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【五色姫伝説と五色姫復活祭】


 平家の落人で、美しい5人のお姫様が海岸に流れ着き暮らしていました。ところが、源氏を恨むが余り精神に異常を来した姉姫が些細な出来事から妹姫の1人を殺害し、これを悲しんだ残りの妹姫たちが次々と海に身を沈めました。間もなく姉姫も身を投げ、全員が亡くなりました。姫たちは赤・白・黒・黄・緑の石になりました(これが名勝「五色浜」の由来です)。姫たちの死を悲しむ地元の人達の涙が五色の石にふりそそがれると、海から姫たちが生き返りました。その後、姫たちは土地の人々と仲良く暮らしました。
平成元年より、女性の祭典として、毎年、3月の第4日曜日に五色姫復活祭が催され、五色姫は伊予市まちづくりのシンボルとして市民に親しまれています。

 

【郡中開町】

 

 江戸時代の初期、寛永十三年(1636年)、現在の愛媛県双海町上灘の商人、宮内清兵衛・九右衛門兄弟が、大洲藩の許可を得て、私財を提供して、荒れ地となっていた伊予市灘町周辺の土地を開墾し、町をつくりました。後に大洲藩により「郡中」と命名されます。郡中町は、その後、港(ばんあんこう萬安港)の建設(1835年・天保3年)を経て、町方衆が中心となり、商工業の拠点都市として繁栄を極めました。灘町の宮内小三郎邸をはじめ灘町、湊町に残る町家は、旧郡中町繁栄の歴史を物語るものであるとともに、伊予市らしい景観を形成しています。 

 

【郡中復興・中心市街地の再生を】

 

 伊予市の中心市街地(旧郡中町の中心部・灘町周辺と重なります)に都市機能を集約し、市民が様々な都市的サービスを快適に受けられる仕組みをつくりたいと思います。そして、「まちの顔」となる魅力的な中心市街地とし(「海とロマン」をまちづくりのテーマとします)、四国の星・伊予市をめざします。