平林証言の 検証その2
田中正明聞き取り版

      by タラリ 2003/03/26 とほほ板投稿
            2004/01/11 初回上網 

  田中正明『南京大虐殺の虚構』(1984年)にある平林証言を検証する。この証言は鈴木明のインタビューの11年後であり、栗原証 言(1984年)の直後である。内容は鈴木 聞き取りより豊富であるが、鈴木聞き取りとは異質の事実が多い。事前の準備があったかのようである。また、インタビュアーである田中正明が全面的に編集し ており、話者の肉声は感じられず、話をするときの心の動きは読めない。 また、田中正明氏の「校正」を経ているにもかかわらず、この証言内容内部で矛盾を生じている。平林氏の証言というよりは田中正明提供の「証言」資料となっ ており、資料的価値は 乏しい。

 以下(No.)を付したものが本文。(鈴)は鈴木明に対して行った証言、(田)は田中正明に対して行った証言の略号。▲は証言間の異同、■はコメント。
 

(1)わが方の兵力は、上海の激戦で死傷者続出し、出発時の約3分の1の1500足らずとなり、その上に、へとへとに疲れ 切っていた。しかるに自分たちの10倍近い1万4000の捕虜をいかに食わせるか、その食 器さがしにまず苦労した。

▲(鈴)「大量のホリョ」、「一万人分のメシ」 → (田)「自分たちの10倍近い1万4000の捕虜」
「食器さがし」は 初出。
 

(2)上元門の校舎のような建物に簡 単な竹矢来をつくり収容したが、捕虜は無統制で服装もまちまち、指揮官もおらず、やはり疲れていた。山田 旅団長命令で非戦闘員と思われる者約半数をその場で 釈放した。(3)2日目の夕刻火事があり、混乱に乗じてさらに半数が逃亡し、内心ホットした。そ の間逆襲の恐怖はつねに持っていた。


▲(鈴)「簡単に逃げられそうな竹がこい」 → (田)「簡単な竹矢来をつくり」
▲(鈴)釈放についてコメントなし → (田)「山田旅 団長命令で非戦闘員と思われる者約半数をその場で 釈放した」
(1) の文からすると「1万4000の捕虜」をいったん収容して、その後に釈放したことになる。いったん収容したものをより分けたことになり、非常な混乱があり、時間を 要するだろう。「食器さがしに苦労した 」と言っているが、半数を釈放したとすれば、「7000の捕虜の食器さがし」に苦労した、と書かなければならない。

「逆襲の恐怖」、戦 意なくして降伏した捕虜が「逆襲」するとは到底考えられない。また、逃亡と逆襲は大きな違いである。逃亡の際も捕虜側の実力行使が示されていないのに「逆 襲の恐怖を持つ」というのは理解しにくい。伏線であろう。また、「その間」という言葉の位置がおかしい。人数が半減したのなら恐怖感 は軽減されるはずであり、恐怖感を語るなら収容したときからであろう。

▲(鈴)たしか二日目に火事がありました。その時、捕虜がにげたかどうかは、憶えていない →  (田)半数が逃亡し、・・内 心ホットした。 そのときの感想まで付け加わった。
 

(4)彼らをしばったのは彼らのはいている黒い巻き脚絆(ゲートル)。ほとんど縛ったが縛ったことにはならない。捕虜は約 4千、監視兵は千人たらず、しかも私の部隊は砲兵で、小銃がなくゴボウ剣(銃剣の事)のみ。出発したのは正午すぎ、列の長さ約4キロ、私は最後尾にいた。  

▲「ゲートルで縛った」は初出。
▲(鈴)「向こうは素手といえども十倍以上の人数です」→ (田)「捕虜は約4千、監視兵は千人たらず、」 捕虜の人数の記憶が定かでない ということはありえても、捕虜と監視兵の割合を覚えていないということはありえない。どちらかは創作である。
▲(鈴)現場までの距離がわずか数キロ(二キロぐらい?) → (田)列の長さ約4キロ、(鈴) では距離が不明だったのに、(田)では列の長さがなぜわかるのか? 
▲「しかも私の部隊は砲兵で、小銃がなくゴボウ剣(銃剣 の事)のみ」→ これは絶対にありえない。ゴボウ剣だけを持つ兵士が連行に加わ れば、捕虜が集団で逃亡を始めても制止できない。もし、捕虜に逃亡や逆襲の気配がまったくないのなら、ともかく、平林自身「逆襲の恐怖を持つ」「不吉な予感があった」などとしているのである。すなわち、平林証言のうち連行参加そのものの信 憑性はない。
▲(鈴)「
何時間もかかりました。とにかく、江岸に集結したのは夜でした。」 → (田)「私は最後尾にいた」

(5)騒動が起きたのは薄暮れ、左は揚子江支流、右は崖で、道は険岨となり、不吉な予感があった。突如中洲の方に銃声があ り、その銃声を引き金に、前方で叫喚とも喊声ともつかぬ異様な声が聞こえた。(6)最後列まで一斉に狂乱となり、機銃は鳴り響き、捕虜は算を乱し、私は軍 刀で、兵はゴボウ剣を片手に振り回し、逃げるのが精一杯であった。(7)静寂にかえった5時半ころ、軽いスコールがあり、雲間から煌々たる月が顔を出し “鬼哭愁々”の形容詞のままの凄惨な光景はいまなお眼底にほうふつたるものがある。

▲騒動の時刻:(鈴)夜、暗闇 → (田)薄暮れ

▲騒動のタイミング:(鈴)集結して舟をしばらく待った後 → (田)最後尾がまだ道路上にあるとき
▲暴動時平林の行動:(鈴)<記載なし> → (田)軍刀を振り回す

「前方で叫喚とも喊声」が上がるから「最後列まで一斉に狂乱」というのは不審な 展開である。崖と揚子江に挟まれた狭い道でいったい捕虜はどこに逃げるのか。平林氏 もどこに逃げるのか。捕虜と監視兵の比は4:1なので、ゴボウ刀、軍刀を持っていれば「逃げるのが精一杯」とはならないはずだ。



▲暴動終了時の光景:(鈴)では暗闇であり、スコールも月も出て来ない。(田)では5時半のスコール後に月が出て“鬼哭愁々”という。

この叙述からすれば平林氏の胸中にこの光景は刻まれたはずで ある。ところが(鈴)には出てこず、鬼哭愁々”だけが共通する。とすれば、この美文の叙述はまったく信用できない。

暴動の後にどうしたか、どう思ったかが書かれていない。  
 

(8)翌朝私は将校集会所で、先頭付近にいた1人の将校(特に名は秘す)が捕虜に帯刀を奪われ、刺殺され、兵6名が死亡、 10数名が重軽傷を負った旨を知らされた。(9)その翌日全員また使役に駆り出され、死体の始末をさせられた。作業は半日で終わったと記憶する。中国側の 死者1000−3000人ぐらいと言われ、(注《1》)葦の中に身を隠す者を多く見たが、だれ1人これをとがめたり撃つ者はいなかった。我が軍の被害が少 なかったのは、彼らが逃亡が目的だったからと思う。

▲殺害数:(鈴)千なんてものじゃなく、三千ぐらいあった → (田)1000−3000人ぐらいと言われ − 判断の主体が変わっている。 死体の数であるが、全員総出すなわち2000人で作業すれば、一人一体処理したか、二人処理したかの感じで概数を記憶するのが普通だと思われる。

▲「身を隠す者が多く」−初出。分速1mではって移動したと しても、6時間あれば3600m移動できる。身を隠すものを翌日見たというのはウソである。


 この証言では連行の際に最後尾にいて銃はもたず、軍刀を所持していたと具体的である。 しかし、砲兵中隊が「暴動・逆襲」の恐れのある捕虜を連行することは絶対にありえない。ゲートルで巻いたという証言も どこかで読んだような証言である。ありえない記述が加わったことにより、証言全体の信憑性が大幅に低下した。

暴動の発生と経過は依然として納得しがたい。暴動の後に何をしたか、何を思ったかも書かれていない。月が出た後の描写は絵空事である。 悲惨な感じを抱いたのはの二つの証言に過剰と思えるほど書いてある。しかし、具体的な記述に即していないので、その感情表現が上滑りになっている。  

 この証言を読んでも平林氏が連行に参加したという感じはやはり持てない。悲劇を見たのはおそらく、翌日の死体処理においてであろう。 それを当日の感情として書こうとするから無理が出るのだとしか思えない。

【 結語 】
 ここで、多少の他の資料を参照してみよう。ただし、資料は栗原利一証言と両角回想ノートだけでいい。これらはどちらも田中正明が幕府山事件を述べる上で 依拠した資料であり、田中正明の聞き取りを検証する上での外部からする批判にはならない。

 一言で言うとこの聞き取りは両角回想ノートと阿羅聞き取りによる栗原証言をつなぎ合わせるための接着剤であった。

 すなわち、鈴木聞き取りではなかったところの、非 戦闘員の釈放、火災時の捕虜逃亡、殺害少数説が付け加わった。これは両角両角回想ノートの内容の骨子である 。
 また、殺害当日では主として栗原利一氏の証言を取り入れた。ゲートルで縛った、道路上にいるときに騒動が始まったなどは栗原利一氏証言 の阿羅聞き取り版の内容が付け加えられた。

 

 ところが出だしのミスは面白い。「1万4000」の半数を「その場で」釈放したはずなのに、平林氏は1万4000人に食わせる食器さ がしにまず苦労したと言い、田中はここを編集しきれなかった。

 二つの資料とつなぎあわせるため、平林のオリジナルな証言は影を潜め、接ぎ木のような聞き取りが出来上がった。しかし、鈴木聞き取り との違いは大きく、これはもはや同一人が記憶を取り戻して言い直したというレベルではありえない。誘導尋問を駆使してもこうはならない。田中聞き取りが正 しければ鈴木聞き取りは大ウソであり、鈴木聞き取りが正しければ田中聞き取りは大ウソである。

 つまり、田中は実際に聞き取った内容ではもの足りず、強引に書き直し、創作したのである。このことは幕府山事件に関する「虐殺否定 派」の主張を維持するためにはねつ造をしなければならなかったことを示し、しかも、そのねつ造も至る所で破綻を生じているのである。
 

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