ユゲット1奪回 4月23日
作戦決行前のユゲット1の状況
 ベトナム独立同盟の塹壕に取り囲まれたユゲット1への補給の為、ユゲット2から補給用の連結壕が掘られましたが、VMによって切断、ユゲット1は孤立します。
 4月21日深夜、1er BEPが向かいますが足止めされ、翌日6e BPC2個中隊もやはり途中で引き返すことになりました。ユゲット1の守備隊、シュヴァリエ大尉率いる13e DBLE第1大隊第4中隊は4月23日早朝まで持ちこたえましたがついに陥落。
 滑走路の中央西側に位置するユゲット1を失うことは、ディエン・ビエン・フーへの物資投下範囲の縮小に結びつくという理由で、ド・カストリ将軍が奪回を決定しました。

作戦概要
 航空機での爆撃、砲兵隊の砲撃後、2e BEP第5中隊・戦車小隊による側面からの援護の下、2e BEP第7、8中隊が滑走路を横断し、ユゲット1を確保する。各部隊の同調がキーポイント。
 作戦開始時刻 14:00

作戦開始時部隊配置
2e BEP大隊司令部   ユゲット3
2e BEP第5中隊   ユゲット2
2e BEP第7、8中隊   オペラ
2e BEP第6中隊(予備)  ユゲット3
戦車小隊(ブルー小隊)  ユゲット2

各部隊の動き
 この作戦の中核をなすはずの2eBEP4個中隊のうち、エリアーヌ陣地を守備していた第5、6中隊の交替要員の到着が遅れ、作戦開始時刻に初期配置位置に到着することが出来ませんでした。

  B26による空からの攻撃は定刻の13:50に開始。引き続いて砲兵隊の砲撃が開始されましたが、肝心の2e BEPはまだ作戦決行の準備が整っていませんでした。2e BEP大隊指揮官リーゼンフェルト少佐は、ド・カストリ将軍から大隊司令部に派遣されてきていたビジャール中佐に砲撃を一時中断するよう要請します。
 中断された砲撃が再開したのは14:25。14:30になり、未だ初期配置位置であるユゲット3に姿を現さない第6中隊を除いた2e BEP3個中隊がようやく攻撃を開始することになりました。
 しかし友軍の空爆と砲撃は、ユゲット1のベトナム独立同盟勢力を抑えることが出来ず、一時的な砲撃の中断が態勢立て直しの時間を与えることになってしまいました。その結果、2e BEPの3個中隊は攻撃開始とほぼ同時に敵の小銃により動けなくなり、第5中隊の中隊長ビレ中尉は両足を負傷、リーゼンフェルト少佐に代わりの指揮官を要請します。大隊の予備士官ピカト大尉が向かいますが中隊と合流する前に死亡。ビレ中尉が引き続き中隊の指揮を執ることになりました。
 作戦開始後、大隊司令部と第7・8中隊との間の無線が滑走路に敷き詰められている鉄板が原因と思われるフェーディングで機能しなくなった上、2e BEP司令部のうち誰一人として進行状況を直接確認出来る場所にいなかったため、リーゼンフェルト少佐は作戦の推移を全く把握できないという状態でした。

 2e BEPの司令部でビジャール中佐が必死に無線の周波数を合わせること約20分。
 ようやく第7・8中隊と無線が繋がりますが、二人の中隊長は後退以外成す術が無いと伝えます。作戦続行不可能と判断したビジャール中佐がラングレ大佐に後退の許可を求めますが、ラングレ大佐は直ぐには受け入れませんでした。ビジャール中佐は何とかラングレ大佐を説得しようとします。
「2e BEPの連中はウスノロじゃあない。彼等が出来ないと言ってるんだったらそれは誰がやっても不可能な事だ!」
「本当に後退以外の手段が無いと判断する理由が無い限り認めない!」

 結局、撤退命令が出されたのは16:30、その間、約1時間にわたって2e BEP3個中隊は滑走路上でベトナム独立同盟側の小銃の的になりました。後退の命令は出されたものの、遮蔽物の少ない滑走路上を再び横断しなければならなくなった第7・8中隊の被害は甚大で、戦死者と負傷者を合わせた数は部隊の80%にも及びました。
 滑走路の中間地点付近では戦車小隊の2台のM24(デュオモント、ミュルーズ)は2e BEP第7・8中隊と無線交信が確立出来ず、その現在位置を把握できずにいました。撤退命令が戦車小隊に伝わる前に、ビジャール中佐からの「友軍が西から東へ滑走路を横切る。援護せよ。」という無線連絡が入り、戦車小隊のマンジェル少尉は作戦が失敗に終わろうとしている事を察します。その時、BEP第7・8中隊が滑走路を横切ろうと身を隠していた窪みから一斉に飛び出し、マンジェル少尉の搭乗するデュオモントが慌ててその後方援護に向かうことになりました。

 この作戦後、実働数が激減した2e BEPは1er BEPと統合し臨時編成外人落下傘大隊を編成、1er BEPの大隊指揮官ギロー少佐がその指揮にあたりました。一方、2e BEPの大隊指揮官リーゼンフェルト少佐は作戦失敗のスケープゴートとして解任、その後まもなくして軍務から退きます。

覚え書き
 この作戦に関しては、文献によって時間軸に微妙な食い違いがあるようです。ここでは作戦実行の中核となった2e BEP、戦車小隊の記録を基にまとめてみました。