見えない人と見える人の展覧会散歩「きのうよりワクワク」
──ブリコラージュ・アート・ナウ 日常の冒険者




2005年6月14日
場所 大阪・千里万博記念公園 国立民族学博物館にて
参加者数 16日:見えない人 6名
    見える人  8名
    ビューからのサポーター 14名
17日:見えない人 11名
    見える人  8名
    ビューからのサポーター 10名

─ 阿部こずえ報告 ─

ブリコラージュって何のこと?
身のまわりの物でつくる世界のことさ。
ありあわせのお惣菜料理みたいなもの。
ボタンだけどボタンじゃない。
ファスナーだけどファスナーじゃない。
物だって、あたえられるままに生きるより、
もっと楽しい生き方があるにちがいない。
ぼくはぼくだけど、
それだけじゃないかもしれない。

ぼくらはあふれるほど
たくさんの物にかこまれてくらしている。
なのに、いつも何かが
足りない気がするのはなぜだろう?
ぼくらが買った物は、
ぼくらの時間を
受けとめきれずに
使い捨てられて行く。
物と一緒に、ぼくらの生きた時間も
消費されていく。

物には、もっといろんな生かし方があるはず。
ぼくらの人生がいろいろであるように。
物に本来そなわる価値をひきだしてやること。
人間の創造性を信じてみること。

それがブリコラージュな毎日のはじまり。
見てごらん、
ぼくらの身のまわりの
なんでもない生活は、
おどろくほどゆたかな
時間に満ちているよ。

きのうよりわくわくしてきた。

ー『ブリコラージュ・アート・ナウ 日常の冒険者たち』図録より引用ー

鑑賞風景1 展覧会は今までにみたことのない展示場でした。
とにかくすごい量の物、物、物。物であふれてごったがえしていて、 民族博物館のもつ数多くの収蔵品が無造作に並んで、 そして、同じように、リサイクルショップの商品が並んでいる。
そして、同じように、作品が並んでいる。
どれが作品か、どれがいらないものか、さっぱりわからない。
無造作に置いてあったり、触れたり、触れなかったり、 蹴りそうだったり、届かなかったり、ごちゃごちゃして・・・。
展示場は、たくさんの物でつくられた大きな家になっていました。

鑑賞風景2 目が見える人も、見えない人も、何がなにやらわからず、 鑑賞も見える人からの一方的な鑑賞はできず、 同じ立場で「なんだこれ?」「なんでこんなところに置いてあるの?」 「?」「?」の繰り返し。

みんなが、初めてのおもちゃに触れる子どものような感じです。

鑑賞風景3 空き缶できた家。空き缶が空き缶としてではなく、住居の壁として利用 されていました。
落ちていた廃材が、「アート」として虫や宇宙船などのオブジェとして 展示されていました。
想いでのつまった壊される家や学校の校舎の壁が、ウクレレとして楽器 としてよみがえっていました。

そんな中、私たちは、ふだん見慣れた「物」を、子どものように新鮮に、 もう一度、「見る」ことができた展覧会でした。


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