
スロヴェニアとクロアチアの旅の記録 !
美しい自然や遺跡、中世の雰囲気を今に伝える街々など、本当に良いところだと訪ねて来た友人に薦められ01/05/28から12日間の日程で、東ヨーロッパの二カ国スロヴェニアとクロアチアを訪ねる旅に参加した。 オーストリアと北イタリアにまたがるユリアン・アルプスの麓に抱かれる、スロヴェニアの「ブレッド湖」を始め、「アドリア海の真珠」と謳われるクロアチアの町「ドブロヴニク」等の湖水の風景、雄大なリアス式海岸線、赤い瓦の中世の街々等を楽しむ旅である。この二つの国は、旧ユーゴスラビアから1990年代初期に分離独立した若い国で、1981年にスロヴェニアの首都「リュブリャーナ」を訪ねたと言う直木賞作家の「板東真砂子」氏は、著書”身辺怪奇(朝日新聞社)”に「観光地としては、本当に美しい町だが、居心地は良いとはいえなかった。ホテルのサービスがひどい、レストランやカフェで働いている人が無愛想。自由競争が無いものだから接客業としての自覚が無いのだ。ひょっとしてこの国の人たちは観光客を憎んでいるのではないか、と勘ぐったものだ。」と書いているが、今は全てが改善されて、開かれた観光地として世界中から観光客が訪れている。
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煌めくアドリア海
◎ ツアー行程図
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成田から(シベリヤ・パリ経由)スロヴェニアへ
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| 飛行して6時間以上が経過した頃、凄い地上の風景が目に飛び込んできた。シベリヤの大地である。全てが氷りに覆い尽くされた大地である。 はじめて目にしたシベリヤの大地は、その凄さに圧倒されて神が自然に造らせた芸術作品としか言えようがない。晴天を神に感謝した。 |
ス ロ ヴ ェ ニ ア
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| ボヒーニ湖 | トリグラフ山" |
| 山峡に約4kmにわたって延びる、最深部448mの美しい湖である。山懐に抱かれた閑静な佇まいが好まれて、古くから保養地として知られた所である。 ユリアン・アルプスの主峰トリグラフ山(2864m)は、高峰とは言い難いが湖畔から眺望する山容は雄大である。三つの峰から構成されているので、「トリ」の名が冠せられたという。湖畔には初登頂を果たした四人の立像が、山に向いて建てられている。 |
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| ブレッド湖" | 17世紀の教会" |
| ブレッドは、標高500mにあって縦2.2km、横1.3km、最深部30mのブレッド湖と、湖に浮かぶ小島(ブレッド島)にある中世の教会や、湖畔の断崖上に建つ古城を中心とした観光地である。ブレッド島に渡る手漕ぎのボートは、湖上から眺める美しい風景と相俟って中々に情緒がある。 ブレッド湖に浮かぶ小島、「ブレッド島」に建つ「マリア教会」は8世紀の創建で、その後の拡張などを経て現在の建物は17世紀のものだという。 礼拝堂に下がっている綱で鐘を3回ならすと願いが叶うそうだが、鳴らすには力とコツがいるようで、試みるが上手く行かない人が多かった。 |
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| ブレッド城 | 城から見るブレッド街" |
| ブレッド城は湖面上100mの断崖に建つ4世紀頃の城だという。今は博物館になっていて城内古跡から発掘された、4世紀当時の人骨を始めとする出土品や当時の武具甲冑のコピーなどを展示している他、嘗ての教会や100mの断崖から排泄物を湖水に直接落とす、ユニークな構造のトイレなども保存されていて、築城時の苦労を垣間見た思いがする。 実に堅固に造られた城のように見えた。石垣は4世紀頃のものだと言うのに、表面に僅かな風化が認められる他に損壊の箇所が見あたらない。建物も何度かの修復を繰り返しているのだろうが、老化している風には見えなかった。 城門も急坂の途中に造られ、門の前には跳ね橋が架けられ、場内には古い井戸も残されていて、防御の備えが完備していた事を物語る。 ここから眺望したブレッドの市街が美しかった。 |
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| ロカの街 | 14世紀の城壁と城" |
| 「シュコフィア・ロカ」は、ブッレドと首都リュブリャーナの間にある14世紀から続く街で、初代のシュコフィア(領主)の名前「ロカブレッド」が街の名前になっている。 城門も急坂の途中に造られ、門の前には跳ね橋が架けられ、場内には古い井戸も残されていて、防御の備えが完備していた事を物語る。 街は、15世紀と17世紀の大地震で壊滅的被害を受け、城壁以外の14世紀のオリジナルな建造物は消滅してしまったが、地震から生き残った15世紀の建物が残っている。 |
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古い町並の市役所通り
| スロヴェニアは人口約200万人の国、首都「リュブリャーナ」には、278,000人が住む。 この国の著名な設計者の手になる、三聖人のモニュメントがある市役所通りには、100年前の建物が建ち並ぶ。 市役所も16世紀の建物で、過去4回の修復年次や月の満干を表す飾りなどが取り付けられた特徴のある建物である。 |
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| リュブリャーナ大学本館 | 聖ニコラ教会 |
| リュブリャーナ大学本館は、古色蒼然とした中に重厚さを漂わせた建物で一種の威厳さえ感じられた。 道を隔てた「プラタナス公園」には、ローマ時代に来市した記念のザビエルの像と当時の石積みの古跡があり、また直ぐ近くの通りには、150年前にスロバキア語の新聞を発刊した伝統ある新聞社の社屋があった。 大聖堂と呼ばれる聖ニコラ教会が知られている。この教会の鉄扉には、この町の宗教変遷史が刻まれている。 そのほか教会では、聖フランチェスカの墓の上に建てられたというマリア教会がある。建物は17世紀のバロック建築様式で、重々しい天井画と正面祭壇の荘厳さに、身の引き締まる思いがした。 |
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| 地底のコンサート・ホール | 地底へは電車で" |
| スロヴェニアの殆どが石灰岩地域で、今までに調査済の鍾乳洞を含む地下空洞は約5,000、その中で最大のものが「ポストエナ鍾乳洞」で、乾回廊、流水回廊の合計が21kmにも及ぶ。 洞窟内で発見の石器等から、有史以前の原始人の利用や、13世紀に訪れた人の岩壁の署名もあるそうだが、主な回廊の発見者は、現地洞窟案内人で1818年だという。 訪れた自然科学者の報告書等で存在が広く知られ、訪れる人も年々増加して過去170年で2,500万人を超えたとか。今では一日一万人以上の見物客を入れることが出来る迄に整備されている。 洞窟の出口には、1994/04/23ドイツ占領軍が洞窟の一部に保管したガソリンにスロヴェニア・バルチザンが火を付けた時の跡が黒く残っている。 観光コースは約3.5km、その内のトロッコ電車部分2kmは、1872年に世界に例のない洞窟内鉄道として敷設され、1913年からエンジン付きのトロッコになったという。トロッコ列車を降りると、英語独語等七カ国語のガイドの所に別れて、1.5kmの徒歩散策になる仕組みだ。広いスペースの洞窟広場「コンサート・ホール」が終点で、ここから再びトロッコ電車に乗車して出口に向かうのである。 この鍾乳洞で最も美しい部分「レベ・ヤーメ」は、第一次世界大戦中にロシアの捕虜が建設したロシア橋を渡るとそれと並行したホールにあり、千差万別の鍾乳石を見ることが出来たのだが、写真のフラッシュが禁止、100年もの間使っているという電灯照明の照度不足に、押すな押すなの見物人で良い写真を撮れなかった。 洞窟にはカルスト地形の地下に見られる最も特徴の面白い動物「人類魚」が生息している。トカゲの様な体型で盲目、体表面のエラで呼吸し寿命は約40年位、ディナール山脈地帯のカルスト地形の純粋な地下水にしか住んでいないという。食物はプランクトン等の微生物で、実験では卵で繁殖することが分かったものの、自然環境での繁殖は未だ見たものはいないという。 |
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ク ロ ア チ ア
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| クルク島 | 風の街・セーニ" |
| スロヴェニアとの国境を通過して凡そ2時間程走ったろうか、眼下にアドリア海が姿を現した。期待した通りの美しい色をした海である。大概の世界地図には記載されているクルク島を遠く望んで、アドリア海とのはじめての出会いである。 14世紀に建設されたという監視塔が、嘗ての侵略に対する戦いの歴史を物語る様に、海を望む高台に建っていた。 我々の観光ルートは、海岸線に出た後に風の街と呼ばれる程冬季に強風が吹く、「セーニ」の街から、再度山地に入り独立戦争当時の紛争地域を通過して後、再び海岸線に出てアドリア海の真珠と呼ばれる「ドブロヴニク」の街に向かうルートである。 |
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コジアック湖
| 公園には16の湖とこれを繋ぐ渓流と多くの滝があり、自然林に囲まれて見事な自然美を展開している。 最大の湖コジアック湖は、周囲を緑に囲まれて静かな佇まいの中にあった。僅かに観光船の立てる航跡波が岸辺を洗う程度である。 湖の深いところにある倒木の肌が実に細かなところまで見える程、石灰土質に濾過された清澄な湖水である。 |
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| 湖を連結する渓流 | 公園最大の滝" |
| 石灰岩地質の特性で高所から低所に、湖が棚田状に連なりその間を連結する渓流は、時に急流となり時に淀みを作り天候や時と場所によって、エメラルドからグリーンと多彩に色合いを変化させて流れている。 16の湖を繋ぐ渓流は、石灰質特有の階段状地形によって、大小数多くの滝を作っている。豪滝あり、優滝、美滝が織りなす自然の佇まいが素晴らしい。 |
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中世の城門
| トロギールは、世界遺産に指定された15世紀の佇まいを残す城郭都市で、城郭正門には中世から続いている街の例に漏れず、この町の守護神像が安置されている。 城郭の内部地域が旧市街で、城郭外に新興住宅地や漁・商港、ヨットハーバーなどの新市街が展開している。 |
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| 裸のアダム | 裸のイヴ" |
| セントローレンス教会はこの町最古の教会で、古色蒼然とした外観が見る者に畏怖を感じさせる。入り口の左右にある「裸のアダムとイヴ」の彫像は、有名なものだという。アダムとイヴは、どこでも裸だと思っていたが、この彫像はイチジクの葉も付けていなかった。 | |
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新市街の海
| 大きな入り江を挟んで、旧市街の対岸に新市街が開けている。山の斜面を利用して新興住宅地の建物が並び、海沿いには漁港やレジャー施設が設けられている。 山の緑と赤い屋根に白壁の建物が醸し出す風景は美しく、海と遠望の山並みが薄紫の色模様の中に、レジャーボートやヨットが繋留されている風景は、豊かで開放感のあるものだった。 |
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皇 帝 居 住 殿
| 3世紀にローマ皇帝「ディオクレティアヌス」が、個人で住むために造った宮殿で、現在は宮殿全体が「旧市街」になっている。 皇帝居住殿という呼称が適当かどうかは分からないが、周柱式の広場を持つ皇帝の住居で謁見室などが現存している。 |
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| 復活した教会の入り口 | 中世の城壁と近代の市場" |
| 皇帝居住殿前の周柱式広場の列柱の間に入り口がある。入り口横に石スフインクスのあるのが認められる。教会の機能も完全に復活していて、日曜日に訪ねた事もあり市民から観光客まで大勢が礼拝に参加していた。 宮殿主要施設と兵士の居住区の間にある通路の門から外に出ると市民で賑わうマーケットがあり、新旧仲良く同居している 内陸側に残る3世紀に造られた城壁で、僅かに風化が認められるが劣化は無いと言っても良いと思うほど良好に保たれている。 |
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| 旧 市 街 | 家 並 み |
| 旧市街はかっての宮殿跡地にある街で、15世紀にこの地方を襲った大地震で、ローマ時代のオリジナルな建物は姿を消したが、地震被害から復旧した15世紀の建物が残されていて、ローマ時代の建物様式を外壁や出窓の装飾などに見ることが出来る。 カテドラルに隣接したタワーに上り(有料=5クナ)市街を俯瞰した。実に素晴らしい眺めだ。 港は、紺青の海と港湾施設の白壁赤屋根の原風景に、遠望の白い船が加わるコントラストが素晴らしいく、市街の景観は赤屋根に白壁の家屋が重畳して重厚そのものである。宮殿遺跡がその中に混じる風景が歴史の街に相応しい。 |
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旧市街展望
| アドリア海沿岸の山と海の間に位置するドブロヴニクは、人口約50,000人のクロアチア最南端の都市である。 城塞に囲まれている旧市街は、中世には独立共和国だった事もあり、今日なお中世の面影を色濃く残していて、1979年にはユネスコ世界遺産の指定を受けている。 |
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新市街展望
| 気候は海洋性気候で温暖であり、中世から諸外国との貿易によって栄えて来たところで、今その機能の大半は新市街に移っている。 |
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| 城塞遠望 | ドブロヴニク港 |
| 全長1940mの城塞は、13〜17世紀にかけて築かれたもので、城壁の最も高い部分は2.5m、沿岸から1.3m、市街から4〜6m程離れて建てられ、市街内部と外部を隔てる堅固な空間を作りだしている。 中世より諸外国との貿易によって栄えていた歴史の代弁者がこの港である。自由都市、ドブロヴニク共和国として栄華を極めた15〜16世紀に、この港から世界の大海へ向けて船が出航していたのであり、100年前の型式の船と併せて見るとき隔世の感、大である。 |
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| 岩礁上の城壁 | ロブリェナッツ砦 |
| 岩礁上に海に向かって建つ城壁は最高が2.5mと言われ、岩礁の高さを加えると有に5〜6mに達して、火砲の発達していなかった当時には、実に堅固なものとのだったことが想像される。城壁上には、有事平時を問わず連絡や搬送用の幅1.3〜2.5mの通路が設けられていて、今は観光用の遊歩道として大勢の観光客が訪れ紺碧のアドリア海や赤い屋根の旧市街の家並みの風景を楽しんでいる。 ロブリェナッツ砦は、城郭から少し離れた沿岸部に他の砦が築かれる前の11世紀に、市街西側の海陸からの侵入者に対抗する為に築かれた海面上37mの高さを持つ砦で、中世にはその威力を諸外国に誇っていたという。 |
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赤い屋根の家並み
| 城壁上の散策路から見る旧市街は、朱色の屋根が重なりこの街の歴史が感じ取れる。朱色の屋根の向こうに覗く、紺青の海とのコントラストが捨てがたい。 |
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| 街の入り口ピレ門 | プラッア通り |
| ピレ門は、市街に入る西の玄関口として14〜16世紀の間に築かれ、守護神「聖プラホ」の像が安置されている。東には15世紀に作られたプローチャ門があり、この2箇所が城塞から市街外部に出るための門である。他に港から市街に入れる二つの門がある。 プラッツアー通りは、市街の東から西にかけて作られた全長300mのメーンストリートのストゥラドゥン、プラザで、人々が絶え間なく行き交い、路上パホーマンスがあったりと活気に溢れた通りである。ここから市街が始まる。 |
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| オンファリオ噴水 | 小噴水 |
| メーンストリート(プラッア通り)には2つの有名な噴水がある。一つは水道施設を兼ねたオンファリオ噴水で、16平方メートルの大きさを誇る大規模なもの、20km先の川から導水して1438年にナポリの設計士によって造られたという。 大噴水がメーンストリート(プラッア通り)の西端にあるのに対して、もう一つの「小噴水」は1520年に反対位置の東端に造られた。矢張りミラノの設計士によるものという。この小噴水は、市街の多くの建築物が全滅した1667年の大地震にも耐えてその姿を留めている。 | |
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| 元税関の建物 | 教会と元総統の建物 |
| 嘗ての税関だった建物と、中世ドブロヴニク共和国を管轄する統領のために建てられた建物は、15世紀のもので何れもゴシック・ルネッサンス様式の美しい建物である。 教会は守護神、聖ブラホの名を冠した「ブラホ教会」で、バロック様式の見るからに荘厳な建物である。 これらの建物は、毎年開かれる荘厳な「ドブロヴニク祭」の、開会式場となる美しい「ルージャ広場」を囲むように建てられている。 |
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朝のアドリア海
| 「海と光の色、またたび光るごとく美しい風と空」、誰の言葉だったか思い出せないが地中海洋性気候で温暖な気候地域であり、沿岸特有の強い北風(ブーラ)は市街を見下ろすスルジェ山によって、また暖流の影響で起こる強い南風(ユーゴ)は、ドブロヴニクの向かいに位置するロックルーム島によって防がれ、穏やかな表情を見せてくれる。 中世から諸外国との活発な貿易によって栄えた海だとは、想像も出来ない静かな佇まいである。 |
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| ヨットのある風景 | ビーチの風景" |
| 地中海洋性植物の生い茂る陸地に挟まれた紺碧の海にヨットが走る。リゾート気分を十分に盛り上げる見事な風景である。 この国の海岸線をプリトビッツェからドブロヴニクまで数百キロは走ったが、岩礁の海岸が連綿と続いていて砂浜の海岸はこの一箇所のみである。 砂浜と言うより砂礫に近い海岸だが、多くの海水浴を楽しむ人々が見られた。 |
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| 夜のプラッア通り | 港の夜景" |
| 昼間も人通りの絶えないプラッア通りだが、日が落ちても人通りの途絶えることが無い。観光客に地元の人達のそぞろ歩きが加わって、人通りが増えている。 訪れた時の港は実に静かに夜を迎えていた。海水面に落ちた港の火影が、波間に揺れる様は幻想的で、何時まで見ていても見飽きることがなかった。 |
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宮殿跡の城壁
| 名前をロックルーム又はラクルムと書かれている小島で、12世紀(11023年)に修道院が創建されて、はじめて人が住んだと言う緑の豊かな島である。修道院は15世紀の大地震で崩壊し、その後修復されることなく廃墟となっている。 城壁はオーストリア支配時代のハプスブルグ家宮殿のもので、高く堅固に造られている。 |
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| 島の全景 | 宮殿跡 |
| 宮殿内部には、大地震に倒壊を免れた建物と庭園が残されていたが、建物は殆ど修繕管理の手が入っていないとか。庭園から海を見渡す高台には、ハプスブルグ家当主夫妻の憩う石造ベンチがあり、当時の上流階級女性の服装に合わせた細工が石に施されているのを見て、その権威の高さに一驚した。 現在定住者は無く、観光シーズンに管理の一家族が住むだけという。島の反対側(海洋側)は、ヌーデイストビーチだそうだ。 |
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| 中心街 | 海岸通り |
| この町は今のドブロヴニクの発祥の地で、この地域は古代ギリシャ、古代ローマ、そして7世紀のスラブ人の進入から防御に有利な今の地に移転、中世ドブロヴニク共和国へと続く歴史が伺える。今は、豪華なホテル、花の溢れる公園、散歩に適した歩道が多く見られ、観光客の為にあるような町である。 温暖な気候を漂わせているこの町からは、有名な作家で収集家のバルダズァラ・ボキシッチ、政治家のフラーニョ・スピロ、画家のプラホ・ブコバッツが生まれている。 また、クロアチアを代表する彫刻家イヴァン・ミシュトロビッチによって1992年に建てられたラッチ家霊廟は、豪華壮大な個人の霊廟として有名なものだという。 |
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◎ 首 都 の 街 並 み
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首都の朝景
| ザグレブも新市街と旧市街に分かれていて、旧市街はオーストリアの影響が色濃く残されている。狭い旧市街道路の至る所に車が駐車していて、身を捩って歩く事が多かった。 |
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| 坂のある街並み | モザイクの屋根 |
| 坂道に沿って重厚な建物が並び、人々がゆっくりとした足取りで歩いているのが印象的だ。一寸脇道にそれれば実に静かな佇まいの住宅が並んでいて、訪れた者を落ち着かせてくれる。この町を象徴しているかのようだ。 旧市街の一画を占めて官庁街が構成されている。相変わらず道の両側は駐車している車で一杯である。若者の姿が多い。有名なモザイク屋根の教会も此処にある。新旧の国旗が画かれていて、多様な土産物に図柄が取り入れられている。この町のシンボルだとガイドの説明である。 |
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天を突く尖塔
| 侵略者の影が残されるのは教会に多い。この寺院もその一つで外観は飾り程度で差ほどの変化は無いものの、内部はその都度当事者の宗教の様式に改修されたと言う。礼拝堂には、イスラムの様式が今も残されていた。 |
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チトー元大統領の墓
| チトー元大統領の墓を蔦に覆われた建物が建つミゴロイ墓地に訪ねた。ミロゴイは静かなと言う意味だそうだ。 墓地を管理する建物の裏にこじんまりと箱形の墓碑が建てられていて、権力者として長く君臨した人の墓としては質素なものに思えが、公園化されていて実に綺麗な名実共に静かな墓地だった。 |
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彫 刻
| 一見普通の小さなビルのような佇まいで、美術館とは思えないナイブアート美術館である。 数少ない展示彫像で「Petar Smajic:Adam and Eve,1934」とある。 |
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| 絵 画 1 | 絵 画 2 |
| クロアチアから始まったと言うガラスの上に絵を描く手法の絵画を展示している。 絵画1は、「Ivan Rabuzin:Avenue,1962」、絵画2は「Josip Generalic:Guiana,1978」 である。 (撮影を禁止されたものが多く、美術館のパンフレットから転用した) |
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| 5月28日新千歳空港を出発、29日に成田発パリ空港経由でリュブリャーナ空港へ、此処でスロヴェニアに入国して、6月1日に陸路クロアチアに入国した。 日本ではあまり知られていないブレッド、プリトビッツェの二つの国立公園や、ローマ遺跡が生き残る街・スプリット、世界遺産の街・トロギール、世界的規模を誇るボストエナ鍾乳洞、そしてアドリア海の真珠と謳われるドブロヴニクからクロアチアの首都ザグレブ等々の観光スポットを巡って感動を味わい、移動の道筋に嘗ての独立戦争の傷跡を見て胸を詰まらせたのも印象深く、その間にも、各地で素晴らしいワインと鱒等の名物料理を堪能した。 6月8日ザグレブ空港からパリ空港・成田空港を経由して新千歳空港に帰着、全12日間の旅は終った。 |
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