砲兵隊中尉

  映画の中ではあんなに出ずっぱりで、台詞も多くて白いスカーフがイケてる砲兵隊中尉ですが、何故か役名は「砲兵隊中尉」(笑)。ちょっと悲しいですね〜。
 彼のモデルになっているのは2/4e RACのパウル・ブランブルック中尉だと思われます。
パウル・ブランブルック中尉

砲兵隊中尉
  1926年生まれ。1953年にインドシナ戦線行きを命ぜられ、RACに配属。同年12月にディエン・ビエン・フーに到着しました。

 映画では3月30日にドミニクの丘から降りてくるヴェトミンの波を食い止めるべく命令を無視して応戦するシーンが印象的ですが、これも事実に基づいているようです。
 『les 170 jours de Dien Bien Phu』によれば、ブランブルック中尉はラングレ中佐から二度にわたって川の反対側まで撤退せよという命令を受けましたが(ブランブルック中尉率いる2/4e RACはドミニク3に配備されていました)、彼はそれには従わず逆に砲兵隊援護のための増援部隊派遣すら要請しました。ユゲット陣地への増援も拒否していたラングレ中佐ですから(「第1回 ケルヴェガン大尉」の項参照)、当然ブランブルック中尉へも同様の対応をしました。ラングレ中佐にとっては、エリアーヌの攻防が最優先だったわけです。
 ドミニク1、2の丘を失った後、歩兵の増援部隊もなく最前線に立たされたブランブルック中尉でしたが、彼の尽力により、その晩ドミニク3は持ちこたえることが出来ました。翌朝、2/4e RACはクロディーヌへ移動します。映画では雨の中戦死者へ敬意を表する砲兵隊中尉の後ろを105mm砲を引きながら橋を渡っていくトラックが写っていますね。
 この日からブランブルック中尉の名は、ヴェトミンを食い止めた砲兵隊将校としてディエン・ビエン・フーの友軍の間に広まることになりました。

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