弘宣教典
玉井禮一郎とその一門 著
1993年12月18日発行 税込価格 \1,050
A5判 並製 128頁 ISBN4-88636-065-3 C0015
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序文
一冊の本が世界を変えた例がある。マルクスの『共産党宣言』という本である。この本はその後世界の約三分の一の人口を社会主義体制の鉄鎖につなぎとめることに成功したかにみえたが、ソ連邦の崩壊という結末を迎えて、その本の中味が真理ではないことをみずから証明した。
戦後の混乱の日本に『折伏教典』という本が流行したことがある。日蓮準聖人の御在世の布教方法であった「折伏」を、現代でも通用すると思いこみ、あるていどの成果をおさめた。しかし、日蓮聖人の教えを正確に読みとれば、現代は「折伏」という教条主義的布教方法ではダメで、「摂受」という修正主義的路線でなければダメだということがハッキリしてくる。遅まきながらそれに気づいた創価学会は、この本を絶版にして、うわべは柔軟な「摂受」路線に転換したかにみえる。しかし、「スズメ百まで踊り忘れず」で、これまでーシャクブク、シャクブク」と、バカのひとつ覚えのように洗脳したきた会員の脳ミソをいっぺんに入れかえるわけにはいかないとみえて、いまだにシャクブクとショウジュが腸捻転のようなネジレ現象を起こしているのが現状で、日本を変えるかも知れないと彼らが自称していたこの本のいのちは『共産党宣言』よりも、はるかにはかないイノチで終わった。
戦前のブラジルでは、日本人移民は社会に同化しようとせず、自ら日本人社会のまわりに見えざる障壁をつくっていたために、弾圧の口実をブラジル側にあたえ、キスト(癌)としてブラジル社会から排斥されそうになったことがあるが、議長の一票でかろうじてその難をまぬかれたことがある。
いまの創価学会や公明党などのやりかたを見ていると、彼らは日本という社会のなかに特殊な社会をかたちづくり、自分たちよりも大きい日本という社会をなんとか呑みこもうとして焦っているマムシのようにみえる。これはまさに一種のキスト現象である。
戦後日本の体制を支えてきた自民党が分裂して、小選挙区制が始まり、固い「右へならえ」票をもつ創価・公明票の動向で当落が左右されるような事態にたり、日本国民が愚鈍であれば、あるいは彼らの野望が一時期まがりなりにも実現することがあるかもしれない。しかし、万に一つそのようなことがあるとしても、それは彼らにとって消えるまえの口ーソクの一瞬の光芒であり、腐るまえの果物の美味にたとえられる現象で、やがては、あとかたもなく歴史の地層に埋没していくことは疑いない。なぜこのように断言できるかというと、私は日蓮大聖人を信じているからである。大聖人は「体曲れば影女なめたり」と、基木原理がまちがっていれば、すべての行為は誤ったものとなると断定されている。
その基木原理こそが「本尊」と称されるものであり、理の当然ながら、大聖人は最高の本尊をたった一輻しかあらわしておられず、それが文永十一年十二月日のいわゆる「万年救護大本尊」であることは、だれにでもすぐ分かるようにされておかれているのである。
ここであわて者は、その御真簑筆が秘蔵されている千葉県保川の妙本寺をたずねるわけだか、そこでは木尊下付もしなければ拝観もさせてくれたいことを知ってスゴスゴ引っ返すはめになる。
もし御真筆に大聖人の御法魂が宿り、この大木尊の讃文にあるように大聖人自身が額面どおり上行菩薩であって、それ以上でも以下でもない人師であるとすれば、大聖人みずから「自語相違」をおかされ、人ウソツキとなり、「仏みずから地獄に落ちる」ことになる。すなわち「我が慈父大覚世尊が隠し留めた大本尊を、日蓮が後五百歳(第五の五百歳)に当たって上行菩薩として世に出現し、始めてこの大本尊を宣べ弘める」と高らかに宣言れているにもかかわらず、これまで一向に宣べ弘められていないからである。しかも法華経薬王舳には「後五百歳中広宜流布」とあり、第五の五百歳の中(期間中)に広宣流布すると断言されているから、大聖人滅後二百数十年以内に、この大本尊が広く宜べ弘められていなければ、法華経なんて何の役にも立たないウソっぱちで、釈尊も大聖人も大ウソツキと罵られても、罵った人には何の罰も当たらないことになる。
それではなぜ広宣流布コーセソルフと目の色を変えてやかましくいうかということになるが、もしこの始拓人本尊がこの地球世界に広宜流布して、いかなる悪魔といえどもこれを断絶抹殺することができない状況を現出したければ、大集経の法滅尽品に説かれるように、この地球上は地獄、餓鬼、畜生、修羅の四悪道の世界となり、人類文明は滅びるからである。
なかには人類が滅びようとどうなろうと、こちらもいずれ「あの世」に行くのだから関係ないとうそぶく人があるが、そういう人は、いかなる衆生も永遠の生命をもち、この批に*輪廻転生してくるのだということを知らないか、信じられない人である。仏教の生命観によれば、いかなる生命もまったくゼロ(無)になることはなく、さまざまにかたちを蛮えてこの娑婆世界に存在し続けるとされるから、一時的に「この世」へ行こうと、いずれはこの地球世界に舞いもどってこざるをえない。その地球世界が「核の冬」に蔽われ、不丘の地獄と化していれば、そういう環境の中でも生きられるとされるゴキブリにでも転生せざるをえないのである。
そういうことを考えるとき、またそのことが事実として理解できたとき、どんなエゴイストでも、身ぶるいして救いを見出そうとするにちがいない。そして真に一切衆生を救済できるものは、不完全な科学や、いい加減な常識などではなく、三世(過去・現在・未来)十方(無限空間)の諸仏の力を-つに集約した末法万年救護始拓大本尊の慈悲力を信じて、この正境に対し、ちょうどイスラム教の人がおこなっているように、大地に平伏して拝跪するしか方法がない、というのが仏教二千五百年の結論なのである。
そのことを論じるための本としては、いささか拙速にすぎた感は否めない。しかしコトは急を要するのである。そしてこの「始拓大本尊義」をわかりやすく一冊にまとめたものがほしいという本教信徒の声に応じて編まれたのが本書である。
石垣日義教学部長補を中心に、本教教学部の諸賢が、おもに拙著からの引用をもとにつくったのが本書であるが、私(日禮)が加筆した部分もかなりある。
こうして、ほぽできあがった本稿をあらためて見直すと、当初の目的とはかなりへだたりがあるが、しかし、推敲している時間はない。ともかく、これをこのかたちで出しておき、いずれは完壁な『弘宣教典』として完成する日を期待したい。そして、いつかこの本がこの地球世界を常寂光土と化する日が近いことを祈る。
一九九三年十月十五日
玉井日禮
まえがき
石垣日義
昭和六十一年十月十一日東京谷中日長山領玄寺境内の大宝塔より玉井日禮上人猊下の御手によって始めて拓本として出現せしめ奉った大本尊が出現しました。以来六年半当初は遅々として進まなかった弘宣活動も現在では台湾、沖縄、九州、埼玉、青森、千葉とつぎつぎに総本山光寺の分院が建立され、各地区の信徒会も近く正式に結成されるはこびになっています。
弘宣活動に熱心に邁進している信徒の間から妙法蓮華教(妙宗)の本尊義、大本尊に認められている讃文の、三転読誦、拓本大本尊の血脈の次第等、妙宗教学の根本を学びたいという要望が声となってあらわれて来ました。
妙宗の教学をしっかり身につけて堂々と弘宜する時機が到来していることが感じられ、信徒の一人一人はもちろんのこと、始拓大本尊のことを聞いたこともない人や、話は聞いたけれど迷っている人々にも是非読んでもらいたいと思います。
妙宗の開基、玉井日禮上人猊下がすでに世に発表された『創価学会の悲劇』『創価学会の興亡』や『立正安世論』(T・U・V巻 小牧久時博士との共著)の中から抜粋したものに付加してまとめたのが本書です。
正しい信仰を求めている人、信仰に関心のない人、反対の人達に理解しやすい読んでもらいたいために文証等の引用は最少限にとどめました。詳しく学びたい方はそれ等の本を熟読されることをおすすめします。
目次
序文(玉井日禮)
まえがき(石垣日義)
第一章 仏教とはなにか
一、仏教の起源
二、釈尊五時の説法
三、法華経について
四、現代の法華経
第二章 日蓮仏法と「万年救護」大本尊
一、教学と宗学の違い
二、大石寺の板本尊について
三、末法今時の謗法
四、万年救護大本尊の讃文
五、「後五百歳」と「後ち五百歳」
六、「第五の五百歳二重」の信仰
第三章間浮第一の「始拓」太本尊
一、始拓大本尊の文証と現証
二、拓本大本尊の血脈の次第
三、紙本と拓本との関係
四、始拓大本尊の血脈の次第
五、日濃上人と領玄寺の関係
六、領玄寺と拓本本尊との関係
七、妙法蓮華教の本尊観
八、付属相承
九、『本門の本尊』に四悪趣が存在しない理由
結び(頼日宙)
付録1 「Oリソグ」との出会いについて
オーリング・テストの実験方法
ある体験談
誓願文
付録2 妙法蓮華教ガイド
結び
頼日宙
「万年救護始拓大本尊」が妙法蓮華宗開基玉井禮上人の仏智に依って一九八六年十月十一日日本国に出現してから将に七年、「妙法蓬宗」と一九八七年七月廿七日に立宗宣してから満六年に芳なりましたが、弘宣の実際活動が始まってから略々五ヶ年の歳月が、そし「正方西還」の仏勅の具現の第一歩として、一九九〇年十二月三日中国の台湾、台北に妙法蓮華宗別格大本山台光寺が設けられてから、やがて三年を迎えようとしています。そして一九九三年四月廿七日の日蓮如来立宗法会を記念して、「妙法蓮華宗」から世界宗教の最高峰たるべき『妙法蓬華教』に正式に改名されました。
更に一九九三年六月八日、日禮法王におかせられましては、イギリスのロンドン大学(キソグスカレッジ)にて、同じく六月十日にはイギリスのシェフィールド大学にて、同じく六月十四日には、ドイツのマーブルク大学にて、「妙法蓮華教万年救護始拓大本尊」に関して世紀の大講演をなされました。又更に上述のマーブルク大学宗教博物館には、その同じ日に等寸大の始拓大本尊様が己に安置されました。此の事は「妙法蓮華教」の世界宗教への門出として、ヨーロッパの種播き作業の第一歩は己にもう始まった事になります。
仏教で認められている真正の末法に於ける日蓮法門とは何か?
私共末法現今に生きている法華経を信持している信徒は大いに心を静かにして考えなければならない重大問題だと思います。
この小冊子で妙法蓮華教の教義を理解なされた方々はきっと末法の日蓮法門の究竜→一大秘法→「万年救護始拓大本尊」に辿りつくと信じます。
更にこの末法に於ける『如説修行』とは、妙法蓮華教開基たる日禮上人が著された「立正安世論」を身読し、新しい「摂受」の観念を以て国土世間に相応した弘宣方式を採用して一人でもより多く、一ヶ国でもより広く、日蓮如来御法魂の「万年救護始拓大本尊」が最究竟の対境である事を皆さんに知らしめ、皆さんに持たせる事が「如説修行」である事を素直に了解して、皆が力を合わせて『衆生所遊楽』の娑婆即寂光土の実現、即ち世界平和の成就という目標に勇猛精進しようではありませんか!
(この項 頼日宙)
玉井日禮上人と小牧久時総講頭
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