2002年12月の日記
この一ヶ月が一番大変やった。更新したくても、何書いていいか、思いつかんし・・・。もうやめようと思いました。
後半に入ると、何でもいいやっ。って開き直りも入り出しています。
12月31日(月)
高校時代の友人で集まった。男7人中 禿げ×3 デブ×2 禿げ+デブも一名いた。
30分ぐらい仕事の話を中心に、近況報告があって、その後は延々と昔話の連続。それも
毎回おんなじ話。それでも毎回爆笑になる。これってなんなんでしょう。
オレは彼らに現実や、未来を求めないし、彼らもオレに現実や未来を求めない。
ただ、自分の中で完全に美化された青春ってものを確認する作業のために、毎年集まる。
語り役、ボケ役、盛り上げ役、笑い役、全ての役が決まっていて、落ちが決まっている
そんな吉本新喜劇に参加するようでもある。
この中の一人が、リストラにあったとか、会社が倒産したって時にオレはホントに心配して
やれるだろうか。いっしょに考えてやれるだろうか。だって彼らはオレの中で現実に生きる
住人ではなく、過去という夢の中に生きる住人なのだから。
とカッコつけて、意味がわからない締めになってしまったが、高校時代の友人とは未来永久に
馬鹿話をし続けたいってこと。
12月30日(日)
自分に決めた「週一山」のノルマを達成するため、今年最後の登山を敢行。
先週懲りた「宝満山」以外だったらどこでもいいというリクエストしていたら、背振山系の
「九千部山(くせんぶやま)」に決定。
前日からの寒波に加え、雲行きもあやしく「まじで行く?」としり込みしていたHACも強引に
連れて出発。
年末のせいか、ガラガラの市内の道を抜け、那珂川町へ。アプローチ点の「佐賀橋」で車を
降りると「さむいぃ〜」 おまけにパラパラと粉雪が降ってくる。これで3週連続の雪山行だ。
舗装道をだらだら30分で、登山道入り口。標高が上がるにつれて、足元には積雪が・・・。
約2時間半で山頂到着。
雪に埋まる地蔵
見晴らしがいいはずの山頂は、曇っていていい景色にはほど遠く、寒い風がビュービュー。
吹いてくる。それでも恒例のカップヌードルで昼食。ただガスカートリッジが寒冷地仕様でな
かったので中々お湯が沸かなかった。
昼食後、下山。来た道ではなく、「グリンピア那珂川」にまっすぐに降りる楽勝そうなコースを
選択。約一時間で「グリンピア那珂川」に到着。しかし、頼みのリフトは休業のため、運休。
くそー。これぞお役所施設。年末年始きっちり休みやがって。
しかし、巨大滑り台を発見。もしやこれで麓まで降りれるのでは・・・・。そこでチャレンジ。降りる
事約2分。空しくも滑り台は終わり。とぼとぼとリフトの下を下山することになった。
期待はずれのすべり台
無事、下山し、南畑ダム沿いの県道まで下りてきたが、車を置いた場所はここから、約2Km
県道を登らないといけない
あわやくばと、右手の親指を立ててヒッチハイクを試みたが、誰も止まってくれない。約10台程
に振られた後、軽自動車が止まってくれた。当然4人乗るのは無理なので、代表でオレが乗せて
もらい、車をピックアップしにいった。
という感じの普通の登山の話だったのですが、本来「カンゾー」のコーナーに入れるべき話をココに入れたのは、イチイチいろんなコーナーを見に行くのが面倒くさいとの声にお答えしての事です
今後しばらくこれでいきます。
12月29日(土)
昨日納会の後、ジョンレノン大会でお世話になった「ハイサイ」へ今年最後の飲み会に行った。
いつも変わらないメンバーを中心に、8〜9人ぐらいの宴会だった。そこへ会社で最もおもしろい
キャラクターを持つO盛先輩が、友人を連れて現れた。その友人っていう人が先輩に輪を掛けて、
変人だった。オレの事をなぜか「ゴム男」と呼び、はちゃめちゃな話をする人だった。
類は類を呼ぶというが、先輩の友人は変人が多い。ただそれだけの話でした。
12月27日(木)
「FANTASY」
名もなき作家が送るファンタジーの世界byえろかん
NEWコーナー初の投稿作品です。
現在、32歳の作者が24歳の時に書き下ろしたファンタジー作品です。
今日は私にとって特別な日となった。昨晩日本酒を少々たしなんだせいもあって今朝はいい作品が生まれそうな予感はしていた。そしてその予感は的中した。会社に着くなりすぐ便意をもよおしてきたのである。いつもは今日やらなければいけない仕事も明日に延ばしてしまう性格であるが、今思えば今日はいつになく素直にトイレへ足が向いたのだ。
入社直後、トイレでスーツのチャックを午前中にくずしてしまい、ネクタイを1mくらいの長さでしめて前かがみで一日を過ごした苦い思い出があるので、その日もチャックには十分気を使って和式にスタンバイした。和式便所の方は、みんなが知っているように、へたくそな字の落書きがしてある。
「よく来たな!まぁ座れ。がんばっていい子を産むんだぞ。さぁ力を入れて!
・・・・・でてきた でてきた かわいい女の子だ。 うん子と名づけよう。
そんな落書きのナビゲーターに導かれ、私は楽に作業を終えた。
作業を終えた私は、何気なく今日の作品を見て感動し、ついにやったぞ!という満足感に打ち震えた。それはまぁ言葉で表すより、見てもらったほうがいいのだが、仕事場に走って
いって「みんな。ちょっと来てくれ!」などというわけにはいかないので、誰も認めてくれないだろうその作品に私は見とれていた。
それは立派な【う】の字であった。思えば小学生の頃からこれまで腰をフりフリ、チャレンジしてきたが、これほど誰が見ても【う】だ、といえるものはかつてない。写真に撮って日本習字協会に送ったら、賞状とトロフィーくらい送ってきそうなものだ。
しかし、いつまでも【う】の形をしたそれに見とれているわけにはいかなかった。私には次の課題が山積みなのだ。「明日からは【ん】に挑戦だ!」と気持ちを入れ替えた私は、カメラを持ってトイレに入らなかったことをちょっと後悔しつつ24年間の臭大成に別れを告げ、その場を立ち去ろうとした。
その時である。隣の洋式の方から「ぶ〜〜〜〜っ」という地響きのような音が私の感動を冷ました。「遠慮なしだな」と私がつぶやく間もなく、次の波がやってきた。それは同じ人物から発せられたとは思えない、可愛い「ぷ〜〜〜っ」だった。なんと音階を持つ「ぷ〜〜〜」だったのだ。
私は笑うより感動を覚えた。それは私の【う】に対する「おめでとう」の意味なのか・・・。高校野球のように24年間というあまりに長かった試合の終わりを告げると共に、次の【ん】に向けての試合開始を意味するサイレンの「ぷ〜〜」なのか、私はそんなことを考えながら、球場いやいやトイレを後にした。
12月24日(月)
「バスルームから愛をこめて」
二日間のノンエクササイズを取り戻すため、登山を計画。有名な山だが、一度を登ったことがない「宝満山」へ。
きつくて、おもしろくない山とは聞いていたが、確かにその通り、プラス寒さと悪天候でハードな登行だった。
寒さは先週の「由布岳」で経験済みだったので、それなりの装備をしていったが、石段がずっと続く登りはきついし歩き憎いし、想像以上に楽しくない。
それでも、この山には登行者が結構多い。単独行がほとんで、みんな眉間にしわを寄せて、つまらなそうに登っている。
たぶん、この山は登行を楽しむ山ではなく、次回の登山旅行に備えて、身体を鍛える山なんだろうなぁ。
帰りに、登山口の近くにオープンした「都久志の湯」に寄った。内湯、露天もあって、500円の入湯料は安い。特に設備が新しいのがいい。よく温泉の洗い場の蛇口は赤と青の蛇口があって適温にするには、調整が微妙で難しいかったりする。ひどいとこでは隣の人が使ったとたん冷水がでてくることもある。
ここには、家族風呂もあるのだが、家族風呂は1時間待ち、順番待ちをしているのは、ほとんどカップル。家族で来ても狭い家族風呂に入るよりは広々とした露天に入るほうがよっぽどいい。
ということで、家族風呂に入るのはカップルということになる。
それにしても、ラブホテルの待合室じゃあるまいし、健全なファミリーも沢山通る待合室で、順番を待っているはいかがなもんか。
おまけにオレのような意地の悪いヤツがジロジロ見て、「よくこんな女と一緒に入るなぁ」等と品定めされたりもするのだ。
話変わって、忌野清志郎の話。先日東京から鹿児島まで10日間で自転車で走破したらしい。きっかけは新聞で見た、「80歳のおじいさんが大雪で遭難した息子を助けるために10kmの道のりを歩いて救出した」って話だそうだ。清志郎はこのニュースを聞いて、人間最後は体力ということ思い、自転車による鹿児島走破を思いついたようだ。
影響を受けやすいオレは自分の体力への挑戦について思案中だ。決行日は来年の3月21日〜24日。
今のところは、「福岡〜鹿児島 自転車ツーリング&キャンプ&麺類探求の旅」
同行者募集中!
先日、某アウトドアショップ主催のヤングハイキング参加者による忘年会が行われた。
日曜日の夜という、最悪の日程だったため、参加は見合わせようと思ったが、フレディの
強い希望により、付き合う事にした。
待ち合わせより20分も遅れて福岡駅に行くと、ちゃんとヒゲを剃ったフレディが落ち着きなげに
待っていた。
大橋駅に着くと、フレディは骨折した足を引きずって、足早に会場を目指している。よく
コンサート会場につくと開演まで充分時間があるのに、小走りになってしまうのと似ている。
忘年会は20分遅れで始まった。人見知りのフレディはオレの横からピタっと動かず、オレが
他の人の話していると、横から相槌のように話に加わろうするが、縄跳びに入れない子ども
みたいに、彼は宴会に置き去りにされていた。
「オマエ、写真撮ったら。」オレの横から離れず、うっとうしいので、高性能デジカメを持つ彼を
促した。何度目かにようやくカメラを持って立ち上がった。オレも座が乱れてきたのを幸いに
他のテーブルにお邪魔し、宴会を宴会らしく楽しんでいた。
参加者の構成は、メガネを掛けていかにもマジメなタイプと、その辺でよく見かけるノリノリ
ネーちゃん風。フレディはカメラを武器に結構馴染んでいたので安心した。
宴もたけなわで、宴会らしくその辺に酔いつぶれている人もポツポツ現れた。
フレディはどうかと見てみると、なんと立ち上がってビールビンをラッパ飲みしているではないか。
いくら盛り上がっているとはいえ、初対面の人もたくさんいる宴会でそんなことするか!
案の定、メガネグループは相当引いていた。
宴会が終わって、定番の店の前でウダウダ状態(学生のコンパみたいだ)。二次会へとの誘いもあったが、アバンチュールも期待できないので、当然のように二次会モードに入っているフレディを置いて家路についた。
12月21日(金)
「人として」
昨日は「金八先生」のスペシャルだった。「金八」は中学三年生の時パートTが始まり、当時、生徒と同級生だったので妙に肩入れし、回を重ねてもずーと見続けている。これだけ付き合いの長いドラマは他は「北の国から」だけである。(ふぞろいのリンゴは続編ないし)
昨日の放送ででました。お説教。それもオレは一番好きな「人という字は・・・。」ってやつ。
こらー注目! と黒板に「人」とう字を書く金八。人という字をよく見なさい、こうやって人と人が支えあっているんです。人は人と支えあって生きているという意味をよく考えてください。
ここまでは知ってた。今回はさらに続きがあって、人と人とが支えあって、人は人の間に生きている。だから人を人間というんです。←泣けた泣けた
うまい。これぞ金八。
今回のシリーズでは息子のコウサクが重い病気になって精彩を欠いていた金八だが、やっぱり金八には屁理屈で、どうでもいい話をさぞすごい話のように畳こむお説教が聞きたいものだ。
たぶんドラマの残すとこ、3ヶ月。同一性障害に悩む女の子を中心になってクラスはバラバラだが、最後の大円満に向かって、金八のお説教は冴えまくると思う、見逃すことなかれ。
金八の前に「アンビリーバボー」で55年間ボランティアでサンタといって保育園を廻っている
おじいさんにその保育園のOBが中心になっておじいさんにお礼がいいたいって企画があっていた。
保育園にやってきた、おじいさんに突然プレゼントを渡した後、二階のベランダから「ありがとう」いうメッセージがかかれた巨大タペストリー降りてくるという演出だったが、タペストリーがスローモーションで降りて来るシーンのバックには。「HAPPY XMAS」(ジョン・レノン)。
いかにも和風なお涙ちょうだいの演出のバックにジョン・レノン。
それがピッタリやった。
戦後の混乱期、二度と戦争を子ども達に体験してほしくない、少しでも子ども達にとっていい世の中にしたい、その思いが彼を55年間サンタを続けさせたそうだ。
世界中に愛と平和を訴えたジョン・レノン。自分のできる範囲で愛と平和訴えたおじさん。
僕にできることは、このホームページを通じて【愛と平和】を訴えることだけです。
12月19日(水)
「巡り合い」
偶然の出会いってあるけど、昨日の出会いはちょっと経験したことないので「不思議な気持ち」の偶然の出会いやった。
麺類好きなオレの情報源はほとんどインターネット。その中でも情報量、行動力と、表現力でダントツなのが「麺喰い日記」。これは百道浜あたりに住んでいるか働いていると思われる人が日記形式でその日食べた麺を紹介してしている
秀逸なのはラーメンだけでなく「うどん」情報にも精通している点と、一日最高五麺という麺に関してはとんでもない胃袋の持ち主であるという事である。
おととい、いつものように「麺喰い日記」を読んでいると、最近頻繁に登場する「五轍(ごてつ)」(福岡市中央区伊崎)にまた行ったとのこと。ただ子どもが親子丼をのせがんだため、お目当ての「鴨せいろ」が食べれなかったと嘆いていらっしゃった。
そこで昨日、その五轍にいってみた。昼時だがお客はオレひとり。カウンターでごぼう天うどんをすすっていると、3人組が入ってきた。3人組は香盤表のようなものを出して打ち合わせを始めた。テレビマンだ。さっき「麺喰い日記」の主宰は百道浜周辺の人を書いたが、テレビ局=百道浜である
その中でもリーダーらしき人が注文を取りにきたおばさんに「この間の親子丼おいしかったですよ。今日は鴨せいろで!」
間違いない。「麺喰い日記」の主宰の人だ。なぜかオレの心臓はバクバクしてきた。
話し掛けるべきか、否か。話し掛けるならどう話し掛けるか。「もしかして、【麺喰い日記】の
方ですか?」当たり前過ぎる。それにしてもなぜオレは話掛けようとしているのだろうか。打ち合わせを兼ねた昼食中に話掛けられたら迷惑ではないのか。頭の中が混乱してくる。こっちはそっちを毎日何を食べているかも知っているが、そっちはこっちを全く知らないのである。ましては芸能人でもない。
結局、「迷った時は楽な方を選べ」という自分自身の座右の銘通り、話掛けずに店を出た。
今日、「麺喰い日記」をチェックしてみると、やっぱりあの店にいたのは主宰の人だった。
「麺喰い日記」の主宰の方へ
あの時言いたかったのはひとことだけです。
「いつも見てます。ファンです!」
12月18日(火)
「酔いどれのうた」
ここ最近、ハードな飲み会が続いていた。もちろん営業マンらしく、得意先の忘年会もあるのだが、どちらかというと、自ら企画した会であったり、特に呼ばれてない会にも参加した。
いやな予感は常にあった。このままのペースで飲み続けていたら・・・。
6年程前に肝臓を悪くして入院したことがある。この時の入院にはイヤな思い出しか残っていない。よりによって当時評判が悪かった○○記念病院。本人が肝臓でしょうって言っているのに、胃カメラを飲ませたり、CTスキャンを撮られたりした。
胃カメラの苦しさは、みんな知っていると思うが、オレの場合CTスキャンがダメだった。あの棺おけみたいな筒の中に20分もじっとしておかないといけない、と説明された時いいようもない恐怖に襲われた。自分が閉所恐怖症だと初めて知った。それ以来、満員電車等、狭い所にじっとしておかないといけないのには耐え切れない。
トップページにあるように、検査の結果は予想以上に悪かった。今オレの肝臓はハードなアルコール摂取により、耐え切れずパンパンに腫れあがり、おまけにカロリーの取り過ぎで細胞の隙間に脂肪が溜まってドロドロだそうである。
といっても自分の身体の中のことは想像しにくい。
そこで身近な人物にオレの肝臓の状態を置き換えることにした。
状態@アルコールにやられ肝機能が低下している、特に酒を飲んだ朝は体調に現れる。
これはまるで友人のフレディ。飲んだ翌日起きれずにしょっちゅう遅刻する彼と
そっくりな症状である
状態A肝機能が低下しているため、少量の酒で酔っ払うこともあり、前後不覚の酔い方をする恐れもある。
これまた、友人のフレディそっくりである。元来口ベタな彼は、酔うほどに明るい人格へ変貌し 最後は人に迷惑かけるぐらい酔っ払う。
状態Bアルコールの分解に大量の水分を必要とし、大量の水分を摂取した結果、汗かきになる。
これも、彼の症状である。うどんでも食べた日には大量の汗を額にかいている。
状態C肝臓は脂肪付着と腫れで変色し、美しい状態とは言えない。
これも、いつもみずぼらしくヨレヨレのスーツを着ている彼そのものである。
こうして、オレは自分の肝臓の状態を知る尺度を得たことで、この肝臓病を克服する活路を
見出した。
そう彼を反面教師にすることだ。彼のようになりたくない、彼のようになりたくないと心から念じることで、節酒、毎日の運動も乗り越えられるような気がする。
12月16日(日)
「クリスマス・イブ」
山下達郎氏の「クリスマス・イブ」は日本のポップスでも、5本の指に入る名曲だと信じている。でっどうしても「クリスマス・イブ」で一本書きたいと思っていたら、5年ぐらい前、北九州の養護学校のクリスマス会でこの曲を演奏したのを、思い出した。
ただこの日の事があまりに印象が強すぎて、なんか夢ごごちで、事実関係がはっきりしないんで、一緒にステージに立ったメンバーに助けを求めたら、リードギターの「フレディ」が
ちゃんと教えてくれました。
まず、なんでオレらが養護学校にやけど、北九州で養護学校の先生と飲み屋で友達になって、どうしても「子ども達に生のバンドを見せてやりたい」という先生の願いに、酔った勢いで「我々が実現しましょう!」と約束してしまったからである。
以下、「フレディ」からのメール。
クリスマス・イブ」についてやけど
思い出せる範囲で順に記す。
おいおい、なんか最初から偉そうやな!
前夜の練習は折尾の外れにあるスタジオでの深夜練習だった。当時、北九州勤務だったタカアキとコガと合流するためオマエの、まだ誰も乗せていない新車の助手席に乗り込み折尾をめざした。
スタジオでの練習後、「アナザー・オリオン」のソロが上手く弾けなかった俺は宿泊地のハグキ邸で夜がふけるまで練習だった。
そうそう「アナザーオリオン」生徒会長の子どもが歌うんで「フレディ」が練習し
よった。 いかにもまじめそうな、清楚な先生がピアノで、「フレディ」がギター。
ホント美女と野獣 やったね。
朝のことがなかなか思い出せない。確か当時ハグキ邸は車の停めておける場所から、かなり坂を上がったところにあり、出発時、車のところに下りてきて忘れ物かなにかのチョットしたモノゴトがあったように思う。
会場入り〜準備までの記憶も浅い。ただ会場の「ザ・エージェンシー」の横断幕には笑った
勝手に「ザ・エージェンシー」ってバンド名にさせられとったな
「アナザー・オリオン」のとき、俺はソロのみの演奏と決め込んでいたので、歌の間こっそりボリュームを絞って、まだ自信のないソロパートの運指をなぞっていたら、幹事と思われる先生がステージ前までやってきて、「ボリューム出ませんか?上げましょうか?」と言うので小声で「いいんです。これ、練習してるんです」みたいに言って制止した。
メンバー登場演出として、ステージの緞帳からメンバーが1人ずつ飛び降りながら登場するものと決めていたが、最初の登場メンバーであるコガ(ドラム)、そして2番目の俺の登場
シーンを「カッコ悪すぎる」と思ったオマエは裏切った。(ハグキはどうだったか覚えていない)
そうそう、ステージから飛び降りる演出あまりに、かっこ悪かったんで、
オレとハグキは裏切って、普通にステージ袖から登場したっちゃん。
演奏中のこともよく覚えていないが、それこそ「クリスマス・イブ」の番になったとき俺がバックステージにカポを忘れていたので取りに戻る。オマエの裏切りをこの時は知らなかった俺は再登場のときも最初のように緞帳から現れた。事後このシーンをビデオで見たが確かにカッコ悪い。
リードボーカルでバンドのフロントマンであるハグキはこの時も相変わらず「煮しめた」色のジャケットであったと思う。
演奏が終わるとヒーローのキャラクターショーでバンドよりも盛り上がっていた。
バンドだけで、ステージに上がるのが不安やったけん、イベント会社に頼んで、
アンパンマン一同に来てもらったね。
ショーの後、会場内をキャラクター達が子供と握手しながら徘徊するのだが、着ぐるみを着たスタッフの誘導を手伝うことになる。何故か俺にはごく自然にバイキンマンが回ってきた
閉会後、最後の挨拶にメンバー&スタッフで校長室に行ったら、長話の上、弁当まで出てきた。
弁当だけじゃなくて、たぶん先生達のポケットマネーと思われる3万円もらった。
たしか、アンパンマン一同に渡したはず。
という感じの一日だったわけだが、「フレディ」の話だと、ミュージシャンと養護
学校の生徒との感動の交流が全然伝わってこん!
12月14日・15日
2001年も押し迫った、12月15・16日、4人のメンバーで出発した。
前日より、福岡も急に寒くなり、山の上の寒さが心配だったが、天気予報では「晴れ」。晴れてしまえば、こっちのもんである。山登りもスポーツである。身体を動かすので、登山中
汗がダラダラ流れ、「あつーーー。もうたまらん一枚脱ごう!」ってこともしょっちゅうである。
早朝6時半に福岡を出発し、9時過ぎに湯布院ICに着。登山口を目指し、更に県道を登ると、粉雪が舞い始め、路面にはうっすらと雪が・・・。登山口に着いて、車を降りると
「寒い!!!。」信じられないほどの寒さである。「ガチ、ガチ、ガチ」と歯が鳴り出す。
誰かが「今日はやめよう」って言いだすのを待っていたが、誰も言い出さないので、仕方なしに、ありったけの服を着込むことにした。上は長袖の下着に、ラガーシャツ、更に中綿のジャケット。下はタイツに登山ズボン。そして上下の雨具。
昨晩、忘年会で酔っ払って帰宅したため、旅の準備は困難を極めた。どこになにがあるかもわからないのに、酔っ払った頭で一つ一つ用意するのは、ホントに大変だった。ザックの底に、雨具が入っていて、持っていくつもりではなかったけど、出すのも面倒くさかったので、そのままにしておいてホントよかった。
着替えている途中。引き返すための名案が浮かんだ。「このまま登山続けてもいいけど、もしこのまま雪が積もったら、チェーンがないけん、車を動かせんごとなるよ」このいい分は普段車に乗らない女性陣には説得力があると思われたが、結局言わなかった。どうせ「その時はその時で」と軽く流されてしまいそうだったから。
登行は斜面のジクザクに登っていく道だ。30分も登ると身体が暑くなってきて、一枚脱ぐことになる。しかし、気温があまりに低いため、着替えている間に汗は引いて、寒くなってくるし、のんびり休憩したくても、地面に雪が積もっているため、座り込むこともできない。
登行は雪の中
上にいけば行くほど雪が多くなる
かすかに見える山頂
結局、山頂までろくに休むことなく登り続けた。
山頂まであと少しのところで、道は急になり、岩場に変わる。滑ったら大変なことになりそうである。半分這ってやっとの思いで山頂に着いた。でも、雲で覆われた山頂は壮大な景色もなにもなく、ただ霧の中って感じである。おまけにビュービュー風が吹いていて、寒い。「こんなところこれ以上いたくないー。」と。取り合えず写真を撮り。すぐ下山した。
風が弱くなるところまで降りて、昼食タイム。登行中、二枚ズボンをはいているので面倒くさく、小便(【しょんべん】と打つとだめなんやね)を我慢していたが、ここで放尿。真っ白い雪が見る見る解けていく。まるでレモンのシロップをかけた氷みたいである。
小便が作ったみごとな穴
下山途中、数十人の若者グループとすれ違った。みんな口々に「あと頂上までどのくらいかかりますか?」と聞いてくる。10分程多く時間をいうと「えー」と倒れそうなくらいがっかりする。登った者の特権である。「上の寒さはハンパやないけんねー」とさらに追い討ちをかける。
半分ほど下山すると、空が晴れてきた。くそー。さっきの若者達は寒さで震えているはずだったのに。
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下山が完了すると、目指すは温泉。
着替え終わって、車のドアをバタンと閉めて、「さぁ温泉だー」という瞬間が一番好きだ。このためにツライ山登りをしてといってもいいぐらいだ。
温泉で他の温泉客に対し「オレ達は今、山登ってきたんだ、足なんかガクガクやけんね。身体も芯から冷えとっちゃけん、あんたらがいくら気持ちいいっていいても、オレらの気持ちよさに比べたら、雲泥の差があるでー」とここでも優越感に浸れる。
目指す温泉は別府の山あいにある明礬温泉(【みょうばん】と打ったら一発ででた。漢字を検索するのは面倒なんで、出なければ、温泉名は伏せておこうかと思ってたのに)。
ここが適温で、白濁しているお湯がねっとりしていて、「極楽、極楽」
しかし、温泉が極楽だったのもここまでである・・・・パートUに続く
「パートU」
快適な温泉を後に、今回の宿泊場所である「田の湯館」へ。明治時代に建てられた由緒ある旅館である。
別府駅への5分程度と、今晩のナイトツアーの拠点としてもぴったりである。
なんと素泊まり2,500円。
しかし、暖房器具はコタツしかなく、後発の「K君」「フレディ」を待つ間、ふとんに包まってしばし昼寝。
後発隊到着後、すぐに夜の別府の町へ突入。
まずは、駅前の大通りから入った路地にある餃子専門店「」へここはメニューに餃子600円、ビール600円しかなく、餃子一本で勝負している。7人しか座れない。
カウンターのみで、行った時にすでに先客が2名。無理やり6人入れてもらい「餃子6人前!ビール6本」
パリパリに焼きあがった餃子はオーソドックス。福岡で言うとナンバーワンに近いかな。
餃子6人前とビール6本はあっという間になくなってしまった。その時6:30。オレらは8:30まで時間をつぶさないといけない。というのは今日のメインの焼肉屋の予約が8:30からしかとれなかったのだ。
しかたなしに、地域一番店の「トキワ」の中をブラブラ。
その後、ソープ街を抜け「竹瓦温泉」へ。ここは昭和の赤線時代の産物と思わせるレトロな建物。
嘉穂劇場にちょっと似てる。100円払って地下の浴槽へ。「熱い!」足からそろっと入ったが、皮膚にピリピリと熱湯が刺激してくる。肩まで入ろうと試みるが、腰までは精一杯。まるで「熱湯コマーシャル」
馬鹿アツの温泉を出たら、焼肉屋から携帯に電話が入り、今からオッケーとのこと。
店に行くと、狂牛病をみじんも感じさせないぐらい盛況。そこそこの店の古さがガツガツと食べる気にさせる。6人で腹いっぱい食べて16,850円。安すぎる。
店の名は「一力」。別府で相当有名らしい。
焼肉屋をでたらまたまた、温泉へ。駅前の「高等温泉」 ここも熱い。がぬるめの浴槽も用意されている。
剛毛が熱を遮断するため、熱湯が平気なフレディ
当社比150%のマグナムも、熱湯で縮んでしまった
今回の発見は風呂に入ると、腹が減ることだった。腹いっぱい焼肉を食べたのに、あがったらなんか腹が減ってくる。
そこで今日3件目。「うれし屋」へ ガラスショーケースの中に入ったおかずをとって食べる
ジャパニーズ・トラディショナル・セルフスタイル。
福岡もこの手の店は少なくなったね
この店を最後に取り合えず宴会は終わり。コンピニで酒と食料を調達して旅館へ。
旅館ではさすがみんな疲れていたので、コタツを囲むようにロの字に引いたふとんに次から次へバタバタと就寝。
翌日、晴れきった空の下、湯布院へ。
目的はひたすらぬるい温泉。見つけました。ネーミングからいかにもぬるそうな温泉。その名も「ぬるかわ温泉」 身体をこわばらせることもなく、温泉らしく「あ〜あ」とノンビリ入浴。
福岡に戻って4〜5日は頬の皮膚がパリパリした、最初「雪焼け」だと思っていたが「しもやけ」と判明。この年でしもやけになるとは・・・。
12月13日(木)
「COUNTRY ROAD」
昨日、「川辺川ダム」に話を書いたら、掲示板に書き込みが・・・。
結構みんな、環境問題に関心が高いんで、ビックリ。オレは実家が姪浜なんで「故郷」に対する意識って低いけど。たまに田舎に帰る人は、思い出の地が変えられるっていうのに耐えがたいもんがあるやろうね。
「故郷」で昔、友人から聞いた話を思い出した。
友人は天神でナンパして、そのままその子のアパートに泊まって、朝、ベッドでいちゃついていたら、玄関のチャイムが「ピンポーン」。ドラマなんかでは、そこに上京したオヤジが・・ってパターンやけど、来たのは宅配便のおにいさん。
友人は「なんが、送って来たと?見して、見して」って勝手に荷物をあけたら、出てきたのは「米」とか「味噌」とか食料品ばっかり、「ピーマン」なんかもあって、差出人はその子の実家のお母さん。
荷物と一緒に封筒もあって、又もや勝手に封筒を開けて、中を読んだら、「ちゃんとゴハン食べていますか?お父さんも心配しているで正月には帰ってきなさいよ」みたいな事が書いてあったって。
その手紙を読んで、友人は自分の娘が都会で、ナンパされて、その日に自分のアパートに男を連れ込んでいるなんて、故郷の両親は全く考えてないだろうなぁって思ったら、急速にその子の両親が気の毒になったそうだ。
そのダンボールには宅配便ではそんなことしなくていいのに、黒いマジックで、でっかく郵便番号、住所、宛名が書いてあって、田舎で実直に生きているその子の母親の姿が思い浮かんで、つらかったって・・・。
かといって、その友人はナンパをやめる事はなかったけど。
あくまでも友人の話です。
12月12日(水)
「川の流れのように」
今日も昼メシは例の500円うなぎに。 この店って若いニーチャンとおばさん3人なんやけど、このおばちゃん達がどうも、使えない人達みたいで今日4回も「お客さん、大盛りでした?」って聞かれてしまった。
それにしても、おばちゃん3人に囲まれた職場。オレやったら職場放棄したいね。 でも今日はオマケにミカンをくれた。
とうとう川辺川ダムの強制収用が決まってしまった。この話詳しく知れば、知るほどいやになる。オレらの世代って川にはダムがあるもんって思っていて、川の水=汚れている 川岸=コンクリート。昔の人に聞くと那珂川だって住吉の橋から飛び込んで、海まで泳いでいたって聞くし。
ダムのない川は九州では川辺川だけなのに、一本ぐらいダムのない川を取っておいてホントの川の姿を教える未来への教材って考え方はできんのかな。
ダムができる事で川の水が汚れるのを避ける事はできないし、水温も下がって魚も育たなくなって、後は食物連鎖で川に関係している動物、植物にドンドン影響がでるだけなのに。
川辺川ダムの建設は30年前以上前に計画され、当初は水資源確保のためで、水は足りてる
て事になったら、利水(農業用水等)目的になって、減反で農業用水もいらないって事になったら、今度は治水(洪水対策)って目的で建設されることになった。治水っていったてここ数年洪水も起きてないし、ホント川辺川ダムはいらんちゅーねん
建設に賛成なのは、土建業者と役人だけ。一度ダムなんか作ったら二度とキレイな川には戻らんぞ。
今年の秋、ダム建設で水没する五木村で最後の祭りが行われた。九州最後の清流「川辺川」をこの目に焼き付けたかったし、さぞかし有名なナチュラリストが集まるんだろうと思って、役場から資料をファックスしてもらうと、ゲスト・芹 洋子
一気に行く気がなくなってしまった。
偉そうにイロイロ書いたけど、オレの環境に対する意識なんてそんなモンなんです。
12月11日(火)
「GET BACK」
ジョン・レノン大会無事に終了。なんでこんな事が始まったのか思い返して、見ると、今から11年前、平成2年にジョン・レノンが没後10年だったんで、会社の音楽好きの先輩の発案で始まったのが、第一回の大会であった。当時入社2年目のペーペーだったオレも機材の運搬なんかを、手伝いした記憶がある。その当時大会の名誉会長のGさんも30代。以下会社の若手総出。といったイベントは当然ながら盛り上がった。
それ後、おととし「ジョン・レノンって没後20年やない?」という勘違いの発言(ホントは19年)から、9年キッチリ年をとった男達の宴が再開された。年をとったぶんワガママになった参加者であったが、年齢を感じさせない盛り上がりで、昨年(ホントの20年大会)と3年連続でやっている。
今年も年齢を感じさせない、40代の先輩達の活躍で、盛り上がることは盛り上がったけど、会は途中からなんの集まりかわからなくなってきて、いつの間にか、ストーンズの熱唱大会に様相を変え、全員総立ちで「サティースファクション!」と叫んでいるのを、他人が見たらどう思うだろうか。まさかジョン・レノンの追悼しているようには見えんやろう。
大会は7時ぐらいから、比較的仕事が暇な40代の先輩達を中心に4〜5人で始まった。最初はジョンの思い出、ジョージの逸話など大会らしい会話でひっそりとしていた。ある人によると、ビートルズは好きな人の順番に死んでいくそうだ、次がリンゴで、最後がポール。ポールは90ぐらいまで生きるそうだ。8時を過ぎて仕事を終えて、ポツポツ若手が集まりだし、最終的には20人近くの大宴会になった。その後は前述通りのありさまだ。
それにしても、若いときしっかりロックンロールな生き方をした人達はいくつになっても「キープ・オン・ロケン・ロール」なんだと感じさせる大会である。
12月10日(日)
「MONEY」
今日はボーナス日、しかし全然うれしくない!この不況と、新しく導入された人事制度の
あおりを食って、昨年比なんと10万円ダウン!なにが頭来るかというと、7年後輩よりボ
ーナスが少ないってこと。
今年のボーナスは営業成績からして、ダウンはするとわかっていたし、ダウン額は10万
円っていうのも知っていたけど、後輩がオレより多かったとは知らなかった。今まで年功
序列でやってきて、今年から成績主義って言われても・・・。確かに成績がよかった時は
成績でボーナスを!って思ってたけど、自分が負け組みに入ると、年功序列や終身雇用
がすばらしい制度のように思える。いっそ共産主義を支持したいくらいだ。
そこで今日はお金の話を。
世の中では不景気でモノの値段がドンドン下がっていっているが、オレは自分のボーナ
スが下がったとしても、結構、デフレの恩恵に授かるっている。
今日の昼ごはんはうなぎ丼なんと\500。ちゃんとしたうなぎ屋なのでほっかほっか亭な
んか比ではない。
入社当時(10年前)、アルマーニやポールスミスのスーツに憧れ、手に入れたりもしたが、
あの肩パッドバリバリのダブルのスーツは今では絶対に着れない。
スーツも微妙に流行があり、今は3つボタンスリムタイプである。この3つボタンがはやり
だしたころから、ブランド品を買うことはなくなった。丁度天神コア担当だったこともあり
ケントやミツミネで格安にしてもらっていた。所詮スーツじゃん。会社で稼いだ金を会社
のために使う。ってなんか馬鹿くさくない? ブランド品じゃないといやっていうおこちゃま
なプライドも今はもう持っていない。
そこで、「スーツカンパニー」である。この秋から天神に3店舗スーツの安売り店が出店
した。安売り店といっても、店舗は安売りというよりも、ZARAとかコムサストアのような作り
である。
ここのスーツは3ピース・29,000円。買ってしまった。ついでにシャツをネクタイも。
スーツは可もなく不可もなく。ちょっと生地が薄いような気がする。シャツもそこそこ
の作りだが、店員のネェチャンが採寸を間違えたらしく、首の廻りがユルユル。だめなのが
ネクタイ。ツルツルの生地はナイロンかよ!って感じだし、何回か閉めてるとダンダン芯が
なくなったようにヨレヨレになる。
ホント、スーツは安売りで十分やけど、私服はそうはいかんね。ユニクロなんか絶対いや!
家の近所にユニクロがあるんで、近所中ユニクロって感じ。姪浜住人のユニフォームって
感じやね。
以下の理屈で私服だけはイイモノを買っていいと自分を納得させている。
@基本的に土日しか着る機会がないので、好きなもの着させてくれ
A飽きたら、インターネットオークションで売るから、好きなもの着させてくれ
Bなるべく、バーゲンで掘り出しモノ見つけるから、好きなもの着させてくれ
靴だって会社には10,000円そこそこの靴で行っているが、山登りには40,000円近い靴で行っている。フリースもユニクロの5倍以上のモノを着ている。アウターもゴアテックス製のモノで、防水性、透湿性もばっちりである。メガネも会社のヤツよりサングラスの方がはるかに高い。誰も気がついていないが、オレの携帯についている金属のアクセサリーみたいなモノは親指大で28,000円もする。
で、話は変わって床屋。
年齢とともに、髪の質・量ともに劣化し、あぶら症も進行し、夕方になると髪がベターっとして、鏡を見るといかにも貧相な中年男がそこに立っているって事に驚き、思い切ってベリーショートにすることにした。切ってもらうのも前年チャンピオンに輝き、その賞金で独立した人。
確かに、丁寧にこちらの希望を聞いてくれ、神経質なほど毛先を整えてくれる彼の仕事ぶりは認める。でもなんかいやんだよね、美容院って。時間も長くかかるし、シャンプーの時、左肩あたりに、彼の股間があったってるような気がするし。一番ネックなのは値段、消費税込みで4,750円。坊主よりちょっと長い髪の毛に5,000円近く払うのって、どう考えてももったいない。
高い金払っても髪の毛が増えるわけでもないし。
そこで、1,000円床屋。昨日も行ってきました。レジで「カットのみ」と言って1,000円を払う。
昨日の担当は不景気で自分の店をなくし、しかたなしに1,000円床屋に勤めているって感じのヨレヨレのおじいさん。「どうします?」「上の方を2cmぐらいに、横はなりゆきで・・」会話はこれだけである。10分程でカットは終わる。しょせん坊主よりちょっと長い髪形である
5,000円も1,000円も仕上がりには大差はない。
今日は髪の毛きるぞーという気負いもなく、ふらっと店に入って、ふらっと帰る。そんな気楽さがいい。
会社でも、1,000円フリークは沢山いるが、今のところどんでもない髪型にされた人はいない。
12月6日
「day tripper」
後輩の「はぐき」が僕もホームページ作ろうって思うけど・・。
って話掛けてきた。
先行のオレは、ホームページ作るっていっても、作るのは簡単やけど、
そこで自分がなにをメッセージしたいか!がないと作っても長続きせんし、
誰も見てくれんよ。
と安易にいう彼を諭したしたところ、氓フ日又その話になって、彼なりに
ホームページを持つこころ構えを語りだした。彼の話はだいたいこうだ。
@ 自分の得意分野で深く、長く追求する。
Aテーマを決めて、サイトの個性を出す。
B 同じ趣味を持つモノの交流の場と考える。
音楽マニアでギターリストの「ハグキ」の構想はこうだ。「ギター好き、
70年代のモータウンサウンド好きのサイト」目玉はあまりバンドスコアに
ならない曲のスコア。
それに、基本的なアルバムのライナーノーツやミュー
ジシャンの紹介。掲示板はそういう人達の情報交換の場にしたいとの事。
よくわかってるじゃないか「はぐき」。そういうことなんだよ。ホームページとは。
先輩のホームページどれもあてはまりませんよね」
痛いとこをつきやがって。「オレのホームページはまだ旅の途中なんだ、これ
から、やりながら段々テーマとか個性がでてくるんだよ!」
しかし、ホントに痛い。タイトルを「a day in the life」とつけたのも、ビー
トルズサイトにしたかったわけではなく、毎日の出来魔竝lえた事をダラダラ書く
のにちょっといいかなぁと思った程度だし。今までの日記だってホント駄文のダラ
ダラ。
このままでは、オレをよく知る人間が義理で見てくれるだけで、掲示板付けても、
身内が参加するだけじゃないか。いかん、いかん弱気になってきた。
気楽に考えてこの間の「S先輩の詩」みたいな他力本願でもいいじゃないか。オレは
知っている、車内に村上春樹風の小説を書いているヤツを・・・・・。
近日公開!K君のスィートな小説。こう御期待
12月3日
「名もなき詩」
酔った勢いで、いろんな約束をすることは結構頻繁にあると思うが、
実現となるとそうないだろう。
ある日会社の先輩Sさんと飲んでいて、なぜそんな約束をしたのか、
わからないが、Sさんが作詞で、オレが作曲で一曲作って、それを
1210日のジョン・レノンのイベントの時に発表しようという約束をした。
人がいい先輩に「先輩、高ェできないと曲がかけないんですから
早くしてくださいよ」と毎日せかしていたら、「ごめん、だいたいの構想は
できとっちゃけど、なかなか最初の一行が書けんちゃん」とホントに
毎日悩んでいた。
そして、遂に「できたけん」と会議の資料に走り書きのような詩を
見せてくれた。「笑わんでよ」と懇願する彼はホントに恥ずかしそうに
それでも詩ができた事でちょっと誇らしげだった。
「ぷっっっっ、面白すぎる」笑ってしまいそうなのを必死でこらえ、ちょうど
今日のHPのネタ何にしようか悩んでいたオレは「なかなかいいじゃない
っすか」と悪魔の微笑みで詩を受け取った。
ネタが向こうからやってきたのだ。こんなにうれしいことはない。それでも
この詩がHPで公開されるとも知らず、悪魔に詩を手渡したS先輩。一番
油断してはならない人間に油断してしまいましたね。
以下、詩を公開
S先輩の詩は一番しかなかったのでオレが小田和正、チューリップ好きの
先輩の気持ちになって加筆して、2番3番まで作りました。
「あの星」
君と初めて言葉を言葉をかわしたのは、
いつのことだろう。
そんなことも忘れるくらい、
自然な出会いだったのか。
あれから、いくとしも月日が流れ
二人は暮らし始めていた。
目覚めるといつも君がいた。
そんな暮らしも今日で終わりなのか。
初めて君に出会ったあの日に戻りたい。
あの星に願いを込めてみる。
君の言葉いつもボクの体に入り、
優しい気揩ソにさせてくれた。
二人で歩く散歩道、一歩一歩が
幸せの階段だと信じていた。
いつも君がとなりにいたはずなのに
心が逃げてしまわないよう、
強く君を抱きしめた日もあった。
そんな暮らしも今日で終わりなのか。
初めてキスをしたあの場所へ帰りたい。
あの星を君も見てるかい。
君の笑顔、君の涙、君のぬくもり
すべて僕に返してほしい。
君が残していったのは、縁日で買った
小さなサボテン
君のかわりに話しかけてみた。
君のことを忘れないように
君の話を語りかけた。
そんな暮らしは今日で終わりなのか。
初めて君は好きと言った、言葉が聞きたい。
あの星は今日も東の空。
※最終的に曲をつけ、構成をした段階でかなり上のものとは変わってきました。
最終版はココに。
12月2日
「ニシエヒガシエ」
ちょっとわかり憎い説明だが、
「普段街では、ちょっと寒い時に気軽にはおれ、雪山に行く時はゴアテックスの
アウターの下に着る中間服になり、それでいてコンパクトに収納できる服」
そんなアウターを探し天神の街を「ニシエヒガシエ」迷走した。
今まではpatagonia製のスナップTという頭からかぶるタイプのフリースを
愛用していたのだが、これが不便。ヤの運転途中に暑いの脱ごうと思っても
運転中に脱ぐのはスリルがある。なんせ一瞬糾Eゼロになるのだから・・。
おまけに山行きでザックに入れていこうと思ってもフリース素材はコンパクトに
ならないので、ザックがパンパンになってしまう。
ビブレの6階にある「アウトドア系セレクトショップ」(名前は忘れた)からチェック
した。そこの店員は結構しつこいんで、こういうモノを探してるというと、「Wildthings
」プリマロフトなんでどうです。と勧めてきた。そして「今一番はやってますし」
こういう言い方が36歳男にとってはカチンと来る。「これ中綿はフェザー?ナイロン?」
と専門的な質問をして店員を撃退する。でもこの店は同じフロアにアウトレット店舗を
最近出店して、掘り出しモンなんかも結構ある。ちなみにBARBARIANのラガーシャツ
確か5,000円だったような。
アウトドア系の服は山屋はもちろんの事、最近特にセレクトショップの品揃えも充タ
しているので、氓ヘ大名へってことになる。
何件が回った後に「ビームスサウス」へ。アウターが並んでいるコーナーを見ていると
「どうもお久しぶりです。」と声を掛けられた。「あー見つかってしまったー。」
知ってるいる人がいる店で買い物するのは苦手だ。買わないと悪いという気揩ソに
なって、どうでもいいモンを買ってしまう事が多いからだ。でも事情をY≠ノ話してしまい。
彼が勧めたのは10点満点でいうと、5点。特にフードがついているのが気に入らない。
「おたくの本店を見てから決めます。」と絶対系列では買うみたいな事を強調して、
店を辞した。本店では7点ぐらいのモンがあったので、サウスに電話し、ちゃんと買います
よっと伝えたかったのだが、≠ヘ不在。なんか急にやる気がなくなり、今だ買っていない。
昨日の山行きの時、朝時間がなくてバタバタしてたのでなんでもいいやって「MA-1の
オリーブ」のヤツを持っていったら、その日はズボンも深緑だったの、まるで自衛隊。
同行メに思いっきり笑われた。
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