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まず最初に、近時問題となっております市町村合併問題についてお尋ねいたします。
国は地方分権の推進と相俟って基礎自治体の基盤を強化することを大義名分として合併特例法により市町村合併の流れを形成しようとしております。
最近の報道によりますと、西田自治大臣は合併特例法の延長は考えないとして、平成17年までに市町村合併を推し進めていく考えを示しておられます。そうなりますと、早晩、合併問題で県内に様々な動きが出てくるものと予想されます。警戒しなければならないのは、期限が切られているから「バスに乗り遅れるな」ということになり、本質的な議論のないままに流れに身を委ねてしまう雰囲気が出来てしまうことです。一旦、ある「空気」が出来てしまうと誰も逆らえないことになってしまい、行くところまで行ってしまったということが歴史上もありました。太平洋戦争に突入した日本がその典型例であります。こういう重大な案件は、問題点をきちんと整理し、じっくり考えることが何より大切であると考えます。
そこで、お尋ねしたいのは、この問題について、伊予市に対し国・県からどの様な指導ないし説明があったかということです。合併問題について市長がどの様に考えられるかについては、現時点でお聞きするつもりはございません。その段階ではないと考えますので、事実についてのみお答え下さい。そして、現在の伊予市のままで合併しないという選択をした場合に何か従来とは違う不利な要素があり得るのか、その点での認識をお示しいただきたい。
この秋にも、県から合併パターンの具体案が示されるといわれております。そうなると、報道機関もこの問題に光を当てて参りましょうし、我々としても態度を明確にしなければならない段階が来ると思われます。
今回の市町村合併論議は六百四十五兆円といわれる国と地方の財政赤字を背景とした地方政治のリストラがその本質であると考えられます。そうだとすれば、これは日本の行政全般にわたる再構築の問題の一環としてとらえるべきであり、市町村合併の問題に矮小化すべき話ではありません。即ち、国、県、市町村がそれぞれどのような改革を行い、どの程度の負担を背負うのが公平であるかが議論されるべきだと考えます。その際、まずもって国が血のにじむ制度改革に取り組むことが必要不可欠であり、また、それに続いて県が身を切る改革を行うべきです。その後に、市町村に向かって提案すべき課題です。
然るに、昨今の省庁再編はお茶を濁しただけのものであり、外郭団体や天下り問題に本格的にメスが入っているとは到底言えません。県においても市町村に対する上級機関であるとの意識が抜け切れておらず、屋上屋を架す非効率な地方行政が継続しており、改革には程遠い状態であると言わざるを得ません。国・県ともまだ宿題をやっていない段階で、市町村にのみ負担を押しつけるのは不公正ではないでしょうか。
合併すれば首長、議員、職員が減り、その分財政に良い影響がある等という議論があります。一般受けはしやすいかもしれませんが、問題の本質を隠すものでしかありません。住民が真に守りたいと考える自治を維持していく上で必要な経費は、これを当然の権利として確保することが「地方自治の本旨」に適合するものであり、効果効率のみに傾斜した皮相的な議論は、結果として地域切り捨てになり、地方の将来に大きな禍根を残すものです。合併すれば財政的に優遇され、合併しなければ交付金が減額されるというのでは、強制合併とあまり変わりません。今回の合併論は、中央集権的発想から地方を蔑視し見下す官僚の体質を如実に表したものだと思います。地方自治体は金食い虫であり、これを整理統合すれば財政再建の足がかりになると考えているのでしょう。そこには、住民が身近な問題を自ら解決する住民自治の考えは微塵もありません。もっと言えば、自治体が住民から遠ざかり、住民が政治に無関心になってくれる方が好都合と考えているのでしょう。また、地方の首長や議員は意地汚い人達であり、予算で首を絞めればすぐ降参するし、池の鯉と同じで、餌を撒けば寄ってくる、手を叩いて餌を撒く振りをするだけでも寄ってくると考えているのでしょう。彼等の発想を受け入れることは、地方自治の敗北になると思います。
市町村合併は単なるリストラではなく、基礎自治体を強化し地域振興を有効適切に行うところに意義があるのだと言われるのかも知れません。もしそれが本当だとすれば、合併を言う以前に、財源を含む権限と人材の問題とが最重要の課題として検討されなければなりません。明治・昭和の合併は、地域から人材を奪い、中央集権を人的に補強する手段となり、結果として地域の崩壊を招いたのではないでしょうか。高度成長を通じて国は豊かになりましたが、その一方で地域社会は自立性を喪失し、大都市住民のお金を地方に回しているといわれるような事態を招きました。この原因は、地方自治体の権限不足と人材流出にあると考えます。現在の権限と人材で合併を行っても空疎な自治体が出来るだけで、地域振興に繋がることはないと考えます。自治体に権限を与えた上で、地方に人材を供給するシステムを創ることが先決です。例えば、国・県の公務員の大幅な人員削減を行い、その人事圧力を前提に、公務員を人材バンクに登録し、市町村がそこから自由に引き抜ける様にすることを考えても良いでしょう。地域が、繁栄する自由、没落する自由を手に入れてからが本当の自治であると思います。今回の合併論議に当たっては、この点を強調したいと考えます。
地方自治を地域コミュニティーの維持という観点から眺めると、合併論とは反対の方向性が出てくると思われます。今日の社会の教育力の低下は深刻であり、衝撃的な少年犯罪、学級崩壊といった出来事は学校教育に原因を求めるのではなく、地域コミュニティーや家族の崩壊という現象をどの様に受け止めるのかという形での議論を必要とする課題であると思います。その様に考えますと、自治の単位を拡大することの正当性には疑問がもたれるところです。むしろ、旧町村と言いますか、現在の小学校区を単位とする自治を強化していくことを考えても良いのではないかと思われます。区長、広報委員、各種団体、PTA、地元住民、子供達が参加できる交流と意見交換の場を設け、教育問題、環境問題等を協議していくことが望ましいのではないかと思います。
合併論に対しては、「やむを得ない」という反応が各市町村から出てくる恐れもあります。
しかし、なし崩しに合併に進んでいくことは責任の放棄です。また中心性を喪失した地域は結果として切り捨てられることにもなりかねません。明治の合併で鵜崎村は南山崎村に編入されました。砥部との交流が盛んであった鵜崎地区は昭和の合併で伊予市が出来た時、絶好の機会であるとして砥部町への編入を希望しました。伊予市誌には砥部との関係が強かった鵜崎地区が明治の合併で南山崎村に編入され不便を強いられ、昭和の合併に際し砥部町への編入を強く希望し伊予市に陳情書を提出した経緯が書かれています。明治・昭和の合併は、鵜崎地区から見れば、結果として地域を切り捨てられ、自治を喪失した歴史だったのだと思います。
昭和の高度成長は諸々の事象を覆い隠すに充分の富を国民に分配したので、合併による矛盾が明確にならなかったのだと思いますが、この機会に、私たちは、明治・昭和の合併の再評価を行うべきであると考えます。これは、迂遠な作業のようですが、自治とは何かを考える絶好の教材だと思います。
以上述べましたように、市町村合併問題には検討しなければならない課題が数多くあるように思います。我が伊予市の将来に関わる重大な問題であるが故に、腰を落ち着けて問題の所在を検討するため、勉強会を設置すべきであると考えますが如何でしょうか。議員と理事者とが討議できるようなものが良いと思われます。
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次に、職員の資質向上の問題について質問いたします。
合併については、権限と人材の問題が重要なテーマになると申し上げて参りました。これから伊予市がどの様な道を進むにしろ、現在の伊予市の職員が従来の環境から厳しい環境に移らざるを得ないことは否定できないと思われます。議案審議されている職員の再任用制度一つとっても大変になると思われます。それ故、伊予市の職員の資質向上をこれまで以上に重視していくことが必要になると考えます。そこで、現在、伊予市で職員の資質向上に向けてどの様な取り組みをされておられるかについて具体的に教えていただきたいと思います。
思いますに、議員研修についてもそうでありますが、ともするとインプット(情報の入手)中心の研修になるのではないかと思います。即ち、他の自治体を視察して学んでいくこと、あるいは、講師の講演を聴くこと等が中心になってくるのだろうと思います。私は、これはある程度必要なことだと思いますが、マンネリの危険も含んでいると思いますし、消化不良の危険もあると思います。これからは、アウトプット(情報の発信)中心の研修を取り入れるべきだと考えます。例えば、各職員がそれぞれ半期あるいは1年間のテーマを設定し、それについてレポートを出すなり発表をするなりすることが考えられます。そのことにより漠然とした知識を貯め込むのではなく、問題提起型、問題解決型の思考能力を養成することが出来ると考えます。常に問題意識を持ちテーマを掲げながら職務に励むことを継続すれば、その効果は顕著に現れると思います。そのことを市民の前で検証するために、職員の所信表明の制度を創っては如何でしょうか。その場合の発表形式として、議会本会議ないしは委員会の場も考えて良いと思われます。職員の企画によるシンポジュウムという方法もあるかとも思われます。地方公務員法第15条は職員の任用は能力の実証に基づいて行われるべきことを要請しております。この規程が厳格に運用されることは職員の皆さんにとっては厳しいことになりますが、これからは公務員にとって大変な時代になることが確実です。その認識を持つ限り、先手を打って時代に対応できる実力を付けていくことが結局自分の為にもなっていくと思います。引き抜かれるような潰しの効く人材が職員の中からどんどん出てくれば、地域も確実に変わると思います。
なお、この様な提案を行うのは、安上がりの自治を指向するからです。交付金減額ということになっても誇りを持って自治を守り抜く為には多少の犠牲も覚悟すべきです。金持ちの家の子供には優雅な勉強方法があり、貧しい家の子にはそれなりの勉強方法があります。自治体が冬の時代を迎えるとしても、自覚があればやれるのだと思います。他を羨むのではなくやれるところからやるべきです。これまでが良すぎたとも言えるのです。
次に、その一環として提案したいのは、伊予市の税収に何らかの形で連動した給与体系を模索できないかということです。ほとんどの自治体が交付金に依存しており、伊予市も例外ではありません。市の税収=売上と考えると、民間の感覚からすると経営として成り立っていないのが実情です。売上に見合う経費しか計上できないのが民間企業であります。職員が本気で地域振興を考えるのであれば、自分の給料がどういうところから出ているのかに関心を持つべきであり、予算の3割弱しか市税収入がない(自主財源比率は4割弱)ことに不安を覚えることが出発点だと思います。給与のうちほんの一部でも良いのです。市税に比例する部分を設けることにより自治体経営の感覚を持っていただきたいと思います。「売上」以上の経費がかかっている状況を各自が自覚することが重要だと考えます。
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続いて、水道行政について質問いたします。この夏は少雨であり、断水になるのではないかとの危惧を持たれた市民も多かったと思います。議員には、8月初旬、節水対策委員会から報告書をいただきましたので、これはある程度大丈夫だなという感想を持っておりました。ところが、市民の皆さんは大変心配しておられたようで、結果としてはセーフだったが、地下水位をはじめとした情報を教えて欲しかったという声も聞きました。
これからの時代は、情報を公開し市民が自ら考えるということが重要になります。「節水して下さい」という指示だけを伝えるのではなく、水事情がこうだという情報を随時提供し、市民に考えていただくやり方に変えて行くべきです。市民の不安は情報がないことによる部分も大きいと思います。市民の節水意識も着実に定着しているのですから、情報を提供して大丈夫な時期はどんどん使っていただき、注意信号が出たときは節水に御協力願うことで、結果として水を安く提供することにも繋がると思います。広報ないしインターネットで随時水源情報を提供していくべきであると考えます。この点の御配慮を頂けないでしょうか。
今議会に上程された水道事業決算報告について議案審議があったわけですが、ここで今後の見通しについてお聞かせいただきたいと思います。と申しますのも、過去数年の決算審査意見書を見ますと、平成7年度8年度については良好であるとの意見が出ておりますが、9年度、10年度、11年度の3年間は、第6次拡張事業実施に伴う資本投下により、有形固定資産並びに借入資本金(企業債)の増加が見られ、今後、公共下水道の進展、簡易水道の統合、都市化等による住宅戸数の増加、それに伴う水需要の増加、引き続いて水道施設の改良や老朽管の敷設換え等事業の増加が見込まれるところであり、尚一層の長期的視点に立った財政計画の下に事業計画が推進され、健全な計画による市民サービスの向上が図られるよう期待する、旨の意見が付されております。ここ3年間ほぼ同じ内容であります。これは婉曲な表現ながら、水道料金改定を視野に入れるべきことを示唆したものと判断されます。そこで、第6次拡張計画に伴う借入資本に対する償還が今後どの様に進むのか、概要をお示し頂きたいと思います。
今後、料金改定が視野に入ってきた場合、特定の期間のみ料金を高めに設定するなどして、市民の節水意識だけでなく経済合理性の判断に訴える料金体系を模索することも考えられて良いのではないでしょうか。例えば、夏の間は料金が高く、冬は比較的安くすることも考えてみる余地があると思います。この点、技術的にはどうであるか伺いたいと思います。
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次に、下水処理水の利用について伺いたいと思います。
伊予市には水がないということが常識化しつつあります。しかし、近年、実際に供給が停止されたのは平成6年のみであり、それほど水が不足している地域であるとは言えないのではないかと思われます。しかし、一旦定着したイメージの払拭は難しく、市民は頭の片隅に不安を抱えながら生活しているというのが実際ではないでしょうか。私は、海にむなしく放流している下水処理水の利用についても検討すべきではないかと思っております。これが水洗トイレや散水、洗車に利用できるのであれば、市民の不安感除去に繋がるのではないかと考えます。これを市内全域に実施することは財政上不可能と思いますが、埋め立て地の利用に際して水道管、下水管と共に敷設するのであれば安くつくのではないかと思われます。ここをモデル地区とする方法はないのでしょうか。他地区の事例等を踏まえ、回答をお願いします。
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今年も敬老会が各地区で行われ、多くのお年寄りをねぎらう場が設けられました。敬老精神を大切にしなければならないことは当然であります。しかし、気になることもあります。
伊予市では数え年75歳から敬老会に招かれることになっております。高齢社会に突入した今、伊予市の人口の約1割が有資格者になると思われます。多くの方が有資格者になるわけで、これまでの様に「お年寄り」という見方は出来なくなっているのではないでしょうか。
現在の高齢者の中には御自分を「老人」という概念に含めることに抵抗を感じる方もかなりいらっしゃるのではないかと思われます。そうだとすると、敬老会に呼ばれることがさほど嬉しくないという感想を持たれるということも十分考えられます。行政の描く高齢者像がワンパターンであり、行政の担当者が高齢者を客体として見過ぎるのではないかとの疑問も持ちます。これからは、むしろ、自治の主体としての高齢者を前提とした考えを導入して行くべきではないかと考えます。本当にいたわらなければならない高齢者というのは80歳、あるいは85歳位からではないでしょうか。従来の敬老会であれば、そのくらいの年齢の方を対象にした方が良いのではないでしょうか。
現在の75歳は終戦時に19,20歳という方達であり真面目な世代と言って良いと思われます。お誘いがあれば出席していただけるし、文句を言うことも少ないと思われます。しかし、これからは、高齢者の自己イメージが相当変わってくると思われます。10年、20年立てばまるで違う高齢者像が出てくるでしょう。今日の高齢者は昨日の高齢者とは違う人達であると考えておくべきではないでしょうか。
「自治」というものを考えたとき、高齢者をどう位置付けるかということは大変重要な問題だと考えます。これまではお客様と考えてきたと思います。しかし、高齢者が自治の主体であり、地域社会の主人公だと捉えたときには、また違うことが考えられるのではないでしょうか。現在行われている敬老会のように高齢者をお客様として扱い、弁当を食べ歌を唄い、踊りを鑑賞してもらえば大切にしたことになると考えるのは失礼なのではないかと思います。高齢者にも様々な個性があります。積極的、行動的な方もいます。消極的な方もいます。
元気な方、病気がちな方という区分も必要でしょう。それぞれの特性に応じて参加していただけるイベントが選べるやり方が潜在的に求められているのではないでしょうか。例えば、市政に意見を言いたいと考えられる方にはシルバー議会の開設ということもあって良いでしょう。あるいは、創作活動に喜びを感じ、発表意欲の旺盛な方もおられるでしょう。それを発表する場を設けても良いでしょう。子供好きな方は小中学生や幼稚園児が主催しもてなしてくれる敬老会と言うのも良いでしょう。様々な個性を有する高齢者が主人公となる取り組みが求められていると思います。
ここでわざわざ敬老会のことを取り上げたのは、冒頭の市町村合併問題と無関係ではありません。現在の自治を維持しようとすれば、財政的には困難な道を敢えて選択する気概が必要とされる場合もあるでしょう。その時、先輩である高齢者の皆さんに御無理をお願いすることも避けられないかも知れません。自治の主体である高齢者の皆さんの判断が重要となります。
敬老会に関連してこれまで述べたことは、今後の課題として考慮していただきたいということですので、実態を踏まえて研究していただきたいと思います。アンケートを実施し、敬老会に参加された方、参加されなかった方の御意見、さらには、将来その年齢を迎えられる方の御意見を聴いた上で、敬老会のあり方を含め、自治における高齢者の位置付け、高齢者に対する行政サービスのありかたを考えていただきたいと思います。なお、質問の仕方で回答が違ってくるでしょう。その点の配慮もお願いしたいと思います。
以上について、敬老会への出席状況などを踏まえながら回答をお願いします。
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三秋の土砂問題、産業廃棄物問題については、昨年6月議会で質問いたしました。その後、御存知のように社会的に注目を浴びる問題に発展しました。今回、廃棄物の撤去の状況について質問を予定しておりましたが、今議会冒頭、市長により廃棄物の撤去についての最近の動向が紹介され、大阪から来た廃棄物以外は解決の方向にあることが分かり、ひとまず安心した次第です。
そこで、予定を変更して、最近の報道の中で気になった点として、地権者との関係について説明をお願いしたいと思います。
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以上で質問を終了します。合併論が横行する中で、「自治」を真剣に考えると辛口にならざるを得ません。これまでの地方自治は、ある意味で自堕落でした。合併論は、従来の自治に反省を求める「黒船」であると思います。我々は、自治の原点に立ち返り、21世紀に向けた取り組みをすべきであると考えます。理事者の適切な御答弁をお願いします。
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