「プロパガンダ写真研究家」松尾一郎の目の節穴度
ニセ写真攻撃−凌辱編

               
2004.1.16 first upload

 

1.笑い顔の謎

写真7.は松尾本のpp83の写真25である。
女性は下半身を丸出しにし、恐怖と屈辱で顔を引きつらせている。かたや、日本兵はニンマリ笑っているのが、日本軍の非道さを印象づける。この対比が、数ある凌辱写真の中でもひときわ印象深いものとなり、それ故、否定派が「ニセ写真」であるとの論証に必死になる由縁であろう。それにしてもこの日本兵の出で立ちと笑顔は何を意味するのであろうか。

松尾一郎のニセ写真の根拠

(論拠1.)この日本兵の服装は日本陸軍の服装ではなく、一見するとジャンパーのような服装で、肩章もないことが確認できる。

(論拠2.)ヘルメットも、日本軍のものと異なる。明らかに、日本兵の格好に似せて撮影されたヤラセ写真であろう。

 

              写真7.

論拠1.に対して。
左右の前合わせにして着るジャンパーなどはじめて聞くぞ、松尾さん。

この写真は暴行をした後の写真と説明されている。男が笑っているのは女性の下半身を見たり、強姦をした後の猥雑な笑いと解釈されているらしい。しかし、下穿きを脱ぎかけているのだから、強姦をされた後というのはおかしい。強姦の前だろう。しかし、男は女性の下半身を見たときとか、強姦をしたあとにこのように笑うだろうか。私は笑わないと思う。
  では、この男はなぜ笑っているのだろうか。男の着ている服を見てほしい。これは上の図に似た、丈の短い中国式のブラウスに非常に似ている。丈が短く下に着た服の袖がはみ出しているように見える。ずばり、これは女性が着ていた服を男が引っ掛けているのだ。

 人には変身願望があり、男性は女装を好み、女性は男装を好む。これは男女の区別を厳しくする表の社会では抑圧された願望である。通常の社会であれば宴会の余興のような場だけで見られる行為だ。日本軍将兵は過酷な戦場にあって、何ヶ月も禁欲生活を強いられてきた。日本軍がその人格を徹底的に無視していた中国人女性の前では、このような行為が何のためらいもなく出来たのである。下記に日本軍将兵がこのような行為にふけった記録を示す。
 
     南京での敵の蛮行目撃記   筆者不詳      『漢口大公報』1938年2月7日付  

(捕らえられた)二日目の早朝、私はまた洗面用の水をはこばされたが、敵兵の一人が水を裏庭に運ばせ、また室内に運ばせた。よくのみ込めないと、彼は蹴ったり殴ったりしてわからせた。私は室内に運ぶしかしようがなかった。部屋に入るやいなや、二人の女の同胞が一枚の毛布に体を隠し、凶悪そのものの顔つきをした二人の「皇軍」将校が、それぞれの女の服を来、向き合って獰猛に笑っているのが見えた。私は素早く水桶を放し、頭をふらつかせながら出ていった。私は幸いにも一中国人に過ぎず、この女の同胞の親族や友だちではなかった! 後になっていやになるほど見てわかったが、哀れな女の子たちは真っ昼間でも誰も服を着られないのだ!


  ここでも将校は「獰猛に笑っている」と書かれている。これは作者の嫌悪感の反映であり、実際は女装した将校たちは変身願望が満たされて陶然と笑っていた、と思われる。この写真の笑顔は、女性の服を着みんだための笑いと解すれば、非常によくわかる。
  衣服を脱ぐように強制されたところですでに、この女性は恐怖のどん底にあったに違いない。だが、そうであったとしても、この日本兵のとった奇態な行動はなおのこと自分の身に降りかかる惨事に対する恐怖を高めずにはいられなかっただろう。この後は蹂躙されたことは想像に難くない。それどころか、強姦後殺害さえ受けたかも知れないのだ。

論拠2.に対して。
兵士がかぶっているものを松尾氏は「ヘルメット」だと言うが、「ヘルメット」の右側面には中折れしたへこみが見える。
いったい中折れする「ヘルメット」なんてあるか、松尾さん。一目瞭然これは日本兵の略帽である。

それにしても、松尾氏が指摘する他の「ニセ写真」では一応日本軍のそれらしい服を着ているのに、この写真だけ、なぜ「ジャンパー」をまとって、中折れした「ヘルメット」をかぶっていなくてはならないのだろうか? 一度、松尾氏の頭の中を覗いて見たい。

2.「エロ写真」か凌辱の写真か
松尾本pp81(写真23)をただの「エロ写真」という論拠

            ■「野戦郵便旗」佐々木元勝
 しかしながら、当時の中国大陸ではこのようなエロ(わいせつ)写真がいたるところで売られており、道端の露天商でも売られていた。これについて・・・佐々木元勝は、『野戦郵便旗』と言う著作の中で記述している。・・・『奇々怪々、まさに心散魂飛の息づまる情炎の万華鏡である。上海と女、戦争とエロ写真、それはなんと必然一体の結合ではないか。・・・エロ写真を見ると、今までそこここで熱心に取った写真なんか興醒めしてしまう。[エロ写真のほかに戦闘の残虐写真がある。無残な死体のさまざまな写真である。支那女が泣きながら立って下半身裸になっているのもある。これらの写真は、日本軍か支那軍かだれが撮影したものかわからない]』
 
  松尾氏が「ただの『エロ写真』を南京における暴行の写真とした」という論拠は佐々木元勝氏のこの文章だけである。佐々木氏は写真を入手し、それはどこで売られているか、を書き、製造元を推測したに過ぎない。そして、佐々木氏は「エロ写真」を撮影した人でもなければ、撮影の現場に居合わせてその状況を目撃した人でもない。したがって、佐々木氏の記録にはこれらの写真が商業目的のエロ写真として撮られたのか、それとも日本兵による暴行・陵辱の際に撮られたのか、についての証言能力はないわけである。
むしろ、彼が記しているようにエロ写真のほかに戦闘の残虐写真が必然一体の結合をなし、一緒に売られている状況というのは日本兵が撮影した写真が大量に市場に流入したことを物語るものではないか。
  写真8.
佐々木氏が語る「今までそこここで熱心に取った写真なんか興醒めしてしまう」のはなぜであろうか。これらの写真は正直に言ってエロティックな感情を喚起するサービス精神はうかがい知れない。女性の顔はすべて悲嘆と恐怖に歪んでいる。にもかかわらず、佐々木氏を圧倒したのは商業用のエロ写真には見られないある種の迫真力があるからに相違ない。それはエロティックと言うよりはむしろサディスティックな劣情を刺激する部分であったろう。

この種の「エロ写真」と残虐写真の混淆は大量複製され大陸に居留する日本人にも容易に手にすることが出来た。そしてその撮影者は外務省高官と右翼の巨頭によってこのように判断された。

    ■児玉誉士夫随想・対談「われ かく戦えり」
  自分は日本を発つ前に外務省情報部長河相達夫氏を訪ねて、外地を旅するに必要な援助と注意を受けたが、そのとき河相氏が数枚の写真を見せて「これが天皇の軍隊がすることだろうか」と言って憤慨していたが、それは現地にある日本軍が中国の婦女に暴行を加えている、みるに堪えぬ写真であった。そのとき、ふと、これは中国政府が民衆に抗日思想を宣伝するためのトリックではなかろうかと疑ったが、いろいろなできごとに直面してみると、この写真は真実であることを肯定せざるを得なかった。


3.凌辱写真の数々

中国に送られた日本兵が真っ先に覚える「兵隊シナ語」のひとつが「ピーカンカン、サイコサイコ」だったことは北山日記にも表れている。その結果が下半身をあらわにした、数々の凌辱写真となった。

写真9.中年女性 写真10.老婆の顔には困惑と羞恥が入り交じっている。 写真11.強姦後に殺害された女性
 

写真9.10.11は松尾氏の著作にも、サイトにも出てこない写真である。先ほどの写真8をこのような写真の中に置いてみると、写真8が商業エロ写真の系列にはないことが明かであろう。中年のおばさんや老婆の下半身が商業的なエロ写真の範疇になるだろうか。もちろん、このような凌辱写真ではあっても、「エロ写真」としての用途が生じることはありえる。それは解剖学の教科書や、婦人科学の教科書であっても、ニキビ盛りの中学生にとってはまた別の使い道が生じるのと同じことである。
  写真の判断には、『いつ、誰が、どこで』という情報、キャプションはもちろん、その写真が出てくる状況も必要である。また、個々の文献資料と同時に常に同時代の大状況としての正しい歴史像ないし歴史観を持たないでは正確な判断を下せないのである。
  写真11.は文献では頻出するものの、さすがにこれがカメラの被写体になることは少なかったようで、これはきわめてまれな写真記録である。

     ■占領下南京五ヶ月の記録   李克痕

街頭には、輪姦されて死んだ多くの女性の同胞の死体があった。衣服を剥ぎ取られ、丸裸にされている。乳房は切り裂かれ、えぐり取られた部分はどす黒くなっており、見るに耐えない。あるものは腹が突き破られて大きな穴があき、腸わたが死体の傍らに積まれていた。陰部には、巻いた紙や木ぎれが突っこまれていた・・・・何と痛ましいことだろう。

 

    (前掲)■南京での敵の蛮行目撃記 
このとき街を歩くと、黒煙や赤い炎は依然としてたえることなく、同胞の死体は実際おそろしいほど多かった。とくに裸の女の死体が随分増えていたが、強姦に反抗したため敵軍が勢いで腹を割いたと明らかにわかるものもあり、腕にはいずれも傷跡があった。十に八は腹が裂けており、血だらけの胎児とともに横たわっているのもいくつかあった。

 

     ■村瀬守保写真集より
「ある部落で、軍が小休止をしていたとき、逃げ送れた老人と子供が見つかり、その老婆の訴えを聞くと、80歳にもなる老婆を2人の日本兵士が犯し、怪我をさせてたというのがありました。」

「下半身裸の婦人が、下腹部を切り裂かれて殺されていたり、婦人に暴行を加えて虐殺し、女性性器に棒を差し込んでおく」というような、非常に残酷なことが行われていました。

 

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