2009年に読んだ本
あっ!と驚く 世界「国境」の謎 島崎 晋:PHP文庫:\619:2009年7月17日第1版第1刷
2009年12月15日読了
国境とはその国の歴史そのものである。また、その国が置かれた地理的環境や、その国民の「国」というものに対する考え方を写す鏡でもある。一種の「雑学本」である本書だが、けっこう奥は深いのである。
こうやって様々な「国境」についての話を聞くにつけ、我が国が千年以上に渡って独立を保ってこられたのは、簡単に歩いて渡ることが出来ない海の上に「国境」がある島国であったからなのだなぁ、と思うのである。と同時に、我が国にも厳然として存在する領土問題について国民の関心が薄いのも、やはり「国境」というものが肌で感じ取れないからなのだなぁ、とも思うのであった。
ソ連帝国再建 トム・クランシーのオプ・センター トム・クランシー&スティーブ・ピチェニック/訳・伏見 威蕃:新潮文庫:\857:2000年8月1日発行 【カバーイラスト:佐竹政夫】
2009年11月21日読了
「オプ・センター」シリーズ第2弾の舞台はロシア。政府の中で大統領を情報から遮断することである種の“無血クーデター”を起こし、ソビエト連邦の再興を図ろうとする内務大臣。資金調達のために手を組んだマフィアが中米から日本経由で大量の軍資金を運び込もうとするも、飛行機の不調でウラジオストックから鉄道輸送を余儀なくされる。その現金輸送列車を巡る我らがストライカー・チームとロシア側諜報機関との手に汗握る攻防、というのがおおまかなストーリー。
これくらいの内容だと、トム・クランシー単独なら3分冊くらいの分量になったのではあるまいか(笑)。本書ではアメリカ政府とロシア政府との政治的なやりとりとか、クーデターのためにロシア軍を通す羽目になったウクライナやポーランドの動きについてはほとんど触れられておらず、現金輸送列車を巡るやりとりが内容のほとんどを占めている。だから読者はドンパチに集中できるともいえるが、一方で物語としては広がりに欠ける嫌いがあって、このへんは好き嫌いが分かれるような気がする。ワタシとしては、もうちょっと政治的な駆け引きを見せて欲しかったと思う。
とはいえ、決して面白くないわけではなく、クライマックスでストライカーチームが暴走機関車から脱出するシーンなどは、瞬きする間も許さないくらいの迫力で一気に読ませてくれる。次回作(欧米掃滅)は上下巻に分かれているので、物語により深みが増していることを期待しやう。(^o^)
タケノコの丸かじり 東海林 さだお:文春文庫:\467:2002年11月10日第1刷
2009年9月22日読了
この本をハワイ旅行に持っていったのは果たして正しかったのかどうか。日本食には困らないホノルルではあるが、やはりそこは余所の国。ハワイで食べる「日本食」と、この本に登場する「日本の食べ物」とでは、なんとはなしに似て非なるモノのような気がする。この感覚はどこからくるのであらうか。やはり「ハワイは日本ではない」からなのだらう。←当たり前だ
そういう場所でこの本を読むと、「日本の食べ物」はやはり日本にいないと食べられないのだなぁ、という思いを新たにするのである。ハワイ旅行など珍しくもないとはいえ、海外旅行はいろいろ気付かせてくれるものなのであった。←本の内容にはあまり関係ないような気がする
海軍軍令部 豊田 穣:講談社文庫:\738:1993年12月15日第1刷発行
2009年9月16日読了
『緊張の夏、日本の夏・戦記物フェア2009』参加作品第2弾(笑)。本書は帝國海軍少尉だった著者が帝國海軍誕生から消滅までを、海軍軍令部という中枢部にスポットを当てて描いた作品である。著者自身があとがきで書いているが、極めて機密性の高かった部署であったがために資料が少なく、また海軍の上層部であるためもともと所属していた人物の年齢が高く、聞き取り取材をしようにも物故されている人が多くて満足な取材もできない中で、作品をまとめるのに苦労したようである。そのせいかどうしても「表面をなぞっているだけ」な感じが否めず、半分の分量を占める太平洋戦争の話でさえも戦史を追っているだけの部分が多いように思えてしまうのであった。もっとも、軍令部の動きだけを追っていたら政治的な話に終始してしまい、物語として極めてつまらないモノになったかもしれないから、これはこれでいいのだらう。
「失敗は成功の元」というが、それは逆もまた真なりなのである。艦隊同士の砲撃戦であった日本海海戦があまりに完璧な勝利であったがために、夢よもう一度とばかりに大艦巨砲主義に凝り固まり、航空機による攻撃の前には如何なる水上艦艇も太刀打ちできないことを自らの海軍が立証したにも関わらず、時代の移り変わりについていけなかった軍令部内部の意識が、敗戦を防げなかった大きな要因のひとつであったことは間違いないところであらう。また、日本海海戦時における山本権兵衛のような、全体を見渡せる大局観を持った人物が、政治家や軍上層部にいなかったことも不運であった。
必要な時に必要とされる資質を持った人物が必要なところにいるか否かで、国家の命運は大きく変わるのだということを、いままさに我々は体験しているところだけに、数年先の我が国の運命を想像するに決して明るい気分にはなれないのであった。(~。~;)
本日順風 野田 知佑:文春文庫:\495:2000年12月10日第1刷
2009年8月13日読了
今年の夏はどうも冷夏っぽい。でも夏だからそれなりに暑い。よって水に関係する本を読む。本書は文字通りの“自由人”、カヌーイスト野田知佑による人生相談である。老若男女さまざまな相談に、著者は時に親身になり、時に突き放し、真面目に答えたかと思えば茶化して終わる。それはすべて己の信念である「自分のことは自分で決める」という立場から考えて答えているからだ。若かりし頃サイクルツーリングでアウトドアスポーツの端っこを齧っていたワタシ的にも、共感できるトコロが多々あって読んでいて気分がいい。みんな、もっと自分のアタマで考えて、自分のチカラで行動しようよ。
北欧空戦史 中山 雅洋:学研M文庫:\750:2007年11月27日初版発行
2009年8月3日読了
『緊張の夏、日本の夏・戦記物フェア2009』参加作品(笑)。北欧の小国、フィンランドは第二次大戦時は枢軸国側について戦った。それは成り行き上そうなってしまった、としか言いようがないのであるが、大事なのはその戦いは文字通り「国を護る戦い」であったということだ。押し寄せる膨大なソ連軍に対峙するにはあまりにも小さかったフィンランド空軍は、それでも祖国の誇りを賭けて全力で戦い、そしてバルト三国のようにソ連に併合される屈辱から祖国を守りきったのだった。悲壮であるが痛快な物語である。
覇権主義で押してくる大国に対抗して祖国を守り通すには、やっぱ軍事力が不可欠だよねー、ということを再認識させられる本なのだった。かつては押す側だった我が国も、今や押される側である、ということを国民全体でもっと認識したほうがいいと思うのだが。
空の中 有川 浩:角川文庫:\705:2008年6月25日初版発行
2009年7月25日読了
読みながら「ラノベだよな、これ」と思っていたのだが、あとがきで著者自身が『私が「大人のライトノベル」がほしかった大人なので』と書かれているのを読んで納得。そういう意図ならこれは“有り”だ。
本書の主人公、といっても主人公格の人物は4人くらいいるのだが、そのひとり春名高巳は、ちょっと人物ができすぎてないか? というくらいカコイイ。それは容姿のことではなく(容姿に関する描写はないし)、彼が話すセリフを初めとする人物描写ができすぎなのだ。また、他の登場人物もその性格がいちいち判りやすい。読んでいて始終感じていた『居心地の悪さ』というか『ムズムズ感』というか、とにかくそういう感覚は多分その辺に起因するのだらう。
そこら辺はワタシの感覚と少し合わないが、物語自体は面白く、ファーストコンタクトもののSF(決してヒコーキ物の話ではない(笑))として気軽に読める、いい作品である。
徳川家康歴史紀行5000キロ 宮脇 俊三:講談社文庫:\400:1998年4月15日第1刷発行
2009年6月24日読了
本書は江戸幕府を開いた徳川家康の足跡を辿る歴史紀行である。しかし「レールウェイ・ライター」の先駆けとなった著者のことであるからして、目的地までの旅程をどう組むか、それが著者にとって楽しいか否か、それもまた目的のひとつとなるのである。国鉄(当時)、私鉄、高速バスなどを駆使して家康ゆかりの地を訪ね歩くのであるが、ご存じの通り家康ゆかりの地は東海道沿線が多いので、旅行好きな著者は「もうちょっと遠くへ行きたい」と思ってしまうのである。なので家康を経済面で支えた大久保長安ゆかりの地である石見銀山を訪ねるため、寝台特急「出雲1号」に乗る場面では、著者の“ウキウキ感”が文面からにじみ出ているのがなんとも可笑しい。
本書は大元となった単行本が写真を使った紀行文であったため、文庫化された本書でも写真が随所に使われている。だがなにしろその単行本の刊行が1983年なので、写っている風景、特に乗り物がワタシには懐かしいものばかり。なにより「JR」ではなく「国鉄」である。四半世紀前の風景が懐かしく感じられるのは、やはり歳を取った証拠なんだらうなぁ・・・。(´ー`)フウッ
なお、徳川家康の一代記(フィクションです念のため)は↓が面白くてタメになります。(*´∀`*)
あんそく やる夫が徳川家康になるようです ダイジェスト
お世継ぎ 世界の王室・日本の皇室 八幡 和郎:文春文庫:\590:2007年12月10日第1刷
2009年6月16日読了
イギリス始め欧州各国の王室は我が国でもよく知られるところであるが、もちろん中東や東南アジアなどにもそれぞれに特徴のある王室が存在する。本書の前半は、そのような世界各国の王室事情の紹介と、今は亡き王家や皇帝たちの物語である。
後半は我が国の皇室についてである。いまや文字通りの“ラストエンペラー”すなわち「地上最後の皇帝」である我らが天皇陛下。「皇帝」とは「王の中の王」、王の上に立つ者の称号である。欧州の王室が如何に権威あろうとも、本来なら彼らは我らが天皇の前には平伏さねばならない存在なのである。また、日本の天皇家は「皇室」であって「王室」ではない。よってテレビなどが「ロイヤルファミリー」と称するのは間違いどころか失礼ですらあるのだ。
遅く見ても4世紀から千六百年以上もの永きに渡って、連続性が保たれてきた日本の皇室。その長さと連続性故に世界から一目置かれている我が国の皇室の、その血脈が断ち切られるかもしれない重大な出来事が起きたのは4年前。まだ記憶に新しい、小泉内閣の時の「皇室典範に関する有識者会議報告」と、それを下敷きにした皇室典範改正への強引な動きである。幸いこの時は奇蹟のように秋篠宮紀子様のご懐妊が報じられ、その後2005年9月の悠仁親王のご誕生により、この問題はとりあえず沙汰止みとなった。しかし相変わらず皇位継承が危うい状態であることには変わりはなく、著者はこの状態を打開すべくいくつかの提案を行っている。
千六百年の伝統を、我々の世代でロクに議論もせずに断ち切ることが、本当に許されていいものなのか。「女系」と「女帝」の区別もつかない人たちには(そしてマスコミ関係者にも)、ぜひ一読していただきたい本である。そして「女系」を認めることが如何に大変な結果を招きかねないことなのか、よく考えていただきたいものである。
椎名誠写真館 椎名 誠:朝日文庫:\740:1995年12月1日第1刷発行
2009年5月30日読了
椎名誠は「写真家崩れの小説家」である。写真家になりたかったのに、気が付くと文章で勝負する物書きになっていたらしい。著者の場合、小説なり映画なりの発想はまず静止画のイメージ、すなわち「写真」からくるという。読者としてはそのイメージそのものを見てみたいと思う。特に、奇妙奇天烈な固有名詞を駆使して描かれるそのSF世界は、さぞかし混沌としているのであらう。
本書に掲載されている数多の写真は人物写真が多い。子供たちの笑顔は実に天真爛漫だが、その瞬間をきっちりと捉えることは簡単ではない。“写真家崩れ”と称する著者であるが、実は単に写真で食っていないというだけで、写真家の才能もきっちりと持っているのだ。
現代史の争点 秦 郁彦:文春文庫:\514:2001年8月10日第1刷
2009年5月21日読了
本書に取り上げられた現代史のトピック−南京事件、慰安婦問題、教科書問題、太平洋戦争についての歴史認識、そして歴史問題を調べる際に大切な役所の情報公開−について、著者による各論文が書かれたのはおおむね1997年から1998年にかけてである。しかしこれら諸問題、特に歴史に関するものは今なお論争が続いており、ものによっては10年前より状況が悪化しているものさえある。歴史の事実はひとつだけなのに、なぜこうなってしまうのか。
歴史問題を複雑にするいちばんの要因は、政治的思惑やイデオロギーが絡むことではないか。何に何がどう絡んでいるのかは各人で判断されたいが、著者がいう『歴史をダシにして、手段をえらばず論敵や中間派を叩き、政府を困らせることで快を叫ぶ「愉快犯」や「快楽犯」』は、いまや右左関係無しに存在することだけは確かである。
歴史問題、特に現代史を考える時には、歴史の事実を“公平な視点”からあるがままに受け入れて評価し、その功績や反省点を次代に伝えていくことが大事なのだと思う。しかしよほど注意してかからないと“公平な視点”というものは持ち得ないだらう。こういう問題を論ずる際には自戒したいものである。
ニッポン人はホントに「世界の嫌われ者」なのか? 柳沢 有紀夫:新潮文庫:\400:2009年2月1日発行
2009年4月18日読了
マスコミにとって「当たり前のこと」はニュースにならないが、「珍しいこと」はニュースになる。つまりマスコミが報道することは「珍しいこと」である、ともいえる。海外において日本が、日本人がニュースになる場合、たいていはマイナスイメージの出来事なのだが、それはそれが「珍しいこと」だからだ、と考えればなんということはない。
本書はオーストラリアに暮らす著者が、海外ではいかに日本が好かれているかを実体験をもとに綴っていく。一般の人は日本を嫌うどころか、むしろ憧れをもっているくらいなのだ、と著者はいう。日本人の「過剰反応」と「自虐的解釈」を戒め、ニッポン人よ自信を持て、そして自尊心を高めるのだ、と説くのである。
また、第6章では中国と韓国の政府及びマスコミが「日本人は世界の嫌われ者」説を率先して流し、アメリカ政府は「日本は世界の変人」と言い立ててきた、とする(ここで“政府”“マスコミ”とわざわざ付けたのは、著者が『しかし国民レベルで見ればそんなことはないよ』と書いているから)。それはまさにその通りである。ついでに言えば、「日本人は世界の嫌われ者」説を率先して流してきたのは他でもない、日本のマスコミである、という点にも触れてくれたならもっと良かったのだが(笑)。それはともかく、それらの国のご機嫌を取ろうと右往左往してきたのがこれまでの日本なのだ。だがしかし、もうそんなふうに他国の思惑にいちいち合わせるだけでは能がない。世界の中で、日本はもっと自信を持って事に臨もうではないか。そして今ほどそういう態度で国際社会に向き合うことが求められる時はないのだ。
というような気分にさせてくれる、なかなかにいい内容であったのだが、文庫本に付き物の「解説」がなかなか香ばしくて後味が悪いことこの上ない(爆)。解説を書いた韓国人のコンヨンソク・一橋大学準教授は、日本在住の外国人としてニューズウィーク日本版にコラムを書いていたこともあった知日派であるのだが、第6章についてはガマンならずに「日本の右派のステレオタイプを鵜呑みにしてしまった」と断じている。ワタシからみればコン教授こそ「韓国人の立場や考え方」というステレオタイプから見ていないか? と思うのだが、どんなもんだろうか。
スーパー・ウェポンの逆襲 チャールズ・ライアン/訳・伏見 威蕃:二見文庫ザ・ミステリ・コレクション:\728:1993年5月25日初版発行
2009年4月8日読了
AI(人工知能)で制御された兵器がなんらかの外的要因で暴走する、というのは2005年の映画「ステルス」でもモチーフとなったが、なまじ高性能なだけに人間が制御できなくなると始末に負えない。ましてやソレが、世界を破滅に追い込めるくらいのトンでもない破壊兵器であったなら・・・。
本書はまだソ連が健在だった1990年に書かれたものなので、鉄のカーテンの向こう側で『悪の帝國』ソ連はそんなトンでもないステルス攻撃機“サブリャー”(=サーベル)を極秘裏に開発していたのである。それが最初のテスト飛行でいきなり暴走、フランスが核融合実験プラントを設置しているタヒチ島(フランス領ポリネシア)近くに不時着してしまう。不時着の衝撃でも壊れなかったAIが「自らに敵対するもの」と認識した周囲の物体を、低温核融合を利用する超強力なビーム砲でことごとく破壊し始める“サブリャー”を巡り、緊急展開した米ソ仏海軍の緊張が高まる中、たまたまそこにいた(冒険小説ではありがちな設定(^◇^;))アメリカの海洋学者ボナーの活躍や如何に・・・。
という物語なのであるが、なにしろ主役のウェポンが架空なのでイメージが沸かずどうもピンとこない。著者はパイロットではあっても軍人出身ではないせいか、航空機に関する描写もいまひとつ(もっともYak-38がアフターバーナーを装備していたり、空母コーラル・シーにF-14Aが搭載されていたり、Yak-38とF-14Aが空戦で互角に戦ったり、などというのは一般の読者にとっては些細なことなんだらうなきっと(^◇^;))。クライマックスの前段階としてフランスの核融合プラントが爆発するシーンなど、専門用語というかよくわからない用語が頻発して「ああ、そういうものなんだね」と思わないと先に進めないのもなんだかなー的。まぁそんなわけで、決して面白くないわけではないのだが、イマイチのめり込めなかったのが残念。
ビールうぐうぐ対談 東海林 さだお・椎名 誠:文春文庫:\429:2002年7月10日第1刷
2009年3月21日読了
料亭では缶ビールの立場はないらしい。中身は同じなのに不公平ではないか。といった他愛のない、てゆーかどーでもいいような対談を、ビール片手にウダウダと繰り広げるのが本書である。とはいえ会話を重ねれば真実が見えてくることもあるわけで、「ミミズは世界最大のウンコ垂れ(椎名)」「ハゲは死に値する(東海林)」「贅沢してるとバカになる(椎名)」「やっぱり服装が精神をすごい変えるよね(東海林)」など、そのまま格言として子々孫々語り継いでいきたいような言葉が所々で出てくるのだ。所々で、だが(笑)。対談形式の本はあまり好きではないが、この二人の対談はやはりいつ読んでも面白い。(^o^)
韓国軍北侵(上)(下) デイル・ブラウン/訳・伏見 威蕃:二見文庫ザ・ミステリ・コレクション:\733(上・下とも):2001年6月25日初版発行(上・下とも)
2009年3月14日読了
未だ冷戦構造が続く東アジアにおいて、その最前線ともいえるのが朝鮮半島であらう。何しろ形式上はまだ朝鮮戦争が終わっていない。本書では、その朝鮮半島が韓国によって“ほとんど血を流さずに”(とはいえ北朝鮮からの核ミサイルなどで10万人程度の韓国人が死んだようだが)統一されてしまうのだ。日本に対してグダグダいう国がひとつ減るのは実に喜ばしいことではあるが、前作『台湾侵攻』で左派政権となった日本は在日米軍をほとんど追い出し、自衛隊を国軍化しロシア製の戦闘機を装備するような国になってしまっているので、永井和美首相を始めとする日本政府首脳や日本国民が韓国をどう思っているのかはよくわからない(笑)。
それはともかく、統一のどさくさで核兵器を手に入れた“統一コリア”は次第に暴走を始め(まさに「基地外に刃物」(^◇^;))、中国との全面戦争の危機が迫る。『台湾侵攻』の中で極東アジアに対するプレゼンスを失ったアメリカに残された対抗手段はただひとつ、母体をB-52からB-1に変えて復活した“EB-1Cメガフォートレス空中艦隊”のみ・・・。
物語のほとんどが朝鮮半島統一のゴタゴタとEB-1C飛行隊誕生の経緯を描くことに割かれていて、肝心のEB-1Cが活躍するのが物語の終盤になってからなので、その点では不満がないではない。しかし逆に、EB-1C搭乗員として白羽の矢を立てられるネバダ州兵空軍B-1B飛行隊(ちなみに飛行隊長は『ロシアの核』でRF-111Gに乗っていたレベッカ・ファーネス中佐)の訓練の様子は克明に描かれていて興味深い。もっとも、朝鮮半島上空を想定した訓練シナリオで、当事国を「神をも畏れぬ共産主義国北キムチ」「神を敬う親アメリカ民主国家南キムチ」としていたのには思わず吹いてしまったが(笑)。
零下四十一度の義経伝説 辻 真先:光文社文庫:\447:1995年9月20日初版1刷発行
2009年1月10日読了
雑誌編集者・服部健太郎と妻の知香のコンビだ謎を解くこのシリーズも、『小泉八雲殺人風土記』『江戸川乱歩の大推理』に続き3冊目となった。今回は今までとは趣が異なり、舞台は架空の町・涙別町。真冬には零下41度を記録したという北海道の内陸部、今は無きJR北海道深名線の沿線にあるという設定である。舞台が架空の町であるので、さすがにこれまでのような観光ガイドを兼ねたような内容にはできないが、知香が宿泊していた地元の名士・一之瀬氏(もちろん事件に絡むのである)の家から、マウンテンバイクで深名線沿線最大の見所・朱鞠内湖に行くシーンがあるので、恐らく幌加内町あたりをイメージしているのだらう。
しかし今回は事件が小粒だった(笑)。物語が半分以上過ぎてからようやく殺人事件が発生し、しかも被害者は一人だけ(爆)。架空の町であれば舞台設定は自在なので、事件現場にまつわる健太郎の謎解きも実のところそれほど意外性はなかった。まぁそれも、この240ページそこそこの短い物語の中に、過疎の町の町興しに躍起になる町の役人、有名になって都会に出たい学校の先生、地方に飛ばされても一旗揚げて東京に舞い戻りたいテレビプロデューサー、田舎を嫌う母親と地元を愛するその娘など、様々な人間模様を詰め込んだが故なのだらうか。
ちなみにワタシは1991年の夏、千歳基地航空祭に行ったついでに深名線に乗ってきた。深川からの列車は途中の朱鞠内止まりで、ここでその先に向かう名寄行きに乗り換えるのだが、その接続に1時間以上も待たねばならなかったので、朱鞠内駅から朱鞠内湖まで歩いて行ってみたものである。アップダウンの道を20分以上歩くのはけっこうきつかったが、着いてみればさすが日本一広い人造湖、広々とした眺めは疲れを忘れさせるものであった。(*´∀`*)
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