第19回鑑賞ツアー「河井寛次郎記念館」
 
 


2008年7月6日(日)
場所 河井寛次郎記念館
参加者 見えない人・見えにくい人 : 10名
見える人 : 13名
ビュースタッフ : 7名 盲導犬 :1頭

── 戸田直子報告 ──

外観  河井寛次郎記念館は京阪五条から五条通りを東に向かって歩き、東大路に出るまでの路地を南に少し入った所にあります。道に面した窓に木製の大看板が掛けられているのでそれとわかりますが、そうでなかったら気付かずに通り過ぎてしまうくらいに、周囲の民家に溶け込んだひそやかな佇まいです。 ところが一歩中に入ると、そこには寛次郎(敬称略)の深い精神世界が表現された、こだわりの空間が広がっています。
個人的にも秘かなお気に入りの場所だったこの記念館は、ツアー先の候補地として数年前から名前が挙がっていたのですが、今回ようやく実現することができました。美術館やギャラリーなどのいつもの会場とはかなり趣の異なるこの場所でのツアー、いったいどのような展開になるのか、わくわくしながらのスタートとなりました。

 先ずは玄関を入ってすぐ、板敷きの広間にある大テーブルを使わせて頂いて受付とグループ分けをし、当日の予定を簡単に説明した後、2時半頃から鑑賞がスタートしました。一般の来館者もある中、それほど広くはない館内を30名が動くわけですから混雑を心配したのですが、ごく自然に1階から回るグループ、2階から回るグループに分かれてもらえたので、スムーズに鑑賞を進めることができました。

 この記念館は、元は寛次郎が家族と暮らしていた住居兼仕事場であった建物で、その造りや内装には民芸運動に関わった寛次郎の思想が強く反映されています。
広間柱時計近くで 広間の囲炉裏端
囲炉裏の自在鈎を見る 広間の調度品の前で
 1階にはいくつかの部屋がありましたが、見どころが多かったのは受付をした板敷きの広間でしょうか。入って先ず目を引くのが存在感のある囲炉裏。部屋の一角、板敷きから一段高くなったところに小さな畳敷きのスペースがあり、そこに炉が切られています。梁から下がっている自在鈎は寛次郎の作で、どっしりとした鉄瓶が掛けられています。畳側、板敷き側のどちらからも囲炉裏にあたることができ、板敷きの側には木製のころんとした形の椅子が3つ並んでいます。この椅子は、木臼を利用して寛次郎がデザインしたものだそうで、座ってみるとお尻がすっぽり納まり、とても座り心地のいいものでした。また畳敷きの一辺には、屋根の付いた特徴ある形の飾り棚が据え付けられていて、畳に面した側は飾り棚になっているのですが、板敷きに面した側はしめ飾りが掛けられ、神棚のような作りになっています。その他にも、大テーブル、木製ベンチ、竹製の扉付き棚、木彫二面像、洒落たデザインのストーブなどがありました。
 鑑賞の方法としては、先ずおおよその説明を聞いた後、触りながら細部の説明を聞く、または質問をして答えてもらうという形が多かったようです。言葉による説明である程度イメージをふくらませ、さらに触ることでそれを確認するということでしょうか。家具と言っても特徴のある形のものがたくさんあったので、触ることで触感や形の面白さがダイレクトに伝わったのではないかと思います。

階段を上る  次に2階ですが、下見に来た時に一番不安に感じたのがこの2階へ上がる階段でした。この階段は小物を入れる引出しがたくさんついた、いわゆる箱階段で、幅が狭い上に段差も大きく、また一方は壁に接しているのですが、もう一方には手すりもなく開放された空間になっているため、見えない人や見えにくい人にとってはとても危険に感じられたのです。真ん中辺りに大小の木の玉が連なった手綱がぶら下がっていて、これを持ちながら上がるということらしいのですが、開放空間側にあるため、これを探ろうとするとよけいに危なく思えます。いろいろ考えて、結局階段を上がる時には手引きは無しにして、一人ずつ壁を触りながら上ってもらうことにしました。実際にやってみると、心配したようなこともなく、スムーズに移動できていたようです。

吹き抜け  階段を上がると吹き抜けになっていて、下の広間が見下ろせます。踊り場を進むと居間(下段の間)、上段の間があり、開け放たれた障子窓から見える中庭の緑が鮮やかです。上段の間の前には柵が置かれていたので中には入れませんでしたが、下段の間には木彫の作品をブロンズで複製したものがいくつか置かれていたので、心置きなく触って鑑賞することができました。

 作品のひとつであるお面は、ちょうど手鏡のような持ち手がついていて、面の部分には3人の女性の横顔が並んでいるものや、日本髪を結った女性の顔のものがあり、とてもユニークな形をしていました。
顔のパーツすべてが凸になっているせいか、何だかユーモラスな雰囲気なのですが、それをくるっと裏返すと、凹面の裏側は表とは全く別の顔になっているのです。あるグループの様子を見ていると、説明を聞きながら触ってみて、最初は予想していた形とのギャップに驚かれていたようですが、一旦その形状が理解できると楽しそうに笑いながら鑑賞されていました。触ることによって作品に対する共通認識を持てることは、鑑賞を深めることになるかどうかは別として、見えない・見えにくい人と、ガイドの双方に安心感を与えていたようです。
彫刻作品1 彫刻作品2 彫刻作品3
 2階には他に居間、板の間の書斎があり、書斎には大きな木臼をひっくり返したテーブルと、寛次郎デザインによる背もたれのついた椅子(これもとても座り心地がいい)、寛次郎が書き物などをしたと思われる小ぶりの机と椅子などが置かれています。これらの2階の部屋を回って感じたのは、障子の桟、畳の縁、作りつけの戸棚の引き戸に通る桟、床板など、直線が作り出すきりっとした清々しい美しさでした。また部屋に置かれた曲線を活かした家具や、丸みを帯びた寛次郎の作品が、温かみを感じさせるアクセントになっているように感じました。

陳列ケースの前で  再び1階へ下りて渡り廊下を進んで行くと、この廊下が作品の陳列室になっていて、面白いデザインの真鍮のキセル、陶芸作品、言葉の作品、拓本、写真、資料本、寛次郎の愛用品などが展示されていました。ここでの鑑賞の仕方については、グループによって違いがあったようです。つまりガラスケースに入っていて触れることができないのに加え、言葉での説明が難しそうな作品が多かったため、ガイド・鑑賞者が共に鑑賞に消極的になってしまったグループ、逆にわかりにくいからこそ積極的になったグループの2つに分かれてしまったようなのです。いつもなら言葉のやり取り以外に鑑賞の方法がないため、始めから終りまでそのスタイルが崩れることはないのですが、今回は触ることによる鑑賞も多かったため、その切り替えがうまくいかなかったのかも知れません。
 うまく言葉のやり取りに持っていけたグループからは、「陶芸作品も、説明の仕方次第で結構伝わるものだなあと思った」「寛次郎の言葉に感動した。言葉や陶芸作品から、深くてモダンな人だなあと感じた。」といった声が聞かれました。

お茶室  陳列室を出るとお茶室(と言うよりは瞑想室のよう)があり、その先には中庭に面して片方がオープンになった屋根つきスペースに素焼き窯があります。ここでも手を伸ばして高さを測ったり、窯を抱きかかえるように触ってみたりして、その大きさや形を体感されていたようです。
 素焼き窯のスペースを奥へ進み、引き戸の中へ入ると、様々な椅子が置かれた休憩スペースがあり、そのスペースを挟んで左側に陶房、右側にガラス張りの展示スペースがあります。陶房の中へは入れないので、ガラスの格子戸越しにけろくろや作陶用具、陶芸その他の作品を覗き見る形になりました。この辺りまで来るとそろそろ疲れが出てくる頃なのか、椅子に座ってほっこりしながら鑑賞しているグループもありました。

 休憩室を出ると、急に目の前の風景が変わります。奥へ行くほど高くなっている敷地斜面に、登り窯がそびえ立っています。この登り窯は共同で使っていたもので、美術工芸品だけでなく実用品なども焼かれていたとか。説明書きには、寛次郎の作品の多くは前から2番目の窯で焼かれていたと書かれていました。参加者は実際に斜面を歩いてみたり、窯の壁に触れたり、窯の中に入ったりして、その迫力に強い印象を受けた様子でした。
登り窯1 登り窯2
 4時前に鑑賞を終えた後、記念館の近くにある喫茶店に移動し感想会を行いました。この日はとても蒸し暑い日で、汗だくになりながらの鑑賞となったため、涼しい店内で手作りケーキとお茶を頂きながらの感想会はほっこりした雰囲気になりました。
 グループ毎に順番に感想を話してもらったのですが、見えない・見えにくい人たちが話される感想からは、今回の鑑賞ツアーをとても楽しまれた様子が伝わってきました。これまで美術館に行く機会などなかったというツアー初参加の人、陶芸作品の鑑賞だと思って来た人、寛次郎の影響を強く受けていて、この鑑賞ツアーを心待ちにしていたという人、寛次郎と出身校が同じで陶芸にとても詳しい人など、それぞれの思いを持っての参加だったようですが、皆さん、建物や空間もひっくるめた形での鑑賞を存分に楽しまれた様子でした。それはやはり、言葉による説明だけでは伝わりきらないことを、触ることが補ってくれるという安心感、触れない作品の場合には、ともすれば一方的に聞くだけで終わってしまいがちであるのに対して、今回は「触る」という能動的、行動的な鑑賞ができたという満足感があったからではないかなあと思います。
 ガイドで参加した人たちも、見どころいっぱいの独特の雰囲気を楽しみつつのガイドになったようです。今回は「触る」という鑑賞方法がプラスされた分、いつもより伝えやすい面はあったと思いますが、反面、「陶芸作品などはケースの中に展示されていたため、ついつい触れるものの鑑賞に逃げてしまっていた気がする。」というような反省の言葉も出ていました。

 今回の鑑賞ツアーを終えて、改めてビューの「言葉のやり取り、コミュニケーションによる美術鑑賞」の意味を考えさせられました。「触る」という具体的な鑑賞方法が加わると、見えない・見えにくい人とガイドが共通認識を持てやすくなり、共感、安心感を感じることができます。けれど逆に安心することで、鑑賞がそこでストップしてしまうということも考えられます。それに対して言葉のやり取りのみによる鑑賞は、お互い最後まで探り合いが続きます。伝えたいことが伝わっているのか、あるいは伝えてもらっていることを理解できているのか、共通認識を持てているのか、いないのかという不安感を持ったまま、もやもやの中で終わるという場合もあります。かと思えば反対にそのもやもやの中で、突然予想もしない方向に鑑賞が深まることも出てくることもあるのです。つまりは、その時々の作品、環境、条件によって生まれるライブ感覚に身を任せ、ビューでしかできない鑑賞を楽しんでいけばいいのでは?と、そんなふうに思わせてくれた鑑賞ツアーでした。
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