組織
- 曳山を持つのは五地区あり、それぞれ一基の曳山を維持伝承しているので山組町といわれています。山組町は江戸時代城下町として栄えた町家の区域で、通称、勝野・南本町・北本町・新町・中町西町と呼ばれています。この町名はそれぞれ湊、巴、寶、勇、龍とも呼ばれています。戸籍住所と山組名は本来は別々ですが、昭和32.33年前後より以降特に地区割を山組名で行われ、学校・子供会や地区別の管理・運営でも使用されるようになりました。
平成3年現在の町割
役割
- 山組町の役割には「曳山の管理」「囃子方への参加や指導」「若衆の仕事の手伝い」「祭礼への参加」などがあります。
【曳山の管理】
- 曳山の管理は傷んだ個所の補修や保存などです。曳山の本体や飾り物、そして囃子方の使用する笛や太鼓、鉦や楽譜、祭で着る衣装などの備品も入ります。
【囃子方への参加や指導】
- 囃子方には各組だいたい小学生4年生前後から参加します。少子化の影響でどの組でも子供の数が少なくなってきていて、苦慮するとこです。練習は夜9時過ぎぐらいまで続くので町衆の見守る目が必要です。
【若衆の手伝い】
- 若衆は囃子方の指導や幟建、また曳山巡行に関わる掃除や飾り付けをしたり梃子取り、神輿舁も参加しますが、経験した町衆はその手伝いや指導にあたります。
【祭礼への参加】
- 各家一軒に一人以上祭礼に参加します。祭礼に参加している家では軒先に提灯を吊るします。近年では人口も少なくなって参加する人が減ってきています。
以上のように山組町としての役割があります。
★花山は曳山の一番先頭を進み、曳山巡行が予定どおり進むように調整します。
★
渡番は、祭礼全般に渡って世話番を努め神輿舁の宰領を出します。また、組長は協議の席接待役を務める。四月下旬には町衆総出で御旅所の清掃を行います。