2002年3月の日記
3月は突然移動を命じられ、うろたえつつもホームページの更新はそこそこやってきたって感じでした。今回から導入したメール交換作戦。楽でした。メールをやりとりすれば、それで一丁あがりって。

3月27日
「祝!3000突破」
昨日、3000アクセスを達成しました。いつも見ている方、たまに見ている方、どうもありがとうございます

3月25日、3ヶ月振りの「音楽夜会」が開催された。今回のテーマは「山下達郎&その周辺」

今回の個人的ヒットとしては、「村田和人」  みんな知らんやろーね。オレもそのレコードが出されるまで存在すら忘れていたけど、当時、山達サウンドの後継者としてかなり期待されていた逸材。

オレも近藤真彦の「ハイティーンブギ」で臨んだが、たいしてウケなかった
次回のテーマは「MY FIRST 洋楽」だそうで、世代が違う人間の持ち寄るレコードが楽しみです。

どうでもいいけど、なぜか夜会後、屋台に行ってそのまま男3人で地行まで歩いてしまった。なにを話したかも覚えてないが、星がくっきりでている空の下、桜が咲く城跡のお堀沿いを歩いていると、このままどこまでも歩いていけるような気持ちになったのだろう。 なんか春らしい話。啓蟄。

先週から始まった、飲み会ラッシュが土曜日にピークを迎える。続くとたいして酒もうまくないのに、毎日飲まずにいられないっていう事態に陥るのが怖いけど、今回は飲む日は飲む、飲まない日は飲まないをはっきり区別できるようになった自分をほめてあげたい。

3月23日
「目指せ!難所ヶ滝」
金曜日の夜、山下達郎をBGMに、引きこもり部屋で、山関係の本をパラパラ見ていたら、停滞を決めていたはずの週末だったが、ムショウに出歩きたくなり、土曜は日帰り登山することに。
 
ロックと山の匂いがする引きこもり部屋

目指すは太宰府市の三郡山。山頂近くの凍結する滝「難所ヶ滝」が目玉で、最近、双葉高校の一行が遭難したことで有名になった山だ。下の写真が1月凍結した滝。
右のおじさんはナゼ裸?

昭和の森駐車場から登山道を歩き1時間半で目指す「難所ヶ滝」の分岐点に到着。ここから10分程登山道を外れた所が「難所ヶ滝」。
なぜか、消防署の看板

この時期は凍結しているはずないが、なぜかこの一帯だけ異常に寒い。吐く息が白いので温度は一桁だろう。滝全体はもちろん凍っていないが、一部では氷になっている所もあり。
  

しばらく滝を眺めていると、滝沿いに一人の老人が降りてきた。「滝沿いって道があるんですか?」と尋ねると、「ちゃんとコースがあって山頂に上がれるよ」とのこと。登山道の分岐点まで戻るのも面倒くさいので、滝沿いの急坂をガシガシ登ること20分。登山道にぶち当たった。ここを左にいけば、山頂のはずである。

しかし、いくらな歩いても下り坂で、だんだん坂も急になってきて、ロープが張ってあるところもある。

「迷った。このままでは登頂できんな」

一時間ほどくだると、登山道のかなり下あたりにぶち当たり、無事に駐車場に帰ることができたが、登頂できなかったことは初めてである。

恐るべし、三郡山。双葉の子が迷うはずである

3月22日
「SへのメールD」
最終回
朝の「トクダネ」で、上野公園の桜はほぼ満開みたいなこと言いよったけん、昼休みに舞鶴公園に見に行ったら、2〜3分咲き程度やったけん、がっくり。でも5月並の暑さ。

ただ、今週末は停滞って決めとっちゃん。最近のダーッ勢いで遊ぶにちょっと疲れて。オマエの週末のように、プールで水泳して、図書館行って・・・。

来週は25日、27日が宴会あって。30日がソト飯&登山と宴会のダブルブッキング。31日がYの引越し。あ〜いそがし。

今日のHは、オレとS美が二人で勝手に30日のソト飯決めたら、いっつも二人で決めて〜っていじけとったよ。

ここんとこ、週末のエクササイズはおろそかやけど、自転車通勤だけは続けとちゃん。結構自転車で来てるヤツ多いけん、自転車で連れ立ってちょっとはずれの店に飲みに行くってよくない?

ガタパウトで一応物欲も収拾したけど、次なるターゲットはスニーカー。今、一足しか持ってないっちゃけど、アディダスのスーパースターしかないっちゃん。
いいなぁと思っとうのは、エアマックス狩りで一世を風靡したエアマックス95。復刻版やけど。
でも、オレらの年代はコンバースのワンスターか、アディダスカントリーあたりのレトロもんがいいかいな?

今週中に引継ぎを終えて、来週は完全にフリーになって、人生の春休みを・・・。って思ったけど、なかなかうまくいかんねぇ。一日ぐらいは休んで、山に行くかも。

こうしてオレの一方的申し入れで始まったメール交換も予定の5回目を迎えました。どうまだ続ける?とりあえず、降りるってことであれば、一応読者のみなさんにもメッセージを頂戴ね。

では。


「SからのメールD」最終回
本日も快晴。

そーなんよ。
こちらは桜全開です。

明日午前中は上司にOB氏が、神宮外苑のフリマーに参加するので荷物運びの手伝いをします。
そーいやー、以前フリマー覗きに行ったら、何と「浅草キッド」が出展しとった。台本とか局のノベルティとかタレントのサインとか売りよった。「東京やねー。」と思った記憶があります。

午後から弁当とお神酒を持って、どこかに花見に行こうと思います。マジで早く行かないと、今年の桜は散ってしまいそうです。

スニーカーねー。
これから夏やけん、白のキャンバスやろ。「ジャックパーセル」「トップサイダーのデッキ」「トレトン」・・・・・・。古いな。
実は最近のスニーカー事情は、全く解らんのよ。ここ5・6年すっかり遠のいています。

オレの物欲のマイブームはベスト(チョッキ)。ここ最近で5枚ゲットしました。お気に入りは、MARMOTのブルーのナイロンです。ぽこっと、せり出したお腹を隠したり、長袖にも半袖にも重ね着できることがいいのです。

昨夜飲みに行った、おでんの屋台は、元々おやじが九州出身という事もあり、結構かよっていたんやけど、急に病気で代替わりしとったんよ。そんで新しいおやじとしゃべりよったら何と函館の出身で、地元の会社を定年して、第2の人生として、東京で屋台始めたん
だって。奥さんと子供を函館に残して。
俺も酔っ払って、結構ねほりはほり聞いたんやけど、純粋に第2に人生を東京で始めてるんやて。

山ですれ違う中高年登山隊とは、全く違う「人間の力」を感じたね。すげーなーとしみじみ思いながら、コップ酒をあおっていました。

今回で5回目やね。
最近全く手紙とか書いてなかったから、最初は結構しんどかったなー。自分の気持ちとか、感じていることなんかえを表現することは難しいな。でも、楽しかったです。
1回目にも書いたけど、オマエのHPの出現で、会社とか遊びとか友達とか、文字を通して考える事が出来た。
やっぱり文字の表現は大切やね。

一応俺の出番も今回までとして、違う人リレーにするっていうのは、いかがかな?K馬とかH猿とかY針鼠とか結構ヒットするかもよ。

それでは、福岡で。

3月19日
「SへのメールC」

メール交換シリーズが始まって、3回経過したけど、周りの反応は賛否両論かなぁ。
ただ、オマエの文章は評判いいよ。

Hの幸せを願わんわけじゃないけど、あんな露骨に骨抜きになるオトコも珍しいぜぇ。
最近は愛の巣の探索に熱心みたいで、夢ごごちいっぱいみたい。小坂明子の「あなた」があいつの頭の中にはいつも流れとうらしい。

リクエストにお答えして、16日の山行きのレポートを・・・。

今回のツアーは山のおねーさんM原さんが、山で知り合った中高年の人達ご一行と一緒で、その中心人物が定年で大阪に帰るというので、その送別を兼ねた山行き。そのおじさんは、以前天草に一緒に行ったり、飲んだこともあるので、オレなりに義理もあるので参加。

それにしても中高年のツアーっていうのは疲れるものでした。

集合は8:00に博多駅のセントラーザの前。なんで博多駅?基山PAとかでいいじゃん、とかグチをいいながら集合場所に行くと、いかにも中高年って感じの一団が・・。そうチェックのシャツね。だいたい30人くらい。

配車が終わって、瀬の本の三愛レストランに着いたのが、10:45。

扇が鼻への道って割りと平坦で、背の低い笹道をザクザクと登って行くイメージ。もちろん中高年の団体は昭和の経済成長に貢献した働き蟻らしく一糸みだれず、一列のなって登った。

1時に見晴らしのいい山頂についたけど、さすが中高年の団体。ザックの中からビールとか焼酎。ししゃもを焼きようおじさんもおったよ。

のんびり1時間ぐらい休憩して下山してけど、わりと早いペースで降りて、休憩の時はまたもや、中高年魔法のザックから果物やお菓子がザクザク。

オレたちは若手っていうことで、随分いろいろもらったけど、オレたち以外に単独で参加してる女の子がおったっちゃん。まさに一行のアイドル的存在で、娘っていうか、孫みたいにみんなに可愛がられとった。
中年登山隊のアイドル(写真一番右)

オマエの帰省記念登山にはこの子も誘おう。では。。




「SからのメールC」
今日も快晴。
古本屋で電車のお供の文庫本3冊購入(¥300也)通勤時間約1時間、バス、電車と3回乗り継ぐのでこれがないと寝るしかないのです。
最近本は、もっぱら古本屋ですスキーの教本があったので、今年は一回も行ってないので思わず買ってしまいました。

Hの件は吉としようぜ。かなり昔ですっかり記憶にないが、俺にもそんな時期があったような気がします。

今回のオマエのメール、いい感じやね。過去の話とかより、やっぱ今何しよーかと言うことの方が勢いがあって、読んでいても面白い。

中高年の人たちの山の接し方は、賛否両論あるけど、山で出会うおじさん、おばさんは、人との接し方は、抜群に上手いね。
昔、テントかついで、宝満山の急登でバテバテの時すれ違った2人連れのおばさんから「こんな時間からですか?」「はい。仕事終わってからなんで。今日は上で泊まります。」
と答えたら「わー凄いねー。よかねーー。ちょっと荷物もたせて。重たいねー。若いってよかねー。頑張ってね。」とかさんざっぱら、ほめちぎられて「はい、頑張ります。」と答えて、何か気分よくなって、調子も上がってきて一気に山頂まで登ったことがあります。
人間、おだてりゃ木にも登るということです。

・・・・・・・やっぱ過去の話は勢い無いナー。

今日は疲れたので飲んで帰ろっと。では。

3月18日
「SへのメールB」

気がかりなことがあって、風邪で休んでいたYのところに夕方ことにHと行ってきました。

なんか、肉体的にも、精神的にもボロボロって感じのYに会って、かなりショックを受け、憂鬱な気持ちになったちゃけど、Hのヤツめ、Yの家の近所にワイン屋を発見して、完全に気もそぞろ。どうもホワイトデーのプレゼントを買いたいみたい。

それで早々にYを別れて、二人でワイン屋にいったっちゃけど。レジでお店のおばさんから、Hが「(ワインを)好きな方ですか?」って聞かれて、「彼女ですから・・。けっこう好きです。」って間抜けな答えしよったよ。

帰りの車でも、オレの対する相談という形をとりながら、明らかにこの幸せを誰かに話したい〜。って感じで「神社での結婚式で友達呼んでいいかな?」とか、「その後、親戚同士の会食するっちゃけど、どんな風にしたらいいかいな?」とかYショックで落ち込んでるオレに対して、アイツは・・・。

土曜日、さすがオトナの男って人と会いました。
扇が鼻に登ろうとした時、M尾さんのおとうさんが亡くなったって連絡が入って、通夜はとりあえず駆けつけたって感じやけん、このまま山の格好で行こうって意見と、いや、やっぱりそれなりの格好をしていかないかんよって意見に別れたっちゃけど、下山後、車が一緒になった60過ぎのオジサンに相談したところ、「その人があなた達にとってとりあえず駆けつける関係にあるか、どうかだ」とぴしゃりと言われてしまった。

それで、通夜に間に合わなかったけど、ちゃんと着替えて、線香あげてきました。

深津絵里ちゃん、かわいい? 確かに演技は秀逸やけど・・・

PS  
I高さんが10年以上使っているというガパパウトチェアに憧れて、一脚買いました。8900円。たけ〜。


「SからのメールB」
月曜日、週末に引き続き快晴。
街は卒業シーズンなので、袴姿のおねーちゃんがここそこにみうけられます。・・・・・・・なんかいい感じです。

Yどげんしたと?気がかりな事ってなん?オマエがショックを受けるくらいあいつやばいと?
精神は大丈夫やろうね?
PTSD(心的外傷後ストレス障害)とかやなかろうな。おまえ頼んどくばい。

俺もたまは連絡してみます。

今思いついたけど、YにもオマエのHPのなんか1コーナー持たせてみたら。たけし軍団のダンカンとか猪木軍の安田みたいに化けるかもよ。

Hの結婚話かー。あんま想像つかんなー。俺、結構想像力あると思うけど、絵が浮かばんなー。あいつ、あんま自分から、こげんしたいとか昔は言わんかったもんねー。
なんせ焼酎飲みきらんかったもんなー。いずれにしても、俺はこちらで応援しています。

土曜日の山行はどーやった?おじさんの事も含めて詳しく教えてよ。

俺の土曜日は、園芸店に花の苗を買いに行って、プール行って、図書館行ってスーパー行って、夜ピザを作りました。結構ヒットでした。変化のない土曜日でした。

ps:ガパパウトではなくガタパウトです。  オマエ持ってなかったっけ?  そーいやー去年Hがこっちに遊びに来て「俺のガタパチェア返して?」と  言いがかりをつけられたので「それEZMやろ!」と言った記憶があります。  おまえやないと?  しかし当時は¥10、000以上した記憶があるよ。

あの椅子は元来マクラーレンのレーサーたちがピットで休憩するために作られたモノなので、キャンプでも、I高さんの様な大先生が座るモノで俺たちみたいな働き蜂にはちょっと用途が違う感じやね。

冬のキャンプなど、一通り仕事を終えて、この椅子に深く腰を下ろし、あったかい Hot whiskyなど飲むのは最高やね。  隣に深津絵里ちゃんがいたらもっといいけど。

3月15日
「SへのメールA」

今日、福岡は今にも雨が降りそうな天気です。
今、キシカワでうなぎ丼500円を食べてきたとこです。なんか、ごはんがびちゃっとしてて、イマイチやったなぁ。

> 啓蟄です
いきなり、難しいこというなよ。読み方もわからなければ、漢字も初めて見た。



> 眠っていた、いや封印していた「遊び心」が。
オレの術中にはまっとうやん。ゴルフにはまるのは、今時かっこ悪いし、といって日常を引きずるような趣味は・・・。って思うとやっぱ、アウトドアやね。なんせ金かからんし。
この春はあと2〜3回ぐらい山に登って、あとはサーフィンに戻るつもりです。

数人で楽しむのが、山やキャンプで、一人で楽しむのがサーフィンってペースでいこうと思う。


働くために遊ぶ、遊ぶために働く そんなことはどっちでもいいけど、遊び続けていかんと、がくっと遊べなくなるような気がして・・・。


今週は瀬の本〜扇ガ鼻のルートを登ってきます。

PS オマエが青春時代を過ごした地行の303号にYが入るそうです。今地行の住民で入居拒否行動がおきています


「SからのメールA」
ども。
朝の雨が、冬の埃を洗い流したみたいに午後から晴れ上がり、ポカポカ陽気です。
桜が間違えて開くんではないかと思います。

「けいちつ(啓蟄)」と読みます。
冬ごもりしていた動植物が春の陽気に誘われて、地上に這い上がる、この時期の事です。

週末も天気安定してるみたいやね。瀬の本〜扇ガ鼻行くって書いとっいたね。
またレポート掲示して自慢して下さい

俺はなんしょーかなー。
プールいって、図書館いって、公園いって、ビデオ屋いって・・・・・
なんか小学生の夏休みみたいやけどマジ、最近の俺の週末の定番なのよ。

もーちょっと暖かくなったらオマエみたいにサーフィン出来たら海行きてーなー。しかしこちらのポイントへ行くには夜中移動せんと殺人的に渋滞するらいいね。おまえん家から海まですぐやからいいよなー、散歩気分で。

実は俺もマリンスポーツなんかしたいナーと思っていたらいいのがあったのよ。先週、図書館で見つけた「マラソンスイミング」という本。つまり遠泳のこと。昔ドーバー海峡わたった話とかあったやん。まだ100m泳ぐのもおぼつかないので、ゆっくりゆっくり練習していつか「マラソンスイミング大会」参加しようかナーと先週から思っています。
オマエも参加せん?

今日は酒も飲まずに帰ります。最後に質問があります。

・恋ノチカラ(CX木9)の深津絵里ちゃんかわいいって思わん?

3月15日
「Sへのメール@」

S 元気ですか?
正月にオレん家で飲んで依頼やけん、3ヶ月ぶりやね。
福岡はもうすっかり春で、ここ数日の日中は汗ばむほどです。

オレは4月から、異動があり、複雑な心境の春になりました。仕事に対する自分の哲学とかスタンスとか、サラリーマンになって13年も経つのに、考えたこともなかったせいで、多少うろたえています。

ただ、遊びに関しては、老いてもなお盛ん、というか、ちっとも成長しないというか、激しく遊んでいます。

最近の遊び方は特に、あせっているというか、余裕がないというか自分で自分を追い込んで、自分に課題を課せ、走り続けている状態です。

これって遊び?まぁ体力を続くかぎり、このままつき進んでいくつもりです。

この変の遊びに関しては、Sにも責任の一端があるわけで入社当時、オマエが持っているコールマンのストーブや、ランタンを見て、オレも買いあさるようになったっちゃけん。

オレのストーブはとうとう壊れて再起不能になったけど・・・。

あの頃から、BBQとか焚き火宴会とかよくやってたけど、オマエが働いていたぶん、今はよくKが火の番をしてくれるし、Hはよくできた彼女のおかげで、ツールを沢山持ってくるし、最近では包丁にもチャレンジしてます。Yは相変わらず役にたたんけどね。

では、今度の帰省の際は盛大な焚き火で迎えますので楽しみに。


「Sからのメール@」

メールありがと。
突然の申し入れにちょっと戸惑っていますが軽い気持ちで綴ってみます。

こちらに来て3度目の春がまもなくです。啓蟄です。
この言葉は何となく卑わいな気がしますがいかがですか?


距離的な幅は時間的な経過に正比例し、確実に「ふるさと」「本社」「友達」「なれ合い」「常連」という元来オレが好きなモノから着実に確実に気持も身体も、とおのいていました。
それはそれで自分としてもゆっくり時間をかけて、今の状態を作ったのでとても心地よいモノでした。

しかし、この安定した状態保っていたはずなのに、オマエのHPの出現で、一気に3年前の自分が首をもたげてきたのです。眠っていた、いや封印していた「遊び心」が。

特にオマエの山、温泉、野営などのレポートは・・・・。「いや!ちょっと待て、山も温泉も友達も消えてしまうコトは無い。と、自分に言い聞かせ平常心を取り戻す今日この頃です。

しかし、遊び一辺倒だった、おまえのHPが、人事の内示があってちょっと仕事の話が弱気やなー。オマエらしくないナー。この話はまたいつかしましょう。

ではまた。

ps:焚き火してないなー。

3月14日
「Sへのメール」

今、HPのリニューアルを考えています。
今んところ、オレの日記というのがメインコンテンツになってるけど、はっきり言って、ネタ切れで、これ以上、継続するのが困難です。

そこで日記という形式は継続するけど、オレの一方的な日記ではなく、オマエとオレの書簡の交換という形式で活きたいと思ってます。

具体的に言うと、オレがおまえに対し、メールで近況なり、感じてることなりを伝えて、それにオマエが返信してくるというスタイルです。

それをHP上でリアルに伝えていくって感じです。


ホームページの日記にどうも、煮詰まっていたオレは突然、東京の友人に上記のメールを送り、ヘルプを求めた。

単に思いつきなんやけど、37歳と36歳の男同士のメール交換っていうのが、果たして気色悪いのか?それとも結構、読み物として面白いのか、その辺を世間に問うてみたいという単純な動機だ。オレの呼びかけにSが返事をくれた


今、新宿で営業して、戻ってきたとこです。メール読みました。

何となく解るけど、僕の意見を述べます。

実名は止めましょう。オレ、オマエにしましょう。その他の人はいやはや隊のように渾名にしようよ。恥ずかしいやん。なんか夢がないやん。

日常の出来事や、こちらの話や、思い出話なんかでいいのでしょうか・・・・・・。

しかし俺とおまえの交換日記って面白いんだろうか・・・・・。

こんな感じでいいんかいな。


ためらいながらも、付き合ってくれるみたいなので、しばらくは、交換メールでいきます。
しかし、なぜか、男にメール送るとちょっと人生ぽい話や、心のヒダみたいな話を入れてしまうんだろうか。

3月12日
OFF会第二章」
火にかけて、二時間後、鶏一羽はどうなったかというと、見事に表面にはうっすらとコゲがつき、鶏特有の旨みを含んだ湯気がもうもう。いいんじゃない。S美も予想以上のデキに満足そう。

でも問題は解体。鶏肉なんてパックに入ってるのしか、買ったことないので、どこから包丁を入れていいのか解らない。取りあえず背中から真っ二つに。


もわっと、獣臭さと煮込まれた野菜の香りが充満する。適当に小さく切ってたら、皆の手が一斉に伸びてくる。「どう?うまい?」「・・・・・」
ムチャクチャうまいってわけではないようだ。確かに肉はホロホロかつジューシーだが、なにか物足りなさも残る。まぁ初回だからこんなもんでしょう。

途中、フレディET嬢N谷君も加わり、食材も底をつき始め、自転車隊が買出しに行ってくれた。

健全な公園での焚き火宴会に最初は、ためらいがあったが、徐々に馴染んできて、ああここにこのまま住んでもいいなぁ って気持ちにもなる。ホームレスってこんな風に自分の場所を決めているんだろうな。



あっという間に夕日が沈み、5時間にもわたる宴会もそろそろ終了。

重鎮I高氏が「じゃそろそろ・・・。」 片付けよう というのかなぁと思ったら、「次の店に行こう」と二次会の提案をなさった。おいまだ飲むのかよ と皆つっこむかなぁと思ったら、仕事があるkim君以外は全員参加するとのこと。

なんか、すさまじくも、のんびりできた一日でした。

3月11日
第二章を書くつもりが・・。」
営業の先輩から、喫煙室で「オマエいいようなぁ。スタッフ部門に移って・・。数字・数字で追いまわされることないもんなぁ」

オレも自分が営業に残って、後輩がスタッフに移ったとしたら、同じことを言ったかもしれない。

でもそれを言われると「そんなことないっすよ。向こうで頑張りますから」とニヤニヤしながら答えるしかないオレもソウトウ情けない。

ただ、そんな単純なモンやないんやねー。沈没していく船から一番に逃げ出したみたいに言われても・・。
と思っていたら、せっかくやけんこのHPで反論させてもらおうって思って。 ということで第二章は次回。

そりゃお気楽な営業が、スタッフに行くことでお気楽度はますます助長されるだろうが、いいやん。もともと広告マンなんてヤクザな家業やし。

経営を考えて数字・数字の会社になってしまったけど、広告の現場に数字・数字を持ち込むなって。せっかくこっちは「なんかハッピーなことはないか!」って考えてるのに。

中間管理職の人が「会社から言われたけん」って数字の計算ばっかりしてるのは、ヒラのオレたちの向上心には逆効果で、「人を管理するのってつまんねー。課長だけにはなりたくないもんだ」「いかん、頑張って評価Aでもとろうもんなら課長にならされてしまうー。」

政治と一緒やん。「鈴木宗男」をよってたかって追い詰めて。そんな事してなんが楽しいのかねぇ。宗男っておもしろいやん。あの人のおかげで政治はおもしろいし、外務省のバカさかげんもおもしろいし。開き直って反撃に出てほしいよ。

鳩山さんとか全然面白くないやん。「宗男ハウス」の生みの親の共産党の人はなんか好きやけど。

そうそう、昨日、部屋を徹底的に片付けていたら、ギターのピックがあっち、こっちから出てくるっちゃん。あ〜最近ギター弾いてない。でもギター好きならわかるよね、ピックが出てくるの。

なんの話やったかいな。もういいやこの話。

3月11日
3月9日 とうとうOFF会の日でした。」
当日、参加していただいたみなさま、ありがとうございました。
今回、それなりに楽しい休日となったなぁと実感し、第2弾もやってしまいそうな勢いです。

今回、参加できなかった方も次回は是非参加してください。

当日、前日から仕入れしていた、鶏関係の食材やBBQグッズを車に満載し、舞鶴公園へ。途中会社に寄り、搬入担当のHACを拾い、二人で会場へ。

会場はアクセスがいい、水場が近くにあるという事で、平和台球場跡地の公衆便所横。

荷物搬入後、ダッチオーブン担当のS美さんと野菜購入担当のKMさんと合流、準備に入る。

まずは鶏一羽。袋から出すと、なんと首が付いているではないか・・・昨日、鶏屋ではあまりの迫力で凝視できなかったので、知らなかった・・。

げーぇ気色悪いー。勇気を出して首を切り落とす。包丁の刃が首の皮膚を切り裂き、骨がゴリゴリと音を立てる、刃に全力をかけているのだが、そう簡単に首は切れてくれない。
ようやく、首が切れて、二つに分断されたグロテスクな物体を見るのもいやになっていたので、「S美あとはよろしく」


しかし、さすがは彼氏(?)にしたい女の子NO1のS美さん。鶏の肛門をおっぴろげガンガン野菜を詰めていく。鶏の足を鷲づかみし、逆さにして塩・こしょうを擦り込んでいく。

同時並行で水炊き用のスープのため、鶏がらを煮込んでいく。ここまでで一応仕込みは終了である。
取りあえず、たった三人で本日初めての乾杯!

スタート時刻が近づくにつれて、ポツポツと人が集まってくる。肩に折りたたみイスを担いで、掲示板の常連K君登場。80'S話でケミカルウォッシュのジーパンでお馴染みTKさんもちゃりんこで登場。男のくせにJ子も、今回の主旨「焼けるものを持って・・。」をよく理解してくれて「カニ」持参で登場。業界の重鎮I高さんも高級赤ワインを2本持参で登場。M田さん、とそのカレ氏M男(カレは後に伝説となる活躍をすることになる)も仲良く自転車で登場。今回のOFF会のアイディアをくれたKim君とその彼女K子さんも登場。会の主旨がよくわからないK賀NEWも手ぶらで登場

取りあえずこの時、2時。炭火の上で各種酒のアテが焼かれ、水炊きはいい感じでスープの匂いを漂わせ、おき火の上のダッチオーブンはもうそろそろ開けてみる?という段階である。

話が長くなりそうなので第二章に続く・・

3月7日
「いいことをした」

朝バスに座っていると、なぜか席が埋まっていて、藤崎から乗ってきたおばーさんに席を譲った。
「めざましテレビ」の占いが11番目だったので、少しでも運気を取り戻そうと、無意識にとった行動だったと思う。

そして営業途中に横断歩道で信号を待っていると、「すいません」と白い杖を持ったおじさんが一緒に渡ってくれというので、快くいいですよ と返事をするとオレの右側に廻って、腕を絡めてきた。
ちょースローなスピードで横断歩道を渡ったオレ達は非常に親思いの親子に見えたに違いない。

キャナルシティのバス停で待っていると、ホームレスのおじさんから火を貸してくれと頼まれた、おじさんはシケモクに火をつけ、自転車で走り去った。

といことで、特に悪いことも起こらず一日が終わりそうである。

3月6日
携帯買った。」
人事異動に伴って、携帯を没収されるため(実は今まで某携帯電話の担当だったので会社から一台与えられていた)。携帯電話を買った。今までは会社の携帯で私用電話もバンバンかけていたので、まさかオレの電話を会社の電話とは思っていなかった人もたくさんいたはず。

それで、電話番号が変わることをお知らせするために、新電話から同報メールで一気に新番号をお知らせすることにした。

ところが、署名設定をしていなかったため、「ちなみにあなたはどなたですか?」というメールが7通も帰ってきてしまった。

最初は「すいません。○○○です。」と丁寧に返信していたのだが、Sさんから誰?メールが来た時、ちょうどバスの中でヒマやったので、
「初めまして、神戸に住む村山と申します。失礼なメールを送って申し訳ございませんでした。私が好きなSという名前に適当にドメインを付けてメールしたのです。もしよろしければメルトモになっていただけないでしょうか。決してやましい気持ちはありません。時々Sさんとメールしたいだけです。ボクのメールを読んでいただければ満足です。神戸は今シトシトと雨が降っています。それでは」

しかし、返事はなかった・・・

3月4日
「お別れの春です」

営業成績があがらないことを、「会社はちっとも新しいことをチャレンジしてないからだ!ITを使った広告に参入すべきだ!」と問題を摩り替えていたら、「じゃオマエがやれ!」と白羽の矢がたったというか、ミイラ取りがミイラになったというか、プランニングのセクションに配置換えされていまった。

外野でピーピー言っている分には楽だったが、自分がやるとなるとまさにボーゼン。それを聞いて「営業から離れて楽になっていいなぁ」って言う人も多いけど、オレの営業スタイルは非常に楽勝・手抜き作戦だったので、プランニングセクションに行って、毎日ちゃんと机に8時間以上、座って仕事ふりしているのは、オレにとって非常にツライのである。

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