「プロパガンダ写真研究家」松尾一郎の目の節穴度
ニセ写真攻撃−斬首編

               
2004.1.10 first upload
                     2004.1.25 reviced

 

歴史家は南京大虐殺を写真によって証明しているわけではない。写真が証拠であるとして主張しているわけでもない。否定派が「『肯定派』が写真を南京大虐殺の証拠にしている」と騒いでいるだけなのである。

南京大虐殺は被害者側、加害者側、外国人観察者の文献と証言によって証明されている。歴史家はなぜ、写真を歴史資料とはしないのか。それは写真の固有の性格による。写真は説得力に富む媒体であり、百聞は一見にしかず、のことわざ通り、人々にある事象を説明、納得させるのには有力なメディアである(対象直視性)。その反面、写真単独では資料としての証拠能力に乏しい。すなわち、

1.写真はその場で起こった事象のうち、空間的、時間的にほんの一部分を切り取ったものであり、かならずしも事件全体を表現しているわけではない(記録空間、時間の限定性)。例えば安全区で日本兵が子どもらにお菓子を配っているのを日本人カメラマンが撮影する間、別の日本兵は女性を強姦していたが、日本の記者はそちらの方は一枚も取らなかった事例をマッカラムは報告している。

2.写真はその映像の中に現れている人物、物体、事象が誰であり、何であるかについて確定的な情報を常に与えているわけではない(対象指示能力の欠如)。写真に現れているものが何であるかという、対象指示能力については文献資料の方が優れている。

3.写真映像は誰が見ても一定の見方、読みとり方しか出来ない場合もあるが、多くはもっと多様な解釈を許している(写真の多義性)。それに対する判断は彼らがすでに得ている知識・経験によって少しずつ異なる。

したがって、写真単独が持つ歴史資料としての資料価値は決して高くない。写真資料は資料の由来を示す文献に裏打ちされて始めて写真内容の解釈が可能となる。さらに他の文献資料および包括的な歴史像と対照させてはじめて正しい解釈が可能になることは他の文献的資料と同じである。にも関わらず、一般人は写真の訴えかける力のために単独で決定的な証拠になりうると考えている人が多い。

写真資料のもたらす情報の信用度が高いために、それがニセ写真であることが明らかにされた場合にニセ写真を引用した側に対する不信感は強くなる。そして、ニセ写真疑惑を植え付けることは写真の多義性のために容易である。ニセ写真疑惑から進んでニセ写真を信じさせることに成功したなら、その事件自体もなかったという主張を認めさせることは非常に容易である。あとはなぜ、事件の捏造を図ったか、という「動機の解明」まで一本道である。これはアポロ月着陸の「疑惑」と同様である。


昨年12月に「プロパガンダ写真研究家」を自称する松尾一郎氏が「プロパガンダ戦『南京事件』」なるものものしいタイトルの本を上梓された。その内容はすでに陳腐化した、否定派の論調を蒸し返しただけにとどまっているのでここでは触れない。お得意の「プロパガンダ写真」について新しい内容があるか、と思って開いて見ると、以前の通りの妄想に誘導された「捏造写真攻撃」に終始していた。

いつか、松尾一郎のばからしさを曝露しておこう、と考えていた私であるが、ある人に、「そのような議論を相手にしないようにすべきではないでしょうか。もっと事実に即した反論が中心に据えるべきではないでしょうか」と言われた。この方は南京事件には関心を持たない一般の方である。ホルモンの研究のため、動物実験で多数のラットの断頭の経験があるのでお聞きしたのだ。これはなるほどもっともなことではあるけれど、私が相手としているのは決して高尚な研究者ばかりではない(もともと否定派には高尚な研究者などいないが)。むしろ否定派の「捏造攻撃」にたやすく騙され、否定派になびいていくひとたちをも対象としている。その意味でばからしいのは承知の上であるが、捏造主張のいい加減さ、と捏造主張に取り憑かれる否定派の精神構造を明かにしようとして書いたものである。

1.斬首を笑って眺める日本兵
この写真は南京大虐殺の写真として伝えられる中でも最も印象に深いもののひとつである。いままさに首を斬られようとしている坊主刈りの男の切羽詰まった表情。あろうことか、それをニヤニヤに笑いながら後から眺めてる兵士。日本軍将兵の残忍さを余すところ映し出している。それゆえ、松尾氏も力を込めて「ニセ写真」攻撃を繰り出したのであろう。彼のニセ写真であるという論拠を見てみよう。

zanshu84.jpg

写真1.(松尾本pp79の写真22)

この写真を「ニセ写真」と断定する論拠

論拠1.ところが、この写真中央の刀を持つ人物の履いているブーツだが、ヨレヨレでダブついており、当時の日本軍が使用しているものとはまったく違う・・・基本的にブーツは士官しか履くことが出来ない上に・・・

論拠2.右側の下士官がくつろぎ、士官が整列するなどという、一般的に考えて、まったく不自然な態度・・・

論拠3.中央の人物は、まさに今から首を斬るように一見できるが、・・・左足が前に出ていることを考えても、この人物が首を切り落とすつもりがないのか、剣道の経験がないのではないかと・・・まったく不可思議な写真である。

論拠4.結論を述べると、この写真は単なる合成写真であり、中央の刀を持った人物の影と右人物の影方向がまったく一致しない点がそれを証明する。

論拠1に対して
まず、日本軍の軍装について言及するのなら、せめて「ブーツ」と言わず、長靴と言ってほしい(^o^)。また長靴は下士官に支給されることがある。士官以上の長靴がおおむね厚手でタイトなのに対し(参考図A)、下士官用のものはかなりサイズに余裕があり、ブカブカしている(参考図B)。履き古すと容易に「ヨレヨレ」になる(参考写真A、B )。士官(少尉以上)の軍装は自弁であり、かなりの自由度がある。中支那方面軍松井司令官と関東軍本庄司令官は柔らかい革の長靴を履いている(松尾氏のいわゆる「ヨレヨレ」型)。これらの写真は松井司令官は河出書房新社刊、図説日中戦争pp90、本庄司令官は展転社刊、昭和の戦争記念館第1巻、満洲事変と支那事変pp22、57を参照において確認される。したがって、長靴が「ヨレヨレ」型だから日本軍のものでないというのは松尾氏の無知による誤りである。

shikangunsou.jpg kashikangunsou.jpg chouka2.jpg chouka1.jpg
    参考図A
   士官用軍装


    参考図B
 下士官用軍装

参考図提供と長靴の解説はja2047さんの好意による。

     参考写真A
南京城壁で手作りの尺八を吹く勇士たち(昭和13年1月)
下士官の集まりらしく、皆軍刀を持っている。
     参考写真B
肉弾三勇士の戦死した場所に建てられた慰霊標に詣でる行軍将兵
A、Bとも昭和の戦争記念館第1巻より

論拠2.に対して
士官二人が「整列」している、というのは無理な解釈である。斬首を整列して見る必要などどこにもない。三人ともリラックスして見物しており、右後方の人物が特に「面白がっている」というに過ぎない。

論拠3.に対して
刀を持った人物は右脚を軸足として、左足をやや開き気味に踏み出している。しかし、私の目には左足が体の前に位置しているか、どうかまではこの写真だけでは断定できないように見える。これが一点。また、刀を構えた姿勢は、今まさに振り下ろそうという姿勢とは取れない。野球でいえば、打席で構えて投球を待つ姿勢と、球を叩きに出るためバットの位置を決めた時点とがあるが、前者の方に見える。したがって、これから足の位置の修正があってもおかしくはない。

「剣道を知らないのではないか」と書かれているが、剣道は竹刀で打撃ポイントを争う競技であり、真剣による居合いや斬首の技術とはまた別物である。また、斬首の場合は緊張のあまり「作法」を忘れることもよくあった。右利きであれば写真2.のように斬られるものの左側に立って右足を軸足として左足を引く。もし逆足であると、1kg位の鉄棒を振り下ろすわけであるから、勢い余って自分の左足の親指を切ってしまう。実際この種の事故は少なくなかった。ところが、写真2.3.の人物は逆足で斬っている。斬り終わった姿勢は左肘が曲がり、へっぴり腰、大根切りになってしまうという格好の悪さであるが、ちゃんと頸がとんでいる。左足が前に出ているからおかしいというのはニセ写真の論拠には到底なりえない。

zanshu129_2.jpg zanshu129_3.jpg zanshu129_4.jpg
写真2.ヒゲ男が池の端で斬首している。これが正しい足の位置であり、刀はやや下向きに振り下ろされる。

写真3.見事に逆足。そのため刀は横殴りの軌道になる。写真2.のヒゲ男は池の向こう正面に移動して日本刀を右手について見物している。

写真4.頸がすっ飛ぶ瞬間である。動いている刀の軌跡が見える。ヒゲ男の姿勢が違うので時間の経過があるのがわかる。したがって斬られているのは写真3.とは別人である。

論拠4.に対して
影の方向が違うからおかしい。ニセ写真であるという理屈である。これに対しては別ファイル「影はうそをつかない、か?」という別ファイルに影のトリックをまとめたので先にお読み下さい。

要するにこれは別ファイルの2.のケースである。地表面の凹凸の詳しい情報まではこの写真から読みとれないので影だけ見ておかしいかどうかは断定出来ない。
もし、右後方の人物の影が刀を持つ男の影と同一平面に出来たものだとするならば右後方の人物の右顔面の陰影(画面では左の陰影)は他の4人に較べて大きくならなくてはならない。また帽子の庇と下顎との影は短くならなくてはならない。しかし、写真にある5人の顔に出来る陰影を見るならば、光の方向は4人とも共通している。したがって、右後方の男は合成されたという主張は否定される。

kao1.jpg kao2.jpg kao3.jpg
ジャンパーの男 ヒゲの男 斬られる男
kao4.jpg kao5.jpg
刀を持つ男  右後方の男

                        写真5
zanshu85.jpg


さて、写真1.の何分か後、日本刀は振り下ろされ、地面に座らされた男は斬首されたのである(写真5)。 男が座らされていたのは浅い溝の前であった。男が着ていた服は大きなダンダラの模様であった。着られた頸の断端が黒く見え、溝の底にどういう向きかわからないような形で頸がころがっている。
写真1の左端にいた、ジャンパーのように見える上着を着た男は溝に降りて後ろ手を組んで斬られた頸を眺めている。ちなみにこの男の長靴も「ヨレヨレ」型である。右後方の男らしき男が斬られた男の胴体の後方にいる。

2.斬り落とした首を持つ海軍兵

写真6

この写真は松尾本pp83の写真24である。(ところで左上すみの黒い部分にはもともと写真5.があった)。
松尾一郎氏による否定論拠

論拠1.・・・この人物の首の下には服の袖が見え、クロスしており、首の下から墨で塗りつぶしているだけである。つまり、この首だけの人物は、実際には死んでおらず、単なるトリック写真だ。

論拠2.なぜなら、人間は死亡すると筋肉が弛緩し、あごがだらりと開き、大きな口が開くはずである。この写真を見るとアゴがしっかり閉じられている・・・

           写真6の死体部分の拡大図

論拠1.に対して
松尾氏は首の下に斜めに広がるハイライト部分を左腕と読んだようである。しかし、ハイライトの明るさがきついことから、奥行き方向に相当長く広がる物体であることがわかる。腕にしてはどう見ても太すぎる。つまり、これは右肩からくずおれるようにして倒れた男の背中であり、手前に首の断端が見える。あえて拡大しなくても大抵の人の目には明白と思えるが、念のため拡大図と体の輪郭(赤い線)を入れておこう。

論拠2.に対して
死亡すると神経の筋肉支配が失われ、筋肉が弛緩するのは事実である。しかし、顎の全神経が途絶したときに顎がダラリと開ききることはない。下顎を精一杯に開ききるためには顎を閉める筋肉を完全に弛緩させるだけではなく、顎を開くための別の筋肉を収縮させなければならないからである。神経支配が途絶した状況では中間位となる。また、死の直前の緊張状態にも影響される。写真の顎は「しっかり閉じられている」とは見てとれない。中間位に位置するから、斬られたものとして矛盾はない。
■解剖学的、生理的な見地から上記の説明に尽きている。しかし、否定派は自らの幼稚な理解によって、なおも破綻した解釈を強行するのである。否定派はあらゆる証拠を突きつけられても、事実を認めようとしない、という経験則はここでも再確認された。すでに、カラー写真で斬首された頭部の写真を電脳板において掲示した方もおられるのであるが、もうひとつの証拠を提示しよう。
参考写真 義和団の斬首 部分図 1. 部分図 2.

参考写真は『中国の世紀』(ジョナサンスペンス著、大月書店)による。キャプションは”即刻処刑 救援軍の外国の軍人と清朝の兵士が処刑された義和団の首のない死体の横に立っている。日本の軍人は刀の血をぬぐっている。”とある。
たった今、日本刀によって斬られたばかりの光景である。死体の首の断端からの出血が地面を染めている。首は軽く開かれており、「大きく開かれている」のではない。首がどのあたりで斬られるものなのか、も注目点である。写真6で切り取られたを掲げているが、正面からは首の部分は見えない。

松尾氏の目の節穴度の一端がおわかりいただけたであろうか。まだまだ続きを作っています。お楽しみに。

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