|
●
平成24年1月1日
例年通り 横浜霊園を詣って一族の健康を祈り、帰路は曙町に年始挨拶を済ませてから
巳代子叔母を誘って中華街で ふかひれ料理を食べた。55`になってしまった叔母は思ったより元気で食欲もあった。中華街を散策したあと山下公園の夜景を見て来た。
●
平成24年1月2日
八景島のシーパラダイスへ連れて行ってもらいカサゴや駕篭かき鯛などの生息を見た。イワシは群れで忙しく泳ぎアジはゆっくりと泳いでいた。釣りの時にイメージしてみたい。甚平鮫やイルカのショーも見たが、駐車場から遠いし、館内も広くて一人で行ける場所ではなかった。
妹は土産品を買うつもりだったが、そごうへ入ることが出来なかったので、帰宅後
出直してバスで出かけることになった。
夜は隆司精一夫婦と牧浦一家が来て「末吉」と言う焼酎で新年会を賑やかに祝った。
何時までも元気な新年を迎えたいが、隆司たちは酒量が半分に減ってしまい
歳を感じさせた。
義弟だけは元気で頼もしいがサウナのあと冷水を浴びたと言うので、辞めて欲しいと思った。
●
平成24年1月3日
駅伝を見ながら時間が過ぎて2時頃刈谷へ向けて出発したが下り線も渋滞するらしいので帰着は夜遅くなるようだ。年末年始を自分の都合で彼方此方と連れて行ってもらい、出費も嵩ませてしまった。健康を大事にしてもらいたいと願うばかりだ。
●
平成24年1月5日
東部病院の血管外科へ行った範代は血管エコーを受けただけで、医師の診断は19日になるとのこと。大病院は時間ばかりが掛かって仕方がない。エコーの技師に尋ねたら総ては医師に聞けと言うだけだったらしい。
●
平成24年1月7日
真理子一家が来て12時近くまで遊んで行った。育児ノイローゼだと言っていたが家庭破壊の様子は見えず一安心した。
世田谷の家は地震のあと地盤が緩んで排水管が壊れ、トイレの水詰まりが起きてネットで探した業者に頼んだら20万かかったそうだ。
牧浦くんの話では九州の人たちは横浜に家族を置いたまま単身赴任してる彼を薄情だと言ってるという。既に横浜は放射能汚染地であり住んでいてはいけないと感じているらしい。
●
平成24年1月10日
下水の詰まりは重症でバキュームをしたが、中央部分が低くなって流れを妨害していた。地震で地盤が緩み下水管の中央部分が沈んでしまったらしく、新型の節水型便器は水量を減らしているから、紙の流れが良くないのも原因のようだ。構造上の欠陥なので定期的にバキュームするしか無いということだ。
●
平成24年1月11日
震災後初めて
ららぽーとへ行ってきた。怖い思いをした場所は不安だったが何事も無く賑わっていた。天災は忘れた頃にやってくるという。何処にいても何をしていても
心配ばかりしてたら生きて行けない。二週間振りの運転だったが往復の運転も快適だった。途中エンジンの息継ぎはあったが起動は素早い。新しい駐車場への出入りも順調で
ゆとりがある場所なので良かった。
スパイ大作戦のような映画を見てきたが、次回は山本五十六元帥を観たいと思う。
明日は徳田病院と宮下クリニックのハシゴをする予定だ。
●
平成24年1月13日
徳田で天野先生の呼吸器診察を受けてから、宮下クリニックで採血検査。白血球は変動ないが血小板が増えてきた。朝の血圧は高いが、病院での測定では理想的な数値が出る。血小板が増えるのは怖いが、水分を余計に摂るしか無い。
今日は氷が張るほどの寒さだが、自覚的には体調が良い。
●
平成24年1月14日
ゴールデン文具の見本市が東京で開かれるので、範代は朝から出かけて行った。19日までは足痛の原因がハッキリしないので無理はさせたくないが本人は頑張らないと生きていけない性分だから仕方が無い。優子も居ないので暖かいコタツの中でのんびりしているが、本当は決算の準備をしなければいけないのだ。
●
平成24年1月15日
完全防寒の釣り着を貰った。シャブシャブ鍋も貰ったので、優子も揃ったので今年初の御馳走だ。肉は大分固かったが、贅沢な気分を味わった。
昼頃
隆司が正月の写真を届けに来たので、「去年は隆司、今年は雅子の子供が蕁麻疹を起こしたので新年会の御馳走に悩んでると話をした。
●
平成24年1月18日
ららぽーとで山本五十六を観てきたが軍神が情けない存在に描かれていて不滿だった。あの戦争も真珠湾攻撃の提灯行列も遠い昔の面白い話になってしまい、暗くて辛い時代は完全に忘れられてしまった。
野田総理大臣が日本を建て直した歴史上の人物として語られる日も近い気がする。
歴史は忘れられ記録は英雄を産んで美化されてしまうのだ。
●
平成24年1月19日
東部病院血液科で範代が診断を受けてきた。静脈瘤は両足にあり、レーザーで焼くか手術で除去するかの方法を選択しなければならない。
三日間から一週間の通院又は入院が必要だが、予約が一杯で七月以降になるという。
大分先の話になるが、自分は範代が留守の間はショートステイを利用するように医師から助言されてしまった。
今年は良い年になると思っていたが、意外な方向に進んでしまった。
生命に関わる病気ではなく立ち仕事をしていると成り易い病気だそうだが加齢は色んな病気を招く。ショートを利用する身分になるとは情けない気もするが、どんな状況にも順応出来るから大丈夫だ。
●
平成24年1月22日
明日は遂に七十七歳を迎える。昨日の土曜日は娘が寿司で誕生日を祝ってくれた。今日日曜日はステーキとケーキで喜寿を祝ってくれるという。
いろいろと心配をかけてしまうが、娘は両親が元気でいることを喜んでくれている。加齢は止められないが健康第一で頑張らなければならない。
昼頃、隆司・精一夫婦が改まって喜寿の祝いに来てくれた。
●
平成24年1月23日
思いがけず喜寿の日にチャーさんから豪華な胡蝶蘭を贈られた。母の妹たちの中で一番波乱の人生を過ごしたけれど卆寿を超えた叔母が一番幸せな老後を送っている。一時はアルツを患いながらも復活して甥の誕生日を覚えていて祝ってくれた。幼児の時に子守をしてくれた叔母だから、今では七十年以上昔のことはチャーさんしか知らない。何時までも元気でいて欲しい。
●
平成24年1月25日
ららぽーとで三丁目の夕日を観て、ノジマに寄ったら誕生月割引があると言うので粘って思い掛けない値段で富士通のデスクトップが買えた。ノートブックは範代に払い下げてパソコンを自由に使えるようになってもらう。
棚卸用にテンキーを買って凌ぐつもりだったが、無駄な出費を避けられて良かった。ソフトやデータの引越しで手間は掛かるが、大画面で作業は楽になる予定だ。
●
平成24年1月26日
電源を入れると半日掛かるつもりで開始しろとメッセージが出たので気が重かったが、二時間ほどで自動的に初期設定は出来た。あとはフロントページやアクセスなどの古いソフトをインストールして使いやすくなるまでには相当の時間がかかりそうだ。
●
平成24年1月29日
フロントページはバージョンアップデイスクだが無事にインスト出来た。弥生も古過ぎるものだが何とか使えるようになった。古い知識と経験が役に立って、殆ど思い通りに環境が整った。
やる気はないが棚卸計算を初めて見た。キーボードも画面も新しくて やり易いはずだが直ぐに飽きてしまう。
● 平成24年1月30日
範代が東部病院で大腸検査をしてきた。朝8時半に出かけて午後4時近くになって帰ってきた。ポリープも無く綺麗だったので次回結果を聞く予約は取り消された。健康一番で大事にならなくて良かった。
● 平成24年2月1日
ららぽーとでミスターイングリッシュを観て、ヨーカ堂で円高還元のタイガートースターを買ってきたら優子に有り難うと言われてしまった。帰りにスシローに寄って腹いっぱい食ってしまった。とても寒くて冷たい風が強く吹いた一日だった。
● 平成24年2月2日
東電は贅沢な値上げを義務だとか権利とか主張しているが、NTTは通信障害を連発している。今日は東証が241銘柄の取引不能のシステム障害を起こした。巨大な組織がこんなさまでは世界の信頼は得られないだろう。
● 平成24年2月3日
今日は節分、明日からは新しい年になる。極端に寒いけれど風邪もひかずに頑張っている。範代は天野先生に大腸検査の結果を報告して血圧の薬を貰ってきた。看護婦さんたちも良かったと喜んでくれたという。
昼過ぎに通りかかったタクシーが落花生を投げ込んでくれた。悪い鬼は追い払われた。明日からは益々元気に楽しく頑張れるぞ!!
● 平成24年2月6日
予報より早く雨が降り出したので徳田へ行くことが出来ずに予定が狂ってしまった。棚卸は半分ほど入力出来たが決算書は手つかずだ。空気の乾燥が続いて咽喉がカラカラで軽い痛みがある。爪も乾燥して折れ易くなって体に良くないと感じる。 明日も雨の予報だから湿度が上ってほしい。
● 平成24年2月8日
ららぽーとでジョン・エドガー・フーバーの映画を観た。難しかったが自分が生きた時代の話なので興味深かった。あのフーバーFBI長官がオネエだったとは!(^^)! 遺族から苦情は出ないのだろうか? NHK大河ドラマの白河法皇も璋子も淫乱だったという話は教科書には書いてない。
寒がりの優子に寝袋を買ってきた。
一年ぶりに勅使河原ちゃんに会えたが、311の時は三階が水浸しになって大変だったらしい。彼女は小杉まで六時間かけて歩いて帰ったという。最近また地震が続いているが、運命の分かれ道は分からない。 帰り道
天気予報が外れ牡丹雪が舞った。先週はスシロー、今週はくらに寄った・・くらの頑張りは目覚ましいがスシローに軍配!
● 平成24年2月10日
病院を梯子して帰って来た。白血球が27000に増えて血小板も多いので水分補給を忘れないように注意するだけで何時も通りの薬を処方された。
徳田でアリシアに会ったら無理しないで!と声をかけてくれた。スタッフが代らないのは安心だ。宮下では受付が二人一緒に辞めてしまったので困ったと言っていた。
● 平成24年2月13日
ネッツで六か月点検をして、整髪もしてから己代子宅へ行ってきた。横濱屋で買い物をさせて帰って来たが喜ばれた。曙町の33回忌は東漸寺で19日に行うので残された妹として呼ばれたが行かないと言ってた。最期の時には良次の世話にもなるのだが考えは及ばないということだ。半年点検ではバッテリーに注意信号が出ている状態だと言われた。
● 平成24年2月17日
ららぽーとで麒麟の翼を観てきたが、帰りは牡丹雪が降って慌ててしまった。昼間は太陽が出て汗ばむほどだったのに夜になると急激に気温が下がり寒くなった。大黒の夜釣りでメバルやカサゴが釣れたらしい。
● 平成24年2月19日
午後二時半に家を出て巳代子叔母を誘って曙町の33回忌法要に行ってきた。次郎叔父の若い時の写真と檜の香の線香などを持って行き、昔話に花を咲かせたのでスミヱ叔母も良次も喜んでいた。道子夫婦と娘夫婦と二人の孫、幸一夫婦、良次夫婦と二人の娘も来ていて予想外に賑やかだった。
● 平成24年2月22日
ららでピラミッド5000年の嘘という映画を観た。とても興味深い話だったがπやΦが出て来て黄金比率の話になると難解で眠ってしまった。最新の工学とか科学って何だろうと考えさせ、想定外という言葉を乱発する現代人の驕りを身に染みた。真理子から奈々美の運転で海をドライブして来たと報告があった。
● 平成24年2月27日
リチャード・ギアの顔のないスパイを観て来た。風が強くて寒い日だったが、心がけて外出して腕の筋力を落とさないように心している。体重増加が動き難い原因ではなく全身の筋肉が衰えたからだと自覚している。平らで広いららぽーとの中を走り回ってみても、以前ほど楽ではなくなってしまった。東京マラソンにだって出られると思っていた体力は錯覚だ。 学生の時に有楽町駅から晴海埠頭の国際見本市までの距離を歩いた体力や根性はなくなった。
楽をすれば必ず、骨を折ることになる・・・運転だけは絶対に能力を落とさないよう頑張る!
● 平成24年2月29日
閏年の閏日には雪が降らないという予報が外れて大雪だった。昨日は居室の蛍光灯が切れて交換したが範代は脚立に乗っても届かなくなった。昔は何でもなかったことが普通に出来なくなっている。
宍道湖のシジミを貰ったので、今夜はシジミの炊き込みご飯だ!
● 平成24年3月1日
宍道湖のシジミで炊き込みご飯にしたら絶妙な味で楽しめた。蜆の味噌汁も美味いが炊込み御飯が最高だ。昨晩は炊き立てを食べ、今朝は冷たくなってたが優子も食べて出かけた。
● 平成24年3月3日
例によってタクシードライバーとパソコンで遊んでいたら、平安町から雛祭りの定番でちらし寿司が届いた。 優子が歌の合宿で留守なので二人で三人前を平らげた。雛祭りも忘れがちで、散らし寿司も忘れていたが改めて日本の風習を懐かしんだ。
● 平成24年3月5日
寒くて冷たい雨も降っているので決算書の作成を始めた。簡単なことなのに気が進まないことは引き延ばしてしまう。単純作業は詰まらない。範代の血圧が高くて心配なので天野医師の所へ行かせた。気候の加減もあるようだが長期間漢方薬を飲んでいることも影響あるのかもしれない。血圧降下剤を追加されてきたが早く暖かい季節が来ないと不安は去らない。
● 平成24年3月7日
相変わらず寒いので映画鑑賞の日。ライヤー・ゲームを観たが若い人でいっぱいの映画なのに、ルールを理解するのに苦労して疲れた。留守に巳代子が主治医から説明があるので身内を呼べと言われたと電話してきた。
● 平成24年3月8日
巳代子叔母の話から胃がんの宣告を覚悟して病院に付き添ったが、医師は検査を受けるかどうか判断を本人が理解出来ないから来てもらっただけで緊急の話ではないと言った。患者より大変そうな保護者を見て「こういうお体の方とは知らなかったから・・・」と医師は呟いた。叔母は迎えに行くと部屋を整理して待っていたが、今日すぐに入院して家には帰らないと言うので慌てたが、ケアマネと話をして、主治医にも話をして、帰りにカレーを食べさせたら元気になって「頑張る」と言って自宅の部屋に戻った。夜
チャーさんに電話報告してエンシュアを送ってやるように頼んだ。
● 平成24年3月11日
朝からテレビは311地震のことだけ・・。確定申告書の作成、清書も済んで提出するだけ。早く済ませれば気が楽なのにギリギリまで残してしまう習慣がついてしまった。心臓手術をした天皇が慰霊祭に出てたが、到底真似は出来ません!
● 平成24年3月14日
やっと確定申告を済ませたが記入漏れを指摘された。注意力が散漫で集中出来ないのだ。ららぽーとへ行ってシャーロックホームズを観たが面倒臭い映画で熟睡してしまった。北海道と千葉沖で大きな地震があり驚いた。震度3だったが、店は4以上の揺れだったらしい。外出先から優子も旦那も電話をしなかったのに弘子から見舞いの電話があったので範代は感心していた。
● 平成24年3月16日
大きな揺れで目を覚ましたが逃げるつもりがないので眠ろうと努力した。直下型で家が潰れたら助かっても仕方ないし避難所の生活には耐えられません。地球は壊れなくてもガタガタ揺すって人間を振るい落とそうとしてるのか。人口密集地の災害がどうなるのかは想定外の言葉で終わる。免震装置つき住宅で生活必需品を十分に蓄えられる階層だけが生き残るのだろう。
● 平成24年3月19日
範代と徳田を受診した後、一人で宮下クリニックで採血検査。事務員などが移動して新人ばかりで混雑していた。道路も混雑していたが、マーガレット・サッチャーを観に行った。レーガン元大統領もサッチャー元首相もアルツハイマーで哀れな老後なのに中曽根元首相は元気で政界のご意見番だ。きんさんぎんさんの四人の娘たちも元気でテレビを賑わしている。元気こそ宝物だ。
● 平成24年3月21日
巳代子叔母の付き添いで聖隷病院へ行ったが呼吸を止めることが出来なくてCTを三度やり直した。帰りに与那嶺クリニックへ寄って与那嶺院長に経過を説明しエンシュアの処方を頼んだ。すべて順調に進んだのでワールドポーターへ行って三崎の回転ずしを食べさせて帰って来た。一日がかりになったが墓参りよりも良い彼岸の供養が出来たと思う。
● 平成24年3月22日
与那嶺クリニック院長から電話で巳代子叔母のCT結果が進行した大腸癌だと伝えられた。検査も困難だが手術にも耐えられないだろうとのこと。緊急入院と最期のことまで準備する必要があるとのことなのだ。早速チャーさんに知らせたが頼りにはならない。区役所にも相談しなければならないし意外な状況になってしまった。
● 平成24年3月23日
真理子が昼ごろ来て5時半ごろまで喋って帰った。奈々美と大貴が中心の生活で暇がないとボヤイテいた。川口の両親にも会う機会が無くて寂しい思いをさせているらしい。
● 平成24年3月26日
ららぽーとでマリリン・モンローの映画を観て来たが期待外れだった。リアルタイムで生きていた時代の話は小説や映画にされると大体がガッカリする話になってしまう。うみかぜではしゅうちゃんが吞気にキスを釣っているらしいが見方によっては自分も気楽な年寄りと思われてるのだろうか? 六年間の写真を並べて変化を調べてみた。
● 平成24年3月28日
昼ごろタクシーを呼んで鶴見をドライブして来た。お萩とギョーザをお土産にもらって帰ったが、出発時に雨が降り始め帰宅時に青空が見えた。夜、家の前に車が突っ込んできたが被害はなかった。柔らかく鈍い音がして交通事故だと分かり優子が帰ってくる時間帯なので慌てて飛び出してみたら、白いプリウスに当て逃げされたという親子が呆然として、当てられた車は前部を大破してラジエータから水が流れ出て小さな子供は泣きじゃくっていた。逃げた車は目撃者がいないので29日になっても捕まらず立て看板が立てられた。交差点事故は信号無視で起きるが、どちらが青だったのか目撃者がいないと分からない。店に被害がなかったのは幸いだったが、怖い事故だった。
● 平成24年3月30日
隆司が彼岸の写真を届けに来た。健康に異常はなくて元気のようだが、精一の髪の毛が驚くほど薄くなったと話していた。巳代子叔母の話をして隆司が買ったという墓地のことを聞いてみた。
● 平成24年4月2日
ららぽーとでJ・クルーニーのスーパーチューズデイを観てきたが期待外れだった。大丸は来年一月で廃業するらしい。平日のららぽーとでも春休みで子供が多かったが儲からない店舗も多いようだ。新学期で売る学習帳の件で悩んだ末、シモジマではなくゴールデンで行くことにした。 留守中に巳代子叔母から宣告を受けたとの電話があった。
● 平成24年4月3日
巳代子叔母は宣告を受け止め教会に相談して十全病院で検査を受けたいと言っている。牧師夫婦が手続きをしてくれるというので頼むように言った。混乱しているらしいが絶望はしていないようで良かった。5日の木曜日に芹香院に付き添い細かい打ち合わせをする予定だ。
● 平成24年4月5日
朝九時に家を出て巳代子宅へ向い芹香院病院へ行き石橋医師に実情を説明してきた。序に与那嶺クリニックへ みなと赤十字病院の紹介状を貰いに行った。教会へ牧師に会いに行き詳しい事情を話して今後のことをお願いした。赤十字病院への付き添いは牧師の奥さんが行ってくれることになり一安心だ。万一の場合を考えて合鍵を預かり、牧師夫人にも預けるよう指示して、貯金通帳は本人以外は引き出せないので現金にしてきた。 赤十字にはホスピスも併設されているので万全の策だろうとのことだ。お寺に救われることはないがクリスチャンは本気で他人を援けようとしている。牧師は心臓の弁を交換する手術を控え、奥さんも忙しい身体で、叔母の世話をしてくれている。更に信者が交代で車で送迎してくれたり病院への見舞もしてくれる。日曜のミサで大腸がんを告白された牧師夫妻が月曜日には叔母の家を訪問して、赤十字などの手配をしてくれたというのだから改めて感動してしまった。充実した良い日だった。
● 平成24年4月6日
徳田で呼吸器の診察を受けてから体重測定をしたら58`に減っていた。長い間続いた60`だったが、近ごろは野菜を摂り食事量も減っているので良いことだと思う。運転のついでにトレッサまで行ってきたが今日も駐車場所を忘れて情けない思いをしてしまった。
● 平成24年4月9日
20度を超える暖かさなので今年初の大黒へ行って来た。午後からは強風が吹き始めて条件は最悪ながら良型のハゼが釣れて期待は膨らんだが、当たりがないままに時間は過ぎた。午後6時を過ぎると20センチほどのソイが釣れたので、メバルの当たりを待ったがダメだった。
● 平成24年4月11日
二時過ぎに銀蘭の丘土橋から巳代子38度発熱のため病院付添いを依頼されたが雨で出られないし古谷牧師に連絡を頼んだ。体力がないから心配だが本人は自覚がないらしい。目に見えなくても気力を無くしているのだろう。
● 平成24年4月12日
巳代子叔母は朝から元気なようで「騒ぎ過ぎた!」と謝っていた。牧師夫婦が全ての面で尽くしてくれて有難い。29日の新幹線で由比へ行くので、駅に電話して個室の予約が出来た。タクシーにも予約して準備は整った。
● 平成24年4月13日
朝九時ごろ叔母の苦しそうな電話で出かけて来た。主治医の与那嶺医師の診察を受けてから、みなと赤十字病院へ連れて行き採血とレントゲンと点滴を受けて来た。生きる意欲を失って楽になりたいと言うようになった。好きなうどんも食べられずドライブも楽しくないと言った。17日に検査結果が出るまでは、どうなるか分からないが、牧師夫婦と大家さんと与那嶺医師が良くしてくれるので有難かった。帰り道に問屋へ寄って玩具を仕入れて来たが家に附いたら6時だった。
● 平成24年4月16日
大黒はシリヤケイカ人気で混雑の様子なので、ららへ行ってコナンを観て来た。去年産み付けられた卵が大発生の原因らしいがイカを釣らない自分には大迷惑な話だ。
● 平成24年4月17日
叔母が赤十字病院へ連れて行ってくれて19日に入院が決まった。入院手続きには親族が必要なので出かけるが、区役所保護課の瀬川から電話があり、一か月超の入院で保護費が大幅削除され
5月分は返して貰う結果になるとの通知。死亡してからでは家財の処理など手数がかかるので生存中に部屋を明け渡して親族で処理するように勧められた。
● 平成24年4月18日
巳代子入院準備の為、範代と手伝いに行って来たがロキソニンが効いて元気だった。明日は牧師夫人が連れて行ってくれるが、親族として入院誓約書などが必要なので印鑑をもって赤十字病院へ直行する。
● 平成24年4月19日
牧師夫人と大家さんが巳代子を赤十字へ送ってくれた。1時から6時まで手続きや医師の話を聞くなどして来たが手術は不可能ではないと言われた。しかし完治することはなく延命になるかどうかも分からない。急激に悪くなることもあるがその場合は延命治療をするかどうか尋ねられた。
● 平成24年4月20日
やる気がないまま提出した確定申告書の間違いが見つかってしまい修正申告となった。毎日運転することになって車も自分も絶好調だ!
● 平成24年4月24日
火曜日なので伊從先生に処方箋だけもらって、宮下へ行き採血検査。王将で餃子を買って帰って来た。白血球と血小板は少しづつ増えている感じで気分が良くない。下水詰りは連休明け後に店内を整理してからになる。牧師夫人から電話あり、点滴と輸血で巳代子元気になり手術を決意したと言う。明日待ち合わせて今後について相談する。
● 平成24年4月25日
巳代子叔母の手術のことで担当医に回答をしなければならないので赤十字病院へ行った。牧師夫人も一緒に説明を聞いてくれて、本人も理解出来たようだった。手術は完治目的でなく6センチに育った腫瘍を摘出するだけで、転移も予想されるので大腸の詰りを取り除いて一時的に流れを良くするためのもの。造影CTと大腸カメラなど危険を伴う検査をしたうえで手術日が決まる。破裂の危険があるので急がれるが、連休中の手術は避けてほしいと頼んだ。
● 平成24年4月26日
範代が東部病院で採血検査の結果、手術は見送り七月末まで漢方薬治療を続けることになった。動脈ではなく静脈なので脳梗塞や心筋梗塞の心配はないので一安心だ。
夜7時半に牧師夫人から電話で巳代子の具合が悪いと連絡があった。昨日の元気が嘘のように昨夜から腹痛があり熱も出て勝倉医師も首を捻っていたという。
● 平成24年4月27日
古谷直美夫人が今日の巳代子はとても元気だったと電話をくれた。肉親でも出来ないことを毎日続けてくれているので感謝感謝だ。明日は自分でも見舞って来ようと思う。
● 平成24年4月28日
赤十字へ巳代子の様子を見に行って来た。昨日は胃カメラと造影CTを済ませたそうで与那嶺先生の予想とは大分違う。今日は点滴も無くて退屈そうにしていたが牧師夫人が来てくれて色々話が出来て良かった。運転する日が増えたので億劫でなくなった。
● 平成24年4月29日
朝九時半にタクシーの迎えで新横浜へ向かい10時46分のこだまで新富士着、秀則の新車JUKEで秀則宅、雲鵬ちゃんが笑顔で迎えてくれた。新横浜で用意した焼売弁当を皆で食べながら新幹線に乗った気分で昼食をした。弘美さんは歩けるが言葉が不明瞭で困難のようだった。三回目の発作を起こさないように気を付けてほしい。2時半ごろ刈谷から妹たちが到着。秀則と雲鵬の案内でクラウンで由比漁港や田子の浦など見学してからスーパーに寄ってサクラエビとシラスを土産に買った。夕食は豪華な寿司で満腹になって談笑し夜九時由比発、御殿場から新東名の合流で大渋滞だったが11時に横浜帰宅。充実した一日を過ごした。
● 平成24年4月30日
横濱霊園墓参後五人で昼食にランドマークでうどんを食べた。赤十字病院巳代子見舞うと朝から食事も薬も拒否していたが、苦しみを無くすには食事と薬が必要だからと説得して薬を飲ませ、プリンとゼリーを食べさせた。絶望しているが言うことを聞いてくれて、帰り際には笑顔を見せてくれたので延子も驚いてた。高山さんは一目見て居たたまれなかったという。体は大きいが優しい気持ちなんだなあと思った。バッテリーが弱っていると知って今回はそれを届けに来てくれたのだから有難い話だ。病院の帰りにマリン・ルージュで90分の横浜港巡りをしてから中華街の細道も十分に散策して、梅園で食事をして帰って来た。
● 平成24年5月1日
天気予報の都合で予定変更して横浜ズーラシア動物園で象を見てオランウータンを観察して色々な動物を見てから最後にチンパンジーを見て、カレーを食べた。山坂があって大変だったが広くて気もちのよい動物園だ。ゴリラが居なかったのは予定外だった。帰りはららぽーとへ寄ったら勅使河原ちゃんが居たので範代の老眼鏡を注文したら、思いがけず高山さんが支払いをしてくれた。勅使河原ちゃんを皆に紹介した。明日は釣り公園に行って釣り仲間を紹介するつもりだ。
● 平成24年5月2日
隆司には釣りに行くと予告していたが、終日雨なので釣りは諦めて品川水族館へ魚を見に行った。屋内だから濡れないと思っていたが、駐車場から館内までが屋外だから
ずぶ濡れになった。午後6時に巳代子の外科担当医から説明があるので4時に病院へ着いたが、大勢で面会すると巳代子が最期を想像するといけないと思い、延子には遠慮してもらい隆司と見舞いをして待ったが、医師が来たのは7時半だった。8時過ぎて病院を出たが雨は激しくなるばかり。夕飯を家でするには遅すぎる時間なので隆司宅近くのデニーズで食事をして隆司を送って帰って来た。駐車場から家までの間も土砂降りでドブネズミ状態になった。残念な一日だった。
● 平成24年5月3日
今日も朝から雨で外出不可能なので予定を繰り上げて延子たちは新東名を通って刈谷へ向ったが思ったより早く8時には帰着した。土産の買い物もできず今回は病院見舞いと出費だけさせて高山さんには申し訳ないことをした。延子はLDLコレステロール値が高いが健康にはもっと気を付け無ければいけない。巳代子叔母の経過を見て人の運命は予測出来ないと知り、日頃からお互いの様子を見ながら注意し合って行きたい。
● 平成24年5月4日
天気予報は大外れ、朝からの雨が止んだ頃、隆司が写真を持って来たが帰りは豪雨で大きな傘を持って帰って行った。ゴールデンウイークにこれだけ雨が降るのは珍しく、優子の部屋は豪雨の雨漏りで洗面器を置く羽目になった。夜、牧師夫人からの連絡で月曜日の手術が一時なので12時ごろ赤十字病院へ行くことになった。術後はHCUに入るので、その後の予定は分からない。首からの点滴が効いて元気で機嫌も良かったらしい。 久子叔母に知らせたら見舞いたいというが、元気な時には行かなかったのに最期だから見たいと言う気落ちが分からない。巳代子は会いたくないと言ってる。
● 平成24年5月7日
巳代子手術が1時に始まりラウンジで待ち続けたが終わったのは5時半だった。手術室に呼ばれ切取った癌を見せられたが握りこぶし二つほどもあった。肝臓は切らずに済んだので一週間ほどの監視を続ければ食事が出来るようになるとのこと。麻酔で意識は朦朧としていたが返事をするのを確認して帰って来た。教会の今橋・諸原さんが医師の説明を一緒に聞いてくれて、HCUには牧師夫妻が来てくれた。牧師が帰りに車椅子を車に乗せてくれて見送りをしてくれた。大家さんにも結果を報告した。
● 平成24年5月8日
3時からの通常面会に行ったら意識もハッキリしていて記憶力も落ちていない。車椅子での散歩が予定されていたが、38度近い熱発のため中止して明日立ち上がりの訓練をする予定だ。汚れ物を気にしていたが明日は諸原さんが洗濯に来てくれるのだと言う。とても出来ないようなことを教会の人たちがやってくれるので巳代子叔母は幸せだ。肺炎を凌げれば一週間後には食事を摂れるらしい。医師は梶山さんの生命力が頼りだと言った。巨大な癌を手術したとは思えない元気な姿でネプライザーをする巳代子の姿に敬意。範代はパソコン用の眼鏡をプレゼントされてご機嫌だ。
● 平成24年5月11日
久しぶりに釣りをしようと思ったが風が強くて夕方には雨の心配もあったので、テルマエ・ロマエを観に行った。携帯を車に置いてたので巳代子の赤十字病院からの緊急電話を聞けなかった。車に戻って牧師さんと家から着信があったので病状急変だと慌ててしまった。病院に電話すると看護婦が癲癇らしいが医師の話があるという。入院中なのに思わぬ出来事で医師の説明が心配だ。
● 平成24年5月12日
赤十字病院で医師の説明を聞いたが水も禁止なので癲癇の薬を飲ませなかったからで、昨夜からは点滴に入れたので心配なくなったが、激しい痙攣のあと意識を失ったので術後の症状と考えて緊急の連絡をくれたのだった。今日の巳代子は力なく眠っていたが、色々と話をして励ますと帰り際には目に力が出て笑顔も出た。多くの姪や甥には見放されてるのに、忙しい日曜を控えた牧師が直接巳代子の手を握って心こもる祈りを捧げてくれた。
● 平成24年5月14日
神奈川銀行へ行き巳代子の家賃未払分を三菱UFJ銀行へ振り込んだ。トレッサに寄って巳代子専用のケースを買って赤十字病院へ行った。今日から水が許可になって元気になっていた。牧師夫人から退院を命じられた時の為に他を探しておく必要があると教えてもらった。助からないのが分かっているのに、一旦退院となると困ってしまう。
● 平成24年5月15日
巳代子の件でケアマネと区役所から問い合わせがあった。病状についてと今後のことを聞かれたが、巨大癌を摘出して余命も長くないのに事務的な話ばかりで不愉快だった。母の時に経験した制度の不条理を思い出している。
● 平成24年5月16日
大黒ふ頭へ魚釣りに行って来た。若潮で潮回りは悪かったが25センチのシマイサキと18センチのメバルが釣れた。片口鰯も食いが悪かったが50匹ほど釣れた。
● 平成24年5月17日
赤十字病院のソーシャル・ワーカーに相談に行ったが、担当だと言う多弁看護師が規則を説明するだけで話にならなかった。覚悟していたはずの巳代子は抜糸が済んで元気を取り戻し家に帰るつもりになっている。今日はレントゲンなどを撮り明日は採血がある。水分だけで食事は出ていないが、食べられるようになると二週間で退院だそうだ。訪問介護と訪問医療を受けて在宅生活をするしかないのだと言う。冷たい社会になってしまって、末期がんの叔母は孤独死するのだろうか。
● 平成24年5月18日
天気も良いので運動の為、車椅子で徳田病院を往復し、佃野商店街で白菜と胡瓜の漬物を買ってきた。みかど屋に会ったので頑張れと励ました。家に帰って10分ほど経ったら青空が消えて大粒の雨が降り始め雷が鳴った。洗車もして綺麗にしたのに慣れないことをしたからだろうか(ー_ー)!! 体力もあり気力もあるから怠けさへしなければ元気でいられるのだ。
● 平成24年5月20日
今日は食べ過ぎで疲れが出て居眠りばかりしてしまった。やるべき事がるのに後回しにする癖がついて、何もしないで過ごせるようになっている。
● 平成24年5月21日
やっと朝食が出たのに食欲を失ってしまった巳代子叔母の様子を見に赤十字病院へ行ったら、今日は五分粥を食べ元気一杯で点滴も終わり、退院が近いと言われた。外したままだった入れ歯が使えなくなって肉などは噛めなくなった。毎食おかずを残したのは食欲ではなく噛めなくて残していたことが分かり看護室へ「刻み食」とヨーグルトを申し入れた。
● 平成24年5月22日
退院間近で移転場所探しで苦労している。うしおだ老健やすらぎに電話で面接の申し込みをして24日に回答を貰えることになった。時間的に間に合わないような話なので苛々してしまう。
● 平成24年5月23日
暑い日なので大黒へ行って片口100、カサゴ2を釣った。海上は寒かったが赤十字病院の医師から話があると言う電話で気持ちも冷えた。
● 平成24年5月24日
やすらぎから電話で癌患者の老健入所は出来ないので病院への転院を考えろとのことだ。四時から赤十字病院の医師の説明を聞くので診断書を貰うことになる。
● 平成24年5月
|