創価学会の悲劇
玉井禮一郎著
1988年1月発行 税込価格 \1.050
B6判 並製 160頁 ISBN4-88636-048-3 C0015
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はしがき
「仏教とは迷路のような宗教である」とはある西欧の仏教学者の言だそうだが、そのこころは「一度入りこめばなかなか抜けだせない」ということだろうか。しかし、迷路(ラビリンス)は、上空から見れば一目瞭然、その出口が分るものである。
いま「創価学会問題」がかまびすしいが、この問題をとりあげるマスコミも評論家も、社会現象としてとらえているだけで教義内容に踏みこんでいないのは歯がゆいかぎりである。それは、迷路の入ロに立って「迷路に入りこんだ者は愚かである」と言っているようなもので、迷路から脱出したいともがいている人びとにとっては、救いとなっていない。大所高所から、迷路の出口がどこにあるかを示唆することこそ必要なのである。
信教は自由であるが、それを批判する言論もまた自由である以上、カラスをサギといいくるめるような詐欺的宗教を放置しておくわけにはいかない。
創価学会の信奉する日蓮正宗大石寺の板本尊なるものは、日蓮聖人の真作ではなく、同寺の正統性は否定されるべきものであることは、意外に知られておらず、大多数の学会員は欺されている。そこで、その本尊の虚構性と、大石寺に日蓮聖人の血脈(正統性)が流れていないことを、文献的に論証した諸文章を集めて一冊としたのがこの本であるが、仏教の教学や、宗門の宗学に馴れない読者の目には、この本もまた一種の迷路と映るかも知れない。しかし、すくなくともその迷路を上空から俯瞰する効果はあるものと思う。そして迷路に入りこんでいる人びとも、その出口の見当がつくものと期待している。
巻末に収めた付録「続「妙法」とは何か?」は、富士興門派の諸宗を遍歴の果てに、私自身がはからずも遭遇した日蓮聖人の真正の大本尊と、それを立てるにいたったいきさつを、手紙の形でまとめたものである。ある本の付録として出すために組んでおいたものだが、参考のために付した。この大本尊についてさらにくわしくお知りになりたい方は、出版社あてに文書でご連絡ください。
目次
池田大作の仏教破壊を容認する大石寺
宗教法人「創価学会」の運営等に関する質問主意書(大橋敏雄)
一、名誉会長による学会と公明党の私物化について
二、学会の政治活動について
三、学会の寄附金集めについて
四、学会による過大なる不動産取得とその不当なる運用について
五、学会と外郭関連会社との関係について
六、学会の支援する学校法人の運営について
大石寺の板本尊の虚構性
正本堂の板本尊はニセモノの「ソックリさん」
板本尊のうっかり、ミス
熱原法難の初期
熱原法難の中期
「法華講衆等敬白」について
板本尊、日法彫刻説
富士興門派の悲劇
M氏さんから玉井禮一郎へ(書簡集)
玉井禮一郎からM・Kさんへ(書簡)
一、大本尊は朽木書ではない
二、宗門史の謎を解く「富要集」
三、大本尊は一宗一派の所有物ではない
ふたたびM・Kさんから玉井禮一郎へ(書簡集)
M・Kさんから美翁氏への質問状
玉井禮一郎からM・Kさんへ(書簡)
資料「富士興門派の悲劇」(美翁氏編)
付録――続「妙法」とは何か?
Aさんから玉井日禮への手紙
玉井日禮からAさんへの返書
一、宗旨命名の理由
二、法門分別の基礎
三、教学と宗学のちがい
四、末法今時の諦法とは?
五、拓本大本尊の文証と理証
六、「立正安国論」に始まり同書に終る
七、「顕立正意抄」は大本尊の文証
八、「如我昔所願今者已満足」
九、大本尊がなぜ保田妙本寺に
十、本尊はその讃文が重要
十一、「後五百歳」と「後ち五百歳」
十二、予言の適中こそ最高の現証
十三、仏滅年代に対する疑問
十四、「第五の五百歳二重」の信仰
十五、拓本大本尊の血脈の次第
十六、紙本と拓本との関係
十七、日長山領玄寺と拓本大本尊との関係
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