狙ったテロリズムが描かれている。物語では、いつ何時自分が標的になるやも知れぬという恐怖でアメリカ全土がパニック状態に陥っていく様が描かれるが、2ヶ月前に起こったあのテロを見た今となってはあながちフィクションであると笑い飛ばすこともできないような気になってくる。冒頭で描かれた金門橋上での自爆テロは、著者本人もまさかこんなことができるヤツはおるまいと思って書いたのだらうが、それよりもっと非道いことが現実に起きてしまったわけなのだ。物語ではテロの首謀者は正義に燃えたアメリカによって叩きつぶされるが、現実世界では果たしてこの小説のようにいくのだらうか。いってくれないと困るような気もするが。(~。~;)
大阪学 世相編 大谷 晃一:新潮文庫:\400:2001年9月1日発行
2001年10月12日読了
『大阪学』『続大阪学』(共に新潮文庫)に続くシリーズ第3弾。「大阪の“今”」を元・帝塚山学院大学学長であり同大学教授時代は「大阪学」という講座も持っていた著者が軽妙な語り口で解き明かしてくれる。川崎に生まれ育ったワタシにとって大阪は“不思議の都市”(笑)。テレビで見せられるステロタイプな大阪ではわからない、ナマの大阪や大阪人の姿を生き生きと見せてくれる。でもよくよく読むとそこに描かれている人たちは、実は大阪に限らずどこにでもいるフツーの人たちだ。ただ表現の仕方され方が違うだけなのだ。“なんだ、同じ日本人なんぢゃん”とちょっと安心したのであった。←今まで大阪人を何だと思ってたのだコイツは。(^_^;)
なお、姉妹編として『東京学』(未読(^_^;))と『名古屋学』(共に新潮文庫)もある。
核爆撃機リーパーズ・シャドウ(上)(下) クリス・スチュアート/訳・広瀬 順弘:ハヤカワ文庫:\640(上・下とも):1998年12月31日発行(上・下とも)
2001年9月30日読了
著者はアメリカ空軍B-1B爆撃機の現役パイロット(マウンテンホーム空軍基地勤務ということは第366航空団第34爆撃飛行隊(366th WG/34th BS)“Thunderbirds”所属であらう)で、1995年にはノンストップ世界一周飛行時間の世界記録を樹立した人物でもある。この物語は著者が得意のB-1を物語の中核に据えて書き上げた軍事冒険小説である。ロシアがウクライナに侵攻するというプロットはなぜかこの手の物語には好まれるのだらうか(以前に読んだデイル・ブラウンの『ロシアの核』も同じ)。それにしてもこの話に出てくるロシア大統領は気が狂っているとしか思えないような人物である。処女作のせいかその辺の人物描写にやや深みが欠けるきらいがあるし、もともとF-16のパイロットである主人公がシミュレーターでの訓練しかしていないのに(それもアメリカから盗み出したというのはかなり無理がないかい?)、盗み出したB-1でいきなり敵地に侵入してしまうなんていうのはちょっと荒唐無稽な気もするが、それを補って余りある迫真の飛行シーンはやはり職業柄(B-1ならお手の物であらうし)であらう。全体的に荒削りなところも目立つが一気に読ませる迫力があるのは確かなので、次回作(『殲滅作戦キルボックス』ハヤカワ文庫、もちろんもう買ってある)にも期待である。
なお、この作品を読み終えるのに1ヶ月かかっているが、これはこの間にアメリカで同時多発テロが起きたため1週間くらいは読書どころではなかったためであって、この作品が面白くなかったというわけではないので念のため。(^o^)
秘境駅へ行こう! 牛山 隆信:小学館文庫:\476:2001年8月1日初版第1刷
2001年8月30日読了
イカン、これはイカンよ。こんな本を読んでしまったら旅に出たくなるではないか。人里離れた場所にぽつんと存在する駅。そこに駅ができた理由はそれぞれだが、今では周囲に人家もなく、それどころか鉄道以外ではそこに行くことすらできない駅もある。この本は、そんな“秘境駅”を訪ねて自らのサイト『秘境駅へ行こう!』で紹介している著者による“秘境駅ガイド”である。学生時代サイクルツーリングをしていたワタシは、宿泊場所としてよく駅を利用させてもらったものだが、自転車で行ける駅というのは道路から簡単にアプローチできるところであり、そういうところはたいてい近くに集落があるものである。であるから駅寝(駅での宿泊、つまり文字通り“駅で寝る”こと)していても近くに人がいるという安心感のようなものがどこかにあったのだが、著者が訪ねた秘境駅での駅寝の場合、最終列車が出てしまうと始発列車が来るまで周囲に誰もいないという素晴らしい状況になる場合もある。しかも駅の灯りも消えてしまうので人工の灯りが何一つないところで夜を過ごせるのである。これは今の日本ではなかなか体験できるモノではない。学生時代に似たような体験をしているワタシとしては、そんなのを読まされると懐かしさのあまり強烈に『行きた〜いっ!p(>O<)q』と思ってしまうのである。
しかし、考えてみるとこれは実にゼイタクな遊びであらう。今の世の中、何が貴重かって『時間』ほど貴重なモノはないだらう。一度その駅に降り立つと、次の列車が来るまでの30分とか3時間とかの間、どこにも移動できない秘境駅訪問では『貴重な退屈は好きなだけ手に入るのである』(本書161ページ)。妻子ある身でそんなゼイタクができる著者が羨ましい限りである。(^_^;)
異端の空 太平洋戦争日本軍用機秘録 渡辺 洋二:文春文庫:\514:2000年7月10日第1刷
2001年8月22日読了
敗戦記念日特集第2弾。超有名機・零戦の“無敵神話”の始まり、マニアしか知らないであらうユングマン練習機の満州での活動、敗戦直前に一度だけ飛んだ日本海軍期待の邀撃機・秋水と震電。本書は太平洋戦争中に登場した有名、無名の軍用機と、それに関わった人間たちのドラマを描いたノンフィクションである。特に、不十分な資料を元に日本陸海軍が持てる最大限の技術力を結集して製作したロケット戦闘機“秋水”や、担当の航空機メーカーが初めて開発する戦闘機が日本では前例のない前翼機であるにも関わらず、持てる力を最大限に発揮して初飛行までこぎ着けた局地戦闘機“震電”の話を読むにつけ、敗戦を目前にして『なんとか戦局を挽回したい』という開発に携わる人々の必死の思いがひしひしと感じられてくる。また、ところどころで当時の軍部への批判が顔を出すのもこの著者の作品ならではである。
少年とグルメ 赤瀬川 原平:講談社文庫:\427:1993年6月15日発行
2001年8月11日読了
とにかく食べるモノがなかった少年時代、食べるモノはあったけれどおカネがなかった学生時代、家族を抱え食べることには困らなくなった現在と、著者自身の様々な時代の食べ物にまつわるエッセイ集。著者は様々な物事に対して独特の視点から迫っていくのであるが、「食べ物」に対してもその独特の視点で迫り独特の言葉で表現していく。曰く『天丼はお風呂みたいだ』、曰く『ニラレバ炒めを食べる人は必ずみんなモモヒキを穿いている』・・・。しかし決して押しつけがましくならないのは、底辺に“恥ずかしい”という感覚が横たわっているからであらう。本文中にも幾度となく『恥ずかしい』という言葉が出てくる。そう、「食べる」という行為は恥ずかしいことなのである。本書は、そんな恥ずかしいことを日に3度もやっていても『ゲンペイさんも同じなんだから大丈夫』と思わせてくれる、ある種の救いの書なのかもしれない。
怒りの咆哮<ブライト・ライトニング作戦>第14空母戦闘群(2) キース・ダグラス/訳・栗山 洋児:光人社NF文庫:\943:1998年7月12日発行
2001年8月5日読了
『正義の雷鳴』に続く“第14空母戦闘群”シリーズの2作目。今回の舞台はタイ・ビルマ(ミャンマー)国境地帯、敵役はちうごく人である。タイ・ビルマ国境地帯の麻薬組織に攻撃をかけていたタイ空軍機を謎の“ミグ”が襲い、上空でタイ空軍機を“援護”していたアメリカ海軍空母ジェファーソン搭載のF-14Aがそれに巻き込まれてしまう。その影にはタイ政府の転覆を謀るクーデター計画が進行しつつあった。そしてVF-95“バイパー”飛行隊隊長、F-14Aパイロットの我らがマシュー・“トゥームストーン”・マグルーダー少佐はどう戦うのか。
前作の感想で書いた通り、この物語はマグルーダーの成長物語という側面もあるのだが、それもさることながら作品中に出てくるバンコクの妖艶な夜や、クライマックスの大空中戦の最中に身を置いて素直に楽しむのがよいと思う。何しろ最後は必ず“正義”のアメリカが勝つのだから。(^_^;)
なお前回、この一連の作品を『元テイルフッカーの書いたもの』と書いたが、実はこの著者は3名の合作なのだそうだ。
ゆらゆらとユーコン 野田 知佑:新潮文庫:\427:1994年12月1日発行
2001年7月29日読了
今年の夏は暑い。って下でも書いてるか(爆)。とにかく暑いときは涼しくなる本、とくればこの人の作品を置いてほかにはなかろう。なんたって川の上である。これほど涼しいところはない。今回は、常に前向きの著者には珍しく、過去のことに触れている。アメリカ・アリゾナの砂漠にあるナバホ族の居留地に潜り込んで暮らした数ヶ月。この人は“普通”とは対極にある人だと思っていたがそんな所にまで行っていたとは。いわゆる『浮世離れ』という言葉はこの人のためにあるのだらうな、とつくづく感じ入ってしまった。こんな暮らしができたらいいな〜、と思わなくもないが、やはり物欲まみれのワタシには無理だらうな。(^_^;)
最後の飛行艇 日辻 常雄:文庫版新戦史シリーズ(朝日ソノラマ):\757:1994年9月10日第1刷発行
2001年7月24日読了
今年もまた敗戦記念日がやってくる。まだ約1ヶ月先だが(爆)。しかし今年の夏は暑い。56年前も暑かったと聞いている。だからこういう作品を読む時期が少しくらい早くてもいいだらう。←どういう論理だ(^_^;)
東京・有明にある「船の科学館」の前に展示されている二式大艇は1979年にアメリカから返還されたものであるが、敗戦後にこの二式大艇を米軍に引き渡すため、香川県詫間基地から横浜基地まで回送した時のパイロットが著者である。この本は、日華事変で活躍した特設水上機母艦「神川丸」水偵隊の九四式/九五式水偵を振り出しに九七式大艇、二式大艇と乗り継ぎ水上機一筋に敗戦までを戦い抜いた著者の壮烈なる戦闘記録である。
太平洋戦争時に世界一優秀な飛行艇を保有していたにもかかわらず、日本海軍はここでも用兵を誤りせっかくの性能を生かし切ることができなかった。後知恵ではいろんなことが言えるだらうが、当時はそれが最善だと信じて疑わなかったのであるから仕方がないのだらう。だが著者は現場で常にベストを尽くして戦った。敗色濃い時分の話になると悲壮感がひしひしと伝わってくる。あるいは体験した者のみが語り得る重みと言おうか。今のこの平和な時代はこういう人たちの礎の上に成り立っているということを感じずにはおれないのであった。
小泉八雲<ラフカディオ・ハーン>殺人風土記 辻 真先:光文社文庫:\427:1993年9月20日初版1刷発行
2001年7月11日読了
探偵役の登場人物によってシリーズ化されることが多い辻氏のミステリー。この作品もまた新たな探偵役、服部健太郎の登場である。しかし舞台はいきなり島根県松江市。小泉八雲が愛したこの街の旧家で起こる殺人事件の謎を解きに、わざわざ東京から普通の男・健太郎が出張ってくるのである。そしてここでも男女のコンビで事件を解決していくのはいつもの辻作品の通り。今回はいささかトリックに無理があるような気もしなくはないが、気楽に楽しめるのはやはり辻作品ならではである。
またこの作品は松江周辺の観光案内のような一面も若干ながらある。かつてワタシはこの地を2度訪れているが、2度目の時に行った『八雲立つ風土記の丘』や神魂(かもす)神社、八重垣神社などが出てきたのは懐かしかった。その時は文中にも出てくる“風土記の丘の広大な駐車場”の片隅にテントを張って一夜の宿としたのであったが、駐車場の管理人が話しかけてきたその言葉が話に聞いていた通り東北方言と実によく似ており、当時大学のゼミで方言学を専攻していたワタシは“ゼミのフィールドワークやりにきたんぢゃないんだがな〜”と思ったものである。(^_^;)
戦闘捜索救難<SAR>ヘリ 北へ(上)(下) ゲリー・キャロル/訳・水野谷 とおる:創元ノヴェルズ:\534(上・下とも):1996年10月25日初版(上・下とも)
2001年7月3日読了
著者は元アメリカ海軍のパイロットとして数々の航空機を操縦してきた経歴を持ち、ベトナム戦争ではヘリコプターによる捜索救難(Search And Rescue = SAR)活動に従事し乗機を3度も撃墜されるという経験をしてきた人物である。本書はその著者の経験を下敷きにした軍事冒険小説である。HH-3Aシーキング・コンバットSARヘリのパイロット、ティム・ボイル中尉と、彼の無二の親友であるA-7コルセアII艦上攻撃機のパイロット、マイク・サンティ中尉との友情物語を縦軸に、ベトナムでの激しい戦闘を横軸に展開される物語は、経験者ならではの激しい戦闘シーンやその時の心理描写などさすがに真に迫るものがあった。また、こういった物語にありがちな戦争賛美的物言いはほとんどないのがまたよい。最後の方、ちょっとだけアメリカ人の書く物語にありがちなご都合主義に流れたのは残念だが、それはこの物語の価値をいささかも減じるものではないだらう。
ひとつ残念なのが、翻訳者はこの手のメカ物に慣れていないらしく、あちこちで『?』な訳が見受けられたこと。また作戦中のパイロット同士がコールサインで呼び合う場面が多いのだが、“コールサインとは何ぞや”的なことの解説が一切ないため、こういったことに詳しくない読者にはちょっと辛かったかもしれない。
なお蛇足ではあるが、カバーに描かれたヘリは空軍のHH-3Eジョリー・グリーン・ジャイアントであり、これは主人公が乗ったHH-3Aとは別物である。カバーイラストを描く際に正しい資料が渡されていなかったのだらう。ちょっと残念である。
九月の雨 トラブル・バスター4 景山 民夫:徳間文庫:\533:1998年4月15日初刷
2001年6月14日読了
堅い話で固くなったアタマをほぐすには最適の本。かつて作者自身が愛してやまなかったテレビ局が舞台のエンターテイメント、『トラブル・バスター』『俺とボビー・マギー』『国境の南』(いずれも徳間文庫、以前は角川文庫から出ていたが)に続くシリーズ第4作(にしてシリーズ最後の作品)である。
この手の作品につきもののご都合主義は今回もてんこ盛り、だいたいが相方になるお婆さんがあんなキャラクターだなんて現実にはまずあり得ないだらう。でもいいのだ。こういう作品はつべこべ言わず楽しむに限る。関東テレビ総務部総務課製作庶務係に所属する(もっとも主人公の他に所属するメンバーはいないが)“トラブル・バスター”こと宇賀神邦彦の八面六臂の活躍を、随所で爆笑しつつ今回も存分に堪能させていただいた。
ちなみに、著者が不慮の事故で亡くなったのは1998年1月27日。この本には巻末に高平哲郎(えーと名前は聞いたことあるんですがこの方何者でしたっけ?(^_^;))による、その4日後に書かれた弔辞がついている。著者自身による「あとがき」の日付は1994年冬となっているが、まさかその3年ちょっと後に自分の本に自分への弔辞が載るとは著者は夢にも思わなかったであらう。読んでいて改めて惜しい人を亡くしたと思ったものである。
テスト・パイロット ブライアン・ジョンソン/訳・平賀 秀明:新潮文庫:\621:1997年3月1日発行
2001年6月7日読了
ちょっとカッコイイ響きのある『テスト・パイロット』という言葉。普通のパイロットとテスト・パイロットとを分けるものは何か。この本は世界各国のパイロットを受け入れて教育するイギリス軍の帝国テストパイロット学校(Empire Test Pilot School = ETPS)において、普通のパイロットがいかにしてプロフェッショナルなテスト・パイロットへと変貌していくか、その過程を取材したノンフィクションである。またこの本は、著者がプロデュースしたイギリス放送協会(BBC)製作のドキュメント番組と平行して書かれたものである。
正直言って内容は固い。航空機に対する知識、特にパイロットに必要な理系方面の知識がないと読みこなすのは少々大変な本である。訳者の訳し方が固いので余計にそう感じるのかもしれない。しかし、そういったことは周辺のディテールに過ぎないので内容がわからないということはなかった。読み終えた感想の第一は『テスト・パイロットにとって大事なのは表現力なのだな』ということ。飛ぶことはほんの始まりに過ぎず、飛んだことで得たモノをいかに他人にわかりやすく伝えるか、ということを徹底的に学ぶのがETPSのカリキュラムである。つまりコミュニケーション能力を鍛えられているのである。これはハンパなくタイヘンな仕事だな〜と感じ入った次第である。
ハマボウフウの花や風 椎名 誠:文春文庫:\408:1994年9月10日第1刷
2001年5月7日読了
椎名誠の文学には、独特の“しっとり感”というようなものが感じられる。そして少し切なさを味わうような感じもする。なんとはなしに、諦念というか“オレにはどうしようもないことなんだよなあ”的な感覚が物語の奥底にチロチロと流れているような感じがしてならない。この感覚はいったいどこから来るのだらう。
この短編集の中に「倉庫作業員」という物語がある。主人公が仕事先で出会った女性にほのかな恋心を抱いて手紙を書くという、実に文学的な切なさを帯びた作品である。一方、椎名誠三大SF作品のひとつとして『武装島田倉庫』(新潮文庫)という作品がある。この対極をなす二つの作品は、あとがきに依れば実は両方とも自らの倉庫作業員のアルバイトとしての体験が下地になっているそうである。『武装〜』を先に読んでいたワタシは思わず絶句。いったいナニをどうイマジネーションするとこの二つの物語が書けるのだらう。一度アタマの中身を覗いてみたいものである。(^_^;)
容赦なく(上)(下) トム・クランシー/訳・村上 博基:新潮文庫:\738(上・下とも):1996年4月1日発行(上・下とも)
2001年4月21日読了
トム・クランシーの手になるニューヒーロー、ジョン・ケリーの誕生である。元アメリカ海軍特殊部隊SEALの隊員であり、ベトナム戦争で心に深い傷を負った彼は、除隊後の妻とのありふれた幸せを事故で奪われてしまう。そしてそこから救い出してくれた女性を辱め続けていた麻薬組織に対し復讐を始めるのである。その一方で、ベトナムでの捕虜救出作戦のためケリーは現役に復帰、コードネーム“クラーク”を名乗ることとなるのである。そう、彼こそトム・クランシーの4作目『クレムリンの枢機卿』(文春文庫)に登場し、以後ジャック・ライアン(処女作『レッド・オクトーバーを追え』(文春文庫)以来トム・クランシー作品の主役を務めてきた人物、なんてことはご承知のことであらう)を影で支えてきたCIA工作員“ミスター・クラーク”その人である。
しかしまぁ、なんとゆーかジョン・ケリーはある意味ダーク・ピット(『タイタニックを引き揚げろ』(新潮文庫)などクライブ・カッスラー作品の主役)以上のスーパーマンなのではないだらうか。ダーク・ピットはそれこそ映画の主人公のような華麗な人物であるから、スーパーマンであっても不思議はない。しかしジョン・ケリーは影を背負っている。ごく普通の市民として暮らそうとしていたのである。しかし内に秘めたパワーは麻薬組織にいる並みの悪党など遠く及ばないものであり、しかもケリー本人はそれを自覚しているのである。そしてもちろん、ダーク・ピット同様何をやらせても失敗はしないのである。小説だからといってしまえばそれまでだが。(^_^;)
このジョン・ケリーが主役として次に活躍するのは『レインボー・シックス』(新潮文庫)という作品である。実はワタシ、まだこの作品を買っていない(爆)。全4巻もあって読むのが大変そうだったからである。しかし『容赦なく』を読んだ今では“これも読まねば!”モード全開である。でも4巻全部新品で買うと高いので古本屋を探すことにしやう。(^。^;)ヨホホホ
鯛ヤキの丸かじり 東海林 さだお:文春文庫:\467:1997年11月10日第1刷
2001年3月23日読了
感動的な小説の後は楽しい本を。
おなじみ東海林さだお氏の食に関するエッセイである。
今回もサクランボから生ビールまで、様々なモノを“丸かじり”している。
相変わらず視点がいい。
庶民の食に関するいろいろな関わり方を、同じ目線で描写してくれる。
この目線がいい。
あるいは、立ち食いのうどんに入れた生卵から人生における心構えまで読みとってしまう。
時には食べ物と同じ目線にまで下がってしまうのがまた心地よい。
そんな目線から“もやしの応援演説”なんて発想が出てくるのだらう。
さらに著者は漫画家でもあるから、文中の挿し絵も著者が描いたモノである。
この挿し絵がまたいい雰囲気を醸し出してくれる。
頻繁な改行によるリズム感と、挿し絵のホンワカさがこのエッセイを一段と楽しいモノにしてくれている、というのは万人の感ずるところであらう。
と、今回は著者の文体をマネして一文ごとに改行をしてみたのであるが、横書きだとあまり読みやすくないやうである(爆)。
蒲生邸事件 宮部 みゆき:文春文庫:\829:2000年10月10日第1刷
2001年3月13日読了
この本は2月下旬から読み始めたのだが、65年前のちょうどその頃、大雪の東京都心では二・二六事件が起こっていた。この本はその二・二六事件のさなか、厳戒地域のど真ん中の屋敷に突然連れて行かれる羽目になった現代の青年が語る“二・二六事件外伝”、といった感じの物語である。ジャンルでいえばSF小説であり歴史小説でもあり、また恋愛小説的な要素も混ざっている。
タイムトリップ物のSF小説で避けて通れないのがいわゆる『タイムパラドックス』。タイムマシンで過去に遡って自分の親を殺すと自分はどうなる?というアレである。この物語ではそれに対して『歴史に対して人は無力である』という立場にたち、物語全体がそれを軸に展開している。あいにくというか幸いというか、主人公の青年はあまりにも昭和史に対し無知であるがゆえに(学校でろくに教えないのだから当然だ)、自分にとって過去のことであるはずの目の前で起こる出来事に対し何もする事ができず、ただ流されていくだけ。その中で出会った人たちとの交流、そして現代に戻った青年が静かに噛みしめる“時の流れ”。青年が最後に知ることになる、青年を過去に連れていきそしてその時代で生きることを選んだ人物のその後。SF小説を読み終わって感動を覚えたのは久し振りであった。700ページ近い分厚い本ではあるが、ぜひご一読を。
========= 1月〜2月 =========
対談集 ホネのような話 椎名 誠:角川文庫:\540:1994年4月25日初版発行
以前、「対談という形式の本は普段あまり読まない」と書いた気がするが、最近少し考えが変わって、少なくとも椎名誠氏が絡む対談は読んでおくことにした。ということで発行当時買っていなかったこの本を最近買ったわけである。それにこの本の最初の対談相手は東海林さだお氏であるし(笑)。他には木村晋介氏(弁護士)、中村征夫氏(水中写真家)、野田知佑氏(カヌーイスト)ら『あやしい探検隊』のメンツや、作家の井上ひさし氏、音楽評論家の湯川れい子氏、女優の竹下景子氏らと、それぞれのテーマで対談している。
この本の場合、対談相手はそれぞれの道のスペシャリストなので、いろいろな世界のいろいろな話題に手っ取り早く触れられるという点で良かったと思う。例えば中村征夫氏の語る日本のスキューバダイビング事情なんて、その方面に関心のないワタシなんてこれを読まなかったら一生知ることはなかったかも知れない(知らなくても支障はないが(笑))。そんなわけで、対談という形式の本をちょっとばかし見直したわけであった。
「邪馬台国畿内説」を撃破する! 安本 美典:宝島社新書:\750:2001年1月25日第1刷発行
3世紀・弥生時代の日本に実在したという邪馬台国。この邪馬台国はいったいどこにあるのか、というのは江戸の昔から様々な人々が議論してきた日本古代史最大の謎と言ってもいいだらう。この論争の元となっているのはいわゆる『魏志倭人伝』。原典は古代中国、西暦285年ごろに晋代の陳寿という人が編纂したという『三国志』(吉川英治の小説、横山光輝などの劇画やTVゲームの『三国志』ではない。これは14世紀に羅貫中という人が書いた『三国志演義』という一種の講談本がもとになっている)という正式の中国の歴史書の中にある、「魏」という国のことについて書かれた部分『魏志』の一部、『東夷伝』の中のそのまた一部『倭人条』である。この『魏志東夷伝倭人条』を一般的に『魏志倭人伝』といっているのだ。字数にして漢字2,000文字程度であるが、漢文であるため日本語訳するともうちょっと多くなって400字詰原稿用紙20枚程度のものになるという。
この『魏志倭人伝』の2,000文字に書かれた邪馬台国の場所の解釈を巡って諸説入り乱れているわけであるが、その中でも九州説と畿内説は2大勢力をなしている。そこでこの本。九州説を唱える著者が畿内説を唱える学者の言っていることがいかにデタラメか、逐一解き明かしてくれる。読むと確かにコジツケ的解釈がまかり通っていることに驚かされる。もっとも立場が逆の人が書けば逆の内容の本ができるような気がするが(笑)。
ちなみにワタシも個人的にこの問題には少々関心を持っており、高木彬光『邪馬台国の秘密』(角川文庫)、豊田有恒『邪馬台国を見つけよう』(講談社文庫)『新説・奇説 邪馬台国の謎』(ワニ文庫)、邦光史郎『七つの邪馬台国』(徳間文庫)、朝日新聞学芸部『邪馬台国』(朝日文庫)、佐賀新聞社/角川書店・編『邪馬台国が見つかった』(角川文庫)などを読んできた。これらの中には単に小説の大道具として使ったものから学術的に検証したものまで様々な邪馬台国があるが、どちらかといえば九州説よりの立場を取るものが多い。シロウト的に考えて、交通機関が人の足か馬か(当時の日本に馬がいたかどうか、これまた論争のタネになっているのだが)あるいは船か、といった時代であるから中国と地理的に近いトコロにあったほうが自然なような気がするので、ワタシも九州説にいちおう与するモノである。それに畿内説には邪馬台国を大和朝廷(この『朝廷』の存在についてもまた論争がある)に結びつけたがっているようなフシが見受けられてワタシ的に今ひとつ受け入れがたいものがあるのである。
さらば、ガク 野田 知佑:文藝春秋:\2286:1998年6月25日第1刷、1998年8月5日第3刷
カヌーイストである著者を実父に、作家・椎名誠氏を養父に持ち、著者と供に日本じゅうの川のみならずアラスカ・カナダ・メキシコの川をも『カヌー犬』として旅し、「あやしい探検隊」の面々など多くの人に愛された犬・ガクの14年間の写真記録である。生後3ヶ月にもならない時に初めて琵琶湖でカヌーに乗せられて溺れかけた時はまだただの雑種の子犬だったガクだが、たった4年後、アラスカのユーコン川を下っている時の写真を見ると実に逞しくなっている。著者や椎名氏はガクに『しつけはしなかったが体験をさせた』と言っているが、何モノにも縛られない時間と空間の中で、自分で考え行動し、その結果もすべて自分が負うという『真の自由』を体験した犬はこんなにも素晴らしい生き物になるのか、と驚嘆させられた。また、著者はガクの死後その毛皮をベストにして着ているというが、そこまで愛されるというのはまさに『世界一幸せな犬』と言ってもいいかもしれない。
なお、以前ガクが登場するエピソードを集めたエッセイ集「カヌー犬・ガク」(小学館文庫)を紹介しているので、よろしかったらそちらもぜひお読みになっていただきたい。
ON AIR 女子アナ 恋モード、仕事モード 水谷 加奈:講談社文庫:\590:2001年1月15日第1刷発行
ワタシは仕事柄、クルマに乗る機会が多い。聞いているラジオはいつも文化放送である。著者はその文化放送の人気女子アナウンサー。日常の仕事やプライベートなことについてあれやこれや書き綴った、雑誌『Hanako』に連載されていたエッセイをまとめたものである。いつも声を聞くことしかできないスピーカーの向こうのお方の日常がわかってしまって『あゝ、やっぱり女子アナもただの人なのね』と幻滅する、ということは文化放送のリスナーであればまずない、といってよいだらう(笑)。なぜなら綴られている日常はラジオで聴く天然ボケのキャラクターそのままだからだ。しかし、ヘビーリスナーにとっては同僚アナウンサーから聞く“泥酔奉行ミズタニ”の姿とはほど遠い『気取り』が入ってるんでないかい?と思わずツッコミを入れたくなるのもまた確かである。(^。^;)
山田長政の密書 中津文彦:講談社文庫:\524:1992年11月15日第1刷発行
ワタシの山田長政に関する知識といえば、江戸時代初期にシャム(現在のタイ)のアユタヤにあった日本人町を拠点に活躍した人である、といった程度のモノであった。ガッコで習った日本史の授業でもその程度しか触れなかったから無理もないのであるが。そこでこの本である。シャムへの渡航、アユタヤでの活躍と王朝への登用、出世、そしてその死、と山田長政のたどってきた足跡を明らかにするとともに、当時の日本と東南アジアそしてヨーロッパとの関係、国際商戦における情報戦や謀略といった、教科書では決して教えてくれない歴史のディテールを鮮やかに浮かび上がらせてくれる。この小説はあくまでもフィクションであるが、実際の歴史と著者の創作とが渾然一体となっていて、『歴史の空白を推理で埋める』というタイプの歴史ミステリーとして見事な仕上がりになっている。
しかし、この時代のシャムやカンボジアに、徳川に破れた豊臣方の浪人たちが多数渡って傭兵となっていたというのはこの物語で始めて知った。当時は海外渡航が自由だったわけであるから、そう聞けばさもありなん、と思った次第である。
不肖・宮嶋 死んでもカメラを離しません 宮嶋 茂樹:祥伝社黄金文庫:\562:2000年2月25日初版第1刷発行
21世紀最初に読む本がこれでいいのか、という思いがしないでもない(爆笑)。著者は言わずと知れた『東京拘置所内の麻原彰晃』という大スクープ写真をモノした報道カメラマン。であると同時に文章を書かせたらすばらしく笑えるモノを書く人でもある。3年ちょっと前に『ああ、堂々の自衛隊』(双葉文庫)という陸上自衛隊のカンボジアPKO従軍記ぢゃない同行ルポを読んだことがあるが、あまりの可笑しさにしばらく思い出し笑いが止まらなかった記憶がある。
さて、この本は1996年のその東京拘置所内の撮影秘話を始めとして、1985年の成田・三里塚闘争での命がけの右往左往、1990年の韓国・光州事件での『一生の恥』事件、1991年の『湾岸戦争取材のハズが湾岸原色美女図鑑』の顛末などなど、報道カメラマンとして著者が残してきた偉業(笑)の数々を記したモノである。なぜ『(笑)』なのかは、読めばわかる。とにかく面白い。笑わそうとして書いているわけではないのがわかるだけに、余計に面白いのだ。常人ではとても乗り越えられないような凄い体験が次から次へと出てくるのであるが、それを笑いにくるんでサラリと読ませてくれるのは大したモノである。
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