2006年に読んだ本
スイカの丸かじり 東海林 さだお:文春文庫:\467:2001年5月10日第1刷
2006年12月23日読了
半日電車に乗っていたのでこの日だけで読み終えてしまった(笑)。ショージ君モノはやはり気楽に読める。本書の中身の初出は1995年の正月からなのであるが、11年前には『スイカのフランス料理フルコース』などというものがこの世に存在したのであった。もともとスイカがあまり好きではないワタシはもちろん願い下げだが、我らがショージ君は果敢にもチャレンジしてみたわけである。このエッセイのいいところのひとつは、気に入らなければきちんとそう書くところであるが、この『スイカのフランス料理フルコース』もあまりショージ君のお気に召さなかったとみえ、「スイカを引き立ててあげた、とも思えるし、いじめた、とも思える」と結んでいる。世間もそう思ったらしく、このコースはその年の夏で終了したそうだ(笑)。
アンノウン 古処 誠二:文春文庫:\543:2006年11月10日第1刷
2006年12月19日読了
元航空自衛官であった著者のデビュー作。とある片田舎の某レーダー基地(とはいえ「遠州灘に面した」「掛川駅で」などと書いたら、第22警戒隊のいるあすこしかないだらう)を舞台にした“人の死なない”ミステリーである。しかしユーモア溢れる文体は随所で笑いを誘い、ミステリーを読んでいることを忘れてしまうほど。また同時に、主人公である野上三等空曹の成長物語でもあり、自衛隊基地とそれが所在する地元地域との関係をも考えさせられる作品でもある。
隊長室の電話機から見つかった盗聴器の謎を調べるため、府中の防衛部調査班から派遣された浅香二等空尉の補佐という役目を仰せつかった野上三曹。基地司令室での会話の行きがかり上、読む気もないのに分厚く重い戦史書を借りる羽目になり、「押し花でも作ろう」などと思いつつ戻った6人部屋の自室にたまたまいた後輩に、ダンベルにすぎないその本を押しつけてしまう野上三曹だが、物語の最後では「読み終わったら早く返せ」とすっかり読む気になっていたりするのである。ここにまたひとり、立派な自衛官が誕生したというわけだ。不肖・宮嶋茂樹カメラマンの解説も面白くて読み応えあり。
北朝鮮の決断 ジョン T.キャンベル/訳・小関 哲哉:二見文庫ザ・ミステリ・コレクション:\631:1994年1月25日初版発行
2006年12月2日読了
著者は元米海軍の機関科将校だった人物。『北の情報部の逝かれた偉い軍人が老いぼれた主席を暗殺して国を乗っ取り、朝鮮戦争時代にアメリカから受けた屈辱を晴らすべく、部下に命じて米空母H.S.トルーマンを乗っ取って核兵器を奪取しようとする』というストーリーは、ちょっと間違えればトンデモ架空戦記にでもなりそうな内容である(爆)。実際、空母を行動不能にしたそのやり方はまさにトンデモだったが(あのやり方は偶然に頼りすぎで絶対に成功しない)、わずかに残った無事だった空母の乗員と北朝鮮軍コマンドとの、空母内での攻防はまぁまぁ読めた。ここらへんは著者の経歴からであらう。著者経歴には「軍艦<シャングリラ>に乗り込み」とあるのだが、これはエセックス級空母のアレなのであらうか。だとしたら空母の艦内の描写が上手いのも頷ける。ただやはり飛行機は専門外とみえ、空戦シーンや北のミグ(29?)が空母を銃撃するシーンなどはあまり真に迫ってこないのであった。
デキゴトロジー(2) 愛のRED CARD 週刊朝日・編:朝日文庫:\427:1996年5月1日第1刷発行
2006年11月18日読了
1994年12月9日号から1995年11月24日号にかけて『週刊朝日』誌に連載された人気コラムの文庫化である。日常社会の「マジかよそれ」的こぼれ話がいっぱいで、お気楽に読むには最適(笑)。時期的にはオウム真理教の社会問題化や阪神大震災などあり、また風俗的にはダイヤルQ2を使ったテレクラ真っ盛りだったりなので、その手のネタもたくさんあって10年前を懐かしむにも最適である(笑)。
生還への飛行 加藤 寛一郎:講談社文庫:\544:1992年8月15日第1刷発行
2006年11月11日読了
著者は飛行機マニアの間では名高い東大名誉教授。飛行機事故の本は数あれど、間一髪で生還したパイロットの話を集めた本はあまり聞いたことがない。ということで、かな〜り以前に単行本で読んでいた本書を改めて読んでみた。その瞬間、彼らパイロットが取った行動は後から考えれば理に適っていたわけであるが、中には机上のセオリーとは反対の行動もあって、彼らが理屈だけで行動したわけではないことがよくわかる。
中でも印象的だったのがハチロクブルーのソロ機だった藤原氏のケース。1960年代に行われていたソロ機のテイクオフロールの時、離陸直後にロールを始める高度が低いと、ロールが終わるときには高度が低すぎることになる。1965年11月24日には同じケースでソロ機が墜落、パイロットの城丸一尉(当時)は殉職している。ロールを終えた時に高度を取ろうと操縦桿を引いて機体を引き起こしたのであるが、その角度が急すぎて失速してしまったのである。1968年1月9日、藤原二尉(当時)の操縦するソロ機が同じ状況に陥った。ところが、ロールを終えて高度が低すぎると感じた時、10人が10人操縦桿を引くであらうその状況下で藤原二尉は操縦桿を“押した”のである。その結果機体に推力が付き、両翼下の増槽と尾部の排気口部分を地面に擦りつつもなんとか墜落せず高度を取ることができたのであった。この行動について藤原氏は「体が覚えていた」「考えるような状態ではなかった」「体のどこからか指令が走った」と述べている。機体が沈み地面が近づいてきて、草木の一本一本が見えるような状況下で、とっさに機体を地面に向けたこの行動は、本能という以外説明のしようがないであらう。
このような興味深いエピソードが多数収められた本書は、「空で生き残るための条件」を探る著者の旅の集大成でもある。飛行機マニアならずともお薦めの一冊である。
もっと秘境駅へ行こう! 牛山 隆信:小学館文庫:\533:2003年8月1日初版第1刷
2006年10月21日読了
2001年に出た「秘境駅へ行こう!」が思いのほか好評だったようで、2年後に続編として出たのが本書である。前作は『いかに秘境駅が秘境であるか』を力説することに重きを置いていたが、本書では“秘境”というより『雰囲気のいい駅』の紹介という感じになっている。もちろんその“雰囲気の良さ”具合は著者の独断であるが(笑)。その“雰囲気”とは、駅の持つ歴史であり、かつてそこを利用した数多の人々が醸し出していた活気なのだらう。そのことに気付いた著者は、「駅へ到達することだけが目的ではなく、そこで何かを感じ取ってくる旅」へと、自らの旅の姿勢が進化したと前書きで述べている。
ちなみに本書には、大阪や京都といった大都市からほんの1時間程度で行ける駅も紹介されているが、やはり関東地方より平野が狭い分、関西の方が都会近くに“秘境”が存在するのであらうか。ほんの半日で旅気分が味わえる関西の人がちょっと羨ましく思えてみたりもするのである。(^◇^;)
台湾侵攻(上)(下) デイル・ブラウン/訳・伏見 威蕃:二見文庫ザ・ミステリ・コレクション:\733(上・下とも):2000年7月25日初版発行(上・下とも)
2006年10月15日読了
デイル・ブラウンの文庫はこの作品から、版元がハヤカワ文庫から二見文庫に移った。てなことはともかく、本書は『レッドテイル・ホークを奪還せよ』以来のEB-52メガフォートレス物である。突然の独立宣言をした台湾に対し、武力による併合を図る中国。阻止したいアメリカは中国の立てた緻密で狡猾な作戦により窮地に追い込まれる。しかも左派政党が政権を握る日本は中国に丸め込まれ、在日米軍は事実上封鎖されてしまうのである。そこで登場するのがメガフォートレス。核ミサイルを躊躇なくぶっ放す中国を、我らがメガフォートレスは押さえられるのか!? ・・・てな具合にまとめられる程度の粗筋なので(爆)、我々読者は登場する兵器が活躍する様をミリオタ的視点で楽しむのが良いのではないかと思う(笑)。まったく、それにしてもメガフォートレスは強すぎる。(^◇^;)
ちなみに、この作品は1997年に上梓されたようだ。日本で村山首相率いる自社さ連立政権が存在したのは1994年6月から1996年1月までである。よって日本が左派政権であったことは、少なくともこの作品が書かれていたであらう頃は事実であった。とはいえ、それにしてもこの作品中の日本の首相は、アメリカ大統領に向かってまるでプロ市民のような発言をするのである(爆)。村山内閣成立時、海外では「日本に共産主義者内閣が誕生した」と報じられたという話があるが、その時受けたイメージをもとにカリカチュアライズしたものなのだらうか。(~。~;)
マツタケの丸かじり 東海林 さだお:文春文庫:\467:2001年1月10日第1刷
2006年9月6日読了
書名にあるマツタケは、今回かなり気の毒な立場である。本のタイトルとしてでかでかと書かれているにも関わらず、本編の中には一度しか出てこない。しかも疑惑の目で見られているのである。著者は言う。「本来その用途ではない容器に食べ物を入れて出すことは邪道である。しかし土びんに限ってはその邪道が許される。本来、土びんは湯茶を入れるものなのだ。しかるに何ぞや。『松たけの土びん蒸し』という、土びんにエビや、鶏肉や、カマボコやキノコを入れて客に供する商法が、非常識どころか大いに喜ばれているのだ。これはいったいどういうことなのだ」と、静かにひたひたとお怒りになっておられるのである。しかし、我々読者は著者が怒りをぶつけるその『松たけの土びん蒸し』を、無性に食べたくなるのである。食べ物を美味そうに描写することにかけて、著者の右に出る人はいないのではないかと、ワタシはつくづく思うのであった。解説を書いているイラストレーターの南伸坊氏もそう思っているようである。まったく、本書を空腹時に読むという行為は「それなんて拷問?」なのである。ヽ(`Д´)ノ
遙かなる俊翼 日本軍用機空戦記録 渡辺 洋二:文春文庫:\514:2002年7月10日第1刷
2006年8月30日読了
『終戦記念日あたりに戦争の本を読む』企画第2弾。先に読んだ第1弾の「零戦撃墜王」が、零戦に乗って実際に戦ったいわゆる“中の人”が書いた戦争であったのに対し、こちらは戦後生まれの作家である“外の人”が書いた戦争の記録である。先の戦争で、日本陸海軍が用いて戦った数多の軍用機の活躍と、それに乗っていた人々のそれぞれの戦いを、著者は当事者の方々の証言と諸々の記録をもとに丹念に再現していくのである。興味深いのは、「零戦撃墜王」の岩本氏も登場する「ラバウル上空の完全勝利」という一編。同じ戦いを、戦った当事者の視点と後世の研究者(と表現しても構わないだらう)の視点とで見ることができるのである。岩本氏の回想では文字通り敵機をバッタバッタと落としたかのように書かれていた、昭和19年1月17日にラバウル上空で行われたこの“完全勝利”の空中戦であったが、数字を精査していくと当事者が感じたほどには日本側の撃墜数は多くなく、日本側が集計したこの日の撃墜数の合計が90機(このうち岩本氏のスコアは5機)であったのに対し、米側の記録では未帰還の米軍機は12機であったという。ただし日本側の未帰還機がゼロであったことから“完全勝利”であったというわけなのである。このことは、当事者の証言を鵜呑みにすることの危うさを教えてくれるのであった。
旅行鞄のなか 吉村 昭:文春文庫:\388:1992年8月10日第1刷
2006年8月15日読了
去る7月31日に79歳でお亡くなりになった著者を悼みつつ読む。日本じゅうを取材で駆け回った折々のことを、氏ならではの落ち着いた筆致で淡々と綴ったエッセイ集である。ワタシは著者の書くものは、純文学より記録文学のほうが好きなのであるが、それがこのような地道な取材の積み重ねによるものだということが改めて感じられる。その取材先となる各地でそれぞれに馴染みの店(飲み屋ですな)を作るあたり、飲んべではないワタシはちょっとウラヤマシイとか思ってもみたり。また、ファックスやワープロに対する抵抗感など、それが当たり前の我々世代からみれば微笑ましい感じがするのであった。
零戦撃墜王 空戦八年の記録 岩本 徹三:光人社NF文庫:\660:1994年6月15日発行
2006年8月12日読了
今年もやってきた『終戦記念日あたりに戦争の本を読む』企画第1弾である。著者は太平洋戦争における旧日本海軍航空隊のトップエースのひとり。総撃墜数は自称の202機から約80機まで諸説あるが、いずれにせよ戦闘空域が広い太平洋の戦場でこれだけの戦果を挙げたのだから、その腕前は素晴らしいものである。本書は戦後すぐに病没した著者が書き残した、中国戦線から太平洋戦線、そして本土防空戦に至る戦闘記録である。苛烈な空中戦をいともあっさりとした記述で描写しているが、それはやはり卓越した技量を持つ著者ならばこそであらう。激闘を生き残るには常に冷静さを失わず、戦闘の全体像を見極め的確な行動を素早く取ることが必要なのだということがよく判る。また、上層部の理不尽な命令に抗する場面もいくつか描かれているが、それは戦争中の混乱もさることながらやはり実績のある著者ならばこそ、ということもあったのだらう。先の戦争の最前線の一端を知ることのできる一冊である。
究極の鉄道殺人事件 辻 真先:双葉文庫:\485:1995年2月15日第1刷発行
2006年7月30日読了
実は1週間以上前に読み終わっていたのだが、百里航空祭のレポートを書くのにかまけて読書感想文を書くのをすっかり忘れていた(爆)。本書は著者お得意の入れ子構造になっていて、中に3編の短編推理小説が挟まっている。『1冊で4度美味しい』というわけだ(笑)。なぜ“究極の鉄道”なのか、それは挟まっている小説のうちひとつは日本に鉄道というモノが開通した直後の汽車の中、ひとつは架空のリニア新幹線の中が舞台だからである。このリニア新幹線、時期的には200X年となっているが、物語中では愛知万博がまだ開幕していないので2004年ごろということになろうか。単行本の刊行が1992年であるから、10年もすればリニア新幹線が開通しているだらう、とあの頃は考えられていたのであらうな〜、と今思うと微笑ましくもある(爆)。もちろん本書の本題はこの入れ子の小説ではないわけで、最終的には辻作品らしく意外な人物が犯人であると判明するのである。この肝心の部分が、ちょっとこじつけっぽく感じられたのではあるが、それでも『1冊で4度美味しい』本書はお得感たっぷりなのであった。(^o^)
本気で言いたいことがある さだ まさし:新潮新書:\700:2006年4月20日発行
2006年7月25日読了
まっさん(著者のこと)に「建具屋カトーの決心 −儂がジジイになった頃−」という歌がある(JASRACがウルサそうなので歌詞は各自でググって調べてちょ)。1989年4月に発表された歌なのだが、『絶滅間近の朱鷺という名の美しい鳥のように/ニッポンジンて奴がどんどんいなくなってるじゃねェかヨ』と歌うこの歌は、今にして思えばこの本のプロローグのようなものなのであった。てゆーか、17年前にまっさんが感じていた「この国への憂い」は、未だに変わってはおらず、むしろ悪くなっているようですらあるのだった。
この本は、そんなまっさんの「愛する日本へのラブレター」である。形骸化する“家族”を憂い、教育のことを心配し、もっと他人とコミュニケーションを取ろう、物事に対する想像力を働かせようと訴えるのである。残念なことにワタシ的には全ての主張に頷けるわけではないが(靖国神社のこととか自衛隊のこととか)、この国の行く末を本気で心配しているのがジンジンと伝わってくるのである。
ちなみに、頷けない2点について。まず靖国。「中韓の反発にもかかわらず参拝を続けるのは喧嘩を売っているようだから、とりあえず止めたら?」というのがまっさんの主張である。ワタシは逆に「喧嘩上等」(笑)。ただし、「(政治家が)諸外国に向かって『あなたの国の習わしとは馴染まないかもしれないけれど、この考え方がこの国に住む人々の昔からの習わしである。でも、だからといって先の戦争を肯定したり美化したりするようなことはしない』と、繰り返し繰り返し何十回でも何百回でもそう説明しなければならない」という部分は賛成である。これは相手が辟易するくらいしつこくやるべきであらう。
次に自衛隊について。まっさんはイラクに自衛隊を派遣したことについて、「1991年の時は『金だけ出して兵隊は出さない』ということが実行できたのだから、今回もそうするべきだった。たとえ外国から蔑まれても、どうあっても外国での戦争には荷担しない、という姿勢を、5回、6回と続ければ、日本はそういう国なのだとたとえ渋々でも認めてもらえたはずだ」と主張する。それはやはり違うだらう。まっさんは「ブッシュの脅しに屈した」と書くが、それはちょっとサヨク掛かった見方であるような気がする。日米の同盟関係を強固にすることは日本のためにもなるのであるから、むしろ「貸しを作った」くらいに見ておくのが妥当だと思う。また、日本が今の国際社会で一人前の口を利くためには、現実としてやはり金だけではなく人を出す必要がある。金だけ出して事を納めようとするヤツは、町内会でも国際社会でも軽蔑されるし、そんなヤツの言うことなど周囲は聞く耳を持たないものである。
もうひとつ、「『自衛隊の海外派兵』と聞いたとき、僕には徴兵制への道が見えた気がした」と書くまっさん。ご安心あれ、それは全くの的はずれである。徴兵で集めた兵隊で作った軍隊はロクなものではない、ということは我が国は先の戦争で痛いほど判っている。西隣の国の軍隊を見てもそれがよく判る。現代の戦争は、徴兵で集めた右も左も判らないヤツが戦えるほど単純ではないのである(参考:このへん)。また、まっさんは「こうしてこれから何度も自衛隊が危険な場所へ行くことになれば、命を落とす隊員が出てくるかもしれない。/となると、自衛官のなり手は減少していくはずです。/「死にたくない」と、現役自衛官も辞めていくかもしれない」とも書いている。これ、逆もあるのではないかとワタシは思う。PKOやPKF(これは現段階ではまだ参加できないが)で自衛隊が海外へ行くことで、他の国の復興や治安維持に貢献できるのだ、と考えれば、逆に志願者が増えるかも知れない。現にそれを理由に自衛隊を志望する人もいると聞く。それに、自衛隊の危険な任務は何も海外派遣だけではなく、災害派遣だってある。そこで自衛官の献身的な努力で命を救われた若者が、自分もそうなりたいと自衛隊を志望する例も実際ある。危険な場所が死と隣り合わせなのは当たり前。でもそれは戦場だけではない、ということくらい、ちょっと想像力を働かせれば判ること(なんでまっさんは、ここの部分だけは想像力を働かせないのだらう)。例えば鳶職の志望者が多くないのは、「危険な高所作業があるので死にたくない」という理由だけではないはずである。
まぁ、そんなわけで若干「?」という点はあるが、それくらいは当然のこと。全部が全部頷ける話ばかりだったらかえって気味が悪い(笑)。ということで、ニッポンを憂う人たちよ、とりあえず読んどけ。
増補版 時刻表昭和史 宮脇 俊三:角川文庫:\533:2001年6月25日初版発行
2006年7月14日読了
渋谷駅前に立つ「忠犬ハチ公」の銅像。このハチ公が帰らぬご主人を待っていた昭和8年の渋谷駅前の描写から始まる本書は、鉄道と『時刻表』をキーワードに太平洋戦争直後までの著者の半生を綴った自叙伝であり、戦前から終戦直後にかけての、ひとりの若者の目を通した“昭和の情景”である。著者の父親は軍人出身ながら反戦代議士として名を馳せた宮脇長吉氏(昭和13年3月3日、衆議院で審議中の国家総動員法案をめぐり、説明員である陸軍の佐藤賢了中佐から「黙れ」と怒鳴られたのが宮脇議員である)であったので、フツーの庶民よりかなり恵まれた生活水準であったわけであるが、そうであっても戦時体制は否応なしに迫ってくるのである。そうしてどんどん戦争一色になっていく生活や、戦争に対する庶民の思いなど、教科書などで教えられた通り一遍の知識ではまったく知ることの出来ない生の人間の記憶がそこにある。そしてなにより、戦争が始まっても、空襲を受けても、戦争の終わりを告げる玉音放送が流れた直後であっても、汽車は走っていたのである。それにしても、もしかしたら玉音放送の最中も走っていたのかも知れない、そう思わせるような当時の国鉄の律儀さはどーよ。(^◇^;)
ノドン強奪 トム・クランシーのオプ・センター トム・クランシー&スティーブ・ピチェニック/訳・伏見 威蕃:新潮文庫:\781:1998年10月1日発行 【カバーイラスト:佐竹政夫】
2006年6月20日読了
言わずと知れたテクノスリラーの第一人者、トム・クランシーが、精神科医で作家のスティーブ・ピチェニックを共著者に迎えて描く『オプ・センター』シリーズの第1作。『オプ・センター』とは翻訳者の解説によれば「テロリズムや地域紛争のたぐいに対処する危機管理センター」であり、直接的な軍事行動にも対処できる専属の特殊部隊を配下に持っているため、急場にも即応できる態勢となっている組織である。この組織の長官ポール・フッドは軍人出身ではなく元ロサンゼルス市長である、というところが特徴的。家族と仕事との板挟みになりながら、一癖も二癖もある部下達を苦労してまとめ上げる中間管理職のような彼の姿がよく描かれている。
さて、本書は韓国・ソウルでの大統領就任式典で起きた爆弾テロをきっかけに、北朝鮮のノドン・ミサイル発射基地を乗っ取って朝鮮半島統一のため第二次朝鮮戦争を仕掛けようとする陰謀を、KCIA幹部と協力して防ごうとするオプ・センターの活躍を描いたもの。何しろ現実世界では、ちょうど北の将軍様が打ち上げ花火を上げるのかどうなのか、という事態が進行中なだけに、日本に向かって発射されんとするノドン・ミサイルのカウントダウンを止めることができるのか? という緊迫のクライマックスが妙なリアリティを持って迫ってきたものである。
それにしても困るのは、主要登場人物が韓国人だったり北朝鮮人だったりするので、どちらの陣営にも「キム某」がいるわけである。だもんで、この「キム」はどっちの人間だっけ? とアタマがこんがらがってしまうのであるよ。それでなくても海外の小説は登場人物がカタカナばかりでこんがらがりやすいってのに。ヽ(`Д´)ノ
あと、カバーイラストにはフランス製のミラージュ2000Dが描かれているのであるが、これが米軍の国籍マークを描いているのである。作中では本機がなぜか米空軍の偵察機として登場し、イラストにあるように北朝鮮空軍機の迎撃を受けてしまうのであるが、いくらなんでもミラージュを米軍機にしなくても、とマニア的には思わないでもない。本当に米空海軍が装備している機体を出すと生々しすぎるのか、と思ったのだが、その後でF-117Aも出てくるのでそうでもないらしい。なんでだろ?

マルサン−ブルマァクの仕事 金尊三郎 おもちゃ道 くらじ たかし:文春文庫:\533:2001年6月10日第1刷
(注:「金尊」は一文字で『いしづき』と読む)
2006年6月3日読了
「マルサン」も「ブルマァク」も、30代後半より上の世代、特に男性にとっては懐かしい社名なのではないだらうか。「マルサン」はブリキのおもちゃや怪獣ものの人形(“フィギュア”などという言葉は当時あるわけがない)メーカーとしてのみならず、モデラーにとっても伝説的なメーカーであり、また「ブルマァク」のウルトラ怪獣の人形は幼い頃に多くの男の子が手に取って遊んだことがあることと思う。ワタシも「ブルマァク」の社名は朧気ながら記憶にある。本書はそのマルサンで営業マンとして活躍し、同社の倒産後はブルマァクを興して一時は一世を風靡した金尊三郎氏の目を通した、この二社の栄枯盛衰の物語である。ひたすら『子供のためのおもちゃ造り』を追い求めた金尊氏の辿った道は、そのまま1950年代から1970年代にかけての、日本の男児向けおもちゃの歴史の一面であったといってもいいだらう。幼い頃の自分が無邪気に(そんな時代もあったのさヽ(`Д´)ノウワァァン!!)遊んだソフビの怪獣の、裏に隠された物語を知ることができるとはなんと楽しいことなのだらうか。(^o^)
また、本書で貴重なのは巻末のマルサンとブルマァクの製品リストである。ワタシが興味を惹かれるのはなんといってもプラモであるが、後にフジホビー→アルカンシェールと引き継がれた1/50のF-86Dセイバードッグ(これは今でも名作と言われている)や、サニーに引き継がれた1/50のF-4ファントムII、フジホビー→河合商会と引き継がれた1/100のF-86Fセイバーの他にも多数のキットが作られていたことがわかる。1/700の旧日本海軍の軍艦や、1/72の米独AFVなんてのまであったのは初めて知った。現物を激しく見てみたいなぁ。
さらば国分寺書店のオババ 椎名 誠:新潮文庫:\466:1996年9月1日発行
2006年5月18日読了
著者はこの作品で、自らの文体を「昭和軽薄体」と称しブンガク界に躍り出た。いわゆる“言文一致体”なのであるが、他の作家との最大の違いはその優れた言語感覚であらう。その後特にSF作品において著者独自の形容詞や名詞が縦横無尽に駆使されるのであるが、それはデビュー作であるこの作品においても、すでにその先駆けを見ることが出来る。
そんな文体で綴られたこの作品は、1979年に情報センター出版局から刊行された時には「スーパーエッセイ」と銘打たれていた。ワタシは高校時代、この作品にガッコの図書室で出会い、“スーパー”の肩書きに恥じないそのあまりの面白さに他のシーナ作品(「哀愁の町に霧が降るのだ」など)とともにガシガシと読んではフーッと満足気なため息などついていたものであった。
で、内容はといえば国分寺駅前の古書店「国分寺書店」の主人であるオババとシーナ青年の心温まる交流、というものでは全くない。街で見掛ける制服関係の職業の人たちに敵意を燃やしつつ、国分寺書店に持ち込んだ本の買い取りを拒否されて怒り狂うシーナ青年が、密かな憧れを抱いていたマスコミ関係者のパーティで知ったそのあまりにも痛い実態に愕然とし、制服関係の人たちの真面目に仕事に取り組む姿勢を見直しつつ、国分寺駅前を訪ねるとすでに国分寺書店は姿を消していた、という話である。実は本文中でオババとシーナ青年は一言も会話を交わしていない。そしてオババに怒り狂っていたハズなのに、いざいなくなってしまうとその喪失感に打ちのめされるシーナ青年なのであった。ゲラゲラ笑わせつつ、最後の2行でしんみりと〆るその技は見事。著者がその後ベストセラー作家になったのもむべなるかな、である。
双生の荒鷲 ジャック・ヒギンズ/訳・黒原 敏行:角川文庫:\1,000:1999年5月25日初版発行 【カバーイラスト:佐竹政夫】
2006年5月10日読了
先に読んだ“鷲”モノがちょっと・・・だったもんで、今度は期待して読む。結果は期待通りであった。先の“鷲”モノが佐々木譲の描く『日中戦争航空秘話』であるならば、こちらはジャック・ヒギンズの描く『第二次大戦航空秘話』である。この二つの物語、年代的にはほぼ同じなのが面白い。
それはともかく、実に久しぶりに読むヒギンズ作品である。世界的ベストセラー「鷲は舞い降りた」を読んだのは独身の頃であるからもう15年くらいは経っているはず。ということで、本書は運命のいたずらでアメリカとドイツに別れて住むことになった、天才的な飛行技術を持つハリーとマックスの双子の兄弟が辿る数奇な物語である。時が進み第二次大戦が始まり、互いを敵として戦う羽目になった二人を襲う試練と悲劇。あまりの面白さに450ページを越える長編をたった2週間で読み切ってしまった。
飛行機マニア的視点でいうと、本書に登場する飛行機でメインとなるのはウェストランド・ライサンダーとフィーゼラーFi156シュトルヒである。カバーにはホーカー・ハリケーンとメッサーシュミットMe109(本書の記述に準拠)が描かれているが、主人公の二人はこれら戦闘機にも乗るもののむしろ脇役に甘んじている。本書に登場する機体は幸いほとんど知っていたので、うまくアタマの中でイメージすることが出来た。本書のような物語の場合、登場するメカを知っているか否かで話の面白さがずいぶんと変わってくるのである。
鷲と虎 佐々木 譲:角川文庫:\838:2001年9月25日初版発行
2006年4月27日読了
化粧カバー裏面のあらすじより。《1937年7月、北京郊外で軍事衝突が発生。戦火はたちまち広がり、日中両国は全面的な戦争に突入した。帝國海軍航空隊の麻生哲郎は勇んで中国へと向かい、アメリカ人飛行士デニス・ワイルドは中国義勇航空隊の一員として出撃する。上海、北京、南京、漢口、重慶。長江上空に展開する戦闘機乗りたちの熱き戦い。やがてふたりは互いを、名前を持った敵として意識するようになった……。中国の大空を翔けた男たちの勇姿を見事に謳いあげた航空冒険小説。》
う〜ん、面白かったのは確かなのだが、どうにもうまくまとめられない。登場する飛行機が、九六艦戦とI-16以外あまりワタシ的に馴染みのないものばかりだったというのもあるかもしれないが、やはり時代が日中戦争であるということで時代背景として描かれる“事件”がワタシ的にどうにも生々しすぎて、純粋に物語として楽しめなかったのだと思う。主人公が日本の軍人であるにもかかわらず考え方が若干アウトロー的なところがある(これは佐々木作品に主人公格で登場する日本の軍人に共通するものであるが)ことを強調するためなのかもしれないが、全体的に著者の描き方が若干中国寄りになっているように感じられて仕方がなかったことも影響しているのだらう。
その象徴的な例として、例えば通州事件の発端が日本陸軍が故意に行った空襲であると受け止められる描き方をしていたり、日本陸軍による南京攻略の時に“大虐殺”のようなことがあったと思わせる描き方がされていたり、ということが挙げられる。
前者については、1990年には通州事件が中国側による謀略であったことが明らかになっていたにも関わらず、1998年に単行本が刊行された本書でそのような描き方になっている。また後者については、ニューヨークタイムズ誌の記者ティルマン・ダーディン(実在の人物である)が、“虐殺”の現場を撮影しその写真をアメリカ本国に持ち帰る途中で、協力してくれたデニスらにその写真を見せる、という場面があるのだが、ダーディンが写真を撮ってアメリカに持ち帰ったという事実は見当たらないばかりか、彼は中国共産党のシンパとして日本に不利な記事を書いてアメリカに送っていたという説すらある。そしてそのダーディンですら、日本が南京で大虐殺と呼ぶに値する非道なことをしたという記事は送っていないのである。ワタシのようなシロウトでもすぐに材料を集められるこのようなことを、たとえ8年前であったとはいえ著者ほどの人が調べられなかったとは思えないのである。
というわけで、なんだか佐々木作品を純粋に楽しめなくなりそうな気がしてならない。困ったもんだ。ヽ(`Д´)ノウワァァン!!
犯人さん、復讐です! 辻 真先:徳間文庫:\466:1995年1月15日初刷
2006年4月3日読了
探偵役は味音痴なグルメレポーターの味子こと神保亜子、相棒はカメラマンの空閑三九郎、この恋人同士ではないのに二人っきりで旅をしレポートをするのが仕事のこの二人、行く先々で死体が待っているのはミステリー物の常道。前作『探偵さん、迷宮です!』では能登半島で事件を解決した二人が今回訪ねたのは、福島県の山の中、JR奥羽本線の今は亡きスイッチバック駅として名高かった峠駅である(駅そのものは現在もあるが、山形新幹線ができた時にスイッチバックではなくなってしまった)。峠駅の名物力餅の取材中に知り合った女性が働く山中の一軒宿に泊まってみたら、露天風呂で待っていたのはやっぱり死体だった・・・。
今回も相変わらず意表を突くトリックの数々は健在。もっともラストのトリックにはちょっと無理があるようにも見受けられたが。また前回より人死にの数はかなり少ないので安心して読めた(笑)。ただ、一人だけ役回りがよく判らない登場人物がいたのがちょっと残念。
ちなみに、この峠駅を含めた奥羽本線の4駅連続スイッチバックは、1990年に山形新幹線ができるまでは鉄っちゃんなら知らない人はいない名所であった。決して鉄っちゃんではなかったハズのワタシでさえも、このスイッチバックを体験するためだけにこの区間の鈍行に乗りに行ったくらいである。今となってはそんな悠長な旅はとてもしてられないだらう。カネは無くても(今でもだが。・゚・(ノД`)・゚・。)時間はたっぷりあったあの頃が懐かしく思い出されたものであった。
白き女神を救え クライブ・カッスラー&ポール・ケンプレコス/訳・土屋 晃:新潮文庫:\857:2003年4月1日発行
2006年3月15日読了
『コロンブスの呪縛を解け』に続く“NUMAファイル”第2弾である。今回、カート・オースチン&ホセ・“ジョー”・ザバーラのコンビを待ち受けるのは、世界の淡水を意のままにしようとする巨大企業。北はアラスカの雪原から南はアマゾンのジャングルの奥深くまで、オースチンとザバーラがアメリカ大陸を縦断する大活躍を見せるのである。前作に比べると物語のスケールも大きくなり面白みも増したが、それでもまだカッスラーの本流『ダーク・ピットシリーズ』にはかなわない的。
しかし、考えてみれば本書に書かれている通り淡水は戦略物資の最たるモノであらう。水道事業が完全民営化され、それが外資に乗っ取られたりした場合、その企業の胸先三寸で国家の存亡まで左右されかねないという事態は、確かに考えられないことではない。幸い日本は水に恵まれているためそのような事態は起こりにくいと思うのだが、砂漠の国などでは切実な問題であらう。本書に登場するような画期的な海水淡水化技術が現実になる日が来るといいのだが。(~。~;)
ブタの丸かじり 東海林 さだお:文春文庫:\486:2000年9月1日第1刷
2006年2月11日読了
本書の中身はちょうど羽田空港が沖合移転してターミナルビルが『ビッグバード』として新装オープンした時に重なっている。もちろん我らがショージ君も出掛けている。出掛けていって庶民の味を探索するのである。そうして「外観は近未来だが、内部はラーメンの湯気がいっぱいだ」と喝破してしまうのである。日本人のラーメン好き、ここに極まれり、と思いつつ自らもズルズルとラーメンを食べるのである。そうして、読んでいるこちらとしては、そんな隣のおとーさん的視点がショージ君モノのエッセイを読む時の安心感の素なのだなぁ、と改めて感じ入るのであった。みうらじゅん氏の解説(?)も(・∀・) イイ!
なお、↓の『喰寝呑泄』と読了日が同じですが、これは事情があって平行して読んでいたからです。
喰寝呑泄(くう ねる のむ だす) 椎名 誠:集英社文庫:\563:1996年7月25日第1刷
2006年2月11日読了
本書はサントリーの季刊誌「サントリークォータリー」で1989年3月から1992年12月まで、10回に渡って連載された対談をまとめたものである。今回のお相手はお馴染みのお相手東海林さだお氏が入ってはいるものの、他の方はといえば漫画家の加藤芳郎氏(つい先ごろお亡くなりになりました。合掌)、女優の太地貴和子氏、昆虫蒐集家奥本大三郎氏、格闘家前田日明氏、そしてサントリー会長佐治敬三氏など、今までのお相手とは毛色の違う方ばかり。そしてテーマは本書のタイトル「喰寝呑泄」・・・つまり生物の営みそのものである。しかもほとんどの方と“泄”の話で盛り上がってしまうのだから恐れ入る。さすがシーナとでも言うべきか。そんな対談、ちょっとない(笑)。
裁判官が日本を滅ぼす 門田 隆将:新潮文庫:\590:2005年11月1日発行
2006年1月3日読了
医師、教師、そして裁判官など、我々市井の人たちと直接関わる重要な職業でありながら、一般常識に欠けると思わざるを得ない人がその職に就いているという現実が今の日本にはある。もちろん当たり前の常識を持ち素晴らしい仕事を為していらっしゃる方がほとんどだと思うのだが。しかし残念ながらそれらの職業に就くための養成システムの中には、一般常識を養う課程は含まれておらず、その職業に必要な知識を詰め込まれるだけでそのまま最前線に出てしまうため、時々とんでもないニュースを見聞きすることになるのである。
本書はそんな非常識裁判官によるトンデモ判決の事例を挙げ、裁判所というところがもはや正義を指し示すところではなく、単なる訴訟ゲームの場に過ぎないことを明らかにする。人間的な感情を捨て去った裁判官には法律だけが絶対で、人の世の理が通用しないことを嘆くのだ。そしてなぜそうなってしまうのかを我々に解き明かしてくれるのである。司法の独立を守ろうという気概をなくし、政府要人や公務員などの人権をジャーナリズムから守ろうとするばかりの、時の政権の意向を伺うことしかアタマにない最高裁、また自らが神であるかのように振る舞い、傲慢な態度で一般市民を見下し、出世のために最高裁をトップとする上級審に覆されないような判決を数多く下そうと腐心する下級審の裁判官たち。この現状がかの悪名高き人権擁護法案を産み出したのだと著者は言う。日本の司法の現場を知る一助になる書である。
ところで、昨年福岡地裁と大阪地裁の裁判官により「小泉首相の靖国参拝は違憲である」という暴論もとえ傍論が出されたが、これは明確にサヨク思想であると思われる。しかし本書の中では元裁判官の言葉として次のような記述がある。
私が、福井で勤務している頃(KWAT注:1970年代と思われる)、こんなことがありました。冬の暖房に使う灯油を共同で購入しておくための組合に全員で入ったことがあります。夏の間に買っておくと安いからです。
すると、所長からさっそく事務局長を通じてお達しがあり、“そういう組合に入るのは、裁判官にふさわしくない”というのです。それすら、左翼につながるという。そういうふうにいつも裁判官は目を光らされているんです。
いつから裁判官がサヨク思想を持つことが許されるようになったのだろうか。(~。~;)
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