上海南駅爆撃の写真判定をめぐって(2)

オリジナル写真は何を物語っていたか


2008.2.4 first upload

  上海南駅のホームで泣く赤ん坊が「やらせ写真だ」という主張に根拠がないことを前ページで示した。しかし、「やらせ写真」ではない、ということも証明はされていない。さらに、巧妙にしつらえられた写真であり、赤ん坊をわざわざ移動して撮ったものであるということはまだ否定していない。
  下に、松尾、東中野が写真撮影の前の下準備をしている写真だと主張している写真を掲げる。ついでにここで、赤ん坊がいるのがホームの上であることを見ておこう。




これらの写真のオリジナルはH・S・ウォンのニュースフィルムである。ただし、オリジナルは容易に入手できない。したがって、まずは1937年の 『ライフ』『ルック』の写真をきちんと参照する必要があるだろう。ここで『ルック』誌のp52、53を示そう。

p52
写真1.赤ん坊の左腕が短いようにも見える
写真3.黒服の男は赤ん坊を抱くのではなく、腕を伸ばして赤ん坊を抱えている。
1 An Infant Survivor of the Japanese bombardment of Shanghai's South Station was found lying on the railroad tracks ()half hidden under the wreckage. Here a young Chinese man picks up the infant, starts for the opposite platform.
日本軍による上海南駅の爆撃後に線路上に瓦礫に半分隠れた形で乳児の生存者が倒れていた。中国人の男がこの乳児を取り上げ、向い側のプラットホームに連れて行こうとしている。

2 The Baby Howls as his rescuer picks his way through the wreckage. When the bombs struck South Station it was jammed with poor Chinese waiting to escape war-torn Shanghai on a train to the south. Two hundred were killed.
赤ん坊乳児は男によって瓦礫から救助される間もずっと大泣きしていた。爆弾が南駅を直撃したとき、駅は戦争による上海の破壊から列車で南へ逃れようとしていた中国人たちがひしめていてた。

3 They Near the Platform...
Two squadrons of 8 planes each bombed the station. At the same time, they bombed Nantoa, a native residential section of South Shanghai. A civilian section, Nantoa was totally unprepared for the raid and the planes flew away unharmed after the bombing. Previously the Japanese had announced they might issue a warning if Nantoa were to be bombed, but the actual attack came without warning.
3.プラットホーム近くの中国人たちは・・・8機の双発の飛行機はそれぞれ駅を爆撃した。同時に軍機は上海南部の居住区である南市を爆撃した。民間人地区であった南市は空襲への備えをまったくしていなかったし、軍機は爆撃後も何らの砲撃を受けなかった。以前に日本軍は南市を爆撃するときは予告すると言明していたが、実際にはなんの予告もしなかった。

注 railroad track はここでは「線路」と訳した。しかし、この言葉は軌道とホームまでを含めた言い方かもしれず、単なる軌道敷上ということではないかもしれない。
 

   赤ん坊の左腕がちぎれているのに注目!!
4 His Rescuer Leaves the Terrified Baby on the platform and returns to the wreckage to help other victims of the raid. Then a child and a man approach (above) to take the baby to a near-by first aid station. At the right lies the body of a 14-year-old boy, one of the 15 children found dead after the raid. In bombing Shanghai. Japan struck at China's largest wealthiest city. Planes also have bombed Nanking, China's capital.
4.恐怖に陥った赤ん坊を救助した男は彼をプラットホームに残し、爆撃による他の犠牲者を救助するために瓦礫の中へと戻った。そこでこどもと男は赤ん坊を近くの 応急処置救護所に連れて行くために赤ん坊の方に来た(上)。右の方には14歳の少年が横たわっており、それは空襲後に発見された15人の子どもの死亡者のひとりであった。上海の爆撃によって日本は中国の最も巨大にして富裕な都市を 攻撃したのであった。軍機はまた、中国の首都、南京をも爆撃したばかりである。
  p53
















写真5.

赤ん坊の左腕はちぎれている!
5 Lying on a Stretcher on a sidewalk, the baby receives first aid from a Chinese boy scout... Three weeks later, on the occasion of the Japanese bombing of Nanking, the governments. of the U.S., Britain, and France sent a note of protest to the Japanese government against the bombing of civilian populations. But aerial raids continue, with an increasing toll of dead Chinese, bombers and gunners, as well as Japanese, have been responsiblefor some of the deaths of innocent non_combatants--American and Euro-pean as well as Oriental--in this undeclared war. (International News photos)
5.歩道上で担架に横たわって、子どもは中国のボーイスカウトから応急処置を受けている・・三週間後、日本軍の南京爆撃の際にアメリカ、イギリス、フランス政府は日本政府に対して市民に対する空爆に反対する覚え書きを送った。しかし、空襲は続けられた−、この戦線布告なき戦争において、弔鐘が増え続けたことについて、日本人のみならず爆撃手、狙撃手は無辜の非戦闘員 の、−東洋人はもちろんのことアメリカ人であれ、ヨーロッパ人であれ−死亡に一定の責任を有する。

   『ルック』誌の写真1,2,3は東中野「検証本」の写真B,C,Eにほぼ相当し、写真4は「検証本」の写真2に相当する。新たな写真資料である写真5では赤ん坊の前腕の下半分がちぎれている。写真画像によって赤ん坊が重傷を負っていることは 見ての通りである。松尾の主張「赤ん坊に被害を受けた格好に扮装させた」というのはまったくの想像にすぎなかったことが明らかとなった。 たとえ、重傷を負った赤ん坊を、悲惨さを強調するために適当なところに座らせて撮影したとして、それは「演出された写真」とは言い得ても「やらせ写真」とまでは到底言えない 。
  では、「演出」の可能性はないのか。写真説明によれば、

4.恐怖に陥った赤ん坊を救助した男は彼をプラットホームに残し、爆撃による他の犠牲者を救助するために瓦礫の中へと戻った。そこでこどもと男は赤ん坊を近くの 応急処置救護所に連れて行くために赤ん坊の方に来た

とある。この説明はおそらくはウォンが提供したものであろうから、別の情報によって確認されなければならない。問題は「検証本」の写真Aと写真2の撮影順序にかかわっている。

  ウォンの撮影した画像情報の多く(あるいはすべて)がニュース・フィルム画像であると考えられている。そこで、キャスル・フィルムズが販売する映画フィルム『ニューズ・パレイド・一九三七年版』の画像情報を交えて検証する。
 

画像1.『ニューズ・パレイド・一九三七年版』より、東中野の検証を信じるWIKIのページにもほぼ同一の画像がある。
画像2.『ニューズ・パレイド・一九三七年版』より
画像3.『ニューズ・パレイド・一九三七年版』より
画像4.『ニューズ・パレイド・一九三七年版』より、「検証本」の写真Aに相当
画像5.東中野の検証を信じるWIKIのページより、「検証本」の写真2に相当
画像6.東中野「検証本」の写真D

  画像1−4は『ニューズ・パレイド・一九三七年版』からの画像であり、画像1.2.3.は連続しているが、画像4とは途切れており、この間にはなにがあったか、画像だけではわからない。
  画像1.には赤ん坊を運ぼうとする最初の画像であるが、そのとき黒い服の男の子は右側のホーム上にいる。とすれば、黒服の男は最初に赤ん坊、次に男の子を運んだことになり、その間赤ん坊が一人でいる時間帯があったということになる。それが画像4.だと 見ていいだろう。すなわち、「検証本」の写真の順序は写真A→写真2であると推定される。

  これに対して写真2→写真Aの順序であったとするには、
1.黒服の男が赤ん坊を運んだとき、すぐに白服の男が男の子を運んだ
2.その後に黒服の男がさらに負傷者の救出のために右側のホームに戻った
3.(ウォンの求めに応じて、)白服の男が男の子とともにいったん写真の枠内から去った
ということを証明しなければならない。
しかし、画像1,2で白服の男は腕を腰に当てて見守っており、自分から動こうとはしていない。また、男の子は画像6において、画像5と同じ位置にぼーと突っ立っており、いったん移動した様子は伺えない。

   したがって、「検証本」写真の順序は写真A→写真2であり、赤ん坊の救出劇は画像1−6の順序でいいことになる。また『ルック』誌の写真説明はこの順序に合致している。『ライフ』誌の写真の赤ん坊はまさしく、爆撃にあって親を失い、左腕に重傷を負ってひとり泣き叫んでいた。人々を感動させ た報道写真が得られた過程に作為はなかった。

さて、ここまでで東中野、松尾の写真検証に重大な問題があることが判明した。

3.写真のオリジナルに当たって検証する、という基本が出来ていない。

 これらの写真のオリジナルはH・S・ウォンのニュースフィルムがオリジナルである。ただし、このオリジナルは容易に入手できない。現在、商業的な作品として売られているビデオはフィルムの一部に過ぎない。したがって、まずは1937年の 『ライフ』『ルック』の写真すべてを参照する必要がある。東中野は『日軍暴行実録』、『バトル・オブ・チャイナ』「日本・世界の敵」などといった二次的な資料からの写真まで渉猟して見せているにもかかわらず、どうやら『ルック』誌の現物を参照していないようである。 もし、そうではなく、幼児が担架に乗った写真をひた隠しに隠してきたとすれば、極めて悪質である。

4.写真雑誌にある写真のキャプション、記事の情報をまったく無視している。

  「写真のオリジナルに当たれ」と「キャプションを重視せよ」は「プロパガンダ写真研究」の第一人者(!?)松尾一郎のスローガンであった。このスローガンは完全に正しい。しかし、東中野も松尾も自著の中で都合のいいときは写真にキャプションを付け、都合の悪いときにはキャプションをはずしている。その方針は上海爆撃の写真検証でもいかんなく発揮されている。

   写真に「謎」があったとして、それを最も効率よく補うのは写真のキャプション・説明文である。それを無視して写真の検証を行うのは正統なやり方ではない。もちろん、キャプション、説明文が常に真実であるか、といえば、そう とも限らない。他のすべての文書資料と同様、キャプション・説明文も検証を経て真実が確定される。しかし、 読者に紹介して判断を委ねるこもなく、紹介の上検証することもなく、ひそかに考察の対象からはずす、ということはもってのほかと言わねばならない。


  上海南駅で泣いている赤ん坊の写真が「やらせ写真」だとか、「演出された写真」だという主張はこうして、写真判定の基本を無視した、思いこみであることが確定した。しかし、この写真が「やらせ写真」だとか、情報戦で作られたものだというような主張は近年、ネット上で多数見られる。なぜ、このような主張がまかり通るのか、その背景なり原因についての考察がさらに必要とされる。

つづく