東中野「反日攪乱工作」説のまぼ ろし(2)
『チャイナ・プレス』(1938年1月25日号)をどう読むか   
                                                           2013.6.4 upload

「便衣兵なるものは存在しなかった」 で明らかにしたように、便衣兵がいたという資料はなかった。それでも否定派が苦し紛れに最後まで固 執した資料がニューヨークタイムズ1月4日とチャイナプレス1月25日の記事である。しかし、記事に不自然な強調があるのを見ると、日本軍の情報操作であ ることはただちに知れるのである。
 

また、上海でアメリカ人の発行する『チャイナ・プレス』(1938年1月25日号)も、同じことを報じている。それによれば、十二月二十八日現在で、外国 大使館や建物から、支那軍の将校二十三名と、下士官五十四名、兵卒一四九八名が摘発された。
これは、十二月二十四日からの住民登録の結果でもあった。つづけて『チャイナ・プレス』1938年1月25日号はその前日公表された南京日本軍憲兵隊の報 告書を引用する。
 
その報告書の主張するところによれば、彼らのなかには南京平和防衛軍司令官王信労(音訳)がいた。彼は陳弥(音訳)と名乗って、国際避難民地帯の第四部門 のグループを指揮していた。また、前第八十八師の副師長馬香(音訳)中将や、南京警察の高官密信喜(音訳)もいると言われている。
馬中将は安全地帯内で反日攪乱行為の煽動を続けていた、と言われる。また、安全地帯には黄安(音訳)大尉のほか十七人が、機関銃一丁、ライフル十七丁を 持ってかくまわれ、王信労と三人の元部下は掠奪、煽動、強姦に携わったという。

安全地帯に潜伏中の支那軍将兵が悪事を働いたのである。(中略)
注意すべきは、安全地帯の支那軍将兵たちは強姦の話を撒き散らしただけではなかった。それを証明すべく、自ら「強姦に携わった」か、強姦未遂に携わったこ とである。
(東中野修道『「南京虐殺」の徹底検証』pp276-277より)


東中野の文章は資料にある言葉を少しずつ変換して、事実とは違うことを論拠の中に少しずつ挿入することが特徴である。丹念に原文を読んで、この記事がどこ まで言っているのか、また信憑性のある文章かを検討してみよう。

「外国大使館や建物」の「外国」は大使館と建物の双方にかかるのであろう。単なる建物から摘発された、ではほとんど意味をなさないからである。南京日本軍 憲兵隊の報告書というのは現存しないから、チャイナ・プレスの報道内容が本当に憲兵隊報告書にあったのかどうか、確認はできない。しかし、外国の権益にか かる建物だけから、1500名が摘発されたというのはちょっと多すぎはしないか。

南京平和防衛軍司令官王信労(音訳)とはおそらく、王新倫、または王興龍(音訳)のことであろう。音訳・英字化・再度音訳の過程で、変化したのかも知れな い。この男の別名陳弥(音訳)で、国際委員会文書では陳嵋(音訳)というのもだいたい合っている。しかし、 NYタイムズでは王新倫は大学の難民介護施設で働いていたことになっていたはずで、外国の建物にいたことになっているというのは矛盾している。

また、一月四日付けNYタイムズに出てきた大佐一味には「南京平和防衛軍司令官」という肩書きなどはなかった。NYタイムズに情報を流すのは調べが終わっ た後のはずであるから、この肩書きがこの時点で出てくるのはおかしい。 彼の罪名は有名無実であることは前ページですでに指摘した。

摘発された中に、前第八十八師の副師長や南京警察の高官がいたということは不思議ではない。大使館などに潜んでいた将校は確かにいたし、日本軍は警察官の 連行、大量処刑もし たことがある。
しかし、王信労、馬跑香、密信喜、黄安と名前が挙げられ ているが、かれら同士の組織的なつながりというのはなかったようだ。罪名が上げられているのは馬中将 の「反日攪乱行為の煽動」だけだが、どのような行為であったのか詳細は一切明らかにされていない。黄安が「かくまわれていた」というのも誰が匿ったのか、明らかにされてい ない。武器が見つかったことは、「攪乱行為」の証拠にも「攪乱行為の扇動」の証明にはならない。多数の武器が放棄され、難を避 けるため周辺住民が地中に隠した事実があるからである。


以上がチャイナプレスの報道の疑問点であるが、東中野は記事の内容にも書いていないことを言っている。 「強姦の話を撒き散らした」という話はNYタイムズにも、チャイナプレスにも一切書かれていない。「それを証明すべく、自ら『強姦に携わった』」というこ とまでは記事に書かれていない。両方とも東中野による純粋な創作である。

NYタイムズにあったのは「大佐一味」が一晩、数人を強姦したということだけである。それさえ隣人によって否定されている。仮にそれが事実であったとして も、彼らの強姦だけでは8000人とも二万人とも言われる強姦被害も、あるいはその噂だって作り出すことは不可能である。

もし、この記事のように元中国軍の将校が本当に「反日攪乱行為の煽動」をしていたという認識を憲兵隊が持っていたとすれば、日本の記者に発表し、日本の新 聞に掲載されてしかるべき重大事件であった。ところがその記事は日本の新聞には載らなかった。つまり事実ではなかったのである。

さて、チャイナプレスには東中野の訳出部分に引き続き、次の文章がある。

館員が退去したあとの外国大使館・公使館に隣接する防空壕からは、隠匿兵器が発見された。ひとつの防空壕の捜索の結果は、次の通りである。

軽砲 1
チェコ製機関銃 21 弾丸60発付
他の機関銃 3
空冷式機関銃 10 弾丸3000発付
小銃 50 小銃弾42000発付
手榴弾 7000
迫撃砲弾 2000
砲弾 500

 我々は、防空壕に隣接するという大使館の特定を求めたが、スポークスマンは、自分にはそれを言う権限がないと思う、と言 うのみだった。彼はまた、アメリ カ公使館から誰かが発見されたのかどうか、という質問を避けた。彼が続けるには、公式情報は入手できないものの、逮捕された多くの中国軍兵士が略奪の罪で 処刑されたと思う、ということだった。捕虜たちは戦時捕虜と見なされたのか、あるいはスパイと見なされたのか、という質問に対しては、彼は、それは捕虜た ちが逮捕されたときの状況による、と答えた。


一月に入って外国大使館に大使館員が復帰するに及んで、日本兵が外国大使館と外人所有の家屋にたびたび侵入して略奪、破壊をしていたこと が明らかとなり、日本外務省のみならずは各国の抗議が相次いでいた。 1500人余りの中国兵が外国大使館と外国人の建物から摘発されたという、この記事は日本兵の掠奪・破壊を中国兵に責任転嫁するためのでっち上げと考えら れる。また、元中国兵を虐殺していることと、強姦に対する非難がメディアから出てきたことに対する反論でもあった。つまり、チャイナ・プレスの記事も、欧 米諸国の非難をかわすための情報工作でしかなかったから、日本国内では掲載する必要がなかったのである。


東中野はさらに、マッカラムの日記の言葉を歪めて解釈する。

そ のような舞台裏を知っていたのであろう、支那人の中から、強姦は支那軍がやったのだと証言する者が現れる。東京裁判に提出されたマッカラムの一九三八年 一月の日記は、「支那人ノ或ル者ハ容易ニ略奪・強姦及ビ焼打チ等ハ支那軍ガヤッタノデ、日本軍ガヤツタノデハ無イト立証スラ致シマス」というふうに記す。
(東中野修道『「南京虐殺」の徹底検証』pp277より)


この部分だけ読んでも「スラ」という助詞の意味から、マッカラムがこの中国人を非難しているのはわかるはずだ。 マッカラム日記1月9日の原文はこうである。
 

Now the Japanese are trying to discredit our efforts in the Safety Zone. They threaten and intimiedate the poor Chinese into repudiating what we have said. Some of the Chinese are even reeady to prove that the looting, raping and burning was done by the Chinese and not the Japanese.I feel sometimes that we have been dealing with maniacs and idiots and I marvel that all of us foreigners have come through this ordeal alive.
今、 日本人は安全区で私たちの努力に対する信用を傷つけようとしています。 彼らは、私たちが言ったことを否認するよう哀れな中国人を脅かして、怯えさせています。 何人かの中国人は略奪、強姦と放火が日本人によってではなく、中国人によって行われたと容易に証言しさえします。私は時々私たちが狂人と馬鹿に向かい合っ ているのだ、と感じ、私たち外国人は皆、生きてこの試練を通り抜けたのだと驚嘆しています。(タラリ試訳)


狂人というのは日本軍・日本兵のことで馬鹿とは王新倫を日本軍に密告したような中国人のことを言っているのである。マッカラムはまさしくこのような中国人 に呆れ、怒り、情けながっているのである。

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