〜 1897年9月21日付け The Sun の社説より 〜


『サンタさんっているんですか』

私どもはこのような形で、以下のご投書に対しご返事出来ることを喜びに思っています。同時に、この信頼感溢れるご投書をお書き下さった方が「ザ・サン」の愛読者のお一人だということに大きな誇りを感じるものです。



親愛なる記者様--私は8つです。
年下の友だちに、サンタさんなんてほんとうはいないんだよ、という子がいます。
パパは、「『ザ・サン』がサンタさんのことを書いたなら、きっとその通りだろう」と言います。
どうか本当のことを教えて下さい。サンタさんっているんですか。

ヴァージニア・オハンロン



ヴァージニア、あなたのお友達は間違っています。何でも疑ってかかるご時世なので、それにすっかり感染してしまっているのでしょう。そうした人たちは自分たちが見たものしか信じません。自分たちの狭い心で理解出来ないものに出会うと、こんなことありっこない、で済ませてしまいます。ヴァージニア、心っていうのは、大人の心であれ、子供の心であれ、みんな狭いものです。私たちのこの巨大な宇宙と比べると、人類はちっぽけな虫、アリのような存在です。私たちをとりまく広大無辺の世界と比較したら、あらゆる真実と知識を有する知能が見たとしたら、人類の知性などまるで取るに足りないものです。

そう、ヴァージニア、サンタさんはいます。愛や思いやりや献身がたしかに存在するように。この世界にそれが満ちていて、人生に言い知れない美しさと喜びを与えてくれているのは、あなたもよく知っているでしょう。ああ、サンタさんがいない世界なんて、なんて下らない世界でしょう!まるで、この世から、たくさんのヴァージニアが一度に消えてしまったのも同じじゃないですか。子供らしい信仰も、詩も、ロマンスも、何もかもかき消え、後には生きる苦しさに耐えることも出来ない世界が残るだけです。楽しみと言えば、実際に手でさわり、目で見えるものだけ。子供時代に世界を包んでいた永遠の灯かりは、スイッチをひねるように消えてしまいます。

サンタさんを信じない!それは、妖精だって信じない、と言ってるのも同じです。クリスマス・イヴにサンタさんが煙突から降りてくるところを見たいなら、パパにお願いして、煙突という煙突に見張を置くことも出来るでしょう。でも、たとえサンタさんが降りてくるのを目撃出来なくても、それが何の証拠になるのでしょう。だれもサンタさんを見ていないからと言って、それがサンタさんがいない証しになると言うのでしょうか。この世で最もたしかな真実は、子供も大人も目にすることが出来ないものです。あなたはこれまでに妖精たちが草原でダンスを踊っているのを見たことがありますか。もちろんないと思います。けれど、だから妖精など存在しない、と言えるでしょうか。この世界にいる、姿がなく見ることが出来ない不思議なものを、すべて思い付いたり勝手にでっちあげたり出来る人間などいないはずです。

赤ちゃんのガラガラを分解して、どんな仕組みで音が鳴っているか、中身を調べてみることは出来るでしょう。しかし、目に見えない世界を蔽っているヴェールは、一番の力持ちでも、たとえこれまで存在したあらゆる力持ちが集まっても引き裂くことは出来ません。信仰と、詩と、愛情と、ロマンスだけが、そのカーテンを開き、その向うにある、言葉に出来ないほど美しく素晴らしいものをかいま見せ、その姿を描き出してくれます。それはすべて本当のことかって?ああ、ヴァージニア。この世で、それほど真実で永遠に変わらないものはありません。

サンタさんがいない!やれやれ!サンタさんはちゃんといて、そして永遠に生きています。今から千年もの間、いやヴァージニア、それどころか、一万年のさらに十倍だって、サンタさんは子供たちの心を喜びで満たし続けてくれるでしょう。

<訳:野上絢/クリスマスキャロルより>


〜 原文 〜


Is There A Santa Claus?

We take pleasure in answering thus prominently the communication below, expressing at the same time our great gratification that its faithful author is numbered among the friends of The Sun:

Dear Editor--I am 8 years old. Some of my little friends say there is no Santa Claus. Papa says, "If you see it in The Sun, it's so." Please tell me the truth, is there a Santa Claus?

Virginia O'Hanlon


Virginia, your little friends are wrong. They have been affected by the skepticism of a skeptical age. They do not believe except they see. They think that nothing can be which is not comprehensible by their little minds. All minds, Virginia, whether they be men's or children's, are little. In this great universe of ours, man is a mere insect, an ant, in his intellect as compared with the boundless world about him, as measured by the intelligence capable of grasping the whole of truth and knowledge.

Yes, Virginia, there is a Santa Claus. He exists as certainly as love and generosity and devotion exist, and you know that they abound and give to your life its highest beauty and joy. Alas! how dreary would be the world if there were no Santa Claus! It would be as dreary as if there were no Virginias. There would be no childlike faith then, no poetry, no romance to make tolerable this existence. We should have no enjoyment, except in sense and sight. The external light with which childhood fills the world would be extinguished.

Not believe in Santa Claus! You might as well not believe in fairies. You might get your papa to hire men to watch in all the chimneys on Christmas eve to catch Santa Claus, but even if you did not see Santa Claus coming down, what would that prove? Nobody sees Santa Claus, but that is no sign that there is no Santa Claus. The most real things in the world are those that neither children nor men can see. Did you ever see fairies dancing on the lawn? Of course not, but that's no proof that they are not there. Nobody can conceive or imagine all the wonders there are unseen and unseeable in the world.

You tear apart the baby's rattle and see what makes the noise inside, but there is a veil covering the unseen world which not the strongest man, nor even the united strength of all the strongest men that ever lived could tear apart. Only faith, poetry, love, romance, can push aside that curtain and view and picture the supernal beauty and glory beyond. Is it all real? Ah, Virginia, in all this world there is nothing else real and abiding.

No Santa Claus! Thank God! he lives and lives forever. A thousand years from now, Virginia, nay 10 times 10,000 years from now, he will continue to make glad the heart of childhood.


● 永遠の疑問に対する永遠の答

ここに訳出したのは、冒頭にも書きました通り、1897年9月21日付けのニュー・ヨークの日刊紙「ザ・サン」の社説です。「ザ・サン」紙はアメリカの新聞で最も権威あるものの一つで、合衆国で最初に成功した地方紙でもありました。

この社説はニュー・ヨークにすむ当時八歳の少女、ヴァージニア・オハンロン(Virginia O'Hanlon:1890-1971)による手紙に、新聞社が答えた形になっています。この記事を書いたのはフランシス・ファーセラス・チャーチ(Francis Pharcellus Church:1839-1906)という48歳の記者でした。

ヴァージニアは、今から百年以上前、ニュー・ヨークの検視官の助手だったフィリップ・オハンロン(Dr. Philip O'Hanlon)の一人娘として生まれました。その年1897年の秋の始め、オハンロン家にちょっとした出来事が起こりました。ヴァージニアが父親の元に来て悩みを打ち明けたのです。友達と話していて、その子たちから聞いたことでとても悩んでいる、というのです。それが、「サンタさんなんて、本当はいないんだよ」という言葉でした。

フィリップがその時したことは、大抵の父親がするのと同じように、うまく逃げを打つことでした。彼は娘に、新聞社に手紙を書くように薦めました。

「きっと、おまえが信頼できる返事を書いてくれるだろう。そして、『ザ・サン』に書かれたのなら、それはその通りだよ」

そこで、彼女は本当に手紙を出しました。
そして、このヴァージニアの手紙が、永遠の疑問に「永遠の答」を与えるきっかけとなりました。


● 50年間続いたアンコール

当時「ザ・サン」には、フランシス・ファーセラス・チャーチという記者がいました。フランシスは洗礼派教会の牧師の息子として生まれ、ニュー・ヨーク・タイムズ紙で南北戦争(1861-64)担当の特派員となり、「陸軍海軍ジャーナル」、「ギャラクシー・リテラリィ・マガジン」の編集も務めたことがあるベテラン記者でした。「ザ・サン」には20年在籍し、1897年には社説論説委員をしていました。

フランシスはかなりの皮肉屋で、物議を醸し出す社説があれば、特にそれが宗教上のものであるなら、その筆者は大抵フランシスでした。そのフランシスに上司が持ってきたのは、もっとも物議を醸す内容の手紙でした。

「サンタさんっているんですか」

上司がその手紙を渡したとき、フランシスは呆気にとられました。手紙には子供っぽい筆跡が踊っていました。一目見るやフランシスは不満を露わにしました。

「彼はブーブー文句を垂れていたよ」

と上司は後に述懐しています。

「『社説で扱える内容は限られているんですよ。8歳の子供に返事を書くより、他に大切なことが一杯あるじゃないですか』たしか、そんなことをフランシスは言ったと思う。しかし、それはフランシスが悪いわけじゃない。たしかにその通りだったからね。」

しかしフランシスの心情は、上司に向かって言ったこの言葉だけではおよそ推察しきれないものだったはずです。彼が書くのは単に8歳の子のたわいもない疑問に対する返事ではありません。それは「社説」です。その背後には、ニュー・ヨークに住む多くの読者への責任が圧し掛かっています。

「サンタさんっているんですか」

もし、この質問に社説で答えるとするなら、お茶を濁した返事は書けないでしょう。誠実に、自分のすべてをかけて答を書かなければ、読者が黙っていません。政治的な事柄だったなら、社名で対峙出来ます。しかし、この質問に対峙出来るのは、自分の心しかないでしょう。その責任の重さがベテラン記者だったフランシスの脳裏に過ぎらなかったわけはないと思います。牧師の子として育ち、心の真実を引き受ける重みを知っていたフランシスが二の足を踏むのは、むしろ当然だったような気がします。

しかし、フランシスは返事を書きました。実際、一日で書き上げたのです。その日、1897年9月21日の紙面には七つの社説が載りました。全国と地方の政治について三つ、大西洋における英国の海軍力について、ユーコンから金を運ぶ助けとなるカナダの鉄道計画について、そして、実用新案のチェーンなし自転車について。「サンタさん」についての社説はさらにその後、最後の一つとして載せられました。そしてこれが、1833年から1950年まで続いた『ザ・サン』の社説の中で、最も有名な、そして最も愛された社説となりました。

掲載されるや、この社説はものすごい反響を呼びました。読者からの手紙が新聞社に殺到しました。季節はずれの内容だというのに、どの手紙も「感動した」「ありがとう!」という感謝に溢れていました。この時以後、「ザ・サン」は、クリスマスに新しい社説を書く必要はなくなりました。読者のアンコールに応え、毎年フランシスの書いたこの社説が再掲載されたからです。クリスマスにはフランシスの肩をたたき、「そうとも、ヴァージニア!」と言いさえすれば、その日の社説の編集はおしまいになりました。そして、これは「ザ・サン」が発行を止める前年の1949年のクリスマスまで続きました。


● 永遠は続く

36年後、ヴァージニアはこんな言葉を書いています。

「幼い子にとって全く自然なことですが、私はサンタ・クロースを信じていました。なぜなら、サンタ・クロースは決して私を裏切らなかったからです。しかし、ちっちゃな友人たちがサンタ・クロースなんて本当はいない、と言っているのを聞いて、疑問が渦巻きはじめました。私が尋ねると、父は多少逃げの返答をしました。

我が家の習慣として、この単語はどう発音するかとか、歴史上の疑問が浮かぶと、どんなときも「ザ・サン」の「読者からの質問」の欄に投稿することになっていました。父はいつも言っていました。「『ザ・サン』がそれに答えたのなら、その通りだろう」って。そして、それでどんな問題も解決していました。

「じゃあ、私『ザ・サン』に手紙を書くわ。そしたら、本当のことがわかるわよね」と、私は父に言いました。

すると父は、「それがいい、ヴァージニア。『ザ・サン』はきっといつものように正しい答を教えてくれるよ」

そして、この父の言葉通り、『ザ・サン』はそれを与えてくれたのです。

9月の終わりに書かれた季節外れのこの社説は、それから百年以上経った今も、なお多くの書籍となり、多くの人々に読まれ続けています。この日付から丁度百年後、ヴァージニアの投書を記念するある新聞記事にはこう書かれています。

「この手紙を書いたヴァージニアと、その疑問に答えるのみでなく、この仕事に携わる私たちに非常に価値ある教訓を与えてくれたフランシス・チャーチに感謝を捧げるべきだろう。それは、我々のなしたどんな仕事が評価され、何が不滅のものになるかは、人々が決めることであり、我々が決めることではないということだ。そうとも、ヴァージニア、そうとも、フランシス、百年祭おめでとう!」


記事を書いたフランシスは、1906年4月に亡くなりました。結婚はしていましたが子供はいませんでした。

ヴァージニアはハンター・カレッジに進学、後コロンビア大学で美学修士の学位をとりました。そして1912年からニュー・ヨークで教職につき、後に校長となります。そして、47年間教育者として地域の教育に尽力しました。その生涯を通して、幼い彼女が書いたサンタ・クロースの投稿についての手紙は止まることはありませんでした。それに対するすべての返事で、彼女はチャーチの書いた社説の美しい印刷を同封しました。ヴァージニア・オハンロン・ダグラスは1971年5月13日、ニュー・ヨークの老人施設で81歳の生涯を閉じました。

私たちはもう二度と彼女の姿を見ることはありません。しかし、今も、「多くのヴァージニア」が繰り返す問を聞くことが出来ます。

「サンタさんっているんですか」

そして、それに対する答も、私たちはよく知っています。

「いるとも、ヴァージニア」

フランシスの書いたこの返事は、サンタさんがこの世にある限り生き続けるでしょう。「今から千年もの間、いやそれどころか、一万年のさらに十倍だって…。」
 
<絢/クリスマスキャロル



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