2007年に読んだ本


のほほん行進曲  のほほん行進曲 東海林 さだお:文春文庫:\448:2002年1月10日第1刷
 2007年12月8日読了

 今回のエッセイ集に収められている「ドッコイショ大研究」は、もっと注目されていい。齢を重ねると行動の端々で口をついて出る「ドッコイショ」という言葉について、ここまで深い考察がいままであっただらうか(あったかもしれない)。「ドッコイショ」発声のメカニズム、使用例、辞書界における扱い、海外における同様の言葉と考察を進め、ついに民謡界における扱いに考察は至る。ここは本研究の白眉といっていい。そしてついに、「日本の歴史は、ドッコイショの歴史だったのである」と解き明かすのだ。日本の言語学研究において、これほどまでに深い洞察をこれほどまでに簡潔な文章で著した例が、かつてあったであらうか(あったかもしれない)。やはりショージ君は偉大である(たぶん)。

オデッセイの脅威を暴け(下) オデッセイの脅威を暴け(上)  オデッセイの脅威を暴け(上)(下) クライブ・カッスラー/訳・中山 善之:新潮文庫:\667(上・下とも):2005年6月1日発行(上・下とも)
 2007年12月7日読了

 いくら研修があって本を読む時間がたくさん取れたからって、↓のシーナマコトのエッセイより早く読み終わるなんてどんだけ〜!的。まぁそれだけダーク・ピットシリーズは面白いということなのである。(*´∀`*)
 第17作になる今回の敵役は、ちうごく資本をバックにした謎の企業。これがまた地球規模の厄災を起こし、その混乱に乗じて自分たちが経済を支配してしまおうという、とんでもない悪巧みをしているのである。でも物語は2006年夏の設定だし、あの場所であれだけの規模であんなことしてたら、きっと Google Earth にバッチリ写っていると思うのだがなぁ(笑)。
 それはともかく、新潮文庫では初めてのダーク・ピットシリーズ「QD弾頭を回収せよ」(原題:Vixen 03)が刊行されたのが1980年。以来ほぼリアルタイムで新潮文庫のダーク・ピットシリーズを読んできたが(リストはこちらを参照)、本作品では前作「マンハッタンを死守せよ」のラストで父親ピットとの再会を果たした双子の兄妹、ダークとサマーが物語の半分を受け持っているのである。そりゃぁ27年も経てばピットも親父になるんだなぁ。ジョルディーノも身体の節々が痛むと嘆くし、ワタシもすっかり歳を取ったモンだと、改めて感じ入ってしまったものであった。(^◇^;)

モンパの木の下で  モンパの木の下で 椎名 誠:文春文庫:\437:1996年12月10日第1刷
 2007年12月1日読了

 解説の沢野ひとし氏(カバーや本文のイラストを描いているヘタウマ(死語)イラストレーターで著者の古くからの友人)によれば、著者はとんでもなくセッカチなのだそうだ。それはこのエッセイの端々からもバシバシと伝わってくる。タイトルにもなっている「モンパの木」とは正しくは全部カタカナで「モンパノキ」と表記し(ちなみに「モンパの木」でググると、ほとんど波照間島唯一のお土産やさんがヒットする(^◇^;))、沖縄の浜辺にはよく自生している植物なのだそうだ。この木の木陰でゴロンと横になりのんびりとビールを飲む、ということに憧れつつも、せっかくその沖縄の島に行ってもセッカチに仕事をこなさなければならないようなセッカチな著者の日常を、セッカチに綴ったエッセイが本書なのである。セッカチな人はセッカチな日常でないと落ち着かないのであらう。自分もそうだからよく判る(笑)。ワタシも南の島に行ってのんびりしたいものよのぉ、と思わないでもないが、なにしろセッカチだからなぁ。_| ̄|○
 ちなみにワタシは、今を去ること21年前に波照間島に行ったことがあるのだが、当時は島にある店は雑貨屋が1軒だけだったんだよなぁ。今は土産屋もあるのか。というより、20年経っても土産屋しかできないのか、というほうが正しいか。で、それはたぶん良いことなのだと思うな。(^o^)

「攘夷」と「護憲」  「攘夷」と「護憲」 幕末が教えてくれた日本人の大欠陥 井沢 元彦:徳間文庫:\571:2005年12月15日初刷
 2007年11月9日読了

 1853年7月、アメリカのペリー提督率いるアメリカ海軍の東インド艦隊、いわゆる“黒船”が浦賀に来航した。それが引き金となって江戸幕府は長年の鎖国政策をやめて開国へと踏みきり、やがて1968年の明治維新へと繋がっていくのである。この間15年、なぜそんなに時間がかかったのか。本書はまず、当時アジアを浸食しつつあった欧米諸国の脅威という現実を見ることなく、机上の空論に拘り問題を先送りすることで日本の開国を遅らせ、そのために諸外国と不利な条約を結ぶことになり明治政府に大変な苦労を与えた「攘夷論」の本質を探っていく。そしてそれが、今の世の中にあって『憲法9条は絶対に守らなくてはならない、これさえ唱えていれば日本は平和なのだ』と頑なまでに信じ込んでいる「護憲論」と実によく似ていると指摘するのである。
 ワタシも正直「護憲論者」には困ったモンだ、と常日頃感じているので、著者の主張にはすんなりと頷くことができた。今の世界情勢で『平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う』(日本国憲法前文より)のであれば、まずは自分の身を自分できちんと守れる国にしなくてはならないだらう。そうでなくては現実に地球上各地で起こっている紛争に対し、我が国は何らの手も打つことができず、それができなければ現実問題として『名誉ある地位を占める』ことなどできるはずがないのだから。

正岡子規殺人句碑  正岡子規殺人句碑 辻 真先:中公文庫:\505:1995年3月18日発行
 2007年10月20日読了

 いくら辻作品が気軽に読めるミステリーだからって、まさか合計で2時間もかからない、新橋までの往復の電車内だけで読み終わるとは思わなかった(笑)。そんなことはともかく、本作の探偵役・朝香響は大新聞社主の妾の子という、かなり屈折した出自であり、そのせいか辻作品の主人公としては珍しく大人しい、というかむしろ暗い性格をしている。その響が尾道で自殺現場に出くわし、死者の実家の松山・道後温泉で正岡子規に傾倒していたその人物が主宰する同人誌を手がかりに、謎めいた“自殺事件”を紐解いていくのである。今回はトリックではなく動機にちょっと無理がないではない感があったものの、著者得意の劇中劇ならぬ作中作もあって、いつものように肩の凝らないミステリーであった。ただ今回は死者数がちょっと多かったかな?(^◇^;)

キューバ(下) キューバ(上)  キューバ(上)(下) スティーブン・クーンツ/訳・北澤和彦:講談社文庫:\914(上)・\895(下):2003年4月15日第1刷発行(上・下とも)
 2007年10月20日読了

 キューバのカストロ議長はここ数年健康悪化で入院生活を送っていると言われているが、健康不安説そのものはもう10年くらい前から出ている。この作品は1999年に書かれたものだが、作中のカストロ議長はすでに死の床にあるのである。一方、アメリカはキューバのグァンタナモ海軍基地に秘密裏に保管してあった生物兵器の弾頭を、隠密のうちに本土に移送しようとするが、その弾頭を積んだ貨物船が1隻行方不明に。カストロ議長の後継者争い、キューバの生物兵器計画、ソ連が残した弾道ミサイル・・・それらがひとつに結びついたとき、アメリカは生物兵器による攻撃の危機に晒されることになったのである。移送を監視していたアメリカ海軍空母艦隊を率いる主人公、ジェイク・グラフトン少将はこの事態を乗り切ることができるのか、戦いの火蓋は切って落とされた−−−。
 最初はゆったりと流れていたかのような時間が(政治的な話が多いので余計にそう感じる)、読み進めるにしたがって加速度を付けていきクライマックスになだれ込んでいく、話の進め方は見事。攻撃機パイロット出身の著者なので空戦シーンはお手の物であるが、本書にはそれほど多くは出てこない。だが戦闘シーンのひとつひとつが画として想像できるくらい整然としているのは、やはり軍人出身なるが故か。またキューバ空軍にひとり骨のある戦闘機パイロットを配したのが、戦闘シーンにいい彩りを添えている(あるいは敵役がバカばっかではさすがに面白くないと思ったか(^◇^;))。
 キューバを舞台にしたフィクションの軍事小説は、ワタシ的には初めて読んだので、物語の背景にあるラテンアメリカ的風景が新鮮でかなり楽しめた。また、些細なことかも知れないが、日本語題名をこの手の小説によくある「ナンタラを撃て!」だの「ドウタラ撃滅計画」だのとせず、原題のままにしたのがワタシ的には好感が持てた。ま、どうでもいいようなことではあるが。(^◇^;)

発作的座談会  発作的座談会 椎名 誠・沢野 ひとし・木村 晋介・目黒 孝二:角川文庫:\660:1996年10月25日初版発行
 2007年9月22日読了

 世知辛いご時世にはこういう肩の凝らない本がいい。もはや40年以上にもなる長い付き合いの4人が集まって、どーでもいい話をあーでもないこーでもないとどーでもよくグダグダ話したのを、これまたどーでもよく編集して1冊の本にしました、というグダグダさが、今の荒んだワタシの心には一服の清涼剤となってくれたのであった(笑)。内容? んなもんあって無きが如しだからどーでもいいのだ。(゚∀゚)

未知の剣  未知の剣 陸軍テストパイロットの戦場 渡辺 洋二:文春文庫:\629:2002年12月10日第1刷
 2007年9月2日読了

 『終戦記念日あたりに戦争の本を読む』企画第2弾は、安心して読める渡辺氏の本にする。東京の郊外、福生飛行場に於いて、日本陸軍が使用する航空機を始めとする航空兵器が実戦に使えるかどうかを見極めるため、腕利きのパイロットが集まってテストを繰り返した陸軍航空審査部飛行実験部。戦闘部隊ではないが時には最先端の戦闘機を駆ってB-29邀撃にも出撃した通称“審査部戦闘隊”、あるいは関東の防空を担当する陸軍第10飛行師団司令部からは“福生飛行隊”と呼ばれた組織の、発足から敗戦による消滅までの物語が本書である。
 組織の性格上、様々な新兵器が登場するのだが、「これがもっと早く実用化されていれば」という思いは当然として、同時に「なぜ我が国ではこれが作れなかったのか」「なぜこれがきちんと運用できなかったのか」という思いにも駆られる。アメリカが当たり前に実用していた機械を我が国はまともに作れないという、彼我の工業力の絶望的な差を見せつけられる思いがするのである。それは、陸軍の最先端の航空機を、最高の技量で整備し最高の技量の操縦者が飛ばす審査部戦闘隊をもってしても、B-29やP-51に対抗するのは容易ではなかったという事実を見せつけられるからであらう。中国大陸で捕獲したP-51Cの整備を任されたキ61(三式戦闘機「飛燕」)整備班の名取大尉は、実機を前にしてすぐに「これは勝てない」と落胆したのだが、読者も同じ思いを抱くのだ。先の戦争でなぜ日本は勝てなかったのか、その理由の一端を知ることができる作品である。
 余談だが、本書を読んでいる時にちょうどアメリカ空軍横田基地のオープンハウスがあった。横田基地はすなわち福生飛行場の今の姿である。炎天下の広大なエプロンを歩いてF-16やC-130や、あるいは日の丸を付けたF-15を眺めながら、62年前まではこの空を「飛燕」や「疾風」や「隼」が舞っていたのだなぁ、と感慨深かったものである。
 さらに余談だが、スイートから発売中の1/144スケールキットに「P-51B/C POW (捕虜) マスタング」という製品がある。枢軸国や中立国に捕獲されたP-51BやP-51Cが再現できるデカールが付属しているのだが、本書に登場した日本陸軍に捕獲されたP-51Cももちろん再現できる。今年の静岡ホビーショーで買ったものが手元にあるので、なんだか作りたくなってきたのであるよ。(^o^)

情報将軍 明石元二郎  情報将軍 明石元二郎 ロシアを倒したスパイ大将の生涯 豊田 穣:光人社NF文庫:\680:1994年9月15日発行
 2007年8月15日読了

 62年前の暑い夏を偲びつつ、今年の『終戦記念日あたりに戦争の本を読む』企画第1弾である。もっとも太平洋戦争ではなく日露戦争の時代であるが。「戦争は戦闘だけではない」というわけで、今回は裏方の仕事を描いた作品を選んでみた。
 本書の主人公・明石元二郎は、明治の日本と一触即発状態にあった帝政ロシアを内部から揺さぶって、日本との戦争どころではなくしてしまおうという目的のもと、ヨーロッパじゅうを駆け回ってロシアに対する抵抗勢力を援助し煽ってまわった帝国陸軍の軍人である。いうなれば日露戦争開戦前からロシアに対する情報戦と神経戦を仕掛けていたわけである。この策動がのちにロシア革命を経てソビエト社会主義共和国連邦の誕生へと繋がり、時のソ連の指導者レーニンをして「日本の明石大佐には感謝状を出したいほどだ」と言わしめたのは知る人ぞ知る話である。しかし後年、太平洋戦争末期に我が国はそのソ連に裏切られるのだから、歴史というものはわからない。
 それはともかく、明治の日本にはすばらしい力量を持った人物が、大事な時に大事なポジションにうまいこといたのだなぁ、と感嘆することしきりである。それなのになぜ、昭和の帝国陸海軍はあれほどに“情報”というものを軽視したのであらうか。この時明石がなしえたものを帝国陸海軍が重視し、もっと情報戦に力を入れていたなら、太平洋戦争の趨勢はかなり異なったものになったに違いない。さらに、これだけの後方攪乱活動をほとんど一人で行えるだけの人物が、平成の我が国にいるだらうか。というより、その重要性を認識している人物がいまの政府内にいるのだらうか、と思うとどうにも情けない思いがするのである。

南の川まで  南の川まで 野田 知佑:新潮文庫:\400:1999年2月1日発行
 2007年8月1日読了

 2年ぶりに野田知佑を読む。梅雨明けの暑さには水面上1mの涼しさが欲しいところである。本書は今までの北米紀行とはうって変わって、ニュージーランドやフィジー、インドネシアというタイトル通り“南の川”紀行がメインである。北米や、イギリス人が作った国であるニュージーランドなどでは颯爽と自然に溶け込む著者だが、やはりアジアの混沌の中ではそうはいかない。インドネシアの川下りは調子が狂いっぱなしでホトホト疲れたようである。紀行の最後が投げやりなところにそれが垣間見えて可笑しい。
 後半のエッセイは、いつものごとく“日本の河川行政との闘いの日々”を綴ったといってもいいような具合である。まぁ確かに長良川河口堰だの諫早湾干拓(本書とは関係ないが)だの、一度走り出すと滅多なことでは止まらない日本の開発行政には困ったちゃんな面が目に付く(だから島根県の中海干拓・淡水化事業が中止になったのは画期的なことなのだ)。ただ立場を変えて見れば、源流から河口までの距離が短く、急峻な山を一気に駆け下りて海に注ぐような地勢が多い我が国の川には、ある程度の治水事業が必要なこともまた事実。それに事業者側から見れば『たまに来て遊んでるだけのヤツに言われたくはない』という意見もまたあるわけで、ここに我が国の自然保護に関わる市民運動の難しさがあるのだらう。たぶん、守るべき自然を有する自治体やそこの住民に、「カネはないけど心が豊かならいいじゃないか」という価値観を持たせない限り、自然保護運動というのはうまく回らないと愚考するのである。どんな山奥でもテレビが映り、マスコミが拝金主義を煽る今の世の中でそれができるか、といったらすんごく難しいだらうな、とも思うのだが。(~。~;)

平安鎌倉史紀行  平安鎌倉史紀行 宮脇 俊三:講談社文庫:\657:1997年12月15日第1刷発行
 2007年7月17日読了

 本書は、著者が「小説現代」誌1990年6月号から1994年10月号にかけて連載したものを纏めたもので、『古代史紀行』(講談社文庫)に続く「日本通史の旅」の2冊目となるものである。日本史なんてものは、教室の机に座って授業を受けつつ教科書と睨めっこしているだけでは、ちっとも頭に入ってこないのは皆さんご承知の通り(笑)。ところが実際にその歴史が刻まれた現場を訪ねて歩く(読者はその筆者について歩いているわけだが)と、にわかに歴史が臨場感を持って迫ってくる。日本各地に「誰それが某かを為した地」みたいなのは数多あるが、それを時系列に繋げて順に訪ねることの意義深さと楽しさを教えてくれる本である。
 本書は鎌倉時代を網羅しているので、関東地方のあちこちの地名が出てくるのだが、その中でもウチから一番近い分倍河原(いまの府中市)の古戦場がどういう意味を持っているのか、ワタシはようやくきちんと判ったような気がするのであった。そんなことが今さらながら判るというのは、いかに若かりし頃に日本史の授業を真面目に受けていなかったか、ということでもあるのだが。(^◇^;)

ダンゴの丸かじり  ダンゴの丸かじり 東海林 さだお:文春文庫:\467:2001年9月10日第1刷
 2007年6月16日読了

 ワタシのイチゴショートの食べ方。まずいちばんとんがっている部分をフォークでひと口分裁ち落とす。続いてもうひと口。今度は逆に、一番広いほうの角をひと口分裁ち落とす。次は逆の角。そうやってすこしづつ、中央に載っているイチゴに近づいていく。終いには、イチゴの前後は断崖絶壁になってしまう。こうなって初めて、イチゴをフォークで突き刺して食べるのである。この時、いかにこの“イチゴが載った幅の狭い崖”を倒さないで食べるか、そこに腐心するわけである。
 なんでこんなことを事細かに書いたかというと、本書に納められた「イチゴのショートケーキ」という一編は、まさにこの順番でショートケーキを食するという行為を、実に表情豊かに、生き生きと書いているのである。その「食べる順番が同じ」という部分で、まさに自分が食べているかのような気にさせられるのである。いや参った。どうもワタシはショージくんに生暖かく見守られているらしい。(゚∀゚)

遠ざかる祖国(下) 遠ざかる祖国(上)  遠ざかる祖国(上)(下) 逢坂 剛:講談社文庫:\667(上)、\695(下):2005年7月15日第1刷(上・下とも)
 2007年6月5日読了

 スペインを舞台に活動する日本人スパイ・北都昭平を主人公にした三部作の2作目である。時は太平洋戦争開戦直前、第二次大戦を闘うヨーロッパの複雑な情勢に翻弄されながら、次第に日本が戦争へと近づいていくのをなんとか食い止めようと奔走する北都。しかし、あまりにも祖国日本はスペインから遠すぎるのだった。そして前作「イベリアの雷鳴」のラストで“妻”を亡くした北都と、やがて敵国となるイギリスの秘密情報部員ヴァージニアとの恋の行方は。決して展開が早いわけではないのだが、著者の語りの上手さにぐいぐい引き込まれて一気に読んでしまった。
 ところで、1941年8月14日に「大西洋憲章」という英米共同宣言が発表されている。これはこの作品が描いている時期に発表されたものなので、登場人物たちもこれに言及している。これに対する北都の意見や、白人優位主義者のスコットランド・ヤードの警部補を北都と議論させているあたり、著者の太平洋戦争に対する見方はワタシと共通しているように思われる。こういう作品は安心して読めるのである(笑)。

日本プラモデル興亡史  日本プラモデル興亡史 子供たちの昭和史 井田 博:文春文庫:\590:2006年5月10日第1刷
 2007年5月26日読了

 著者は日本でプラモデルが誕生する前の木製飛行機模型の時代から、北九州・小倉で模型店を営み、後にモデラーなら知らぬ者はない模型雑誌「モデルアート」を創刊、全国規模の模型コンテストの先駆けとなる「プラプレーンコンテスト」を主催するなど、日本のプラモデルを語る上でなくてはならない人物である。残念ながらちょうど1年前の2006年5月13日に鬼籍に入られたが、本書はその著者が語る戦前から戦後、そして現在までの日本の模型シーンの移り変わりと模型メーカーの栄枯盛衰史である。
 先に「田宮模型の仕事」「マルサン−ブルマァクの仕事」という、模型やおもちゃに関する本を読んできたが、それらメーカーの側からの視点から書かれた本とは違い、本書は一貫して小売店やユーザーの立場で書かれているのが最大の特徴である。なので書かれている内容のあちこちに共感や懐かしさを感じつつ一気に読んでしまった。モデラーであれば一度は読んでおいて損はない、というか読んでおいたほうがより楽しみが増すのではないかと思う。お薦めである。
 ちなみに、読み始めた時にちょうど静岡ホビーショーに行っていたというのも何かの巡り合わせだらうか(んなこたぁない、合わせたんだろが>σ(^◇^;))。場所が場所なだけに余計に面白く読めたことよ。(^o^)

機長の決断  機長の決断 P.ヴェプファ&U.v.シュルーダー/訳・中村 昭彦:講談社+α文庫:\854:1994年6月20日第1刷発行
 2007年5月17日読了

 本書は現役(執筆当時)のスイス航空パイロットが、その仕事の一部始終をコクピットから案内してくれる。読者はある年の冬のある日、チューリッヒ(スイス)発テサロニキ(ギリシャ)行、スイス航空308便のマクダネル・ダグラスDC-9-51型機を運行すべく、出発前のチューリッヒ空港での準備から、飛行機に乗り込んで空港を後にし、ギリシャまでのフライトをこなしてテサロニキ空港に着陸するまでをスイス航空の機長と供に体験するのである。
 普段我々が乗客として乗っている旅客機を安全・確実に飛ばすために、機長と副操縦士がなさねばならない仕事の多さにまず驚かされる。そしてその多くは刻々と変化するその場の状況に応じて、臨機応変に対応しなければならない事柄であることも。そして何より旅客機パイロットの両肩には、何百人という乗客の生命が乗っかっているのである。飛行機マニアの端くれであるワタシは、もちろんこういった事は知ってはいたのだが、こうして当事者が書いた物を読むと、機長という職業の責任の重さには改めて頭が下がる思いがするのである。

犯人  犯人 −存在の耐えられない滑稽さ 辻 真先:創元推理文庫:\515:1995年3月17日初版
 2007年4月7日読了

 これぞ辻ミステリーの真骨頂とでもいうべき作品。密室殺人、部屋に残る不可解な小道具、劇中劇ならぬ作中作品、そして意外な真犯人。新宿ゴールデン街のスナック「蟻巣」に集う辻ワールドの登場人物たちが額を寄せ合い、その謎をどうにかこうにか解いた時には、すでに犯人は・・・。
 トリックに例によって無理矢理感は否めないものの、最後になって絡み合った糸がするすると解ける感覚はさすが辻作品といったところか。肩の凝らないミステリーとはこういう作品のことを言うのだらう。ちなみに、読み終わると表紙のイラストにも意味があることが判ったりもして。(^◇^;)

フレイムアウト  フレイムアウト第14空母戦闘群(4) キース・ダグラス/訳・栗山 洋児:光人社NF文庫:\857:1999年7月18日発行
 2007年3月31日読了

 “第14空母戦闘群”シリーズ4作目。これまでの3作で太平洋からインド洋に渡る海域で戦ってきた、アメリカ海軍空母ジェファーソンを中心とする第14空母戦闘群。前3作からかなりの時間が経過した今作では大西洋艦隊に配置換えになったようで、北大西洋海域でソ連(ロシアではない!)の海軍航空隊と渡り合うのである。何しろこの物語の世界では、復活したソビエト連邦が強大国の威信復活を賭けてノルウェーに侵攻するのである。紛争に巻き込まれるのを恐れるヨーロッパ諸国は中立を決め込み、民主党のアメリカ大統領は海外での軍事力行使に慎重になるあまり手をこまねいているその隙をついて、ソ連はノルウェー占領まであと一歩というところまで迫っている。たまたまその紛争地域の一番近くにいた第14空母戦闘群は、援軍を期待できない状況のままでソ連の空母航空隊や原潜と立ち向かわなければならないのであった。
 今作では、主人公マシュー・“トゥームストーン”・マグルーダー中佐(今作から昇進している)は、冒頭で成り行き上何の心構えもなしにいきなりCAG(空母航空団司令)の職務を遂行することになってしまう。飛行隊長として飛行隊の先頭に立ってブンブン飛んでいればよかったこれまでと違い、自分の指揮如何で数百人の生命を左右するCAGという立場に苦悩するのである。とはいえ、そういう話の筋にするのであれば、もうちょっとそこらへんを掘り下げて描写しても良かったのではないかな〜、と感じた。もっともその分派手な戦闘シーンが削られたら、それはそれで面白くはないのであるが。
 それはそうと、敵役には間抜けな上官が必ずひとりは必要なようである。そうでないと話がうまく進まないからなんだろな。(^◇^;)

面白南極料理人 笑う食卓  面白南極料理人 笑う食卓 西村 淳:新潮文庫:\400:2006年6月1日発行
 2007年3月16日読了

 海上保安官であり料理人でもある著者の、南極での料理の日常を綴った前作「面白南極料理人」の続編、というか“南極レシピ本”とでもいうべきか。『食材は全部冷凍・乾燥・缶詰食品で、お湯は八五℃で沸騰し、補給は絶対不可能の環境』(本書「まえがきと謝辞」より)で、隊員たちを飽きさせない料理を毎日作るには創意工夫が欠かせない。雪上車内の限られた調理器具で作るパチモンチャーハン「中華ピラフ」、シューマイを作ろうとしたが具を皮で包む時間がなく、仕方なしに皮の代わりに片栗粉で包んだ皮なしシューマイ「楊貴妃の涙」(命名・デーモン小暮閣下)、大量に余っていた伊勢エビ(新鮮な水産物はオーストラリアで調達するのだが、そこではロブスターは安いので調達係がつい買いすぎたのだ)のデカさに気圧されて、隊員たちの食が進まないため苦肉の策として編み出した「伊勢エビのすり身団子」(それにしても『松雪泰子を山田花子に蹴落としたようなレシピ』とは言い得て妙だ(^◇^;))など、日本にいては考えつかないか、思いついても実際にやろうとは思わないような料理であらう。本書ではそれら「南極料理」のレシピも付いているので、心得のある人は実際に作って味わうことができるのもウレシイ。

空白の五秒間 羽田沖日航機墜落事故  空白の五秒間 羽田沖日航機墜落事故 三輪 和雄:新風舎文庫:\690:2004年3月5日初版第一刷発行
 2007年2月24日読了

 1982年2月9日に発生した羽田沖日航機墜落事故(「日本航空350便墜落事故」、ちなみにその前夜にはホテルニュージャパン火災事件が起きている)は、事故調査の結果機長の不可解な操縦操作により墜落したことが判明した(その過程で明らかになった「逆噴射」や「機長やめてください」という言葉は、その年の流行語にもなってしまった)。本書は脳神経外科医である著者が、統合失調症(当時は精神分裂病と呼ばれていた)に罹っていたという機長の、その心の病の発病から墜落事故に至るまでの経緯を追ったノンフィクションである。本書の圧巻は247ページからの、墜落直前のコクピット内の再現シーンであらう。
 精神病は医者に行って検査をすれば診断できる、という病ではないため、その見極めが難しいのは周知の通り。それゆえ周囲の人が当人の行動を注意深く見守り、行動の一切を医者に伝えることが大切である。しかし鬱病や神経症と違い、統合失調症は本人が病気である自覚がないため、なかなかそういう体勢が取れない。著者は専門家であるがゆえ、事故に至る経緯を追う中で『あの時あのようにしていれば』という思いが文中の至る所から感じ取れる。事故のあと、当事者の日本航空を初めとする航空会社各社は、パイロットの健康管理体制を強化したが、精神異常を捉えることはやはりまだ難しく、また人権意識が強くなった現在では精神異常が発覚したからといってその者をすんなり辞めさせるわけにもいかない。果たして乗客の安全はどうやったら守られるのか、未だ効果的な方策はないのであらうか。

自走式漂流記1944-1996  自走式漂流記 1944〜1996 椎名 誠:新潮文庫:\951:1996年9月1日発行
 2007年2月13日読了

 エッセイスト、小説家、映画監督、写真家、探検隊隊長(アタマに「怪しい」が付くが)など様々な顔を持つ著者。「椎名誠はいかにしてシーナマコトになったか」、本書はその足跡を自ら辿っていく自伝的エッセイである。小学生の時から壁新聞の編集長を務め、番長として幕張にその名を轟かせた中学時代を経て(なお本書ではこの頃のことはほとんど触れられていない)高校時代に文学と映画撮影に目覚める。今でも親友のイラストレーター・沢野ひとしや弁護士・木村晋介と出会うのもこの頃である。つまり、現在のシーナマコトの原型はすでにこの頃には形作られていたのだ。“三つ子の魂百まで”ではないが、子どもの頃の情熱を今に至るまで持ち続け、走り続けることができるというのは並大抵ではない。その迸るエネルギーの一端にでも触れようと、せめて文庫化された作品だけでも読もうと出版されると片っ端から買うのだが、なにしろ数が多いのでなかなか追いつけない。困ったモンだ。/(・.・)\

ロマノフの幻を追え(下) ロマノフの幻を追え(上)  ロマノフの幻を追え(上)(下) クライブ・カッスラー&ポール・ケンプレコス/訳・土屋 晃:新潮文庫:\629(上・下とも):2004年8月1日発行(上・下とも)
 2007年1月20日読了

 “NUMAファイル”第3弾の敵役は、帝政ロシアのロマノフ王朝の末裔を名乗るロシア人である。一昔前の冒険小説なら“敵はロシア人”というのは定番であったもんだが(笑)。我らがカート・オースチン&ホセ・“ジョー”・ザバーラのコンビは今回、かつてオースチンと渡り合ったロシア人の仇敵“イワン”ペトロフと組み、アメリカを弱体化させロシア帝国の再興を図るこの敵と、地中海東部と黒海、そして北米東海岸全域に渡る舞台で立ち向かうのである。
 第3作ともなると分量も増えて上下二分冊となったのはいいのだが、どうも最後が駆け足になったような気がしてならない。クライマックスシーンがなんとはなしに物足りないのである。てことで、次回作に期待。(^◇^;)