立正安世論V
玉井禮一郎・小牧久時共著
1991年12月15日発行 税込価格 \1,575
B6判 並製 318頁 ISBN4-88636-058-0 C0015
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目次
巻頭付録「仏法問答会」(『台北問答』)実況録音
妙法蓮華宗台光寺「仏法問答会」
▼一閻浮提とは全宇宙のこと
▼「後五百歳」をどうとらえるか
▼「後五百歳」の二重構造の謎を解く御讃文
▼正本堂以来おかしくなった正宗と創価
▼正法・正義をたてる人が正師
▼盗まれた万年救護大本尊
▼方便品は空間、寿量品は時間を説く
▼二〇三五年までに本門戒壇を
第一章 『大石寺研究』序説
▼なぜ「大石寺研究」なのか
▼「国立戒壇」を棄てた大石寺と創価に仏の裁き
▼池田大作氏よりも重罪の大石寺法主
▼今もなお難信難解の日蓮教
▼現代の「一凶」はまぎれもなく大石寺なり
▼本門本尊の無双の「為体」
▼「本門本尊」図顕の「時」は限定されている
▼大石寺がいう「時」の条件
▼「三大秘法」弘宣の順序
▼日蓮法華の最大の問題
第二章 「日蓮否定論」に対する私の反論
▼ある日蓮教徒への手紙
▼A氏の論文は戸頃重基のうけうり
▼「正・像・末三時の年限論」について
▼浅薄で粗雑なA氏論文の一例
▼「弘宣流布」について(「ダイジェスト日蓮」より)
▼「五五百歳」と「後五百歳」の異同
▼石原莞爾という人
第三章 日興上人の身延離山
▼付属に三義あり
▼付属なき者は弘宣できず
▼大本尊の流転の経緯
▼大本尊の周辺は「三すくみ」
▼紙そのものが本尊ではない
第四章 地涌との交信
▼M・K様から玉井日禮へ
▼玉井日禮からM・K様へ
▼M・K様から玉井日禮へ
▼玉井日禮からM・K様へ
▼M・K様から玉井日禮へ
▼玉井日禮からM・K様へ
▼M・K様から玉井日禮へ
▼玉井日禮からM・K様へ
▼五五百歳二重構造の文証
第五章 ライナス・ポーリング博士より小牧久時博士へ
▼ライナス・ポーリング博士より小牧博士へ(第二信)
▼ツツカーキャソドル博士より小牧博士へ(第一信)
▼小牧久時博士よりライナス・ポーリング博士へ(第一返信)
▼小牧久時博士よりツツカーキャソドル博士へ
▼小牧久時博士よりライナス・ポーリング博士へ(第三信)
▼ニューヨーク・タイムズの草稿
▼玉井日禮から小牧久時博士へ
▼小牧久時博士から玉井日禮へ
第六章 『立正安世論』Uの冒頭の各条に対する解説
阿部日顕(日蓮正宗法主)師に答える(2)(玉井日禮)
あとがき
あとがき
「法華経は三世の説法の儀式なり」(寺泊御書)
この文証はもちろん御本尊、わけても本門の本尊に当て嵌まる御金言です。万年救護大本尊が日蓮大聖人の顕わされた法体の究竟(究極)である根拠は、この大本尊のみに「三世」が説かれているからであります。他のすべての大曼陀羅には過去世と現世(御在世)しか説かれておりません。
しかしながらこの万年救護大本尊の讃文も、不肖玉井日禮が発見した「三転」の義で読まなければ、そうはならないところに仏法の不可思議が存するのです。(その読み方については、『立正安世論1』参照)
すなわち過去世において大覚世尊として娑婆に現われ、御在世において「我慈父」(日蓮)として再誕し、未来世において上行菩薩として世に出現する救済者たる「久遠元初自受用身」の法・報・応の三身が日蓮大聖人という一仏に具わっていることを、この讃文ほど端的にかつ簡潔に述べられた文証は、他には存在致しません。
これほど赫奕たる真実を、なぜすなおに信受しようとしないのでしょうか。それこそ理解に苦しみます。
万年救護大本尊をいったんは「本門の本尊」と認めながら、再びいわゆる「十界」の大曼陀羅に逆もどりされる方がありますが、それは、この讃文義が理解できないからです。
御本尊を分かり易く鏡に譬えれば、「十界曼陀羅」は、自分の姿を正直に映してくれます。したがって修行のための方便の対境といえます。(あたかも神道の御神体の鏡のように)しかも三世隔歴して暗い鏡ですから、自分の姿すら曖昧にしか映しません。しかし、いわゆる「仏界大本尊」に対して唱題すれば、篭の中にある鳥が鳴くと空を飛ぶ多くの鳥が同時に集まり、篭の鳥もそれを見て篭から出ようとするように、涌現し難き仏界を現ずることができるのであります。
「(大本尊に対し)されば一遍此の主題を唱へ奉れば一切衆生の仏性が皆よばれて爰に集まる時、我が身の法性の法報応の三身ともに顕れ出ずる是を成仏とは申すなり。例えば篭の内にある鳥の鳴く時、空を飛ぶ衆鳥の同時に集まる。是を見て篭の内の鳥も出でんとするが如し」(聖愚問答抄。四九八頁)
また対境たる本尊という鏡にも「明昧(明暗)の差別があることについて『総勘文抄』に「我が心の鏡と仏の心の鏡とは只一鏡なりと難も我等は裏に向かって我が性の理を見ず故に無明と云う、如来は面に向かって我が性の理を見たまえり故に明と無明とは其の体只一なり鏡は一の鏡なりと雖も向い様に依って明昧の差別有り」(五七〇頁)と述べられております。
三世十方の大宇宙の中で最高の対境たる万年救護大本尊出現のときは、三災七難がならび起り競い起るとされており、わけても自界叛逆と他国侵逼の二難が顕著に起るというのが、日蓮仏教の方程式ですが、御在世は日本国に約してたしかにそのとおりでした。
そして文政八年〔一八二五)正月、大本尊讃文の予言どおり末法弘宣の法体の摺形木としての大宝塔が建立されたとき、その月に幕府は初めて「異国船打ち攘い令」を出しております。これすなわち再度の他国侵逼の始まりであり、同時に自界叛逆の兆しとしての明治維新が成立いたします。
昭和二十年八月十五日、他国侵逼難は現実のものとなりましたが、わが国は御本仏の本国土ゆえに今日まで辛うじて自界叛逆難は免れましたが、昭和六十一年(一九八六〕十月十一日、不肖玉井日禮によって始拓大本尊として出現されるや、たちまち大聖人が日本の縮図と仰せの伊豆大島が火を吹き、日本のみならず全世界を覆う三災七難の到来の兆しとなりました。
それから今日までの世界の激動は、宮沢喜一首相の表現を借りれば「五百年に一度あるかないか」という凄まじいものであることは、ご存じのとおりであります。その全世界の救護をたすとされる万年救護大本尊を擁する日蓮正宗という宗門は、この人類危急存亡の時をいったい何と心得ているのでしょうか?
「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云なり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」(生死一大事血脈抄)と。
今の日蓮正宗と創価学会の確執を見ていますと、広宣流布とか世界救済どころの騒ぎではありません。野延派の日蓮宗の嚢も裏然りです。念仏宗も禅宗もご多分にもれませんが、少なくとも仏教の正統派を自認する日蓮法華の衆が、分裂に分裂を重ねてたがいに残害しあう姿は、とても仏徒のものとは思えず、日蓮門下の統合ができずして、広宣流布などができるはずがありません。日蓮門下は大きくは身延派と富士派の二つに分かれております。
そして御真筆の「万年救護大本尊」は、身延派とは相容れがたい富士派が格護しております。しかしながら、その讃文を「事相」として体現した大宝塔は、もと不受不施派いま身延派の寺院にあります。その大宝塔から時を得て出現された始拓大本尊こそ、日蓮門下大同団結のシンボルたりうる本尊ではないでしょうか。それのみならず、三大秘法の南無妙法蓮華経を唱える、日本人口の約三分の一を占める人びとが、ひとしく本尊と拝しうる本尊なのではないでしょうか。
それだけではありません。かつては天台法華宗と称ばれた日本仏教の根本道場たる延暦寺から派生した念仏宗、禅宗なども、教主釈尊の隠し留めた本尊として拝跪できる本尊ではないでしょうか。
さらに言わせていただけるならば、天照太神も八幡大菩薩も「諸仏」として勧請されているがゆえに、この二神を主神とする全日本津々浦々の神社の氏子連も、拝礼できる本尊なのではないでしょうか。
さらにさらに言うならば、大覚世尊とは無縁なれども多くの眷属を従える余仏としての善徳仏を、エホバやアルラーと看倣すとき、キリスト教徒やイスラム教徒も、偶像ならざる対境として、彼らの聖壇に祭祀しうる唯一のものと是認できるものではないでしょうか。
そう考えていくと、この地球危急存亡の危機を救うことのできる、人類の信仰の共通のシンボルとしては、この万年救護始拓大本尊以外にありえないことに想到いたします。
そして近い将来、ごくごく近い将来に、すべての宗教、すべての宗派が、過去を清算し、下らない確執や抗争をやめて、地球人類いな万類のために、この大本尊のもとに和合することを始拓大本尊そのものへ祈念して、あとがきに代えます。
平成三年十一月十八日
玉井日禮
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