2005年に読んだ本
本書は今は亡き「週刊小説」(実業之日本社)誌に連載されたエッセイのうち、1988年の正月から1990年2月にかけて掲載されたものを集めたものである。昭和の終わりから平成の幕開けにかけて、マンボウ氏の周辺で起こった日常を躁鬱の波に乗りつつ書き綴っている。読んでいて面白いのは、何気ない文章でもそれを書いている時の著者が躁期か鬱期かなんとはなしに伝わってくることである。また文中で何度も「もう長くはない」だの「もうすぐ死ぬ」だのと書いている割に、親交のあった遠藤周作氏や宮脇俊三氏(両氏とも文中に何度も登場するし、宮脇氏は本書の解説も書かれている)より長生きしているのは皮肉というかなんというか。(^◇^;)
2年振りのデイル・ブラウン作品である。著者はワタシが今もっとも安心して読めるテクノスリラー作家であるが(ちなみに翻訳者もこの手の小説を訳させたら今もっとも安心して読める方である)、前回読んだ『レッドテイル・ホークを奪還せよ』の舞台が海外(リトアニア)であったのに対し、本作品は全編アメリカ国内だけである。アメリカの防空態勢を問う本作品は、同時に民主主義国が持つ犯罪者への対応の仕方を考えさせる作品でもあるのではないだろうか。大惨事を引き起こした犯人が目の前にいるのに、取り締まる側は法に縛られて手も足も出せないジレンマ。結局そこで取り逃がしたために第2、第3の惨事が起きてしまう。最初の時に躊躇わずに機関砲をぶっ放していれば犯人は死ぬことになるが、同時にその人物による次の犠牲者を出すことも防げることは明白だというのに。犯罪者の人権を尊重するあまり、ともすれば被害者の人権がないがしろにされてしまうという現実を如何するべきなのだらうか。
航空観閲式予行への往復だけで読み切ってしまった。まぁ、これくらい肩の凝らない本ならそういう往復の電車の退屈しのぎにはピッタリであらう。1990年の年末から1992年の年始にかけてのシーナの行状を赤裸々に綴ったこのエッセイは、沢野ひとしのヘタウマ(死語?)イラストと相まって程良いグータラ感を醸し出している。ま、とりあえず酒飲みはどこでも飲んでいるということで。(^。^;)
夫をリビアのテロリストに殺された女性パイロットが、義父を含めた6人の仲間とともに米空軍のB-52を盗み出し、報復のためリビア領内のテロリストのキャンプを爆撃する。本書はそんな荒唐無稽な話なのだが、あまり面白い話ではなかったというのが正直なところ。このオチはちょっとご都合主義に過ぎるだらう。また、イギリス人の新聞記者だという著者が軍歴もパイロット歴もないせいか、はたまた訳者が不慣れなせいなのか、ミリオタ的ツッコミ所は多々あったし、空戦シーンの描写は真に迫っておらず絵が浮かんでこないのが残念であった。飛行中のB-52のフライトステーション内の描写はなかなか良かっただっただけに惜しまれるところである。
いわゆる『トラベル・ミステリー』を得意とする著者であるが、この作品の舞台は日本国内ではなく、遠く東太平洋に浮かぶ島国、セイシェル共和国。そんな所まで犬であるルパンが行けるわけがないので今回はお留守番だが、事件の起きたセイシェルに“たまたま”仕事で行くことになった主人公・川澄ランと、東京に残ったルパン&朝日正義@警視庁の刑事にしてランの恋人、の推理の二元中継である。例によってトリックにはちょっと無理があるものの、ちょっと変わった観光案内だとでも思って読めば良し、である。
「敗戦記念日に戦記物を読む」企画第2弾。前回はポツダム宣言受諾後の話であったが、今度は開戦時について書かれた本である。本書の著者は言わずと知れた真珠湾攻撃の攻撃隊総指揮官を務めた人物。本書は太平洋戦争の始まりである真珠湾攻撃の、具体的な攻撃方法の立案から攻撃終了までを綴った総指揮官ならではの臨場感溢れる手記である。舞台となったハワイ・オアフ島の真珠湾は、なにしろ3ヶ月前に行ってきたわけなので、文中で描写される攻撃時の様子がその時見てきた風景とオーバーラップしてしまうのである。この攻撃で艦内の火薬庫が大爆発を起こし大破着底、そのまま遺棄された戦艦「アリゾナ」が、今はメモリアルとなって当時のままの姿で残っているわけなのだなぁ、と思うとまた感慨深いものがあるのだった。
今年の夏も暑いのである。よって涼しい気分に浸るべくこの本を。巻頭の「アラスカ ノアタック紀行」はまさにそんな気分に浸らせてくれる。アウトドアの実力のある人が、アウトドアの実力のある犬とともに、周囲何千平方キロに人っ子一人いない原野をカヌーで下る、なんて状況は都会暮らしの身には想像すらできない。こういう暮らしをするには、まず全ての現世とのしがらみと欲望を断たないと無理だらうから、自分にはまずできないし、それにウチの犬は外に出たら人のそばから離れない軟弱な愛玩犬なので、そんな場所に一緒に行っても足手まといになるだけだらう(笑)。それだけに激しく憧れてしまうのもまた事実である。
昭和天皇の「終戦の詔勅」を聞いた小園が『戦闘継続は異勅とはならない』と結論づけたのはいささか強引すぎるような気がするが、それはやはり60年後の世界から見た“後出しジャンケン”である。ここで言えるのは、小園の戦闘を継続する決意が日本の国体や陛下の身の上を案じた純粋な気持ちから出たことである、ということであり、こればかりは否定することはできないであらう。ただ小園にとって残念なことに、反乱を起こした厚木航空隊が小園を一番必要としていた時に、(反乱を押さえる側から見ればラッキーなことに)昔罹ったマラリアが再発してしまったのであった。ここで小園のマラリアが発病していなかったら、果たして今の日本はこの形で存在し得たのだらうか。8月30日にマッカーサーが厚木に乗り込めなかったことは確かであらう。この“歴史のif”を考えてみるのも面白いかも知れない。 なお、現在の米海軍厚木航空施設内に厚木にいた旧日本海軍機が埋まっているというのはミリオタには周知の事実だが、ブルドーザーを使って機体を谷に落としたのが日本の民間業者であり、そこに至るまでは任侠映画さながらのかなりのすったもんだがあったというのは本書で始めて知った。また最後まで抵抗した海軍士官らが収監された刑務所でちょっとしたエピソードがあったのだが、そのことについては裏ブログ(笑)に書くことにしたい。
2005年7月15日読了 著者は北海道出身の海上保安官。でもなぜか料理人として第30次南極観測隊と第38次南極観測隊ドーム基地越冬隊に参加している剛の者。本書は標高3,800m、平均気温マイナス57℃というウイルスさえも生きられない過酷な環境にあるドーム基地で、男9名が1年間過ごした越冬隊に参加した時の様子を記している。そんな環境で毎日いろんな観測を行う隊員たちの胃袋を満たしてやることが著者の使命であった。とまぁこう書けば崇高な仕事なのであるが、著者の視点は『口の悪い居酒屋の親父』(佐々木穣氏の解説より)。読んでいるとそんな過酷な環境に置かれているのを忘れてしまうくらい面白可笑しく、隊員たちの日常が描かれているのである。なのでメニューに「豪華蟹づくし日本で食えば一万五千円コース」だの、“宮内庁御用達中央畜産御推薦松阪牛六kg肉塊二〇万円也”を使った「ステーク・ア・ラ・トルネード マデラソース」だのと書かれていれば、『むむむ、それは税金から出ておるのだろう?』とつい目が三角になりそうなのだが、普通の恰好でいれば10分で凍死しそうな屋外環境の下、毎日各種観測をこなしている人たちの食事であるのだから、「まぁいいよなこれくらい」と思わずにはおれないのである。
春先からあちこちのブログを読むのが忙しくて(笑)、読書の時間がずいぶんと減ってしまった。おかげで本書を読むのに3ヶ月も掛かってしまったことよ。(-_-;)
本書は著者がモンゴルで映画『白い馬』を撮った時の話をまとめたエッセイ&写真集である。以前読んだ「草の海」(集英社文庫)と内容は似ているが、こちらは写真がシーナの撮ったものであるほか、内容もどちらかというとメイキングオブ的な感じがする。なんにせよ違う文化を持つ人たちと共同で何事かを為す、ということの大変さがよくわかるのだが、それよりもなによりもモンゴルの子ども達のなんと無邪気でかつ立派なことよ(首都ウランバートルの都会っ子は除く)。しかし写真に写っている子どもの顔がみんな小さな朝青龍に見えるのが可笑しかったことよ。(^◇^;)
本書は「戦闘ヘリ リンクス」(新潮文庫)という作品の続編なのであるが、「リンクス」を読んだのはそれこそ10年以上も前なので内容はすっかり忘れ去ってしまった。とはいえ本書の内容それ自体は独立して読めるものである。本書のクライマックスは主役メカであるイギリスのウェストランド・リンクス中型汎用ヘリコプターを改造した攻撃ヘリ“リンクス”と、ソ連のミルMi-24ハインドの発展型“ヘルハウンド”(もちろんどちらのヘリも架空の機体)との、チベット山中での空中戦なのであるが、そこに至るまで約500ページを費やしているのに肝心の空中戦はほんの8ページであっけなく片が付いてしまう。なんとはなしに肩すかしを食ったような気がしてしまった。著者はドミニカ生まれのイギリス人で、イギリス空軍に在籍したことがあるという。それ以上の略歴ははっきりしないらしいのだが、少なくとも空軍時代にヘリを弄っていたことは間違いないだらう。“リンクス”を駆る主人公の天才的ヘリパイロット、デヴィッド・プロスの操縦操作の描写は経験者ならでは、といった感じである。
スリリングな物語の後はショージ君でマターリと。はとバスのゲイバーツアーに参加し電車内での携帯電話について深く考察し昆虫たちの気持ちに思いを馳せるかと思えば♪伊東に行くならハ・ト・ヤ、のハトヤホテルを査察しつつ江川紹子とB級グルメを語りナンシー関とともに通販と芸能人の話で盛り上がる。興味の向くまま様々なことをショージ君の視点で語っていく。もうとにかくその視点がユニークで面白くて、もちろん肩など凝るはずもない。だからショージ君はやめられないのだ。
この作品はミステリー小説である。太平洋戦争開戦直前のワシントンで繰り広げられた日米の外交交渉とその裏側の諜報活動をスリリングに描いた作品なのであるが、ワタシ的にはここらへんの史実を多少なりとも知っているので、むしろ日本大使館に勤める若手外交官や職員たちの青春模様を楽しんだという感じがした。開戦時、日本側の最終通告が真珠湾攻撃の後になったため、今でも“真珠湾のだまし撃ち”と言われているわけだが、なぜそうなってしまったのかということも読んでいると自然とわかるようになっていてなかなか興味深い。もちろんこの小説はフィクションなのでそれが真実かどうかはわからないが。なお、同じ作者の“第二次大戦秘話三部作”(『ベルリン飛行指令』『エトロフ発緊急電』『ストックホルムの密使』、全て新潮文庫)とは登場人物はまったく別だが、時代はほぼ同じなので合わせて読むのもまた一興であらう。
さだまさしを聴くようになって20年以上になる。フォークギターを一心に弾いていた中学時代、すでにかぐや姫の再結成コンサート(「かぐや姫 Today」の時)も終わっていたが、その頃はかぐや姫や南こうせつばかりを聴きそして弾いていて、グレープを解散してソロになっていたさだまさしを聴くことはほとんどなかった。今思うに、あれは「雨やどり」という大ヒット曲がいけなかったのだらう。あの歌をコミックソング的にしか捉えられない程度に、当時のワタシは若かったのだ。
アメリカにとって“栄光の戦争”であった第二次世界大戦、“敗北の戦争”であったベトナム戦争の狭間にあって、朝鮮戦争は言わば“忘れられた戦争”であると著者は言う。第二次大戦(てゆーか太平洋戦争)終結のわずか5年後に勃発したこの戦争に関する著作物は少ない。他のふたつの戦争については山ほどの文献が出版され、現在も出版され続けているというのに。 |