
オーストラリア周遊の旅の記録 !
05/03_24〜04_06の間、「オーストラリア大陸周遊の旅」と題するツアーに参加した。この旅は旅行会社東京支店の企画したもので、北海道からは我等夫婦だけの参加だったが、四国、九州等からの参加者もいて、全国から24名の参加だった。
旅行中は3回のオーストラリア国内航空の移動、寝台特急列車の移動があり、オーストラリア大陸の広大さを存分に味わってきた。旅の間は好天に恵まれた他、思わぬ幸運に何度も恵まれて現地ガイドを驚かせたりして十分に満足した旅だったがが、目玉の一つだったエアーズロックの登山が、強風で入山禁止になり果たせなかったのが唯一の心残りになった。
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サンシャイン エアーズロック
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ツアーの行程図
シ ド ニ ー
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| シドニーが都市の形態を整え始めたのは、1810年、5代総督ラクラン・マックォリーが就任して、流刑されていた囚人建築家のグリーンウェイを都市計画の担当者として抜擢し、現在のシドニーの基盤となる建物を建設させたのが始まりと言われている。 シドニーの中心部に立つ、高さ250mのシドニータワーからの夜景は圧巻である。街のネオンが華やかに水面に映えて美しい。 |
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| セントメリーズ教会 | ロックス地区の街並み |
| セントメリーズ教会はオーストラリア最大のカトリック教会で、1821年に創建され現在の建物は1928年に再建されたもの。建物全体は砂岩特有のくすんだ茶色で、尖塔の高さは70mと言う。内部にはキリストの生涯を描いた絵が掲げられているほか、ステンドグラスや装飾を施された祭壇などで、神聖な雰囲気が漂っている。 ロックス地区は、移民団の上陸以来、入植者たちが開拓したところ。100年以上の歴史を持つ古い住宅や倉庫が現存している。 |
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| 5代総督ラクラン・マックォリーの夫人名が付いた岬で、オペラハウスとハーバーブリッジが一緒に見える景勝の地である。 映画やコマーシャルの撮影によく使われる所だという。 |
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| 夫人望郷の場所 | 旧砲台跡 |
| ホームシックのマックォリー夫人が毎日岬に立って故国を偲んだという場所で、総督が夫人のために造ったと言う雨露を凌ぐためのコンクリートの工作物が現存していた。 岬を回り込んだ入り江には、入り口部に旧砲台跡があり、奥は現在も軍港として使用されていた。 |
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| オーストラリアの顔とも言うべきオペラハウスは、コンサートホール、オペラ・シアター、ドラマ・シアターやスタジオ&プレイハウスなどの施設を持つ、真っ白な帆船をイメージしたデザインの建物で1959年から14年の歳月を掛けて完成したという。背の高い後ろ向きの建物がコンサートホールで、正面が南側イントランスの建物。 一般の観光客はイントランスロビー迄で、内部を見ることは出来なかった。 |
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| 南側正面 | 港の風景 |
| 正面左が南側のイントランスのある建物で、この写真では北側のメーンの建物は正面建物の右に、後ろ姿が僅かに覗いている。見学した南側からはメーンの建物の外観裏側を見る事になった。 南側入り口横からはハバーブリッジと行き交う船が間近に見えて、見事な風景が現出していた。 |
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| これもシドニーを代表する建築物の一つで、鉄骨トラスアーチ橋で全長1149m。橋の設計計画が持ち上がったのは19世紀の初めだそうで、100年以上の時を経て着工されたという。 橋の両端に展望台を持ち、橋床道路の他に鉄骨アーチの上も歩くことが出来る。 |
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| ブリッジ近景 | ブリッジ・クライム |
| 橋桁の真下から橋を眺めるのも観光スポットの一つになっていて、少し位置はずれたが見上げると巨大な橋桁に目を奪われると同時に、橋を渡る車の騒音や振動が伝わってきて迫力は満点だった。 評判の高いものに、鉄骨アーチの上を歩くスリル満点のブリッジ・クライムがる。体験はしなかったが、大勢の人がアーチの上にいるのが見えた。只、アルコールの入った人は入場禁止だそうだ。 日本人には少ないというので、橋を歩いて渡る計画だったが地元でシャワーと呼ぶ2時間ほどの降雨に見舞われて中止になり、変わってバス車窓からのキングス・クロス、オックスフォード通り、チャイナタウンなど注目タウンの観光になった。 |
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ブルーマウンテンズ国立公園
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| シドニーは1770年、キャプテン・クックの上陸に始まり、1788年には最初の入植者が上陸、この地をシドニーと名付けたという。 そのシドーニの国際空港に3/25朝に到着し、その足でシドニーの西110kmにある世界自然遺産「ブルーマウンテン国立公園」に向かった。ここはシドニーの人々の避暑地として親しまれており、ユーカリの木々が放つ油成分が日光に反射して、一帯の山々を青く霞ませているところから「ブルーマウンテンズ」と名付けられたと言う。今回は幾つかの観光ポイントの内、エコーポイントとシーニックワールドを観光した。 奇岩スリーシスターズには、アポリジニの三人姉妹が悪魔から逃れるため、父親から岩に姿を変られ、今なお人間の姿に戻して貰うのを辛抱強く待っている。と言う伝説が今に伝えられている。 |
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| ジャミソンバレーの風景 | ジャミソンバレーの奇岩 |
| エコーポイントの展望台に立つと切り立った断崖を持つジャミソン渓谷の雄大な景観が、ブルーマウンテンズの名の通り青く霞み、約25000万年を掛けて形成された砂岩の断層が大地の歴史を物語っている。 | |
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| シーニックワールドはロープウエーやトロッコなどを利用して、スリーシスターズやジャミソン渓谷を様々な角度から眺めることが出来るブルーマウンテンズ観光の要である。 ロープウエーはシーニックセンダーという84人乗りのもので、オーストラリア最大の勾配(39度)を誇っている。 トロッコは旧炭鉱設備を再利用したもので、世界一の急勾配を誇り最大傾斜52度の急斜面415mをアッと言う間に下り下りて、写真を撮る間も無かった。 |
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| 谷底の森林ウォーキング | 谷底から見上げる絶壁 |
| トロッコで急斜面を下った所からの、全長2kmの木道散策コースをウォーキングコースで、終点は前述のロープウエーにアクセスしていた。雨林に覆われた散策は、身も心も洗われる思いがした。散策路の途中には旧炭鉱の入り口があった。 ロープウエー付近から見上げる砂岩断層も露わな絶壁は、息を呑むような凄い迫力があった。 |
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ホバート(タスマニア島)
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| 3/26pm、シドニーから空路タスマニア島のホーバートに入る。タスマニア島は人口約48万人。約1/4が国立公園で世界自然遺産もある。 ホバートは島の南東にあるタスマニア州の州都。シドニーに次いで古い歴史を持つ港町で、人口は約18万人だという。 |
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| ホバート港 | サラマンカマーケット |
| 宿泊したホテルの直ぐ前の港には、小さな貨物船が一隻停泊しているだけだった。港奥の船溜まりには漁船が舷を接して係留されていて、大半がカニ篭漁船の様だった。 シドニーから到着してホテルに向かう途中で古い倉庫街を利用したサラマンカマーケットに立ち寄り、土産物などの品定めをしたがとても活気のあるマーケットだった。 |
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| 18世紀前半の入植者によって開拓された村で、その当時の教会や橋・住宅などが残っている。リッチモンド橋は開拓に携わった流刑者によって、砂岩を使って1823年に完成したオーストラリア最古の橋である。 |
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| オーストラリア最古の教会 | 橋と教会のある風景 |
| オーストラリア最古の教会であるセントジョンカトリック教会も砂岩が使われていて、1830年代に建設されたと言う。教会内部には、キリストの生涯を描いた一連の絵画が掲額されていた。 バスの待つ村内の広場に向かう途中に、現地ガイドが案内してくれた撮影ポイントで、オーストラリア最古の教会と橋が見える。 |
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| パイレーツ・ベイ・ルックアウトはどう訳されるのか分からないが、イーグル・フォーク・ネック、タスマニアンアーチそしてデビルズキッチンの展望台がある地域の総称らしく、イーグル・フォーク・ネックとタスマニアンアーチは国道脇に展望所が設置され、デビルズキッチンは国道から約1km程入った場所に展望所が在った。 イーグル・フォーク・ネックは、鷲の首の様にタスマニア半島の最も細くなっている所(幅100m)で、流刑地から唯一の陸地脱走路だったが、天然の障害に加え監視犬が配置されていて脱走は不可能だったという。現地には監視犬の銅像が建立されていた。 |
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| タスマニアンアーチ | デビルズキッチン |
| イーグル・フォーク・ネック地点を通過すると、タスマニアンアーチとデビルズキッチンと呼ばれる観光ポイントがある。 タスマニアンアーチは堆積岩が氷河に浸蝕され、固い粗粒玄武岩部分を残して海岸の絶壁に窓が開いた様な状態になったもので、デビルズキッチンも、同様に残った粗粒玄武岩の高い絶壁をキッチンの洗い場に、岩に突き当たる海水を洗い場の水に見立てて名付けられたと言う。何れも絶景だった。 |
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| 二つの奇岩ビューポイントを通過すると、流刑地として有名なポートアサーに着く。1800年代前半にイギリスから海兵隊1200人と囚人800人が上陸、囚人を此処に収監して開発に従事させたのだという。 監獄、病院、教会や海兵隊司令官々舎跡、庭園などが残されている。独房跡などを見て当時の収容環境が、如何に過酷だったかが容易に想像できた。 |
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| 囚人の教会 | 十字架のない教会跡 |
| 囚人用の教会内部の礼拝堂は、囚人同士の顔が見えないように、一人一人の座席に衝立が設置されていたのが印象深い。 囚人の少年達のみで建設されたという、教会の外装だけ残っていた。完成しても教会としての認定が下りず、十字架のない教会になったいう。 |
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| ホバートからヘリテージ・ハイウエーと呼ばれる、古いオーストラリアの風情が残る街道に乗り、バスでメルボルン行きのフェリー出港地デボンポートに向かう。 途中幾つかの観光地に寄るが、先ず人口数百人という小さな村、ロスに立ち寄った。此の村の生活は実に充実したもので、、木製品や綿織物などの生産販売をしている。400mのメーンストリートに沿って、 これらを販売する羊毛センターやクラフト店、各種商店が点在している。羊毛センターで冬用に、毛糸の帽子を購入した。 |
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| 映画モデルのパン屋 | ロス橋 |
| メーンストリートの端末近くに、宮崎ハヤオの魔女漫画の映画化時、その撮影にパン屋のモデルとなったベーカリーがある。大勢の観光客で混み合っていた。 村の入り口には、村には似合わない立派な橋が架けられていて、裕福な村であることが察知できた。 |
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| ランセストン(一部のガイドブックではローンセストン)は、島の北東にあるタスマニア島第二の町である。 町の中心から1.5kmにあるカタラクト渓谷は、町民も気軽に徒歩で訪れるという自然スポットで、川沿いにはハイキングコースが延び、川でのクルージングも楽しめるほか、吊り橋からの眺めも素晴らしい。 |
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| 渓谷横断リフト | 出会ったワラビー |
| 此処の目玉の一つは、世界一の長さを誇る二人乗りのリフトに乗り、渓谷の眺望が楽しめることで事実見事な眺望だった。 対岸でリフトを下り、散策路に足を踏み入れた直後に野生のワラビーに出会った。分散して4〜5頭はいたようだが、見事な保護色で周囲のブッシュの色に溶け込んでいて見分け難かった。 |
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| ドロワナ・ワイルド・パーク(野生動物園)にも立ち寄った。タスマニアン・デビル、ウォンバット、コアラ、カンガルー等の他鳥類が飼われていた。 タスマニアン・デビルの餌付けを見学したが、人に抱かれる程小形の動物が、全身の力を振り絞って生肉に齧り付く獰猛な姿には想像以上の迫力があった。体に似合わぬ大きな口と鋭い牙には、心底驚いてしまった。 |
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| ウォンバット | 放し飼いのカンガルー |
| ウォンバットは体も小形でおとなしそうな様子だったので、可愛いという印象を持った。 放し飼いのカンガルーは、いつの間にかバケツのある所に水を飲みに来て、いつの間にか姿を消していた。 |
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定期連絡フェリー
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| 夕刻、フェリー発着港のあるデポンボートに到着する。19時30分、連絡船スピリット・オブ・タスマニア号に乗船する。乗船時の荷物検査がオープンチェックだったので驚いた。 21時に出港、南十字星などの星空を探勝しながらメルボルンに向かう。 |
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| 出発地デボンポート | 到着地メルボルン |
| デポンポートでは夕食までの間、町の高台から眺望を楽しみ、港近くのレストランで夕食、乗船後は思い思いに船内で過ごして、メルボルンには予定通り早朝に到着、AM7時に上陸してホテルに入り、朝食の後市内観光に向かった。 | |
メルボルン
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| メルボルンは、かってはオーストラリアの首都を努めたシドニーと肩を並べる大都市で、19世紀イギリスの影響を色濃く残している。 セント・パトリックス大聖堂は、空を突き刺すような尖塔が特徴の大聖堂で、オーストラリア最大のゴシック様式(19世紀イギリスの影響)の教会である。 |
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| フィッロイガーデン | クイーンビクトリアマーケット |
| フィッロイガーデンは、街の約1/4が公園というガーデンシティでもあるメルボルンの、代表的なガーデン(公園)で、1857年からメルボルン市民の憩いの場になっていて、温室や緑に囲まれた散策路がある。 クイーンビクトリアマーケットは1878年から続く市場で、生鮮食品からワイン、趣味の雑貨や日用品まであらゆるものが揃っていて、見ているだけでも楽しめる。テーマーに合わせて、マーケット内を巡るツアーも定期的に行われているという。 |
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| フィッロイガーデンの園内にはイギリスのグレート・エイトン村から移築されたキャプテン・クックの家がある。意外と小さな家が花々に囲まれて建っていた。 |
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| 居間 | クック像 |
| 両親と住んでいたといわれる家は意外なほど小さく、当時のつつましやかな生活が再現されていた。 入り口の前にはキャプテン・クックの等身大の像が建立されていて、かっての英雄と記念撮影する観光客が後を絶たない。 |
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| メルボルン郊外にあるリッポンリーは、宏大な庭園を持った豪華な英国風の邸宅で、1881年に起こったビクトリア州のゴールドラッシュの恩恵を受けて、メルボルンは大きく発展し、現存する州議事堂や聖パトリックス大聖堂はその時代に建てられた。 リッポンリーも同時代に、一攫千金を求めて集まった金探しの人達に、作業の道具や資・器材を販売して財をなした個人の邸宅である。 |
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| 応接室 | 庭園 |
| 1885年に完成した邸宅は、創建者からその子に引き継がれて後1925年売却され、新オーナーとなった女性の維持管理によって、現在の内部設備や調度などが整えられたのだという。 現在は寄贈された財団の手によって管理されているが、今も女性オーナーの子息が訪ねて来て、昔のエピソートなどを語ってくれるという。 |
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| 自然の宝庫と言われているフィリップ島は、体長30cmと世界で一番小さいペンギンを始め、コアラなどさまざまな野生動物に出会えるエコランドである。 世界最小の野生ペンギンの群れが日没後、陸にある巣穴を目指し海から戻ってくる様子が間近に見られる貴重な体験だったが、厳重な監視の元に写真撮影が禁止されていて、その様子を記録することは出来なかった。 |
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| 200kmもの入り組んだ美しい海岸線に沿って続くグレートオーシャンロードは、また、内陸部に茂る森林美も捨てがたい魅力溢れるドライブルートである。途中オタワ国立公園内で野生コアラが生息するという森を通過した際、マウンテンアシスというユーカリの木の上高く、数頭のコアラを見ることが出来た。 岩が波の浸食を受けて不思議な造形美を造りだしている奇岩が続いている海岸で、その代表の一つが「十二人の使徒」と呼ばれる奇岩群で、経年変化により今は名前通りの奇岩数は無かったが、その美しさに変化はなかった。TVのコマーシャルにも登場した風景である。 |
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| メモリアルアーチ | 長大な海岸線 |
| グレートオーシャンロードは、第一次世界大戦の除隊者雇用対策として企画された建設事業であり、その趣旨から建設を記念するメモリアルアーチも、至極簡素なものになっている。 長大な海岸線は砂浜のビーチあり、奇岩の立ち並ぶ海岸ありと、多彩に変化していて見飽きない。共通していることは、海水の清澄さと海岸に生活臭漂うゴミがない事だ。 |
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| ロンドンブリッジ | ロックアードゴージ |
| ロンドンブリッジもビューポイントの一つだが、かっての眼鏡岩が片方が落下して、途中で途切れてしまっている。 ロックアートゴージは、1878年に沖合で遭難した船のたった4名の生存者が漂着した海岸で、切り立った絶壁に囲まれた入り江になっている。海岸の絶壁には、遭難者が救助されるまで過ごしたという極浅い鍾乳洞があった。絶壁の色合いと海水の色が美しい。 |
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アデレード
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| メルボルンから空路でアデレードに入り、到着してそのまま市内観光をする。 アデレードは1836年、当時の英国ビクトリア女王の命によって建設されたシドニーに次ぐ、オーストラリア2番目に古い都市で人口も105万人を超え現在はオーストラリア第5の都市である。 シドニーやメルボルンが英国流刑植民地として建設された都市であるのに対して、この街は新天地を求めた自由移民によって築かれた理想郷である。 セント・ピーターズ教会は、35年の歳月を掛けて1904年に完成したという。二つの尖塔を持った大聖堂は、オーストラリアで最も美しいと言われるゴシック様式の建物である。 |
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| マウントロフティサミットの市街遠景 | セントラルマーケット |
| 市内観光の最初は、クリーランド自然保護公園内にある標高710mのロフティ山頂にある展望台で、アデレード市街からビンセント湾までの眺望を楽しんだ。 セントラルマーケットは、市民感覚でショッピングを楽しめる所として、観光客に人気の市場で所狭しと多くの店が並んでいる。店には現地のスーパーマーケットからイタリア、ギリシャ、中国など世界各国の食材や地元のシーフードや肉類などを扱う店など多彩である。日本に比較して驚くほど安い。 |
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| ビクトリア・スクエア | アデレード植物園 |
| アデレードはシティとノース・アデレードの二つに区分されていて、ビクトリア・スクエアーはシティ地区の中心部に位置し、南オーストラリア州を流れる3っつの川をデザインした噴水が象徴になっている。 アデレード植物園は1885年に設立され、16ヘクタールの敷地を持つ。オーストラリア原産をはじめ世界各国の植物を栽培し、熱帯雨林の温室や睡蓮ののコレクションが有名だという。 |
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| 南オーストラリア博物館は1856年の設立。オーストラリアにかって生息した恐竜から現在の珍しい動物、太平洋の島々や古代エジプトの文化など豊富な展示内容を誇る。 先住民アポリジニに関するコレクションは世界一と言われている。芸術性の高いドット・ペインティングが見ものだと言われていたが、フラッシュ禁止で撮影に失敗してしまった。 |
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| 多種のブーメラン | 木像 |
| 誰でも知っているアポリジニのブーメランだが、その種類は100種を超え手許に戻らない種類も在るという。鳥猟に使われ、遠くの鳥を何種類かのブーメランを使って手許に追い込み、仕留めるという使い方が一般的だったといわれている。 木彫りも木彫り像からトーテムポール状のものまで多彩である。人物像には奇妙な表情のものが多く見受けられ、体の部分にドット・ペンティングを施したと思われるものもあった。 |
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| アデレードから車で20分程の丘陵地帯に点在する観光スポットの一つで、1830年代にプロシア東部(現ドイツ)からの移民によってつくられた町で、ドイツの田舎町を思わせるような街並みが特徴の、アデレードヒルズ随一の観光地である。 メーンストリートには、アンティク・ショップ、皮工芸品店、カフェ、レストラン、教会などが並んでいる。 |
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| 昔の面影を残すレストラン | 土産物屋の店先 |
| ドイツ風の建物の外観を持ったレストランで、どこか古風な趣を持っている。この町での名物はジャーマン・ソーセージで絶品と言われている。店は違ったが昼食で食し堪能した。 小さなスーベニアストアーの店先が、初秋で紅葉した葡萄の葉で趣を深めていた。街路樹にも既に紅葉した樹種があり、初秋を感じさせた。 |
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| セント・ビンセント湾内にある白砂の美しいビーチがあるリゾートで、海水浴、やヨット、ウインドサーフィン、釣りなどを楽しむ人々で賑わっている。 グレネルグは1836年、南オーストラリア州への最初の入植者が上陸した街で、ビーチ入り口に当時使用された帆船のムニュメントが建立されている。再建された港には、使用された帆船バッファロー号が停留、博物館、レストランとして利用されているという。 |
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| 桟橋 | 水と遊ぶ人々 |
| 海岸には大きく突き出した桟橋が設置されて、美しい風景に趣を添えているほか、船遊びや釣り、観光客の海浜眺望などに利用されている。 砂浜の美しい海浜には、海水浴や家族連れで散策を楽しむ人々が点在している。大混雑する日本のビーチとは大違いで羨ましい。 アデレードのセントラルマーケットで、韓国の弁当店から買った太巻き寿司を海岸で昼食に食べた。久し振りに米飯を味わったが食味は日本での米飯に遜色がなかった。 |
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大陸横断鉄道「ザ・ガン号」
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| 4/1の夕刻、アデレードーアリス・スプリングス間の全長1550kmを、約20時間掛けて走る大陸横断鉄道「ザ・ガン号」に乗車。エアーズロックへのアクセス地、アリス・スプリングスに向かう。 列車は寝台車のゴールドカンガルーサービス(ファーストクラス)で豪華、2段ベットだがバス・トイレ、洗面、シャワー付きで、専用食堂車がある。夕食後はワイン付きのレセプションがあり、朝の7時にはモーニングコーヒのサービスがあった。 |
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| 赤土の広野 | 広野の日の出 |
| アデレードから北上する列車からの景観は、延々と広がる赤土の広野あり、緑豊かな牧草地あり、砂漠ありと実に変化に富んでいて、オーストラリアならではの過酷なアウトバックを走り抜ける貴重な体験をした。 所々で馬や牛の放牧されている姿が見えたり、野生のカンガルーやワラビーの姿も見ることが出来たが、広野に昇る日の出の荘厳な美しさは抜群だった。 |
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| 乗車記念証 | 乗車記念バッジ |
| アリス・スプリングスに到着直前に、「乗車記念証」が客車付きのポーターから手渡された。部屋に置いてあった乗車記念バッチとともに良い記念品になった。 | |
エアーズロック
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| 列車は約1時間遅れの12時55分にアリス・スプリングスに到着、迎えのバスに用意されていた昼食の弁当を食べながらエアーズロックに向かう。列車の遅れによりエアーズロックのサンセットに間に合うかどうか、これから5時間の道程を考えると微妙なところだったが、パワーの塊のようなバスの女性運転者が、やってみると言ってくれてバスを走らせるのに期待した。 途中で見事な広野の夕映えを見たときには、サンセットには間に合わなかったかと落胆したが、間一髪で間に合い女性運転手に感謝した。 |
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| 間違えた山 | ラクダ園 |
| エアーズロックの約1時間ほど手前の地点で、前方に山が見えエアーズロックかとバス内に喜びの声が上がったが、全く別の山(名前失念)で、今度は失笑が広がった。 5時間のバスの旅はエアーズロックのサンセットに間に合わせるため、一回だけ途中のラクダ園で10分間の小憩を取った。話しには聞いていたこの地方の蠅の多さが、この辺から現実のものとなってきた。 大方のエアーズロック観光者が、この店で7.5ドルで売っているフライネットを購入して行くという。日本から登山などで使っていた、ヤブ蚊用手作りネットを持参したのはその後の使用頻度からも正解だった。 |
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| バスからサンセットポイントでバスを下りた直後から、周囲約9.8km、高さ約348m、世界最大級の一枚岩であるエアーズロックが赤く染まりだした。間一髪のセーフである。思い思いに撮影ポイントを定めて撮影の一区切りがつき、気づくとバス会社がシャンパンと摘みを用意していてくれていたので、言葉にならないほどに感激した。 用意してあったシャンパンで喉を潤し、バスの女性運転者やバス会社の関係者に改めて感謝しつつ、宿泊地のエアーズロック・リゾートのホテルに入った。 |
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| サンライズポイントから | 朝日を受けた突出岩 |
| エアーズロックの魅力は、時によりさまざまな光を受けて、その色合いを変えて行くことにある。日によって、時間によって、季節によって、天候によって、刻々と色が変化してゆく。 朝日を受けたエアーズロックは荘厳華麗なオレンジ色に染まった。 |
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| エアーズロックと後述するオルガスは、1958年に誕生した世界遺産登録のウルルーカタ・ジュタ国立公園内にある。その後、1986年にアポリジニに土地が返還され、現在に至っているという。 言葉や文字を持たなかったアポリジニは、絵を情報伝達の手段にした。エアーズロック山麓の洞窟には彼らが書いた絵が残されているが、絵の持つ意味については、今もってアポリジニの人たちが、なにも話してくれないので分からないという。 |
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| 登山口 | 一枚岩の山腹 |
| 朝日を受けたエアーズロックを見た後、このツアーの目玉の一つである、エアーズロックの登頂に向かってバスを走らせたが、道々、バスの運転手が風が強いので登頂が禁止になっているかも知れないと言っていた予相があたり、登山口は入山禁止になっていた。 仕方なく山麓の散策に切り替えて、アポリジニの残した壁画や、400万年前に形作られたという一枚岩の壮大さを身近に体験してきた。 |
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| 国立公園の中でエアーズロックとともに見逃せないのがオルガスである。総面積35平方qに及ぶ奇岩群で、丸みを帯びた巨大な36個の砂岩が高さ500mのドーム状に連なっている。 アポリジニの聖地であり、200万年後のエアーズロックの姿だと言う。 |
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| オルガスの近景 | 絶壁に挟まれた散策路 |
| オルガスには三つの名前があるという。「カタ・ジュタ」はマリオ語で沢山の頭の意、「オルガ」は発見時のスポンサーの夫人の名前からで、別名「風の谷」と呼ばれるのは、絶壁の間を風がよく通るためだという。 事実、唯一開かれている絶壁に挟まれた散策路では、息の詰まりそうな強風に晒されたが、両側から迫る絶壁を間近に見られる体験は貴重だった。 |
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パ ー ス
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| 4/3午後エアーズロックから空路西オーストラリアア州の州都、人口約141万人の都市パースに入る。高層ビルのあるオフィス街の直ぐ近くに豊かな自然があり、住んでみたい街の国内アンケートで第一位と人気が高い。一年を通して温暖な気候に恵まれているのも魅力で、日本はもとより世界の観光客が訪れている。 パースはみどころが市中心部に集中している。ショッピングも鉄道駅の南側が中心で、駅前のフォレスト・プレイスと2本の歩行者専用道路、ヘイ・ストリート・モールとマレー・ストリート・モールの周辺にショッピングアーケードが多い。 |
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| マレー・ストリート・モールとフォレスト・プレイス | パース(鉄道)駅 |
| マレー・ストリート・モールとフォレスト・プレイスは接続されている。建物2階のテラス状になった部分はショッピングモールで、正方形に近い駅前広場(フォレスト・プレイス)を回廊で取り囲んでいる。 パースの鉄道駅からは、鉄道のトランスパース・トレインが運行されていて、郊外の観光地フリーマントルに行くのに便利である。 |
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| キングス・パークは丘の上に広がる市民の憩いの場。市街を一望できる絶好のビューポイントになっている。第一・第二次大戦戦没者の慰霊碑も建立されていた。 園内にはユーカリの大木が見事な並木を形成していた。白く光る樹幹が美しく印象に残った。 |
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| スワン川 | パースのビル街 |
| 広々としたスワン川と高層ビルが見え、毎年春(9〜10月)には、ワイルドフラワーが素朴で小さな花を咲かせ、自然を満喫出来ると言う。 初秋のこの時期には、初めて見るユーカリが中型で色鮮やかな花を咲かせていたが、これがユーカリかと思うような、本や写真で知るユーカリとは似ても似つかない、サボテンのような木だった。 |
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| パースから車で2時間弱、カバシャム国立公園カバシャム・ワイルドライフ・パーク(動物園)を見学する。此処ではオーストラリアアに生息する動物が飼育され、白いカンガルーや白いラクダ、などの人工繁殖も手掛けている。また、入場者がカンガルーに餌を与え、子カンガルーやウオンバット、コアラなどを抱いたり触れたり、記念撮影をすることが出来る事や、ラクダに乗ることが出来る様になっている。 ガイドをしてくれた、此処で働いている日本人青年が、将来は北海道に住みたいと言っていたので、大いに北海道のPRをしてきた。 |
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| 珍獣・デンゴ | 珍獣・マツカワトカゲ |
| 多くの動物が飼われている中で、鳥類では、ワライカワセミ、ブルーカワセミ、ミミズク、ワシなどに、獣類等ではカンガルー類、エミュー、ラクダ、ウオンバット、タスマニアンデビル等々の他、珍獣だと言うデンゴ(秋田犬と土佐犬を掛け合わせたような遺伝子を持つ)やマツカワトカゲに興味を引かれた。 | |
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| フリーマントルが世界に知られたのは、ヨットマン達の夢、世界最大のヨット・レース、アメリカズ・カップが開催されたから。 インド洋を望む高台には、フリーマントルで最も古い家で、元監獄でもあったラウンド・ハウスがある。また、1831年時代に建てられた建物がそのまま庶民的なマーケットとして使われているなど、植民地時代の面影を多く残している。 |
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| 海岸の風景 | 1800年代の面影を残す街並み |
| ラウンド・ハウスのある高台からはインド洋が望め、海を眺める最高のポイントになっている。 市街には植民地時代当時の建物が修復され、博物館や美術館、税関や商業ビルとして利用されていて、当時の面影を多く残す港町としての雰囲気を漂わせている。 |
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ピナクルズ
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| パースから約250kmの距離にある、別名「荒野の墓標」と呼ばれる観光地ピナクルズに向かう途中で、ナンチャップ国立公園の一角にあるビジターセンター風の施設に休憩を兼ねて立ち寄る。付近で野生のカンガルーやコアラが見られるかも知れないとのことで、施設周りの森林を小散策すると、これらの動物と幸運にも出会うことが出来た。 散策路足下の方に根を張るユーカリの木の梢が丁度目の高さにきて、そこでコアラはユーカリの葉を食べているところだった。一日の大半を木の梢で眠っているという、コアラの食事時に出会えたのは希に見る幸運だったという。 |
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| カンガルー | ファンベーン・オーム |
| 大きな池の畔では二十頭近くの野生カンガルーの群れに遭遇した。当初、施設建物近くにいた一頭を追っていたが、現地ガイドが群れでいるところを見つけてくれた。ガイドにとっても、こんな大きな群れに出会えたのは、十五年を超えるガイド生活の中で二度目だという幸運だった。 カンガルーノいる近くの木に、綺麗なオームが飛来した。名前を聞くとファンベーン・オームということである。 |
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| コアラとカンガルーに出会って後、道路脇に咲き乱れる珍しいウリーバークシャの花を、バスを止めて観賞し、一路奇岩が立ち並ぶというピナクルズに向かう。途中バスの車窓遠くに野生のエミューを見た。 ピナクルズはナンバン国立公園内にある面積が404ヘクタールの観光地で、奇岩が群立して不思議な光景を現出している。 奇岩生成の過程は長期かつ複雑なもので、概略すると、湿原に生育した植物の根が土地の乾燥化で石化し、更に砂漠化によって表面の砂が飛んで、石化した根が露出したというものらしい。 |
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| 奇岩 | サバンデスビーチ |
| 一言で言えば、ピナクルズは砂漠に突如として現れる不思議な光景である。自然が作った悪戯であり、その荒涼たる風景は「荒野の墓標」の別名そのものだった。また、一つ一つの岩も和尚の袈裟姿や仏舎利塔等々様々な形をしていて、見飽きない。 ピナクルズの近くには、サバンデスビーチというリゾートがあり、パース市の高官などもバカンスを楽しむところだという。インド洋の青い海が綺麗だった。 |
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