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おことわり
筆者略歴

ソフトウェア・ラボ

筆者略歴

最終更新:2008/01/07 
  • 随分昔、大阪に生まれる。先祖代々大阪の純粋の大阪人。
  • 中学時代は生物クラブに入っていた。クラブの研究成果が新聞に載ったことがあった。
  • 植物採集、昆虫採集(甲虫専門)にいそしむ。道具類は専門業者から取り寄せるほど熱中していた。
  • 鉱石ラジオを作り感動。
  • 生物クラブの顧問の先生(トンボ研究で有名な人で担任でもあった)から割と新しい高専を勧められた。当時はめずらしさからネコも杓子も受験していたので、倍率は10倍以上だった。そんなに深く考えずに受験した。
  • 超満員電車で5年間通う。このころ既に、ハギトリ屋がいた(乗客を押し込むのではなく、要領の悪い乗客を非情にも笑いながら引っ剥がす専門家)。
  • 当時はまだ真空管が現役の時代。ラジオ、アンプなど自作し、真空管の鬼と化す。
  • 高専の電気工学科卒業時、教授に勧められて(て言うか、誰か行ってくれ・・だった。当時の就職は、在阪の電気メーカに集中していた)東京拠点の某電気メーカに就職、希望した医用関係に配属され、初めて東京に単身で移住。
  • 当初、ソフトウェア開発に従事。生体信号処理、心電図自動解析、核医学データ処理などの開発を行う。但し、当時はコンパイラなどのコジャレたものはなく、全てアセンブラの世界。しかも、メモリは僅かに4〜8kB。16kBになった時は皆でうれし泣きしたものだった。機械語で直接マシンのパネルからプログラミングができるほどになっていた。
  • その後、システム開発に従事。数箇所の大きな病院の検体検査室自動化システムの開発をおこなう。オンラインリアルタイムシステムをあいかわらずアセンブラで開発。 ただし、メモリ、ディスク容量は格段に増大。若くてキレイな検査技師さん達からは目もくれられず仕事に没頭。 でも女の園で色々苦労す。三日目の徹夜へ突入のある日、幻覚を見る。
  • 突然ハードに転向(でも元々はハード)し、X線CT装置を開発し始める。論理回路、ディジタル回路を猛勉強。真空管回路が得意の私にとっては大変だった。画像表示装置や高速演算装置開発に従事。当時最先端であったAMDのビットスライスを会社で始めて使った。これがキッカケでマイクロコードの達人(自称)になる。
  • 会社の事業部が栃木県に移転し、私も移転、ついでに家を建てる。結婚もする。
  • 前後して、米国に行き、新型CT装置の研究開発を行う。その当時から米国人のエンジニア離れがあり、エンジニアは英国人、欧州人、インド人が大半だった。
  • 栃木では歩いていると変人扱いされるので、オッサンだったけど車の免許を取得。RVRを買う。やはり車は便利だ。車がキッカケで写真を再開する。
  • 暫く技術部から離れた仕事をするが、病院情報システムに従事のため東京に単身赴任する。2年間独居房で寂しく暮らすも奥さん大喜び。
  • 東京勤務が解け、栃木に戻り、今に至る。車をRAV4にする。
  • 長年勤めていた会社を定年扱いで退職し、別の会社に勤める。今度は、大阪にある歯科システムの企業。単身で大阪に。現在に至る。
  • 暫くは。HPは開店休業。