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万里の長城

万里の長城
(北京八達嶺)

96年から旅行社の中国旅行に参加しています。

中国美人 96年3月 青島〜曲阜〜泰山〜天津〜北京
97年3月 広州〜石林〜昆明〜桂林
98年3月 蘇州〜杭州〜紹興〜上海
99年5月 上海〜景徳鎮〜黄山〜屯渓
00年3月 大理〜麗江〜長江上流〜虎跳峡
00年9月 「九寨溝と黄龍の旅」
01年10月 「長江の船旅」

たった7回の旅行なのですが、中国の人たちの現実を見つめた大らかさ、広大な国土と変化に富んだ自然、各地の多彩な食文化や数多くの史跡建造物、収蔵品等が、醸し出す何か得体の知れないエネルギーに、魅せられてしまいました。
行けるなら何度でも行きたい国です。
広い国土、古い歴史、壮大な山河と絢爛たる文化を持つ中国の観光資源は、実に豊富で多種多様であり見尽くすことは不可能ですが、今までに訪ねた観光スポットをピックアップして紹介します。







中国(China)の観光スポット




 北  京 




天安門広場 故宮の甍
天安門広場 故宮の甍
   
「天安門」は北京市の中央にあり、門前が広場である。1417年に築かれた明・清時代の皇居(紫禁城)の正門であって、新中国のシンボルである。
黄色い瓦、赤い壁、朱色の柱で統一された壮麗な「故宮」は、天安門の後ろにあり、紫禁城と呼ばれ1406〜1420年の間に築造された明・清時代の皇居で、今は105万点に及ぶ貴重な文物が保管されている。




 上  海 




外灘夜景 豫園
外灘夜景 豫園
   
黄浦江畔の「外灘」は、租界時代にバンドと呼ばれていた地区で、外泊渡橋(ガーデンブリッジ)や黄浦公園もこの地区にある。イギリス様式の建築物が50棟余りも軒を並べ、異国情緒を漂わせている。夜は殊の外、賑わう。
「豫園」は、明代の高官が両親を喜ばす為に作ったと言われ、明・清時代の揚子江南岸の園林風格に富んでいるため、「奇秀江南に甲たり」と賞賛されている精巧な公園である。隣接する豫園商場は、浅草の様な下町情緒のある専門店が軒を並べて賑わっている。




 広 州 




陳氏C堂 鎮海楼
陳氏C堂 鎮海楼
   
陳氏書院は、清の時代1890年に築かれた広東省で現存する最も大きく、最も完全な形に保たれた家廟芸術建築群で、広東省の「陳」の氏性を持つ人々によって、子弟を教育する為に造られた建物群である。民間の物語にまつわって造られた瑠璃瓦の屋根は精巧を極めて美しいと高く評価されている。
鎮海楼は木造5層の楼閣で、明代1380年に広州城として海賊の侵略に備えて建築され、現在の建物は、1686年に再建されたもので資料館になっている。楼の前庭にはアヘン戦争に使われたという大砲も置かれていて、波乱に満ちた広州の歴史を物語っている。


 天 津 ・ 重 慶 




天津(古文化街) 重慶(長江大橋)
天津(古文化街) 重慶(長江大橋)
   
天津古文化街は、100軒近い清朝風建築の店舗が約600mの街路の両側に軒を連ね、それらの建物は古めかしい絵と、彫刻された煉瓦で飾られている。店内には、文物や骨董品、古書、文房類、工芸美術品等々が並べられているほか、年画等の専門店もある。
重慶は「長江」とその支流「嘉陵江」に囲まれた丘陵地に開けた街で、起伏の多さから「山城」とも呼ばれる。3000年以上の歴史を持ち、春秋時代には巴国の首都だった。抗日戦争中、蒋介石の国民党臨時政府が置かれた所でもある。丘陵地なので、中国の殆どの都市に見られる自転車が此処では見られない。三峡ダムの建設に伴って市街地の大半が水没するため、新しい市街地が建設されている。




 雲 南 省 




昆明と石林




昆明(西山) 石林
昆明(西山) 石林
   
西山は、昆明湖(D池)の西岸にある大きな森林公園で、羅漢山にある竜門は湖から屹立300mの絶壁上にある。此処の石窟や石道等は1751年から工事が72年も続いたそうである。
石林は路南イ族自治県にある石灰岩の岩山で、昆明市から126kmの距離である。密生する林の様に岩峰奇岩が立ち並んでいて、格別な特徴を持っていることから「天下第一奇観」と讃えられている。



大理と麗江




大理(崇聖三塔) 麗江(玉龍雪山)
大理(崇聖三塔) 麗江(玉龍雪山)
   
三塔は、崇聖寺という大きな寺の境内に建立されたもので、836年から始められた工事は完成まで40年も続いたという。伽藍は戦禍や地震で全て無くなり三つの塔だけが残ったものである。最も大きい中央の塔は「千尋塔」と呼ばれ、高さが69.13m、四角形16層の煉瓦造りである。両側の塔は何れも高さが42.19m、八角形10層の煉瓦造りである。
玉龍雪山は横断山脈の南で、南北に12の峰が金沙江(長江の上流部)の東にきちんと並び、開いた扇子の形にたとえられている。主峰の「扇子F(5,596m)」は処女峰で、日本も含め7回登頂が試みられたが失敗している。主峰の麓は典型的な現代氷河が活動しているほか、古代氷河の遺跡もあると言う。



長江上流部(金沙江)




虎跳峡 石鼓鎮
虎跳峡 石鼓鎮
   
玉龍雪山の南に、同じ万年雪を頂く「哈巴雪山」がある。連なっていた二つの山並みが、地殻変動によって幅30〜60mに寸断されて、壮大な大渓谷「虎跳峡」がつくられたのだと言う。長江の激流を挟んで高さ3000mの断崖絶壁が15kmもつづいていて、世界で最も深い渓谷の一つにあげられている。
「石鼓鎮」はその地形から古来より重要な渡河適地として、諸葛孔明軍・フビライハン軍や納西族豪族・木氏の麗江移住、そして近代では毛沢東紅軍第二方面軍長征の渡河がある。この長征渡河は納西族の協力によって成功し、その功績を称える記念碑が石鼓鎮を見下ろす高台に建立されている。
長江(金沙江)は、チベット高原から横断山脈沿いにメコン河・サルウィン河と共に南下し、ここで地殻変動による断崖(海羅山)に阻まれて北に向きを変え、他の二河がミャンマー・カンボジアに流れる中で中国国内を流れる。将に中国にとっては掛け替えのない水資源となるのである。
南から北へ180度近く流れが変わる事によって、川幅が広く流れも穏やかになっている所から此の湾曲部は、長江第一湾と呼ばれていて、風景は平凡だが実に重要な地形である。




 山 東 省 



曲阜と青島




曲阜(大成殿) 青島(桟橋)
曲阜(大成殿) 青島(桟橋)
   
曲阜は春秋時代の魯の都であり、孔子の生まれ故郷として有名な所である。孔廟(孔子を祀る廟)、孔府(孔子一族の屋敷)、孔林(孔子一族の墓所)や孟子廟(孟子を祀る廟)等がある。中でも孔廟の主殿「大成殿」は、中国三大宮殿建築の一つに数えられている。
近くには中国五大名山の一つで、古来より神聖な山として崇められた泰山(1,524m)がある。泰山の麓にある「岱廟」は、歴代皇帝が国家永続を願う「封禅の儀」を行った廟で、大成殿と同じく中国三大宮殿建築の一つである。(もう一つは、北京の故宮)
青島は古くからの港町。景勝地としても有名な海浜リゾートで異国情緒豊かな街である。青島湾に突き出た440mの桟橋では、多くの観光客が散策を楽しんでいる。湾内にある小青島と呼ばれる島には、旧日本軍の要塞跡が今も残っている。




 広 西 省 


桂林と景徳鎮




桂林(漓江) 景徳鎮(絵付)
桂林(漓江) 景徳鎮(絵付)
   
桂林は広西チワン族自治区で美しい「漓江」の畔の街である。漓江の流域は典型的なカルスト鍾乳岩峰林地貌で、両岸には奇怪な形をした峰々が立ち並んでいて美しく、桂林山水には欠かせない。ほかに蘆笛岩鍾乳洞、畳彩山、象鼻山等々多くの見所がある。
景徳鎮は中国最大の陶磁器の産地で、嘗ては新平、昌南鎮と呼ばれていたが、北宋の真宋の時代に景徳鎮と銘を入れたことから、町の名となったという。人口の約半分が窯業に携わり、日本の有田焼にも影響を与えたとか。




廬 山




如琴湖 五老峰
如琴湖 五老峰
   
中国でも有名な山岳観光地で99峰から成るという。李白、白楽天などの有名詩人の他、近代では蒋介石の別荘に毛沢東が宿泊するなど、中国要人も私的に多数訪れているという。また中国の重要政策決定の会議、所謂「廬山会議」が前後3回も開催された事でも知られている。
日本なら差詰め軽井沢といった姑嶺鎮の市街を抜け、山地スポットへの入り口が花径公園で、ここにある如琴湖は、1992年に九江三大寺院の一つ、大林寺廃寺の跡地に造られた人造湖だという。
毛沢東も景観を楽しんだ含E口からは、主峰の「漢陽峰(1474m)」や、1358mの「五老峰」、遠く中国一の面積を誇るE陽湖を望むことが出来る。五老峰は、丁度人間の顔に似た山容がハッキリと見て取れる。




 浙 江 省 



杭州と紹興




杭州(西湖) 紹興(蘭亭)
杭州(西湖) 紹興(蘭亭)
   
杭州の西にあって、朝夕、晴天雨天、春夏秋冬、日々刻々千変万化を繰り返すとまで言われる西湖は、中国四大美女のひとり、「西施」にたとえられる美しい湖である。「西湖十景」と呼ぶ景勝を船で巡るのが楽しい。
紹興といえば紹興酒の故郷で、江南の古都である。春秋時代は会稽といい越国の首都である。蘭亭は晋代の書家「王義之」が、永和9年(350年)に名士等と曲水の宴を張り「蘭亭集」の序をまとめたところだと言う。




 四 川 省 




黄龍と九寨溝




黄龍(五彩池) 九寨溝(諾日朗瀑布)
黄龍(五彩池) 九寨溝(諾日朗瀑布)
   
黄龍は、石灰岩景観と五色の池を持つ渓谷として知られている。黄色味がかかった石灰質の池堤や河床が階段状に連なり、大小様々な1,000を超える清澄な水を湛えた池は、周囲の原生林の影を映して、五色の入り交じった神秘な世界を演出している。
女神が天上から落とした鏡が、108つに砕けて出来たと伝えられのが九寨溝の湖である。 Y字形になった三つの渓谷沿いに、それぞれの色を持った湖が点在し、湖を繋ぐ滝は、無数に転がる真珠の様相を見せるものから轟音轟く豪快なものが、チベットまで続く周囲の原生林に水音を響かせている。




大足石刻




宝頂山石窟(釈迦牟尼涅槃像) 北山石窟(数珠手観音像)
宝頂山石窟(釈迦牟尼涅槃像) 北山石窟(数珠手観音像)
   
重慶から約165kmに在り、敦煌、雲崗、龍門の三大石窟と並び、中国晩期石刻芸術の代表作で、5万体にのぼる彫像が40ヶ所に散在しているが、代表的なのは、宝頂山と北山の石窟である。
宝頂山石窟は、31の石窟に仏教説話を系統的に造像していて、絵物語のように内容が分かりやすくなっている。「釈迦牟尼涅槃像」は全長31mの膝までの彫刻で、そこから下は岩の中にあることを想像させる技法が採られている。前に並ぶ弟子達の胸像も、表情が豊かで優れた構図だと評されている。
「北山石窟」にも一万体余の石刻像がある。宝頂山石窟とは異なり石刻像は精巧を極め、石の回廊を巡っていると美術館に来ている様な錯覚を覚える。石窟の冠と云われる「数珠手観音像」は、均整のとれた体型で体の線はあくまでも柔らかく、顔には微笑みを浮かべて見る者の心を奪いそうなところから、「媚態観音」の異名を持っている。




豊都(鬼城)と白帝城




鬼城(天子殿) 白帝城山門
鬼城(天子殿) 白帝城山門
   
「豊都」には道教の名山として知られる寺がある。唐の時代、人々の大胆な想像をもとに「天子殿」「鬼子殿」「思案橋」「黄泉路」等の廟や橋、彫像を因果応報の考えで統一して、黄泉国を形取って作られた特異な寺で、そのため豊都は、その後の歴代の文人の詩や文の宣伝もあって、「鬼城(幽霊の町)」として知られる様になったという。
白帝城は、「三峡下り」の一番目の峡、「瞿塘峡(くとうきょう)」の入り口を押さえる所にあり、険しさもあって昔から要所だった。前漢末(西暦八年)に蜀王となった「公孫述」が、この地に独立王国を築き、西暦25年に「白帝」を自称して城を白帝城と名付けた。
三国時代、西暦223年蜀漢皇帝の「劉備玄徳」が没した所でもある。死を予期して「諸葛孔明」に息子を託す、有名な歴史上の一コマ「劉備託弧」の場面が大型塑像で紹介されている。




 長江三峡と小三峡 



瞿 塘 峡




赤甲山遠望 古桟道
赤甲山遠望 古桟道
   
瞿塘峡は、上流(西)は重慶市奉節県の白帝城(前回紹介)から、下流(東)が巫山県の大渓鎮まで、全長8kmである。
両岸の断崖絶壁が高く相対峙して、景観に雄大な気勢感を添えている。「縦に万本の玲瓏筆があっても、瞿塘両岸山の写しが難なり」という古詩や、「岸は双塀の合するに似て」と「白居易」が絶壁の様子を詠んだ詩もあるほど、断崖絶壁、激流そして巍峨な峰々の峡谷である
両岸の断崖絶壁は、所謂懸崖となって見事なまでに高く、天にとどかんばかりにそそり立ち、川波が岩に打ち当たりながら奔走する。左岸遠くに望む赤甲山は、奇峰と呼ぶに相応しい山容である。
左岸に延々と刻まれている崖道跡は、昔、陸路で峡谷を出る唯一の道だったそうだ。よくぞ刻めり、よくぞ造れりである。昔人のエネルギーには脱帽である。




巫峡と小三峡




巫峡の入口部 小三峡(龍門峡)
巫峡の入口部 小三峡(龍門峡)
   
巫峡は上流(西)が四川省巫山県大寧河口で、下流(東)が湖北省巴東県官渡口までの全長45kmである。瞿塘峡の急流から流れは一転して緩やかに変わり、山峰が連なって雲雨変幻無窮、奥の深い山水画の世界だと言われている。巫山十二峰や孔明碑などのスポットが知られている。
「巫山小三峡」は、巫峡入口部で合する長江支流の「大寧河(だいねいが)」に沿って遡る全長40kmの峡谷で、下流から「龍門(りゅうもん)峡」・「巴霧(はむ)峡」・「滴翠(てきすい)峡」の三峡谷からなる。青山に抱かれ澄み切った水の流れる峡谷は、長江の濁流を見てきた目には殊の外清澄に映る。此処も三峡ダムの完成と共に姿を消すので、有名観光地を失う痛手は大きいだろうと想像したら、小三峡が無くても「小々三峡」があるさ、だと言う。開発途上だが小三峡に勝るとも劣らないそうだ。




西 陵 峡




蓮沱三把刀 王昭君塑像
蓮沱三把刀 王昭君塑像
   
西陵峡は上流(西)が湖北省A歸県香渓口、下流(東)が宣昌市南津關迄の全長66kmで、三峡下りのクライマックスと云われるほど、多くの難所が点在すると同時に石灰岩の岩壁に沿って名勝も数多く点在する峡谷である。「蓮沱三把刀」は、三つの峰が連なっている様が、三本の剣が空に向かって突き出ているような景観で、よく知られた西陵峡スポットの一つである。
西陵峡の入口「香渓(こうけい)」は、中国四大美女の一人、悲劇の女性「王昭君」の故郷である。王昭君は、前漢元帝の時代(紀元前33年)、匈奴の王「呼韓邪単干(こかんやぜんう)」に、和親のために降嫁させられた悲劇の美女だったが、現在は、漢民族と少数民族との友好の架け橋となった女性として讃えられているという。
因みに、中国四大美女とは、「西施(せいし)」「楊貴妃(ようきひ)」「王昭君(おうしょうくん)」「貂蝉(ちょうぜん)」である。




長江のダム




三峡ダム完成模型 葛州覇ダムの閘門
三峡ダム完成模型 葛州覇ダムの閘門
   
三峡ダムの構想は、1919年に偉人「孫文」の三峡で「閘門を造り水を貯める」「水力を利用する」と言う構想の提出が出発点で、1956年に「毛沢東」の「千古の絶唱」が提出され、以後三十数年に亘り調査検討が続けられた。
1981年に三峡ダムのテストケース的性格で着工された「葛州覇ダム」での長江締め切りが成功し、1992年第七回全国人民代表大会第五次会議で、三峡ダム建設決議が通過、1997年十一月には三峡ダム長江せき止め工事が完了し、2004年の完成を目指している。
葛州覇ダムは、湖北省宣昌市西方の長江本流に在るダムで、水利と三峡ダムの重要部分を検証する二つの目的で建設された。
ダムは、堤長2561m、二つの水力発電所を持ち、その設備総容量は217.5万kw、年発電量が141億kwだという。ロックゲートは一段調節で三連あり、一万トン級の船がパナマ運河方式で通過できる。




 湖 南 省 



岳陽と赤壁




岳陽(岳陽楼) 赤壁(楷書の文字)
岳陽(岳陽楼) 赤壁(楷書の文字)
   
「岳陽」は洞庭湖に面した小都市で、洞庭湖の水運の要衝として古くから栄え、巴陵、巴邸、岳州等と呼ばれ、岳陽となったのは辛亥革命以降である。
「岳陽楼」は、南昌の滕王閣(とうおうかく)、武漢の黄鶴楼(おうかくろう)と並ぶ江南三大名楼の一つで、李白、杜甫、白居易らが杯をあげ詩を吟じた場所であり、特に杜甫の「岳陽楼に登る」の詩は有名である。三国呉の名将「魯蕭」が水軍の教練をした時に、閲兵台を建てたのが始まりと言われ、楼の創建は唐の開元四年(716年)、現在の楼は清代のものという。
劉備が荊州を手に入れて蜀建国の足がかりにし、南下してきた曹操の攻勢を食い止めるため呉の孫権と手を結んで曹操軍と戦い勝利したのが、有名な「赤壁の戦い」である。
劉備・孫権連合軍の火攻めによって、燃えさかる曹操軍の船の炎で岸の岩壁が真っ赤に見えたことから、この地を赤壁と呼ぶようになったという。
もしこの時、曹操が勝利していたら、天下が統一されていたかも知れず、赤壁の戦いこそ、三国鼎立(魏・呉・蜀)を決定づけた戦いだったのである。
戦場の跡には「赤壁」の文字が、岩壁に四カ所刻まれているが、その内最大のものが呉の参謀、周瑜の楷書だと云われている。




 湖 北 省 



刑 州




刑州古城 博物館展示品
刑州古城 博物館展示品
   
「刑州」は、三国時代の英雄たちが覇を競い数多くの激戦と陰謀の舞台となった。嘗ては「江陵」と呼ばれ李白の詩「早発白帝城」にもその名が登場する歴史の街で、江陵を「関羽」が劉備から任され、江陵に君臨した10年間に築城したのが荊州城である。中国四大名城の一つと言われている。
「刑州博物館」で有名なのが、荊州古城の北5kmにある嘗ての「楚」の首都「紀南城跡」から出土した「生ミイラ(男屍)」で、発見当時の皮膚には弾力さえあったという。湖南省長沙の「馬王堆漢墓(ばおうたいかんぼ)」から、1973年に出土したE侯(たいこう)夫人の「女屍」よりやや時代が新しいが、保存状態が非常に良く国内外の注目を集めているという。展示品は、その「男屍」の口中から発見された死者の名を彫った「印」である。ミイラが葬られた前漢時代(2100年前)、死後に死者の口中、耳穴、鼻腔などに名前印を作って入れる風習があり、それに基づいたものだそうである。




武 漢




黄鶴楼 帰元寺(五百羅漢像)
黄鶴楼 帰元寺(五百羅漢像)
   
「武漢」は湖北省の省都、漢口、武昌、漢陽の3地区に別れ、嘗て武漢三鎮と呼ばれてそれぞれが独立していたものを合併した。春秋戦国時代から近代まで、軍事的要衝として幾度となく争奪の的にされた。清朝を倒した辛亥革命もここが発火点である。また解放前の漢口には、長江沿いに列強国の租界地が並んでいたという。
「黄鶴楼」は唐の李白や崔(さいこう)の詩で有名な武漢のシンボルであり、南昌の「滕王閣(とうおうかく)」、岳陽の「岳陽楼」と並ぶ江南三大名楼の一つである。
三国時代の「呉」の建設で、その後に数々の修復を経て現在の建物は1985年に再建されたものである。周囲は公園化されていて、国内外の観光者で賑わっている。
「帰元寺」は武漢四大寺院の一つ。ここの五百羅漢は喜怒哀楽様々な表情の豊かさと、塑像技術の素晴らしさで有名なである。




 安 徽 省 



黄山と九江




黄山(始信峰付近) 九江(甘棠湖)
黄山(始信峰付近) 九江(甘棠湖煙水亭)
   
黄山は花崗岩石の高い山からなる山岳風景名勝区で、大小72の峰を持つ山塊である。黄山の美は、「奇松、怪石、雲海、温泉」という四つの絶品にあると言われている。絶壁の裂目に生えている松は逞しくて力強い。
九江は人口45万人の長い歴史を持つ港町で、三国志で有名な赤壁の戦いにまつわる歴史を持っている。この町にある「甘棠湖」は三国時代「赤壁の戦い」に勝利した、孫権・劉備連合軍の武将、呉の「周諭」が水軍を訓練したと云われている湖で、湖畔に建つ資料館には、周諭の像や周諭に関わる文物などが展示されている。
水上に突き出すように建てられている煙水亭は、煙霧に霞んだ様な湖の風情から名付けられたと云われ、描かれている絵と共に歴史が感じられる。




九 華 山




天台正頂 古拝経台
天台正頂 古拝経台
   
標高1342mの十王峰を主峰に、九峰を連ねる「九華山」は、地蔵菩薩(新羅の王子)が修験道場を創建したのが始まりで、「九峰山」と呼ばれていた。755〜761年に掛けて滞在した李白が、九つの峰を「華」に例えた詩を詠んだ事から、「九華山」の名が付いた中国仏教四大聖地の一つである。九華山の仏教の歴史は晋朝に始まり、唐の開元年間に大規模な仏教寺院が建立され、宋、元、明、清の時代と次第に規模が拡大されて、最盛期には寺院300、修行僧は4000人にも達したとか。今は緑深い山々が連なる山間に、74の仏閣が建ち6400体の仏像を擁して、300人以上の和尚や尼僧が住むという。
天台正頂本殿「大雄宝殿」は、岩山の僅かなスペースを最大限に利用して建てられていて境内が本殿前と下段の2段に設けられていた。本尊は慈顔の「弥勒菩薩」像である。
「古拝経台」も、岩の僅かなスペースに乗ったような状態で建てられた天台正頂の前門のような建物で、ここから天台正頂へは八百数十段の急階段を上がる。建物の背後には鷹が翼を閉じている様な、「老鷹F壁」と呼ばれる奇岩が衝立状に立ち上がっている。




 江 蘇 省 



南 京




中華門 明孝陵(石像路)
中華門 明孝陵(石像路)
   
「南京」は、三国志で知られた呉王「孫権」が都を置いて以来、激動の舞台となり続けた古い都であり、近代では日本との不幸な戦争での戦略的な重要都市でもあった。
「中華門」は明の初代皇帝「朱元璋(しゅげんしょう)」が、南京を都と定め1366年〜1386年に創建したかっての「南京城」の正門で、南京にある13の城門のうち最も威風堂々としている門と言われている。
「明孝陵」は明の初代皇帝で、「孝」をもって天下を治めたと言われる「朱元璋」の陵墓である。30数年の年月を費やして建てたものと言われ、参道、陵園、地下宮殿からなっているそうだが、今は陵園への立ち入りが禁止になっていた。
長さ800mの参道には、巨大な12対の想像獣と4対の石人の像が配置されていて、石像路と呼ばれている。



中山陵 夫子廟遊技場
中山陵(392段の階段) 夫子廟遊技場
   
革命の父、「孫文」が眠る陵墓である。
紫金山という山の中腹に建てられている中山陵は、入口門から正門迄の参道が400mある。正門から花崗岩で造られた392段の階段を上がると孫文の眠る祭堂がある。392段の階段は、建設時の中国の人口3億9200万人に因んで決定されたものだという。
祭堂には、三民主義を表す三つの門と、遺著「建国大綱」が刻まれている。その後方の墓室中央部の墓穴で、大理石の棺に安置された孫文の像が横たわっている。
「夫子廟」は、嘗て南京最大の歓楽地帯であった秦淮河(南京に流れ込んでいる川)の一画を指し、科挙試験が行われた「貢院」があり妓楼が繁盛し、古くから商人の集まる繁華街でもあったという。
近代になって宋代の街並みが復元され、南京一優美な街としてよみがえった。




揚 州




痩西湖(五亭橋) 大明寺(鑑真記念堂)
痩西湖(五亭橋) 大明寺(鑑真記念堂)
   
揚州は江蘇省の省都「南京(約550万人)」よりも多い、約880万人の人口を持つ風光明媚な水の都である。長江が持つ地方名も、ここから下流が「揚子江」と呼ばれる。
春秋時代、呉王「夫差(ふさ)」が築いた@城(かんじょう)が基礎になり、随の煬帝(ようだい)がこの地を南の拠点として重視し、北京から杭州まで運河を引いたのが「京抗大運河」で、この地を通り古くから交通の要衝として栄えると共に、鑑真やマルコポーロが住んだ街としても名高い。
「痩西湖」は、京抗大運河に注ぐ一本の川に杭州の西湖を模して造られた美しい人造湖である。湖一帯は公園になっていて、岸辺のヤナギと建物が創り出す美しさは絶景の呼び声が高く、橋上に五つの亭を持つ五亭橋は、公園に架かる24橋を代表する橋で公園随一の風景を演出している。清代の「乾隆帝」がこの地を愛し、彼が釣りを楽しんだという所が「釣魚台」として残っている。
「大明寺(だいめいじ)」は、唐の高僧、鑑真和尚が住職を務めた寺である。聖武天皇の要請で、度々の渡航失敗の後に盲目となって来日し、日本に仏教徒の守るべき規律を伝え唐招提寺を建立して、そこで没したのはよく知られている。
1973年に日中国交回復を記念して、大明寺境内に唐招提寺を模した「鑑真記念堂」が建てられ、楠木に乾漆の鑑真座像が安置されている。




蘇 州




虎丘斜塔 寒山寺
虎丘斜塔 寒山寺
   
蘇州の西北「虎丘山」に、五大の周の顕徳6年(959年)に築かれた別名、雲岩寺塔は、八角形7階建ての楼閣式建築で、高さ47mの塔は古代の装飾芸術を研究する上で可成り高い価値を持っているという。塔は明代から傾斜を見せ始め、現在は約15度の傾きを見せて中国のピサの斜塔とも呼ばれている。
寒山寺は唐代に高僧、「寒山」と「拾得」が住んだことから名付けられた寺で、唐代の詩人張継の詩、{月落ち烏鳴いて霜天に満つ}で始まる「楓橋夜泊」に詠まれた寺としても有名である。日本との縁も深く、明治時代に日本が贈った鐘には、大晦日に一つ撞くと10年若返るという言え伝えがあるとか。


知ってのとおり、中国は国土が広く、歴史が古く、壮大な山河と絢爛たる文化を持つ国である事から観光資源が豊富多彩である。60を超える都市が中国国家クラスの歴史文化の名城に、500余ヶ所の文化財が中国重点文化財に、88ヶ所余の景勝地が中国重点風景名勝区に指定されている。
世界遺産に登録されているのは、長城、故宮、敦煌石窟、秦の始皇帝陵と兵馬俑坑、周口店の北京原人遺址、承徳の避暑山荘と外八廟、孔子廟、孔府・孔林、武当山の古代建築群、チベットのボタラ宮、武陵源、九寨溝、黄龍、泰山と黄山である。
中国十大名勝指定は、万里の長城、桂林山水、杭州西湖、北京故宮、蘇州園林、安徽黄山、長江三峡、台湾日月潭、承徳避暑山荘、西安兵馬俑であるが、その他に56民族のそれぞれの特色に富む伝統的な祭り、歌舞劇、そして華麗な民族衣装や、書画骨董も見逃せない。
これから後、幾つ訪ねることが出来るか分からないが、体力の続く限り中国各地を訪ねて、多くのものに接して来たいと思う。


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