単なる写真検証あるいは東中野・松尾の写真検証に対する批判であれば、すでに前二編のページでいうべきことは尽きている。それが、そこで終わりにできないのは、この写真批判がもっと大きな捏造の一部であり、戦前から続く日本軍国主義のプロパガンダを継承し、さらに成長させるものであるからである。
藤岡、東中野、松尾らの「プロパカ゜ンダ写真研究」はすでに1995年頃から始まっており、サンケイ新聞の全面的バックアップを受けていた。

 

史実のわい曲や誤りが指摘されている中国系アメリカ人、アイリス・チャン女史(30)の著書「レイプ・オブ・南京」と同じタイトルの写真集「レイプ・オブ南京」(史詠氏著)に使われた赤ん坊の写真は、米国の反日宣伝映画「バトル・オブ・チャイナ」に写っていることが、25日までの自由主義史観研究会(会長・藤岡信勝東大教授)に設置されたプロパガンダ写真研究会の調べでわかった。研究会では今日26日、これまで進めてきたチャン女史の著書への検証作業を、東京都内で開かれる「反撃集会」で発表する。

 今回、明らかになったのは≪1937年8月28日正午、日本軍は上海南駅に爆撃を行い、待合室にいた200人あまりの人が亡くなり、けが人多数を出した。爆撃の後、血を流し泣きながら赤ん坊が1人残された≫とキャプションを付けた写真。
 入手先は米国の雑誌「ライフ」となっており、この写真の発表について同書では≪この写真は世界中を駆け巡り、日本の侵略による残虐行為に対し世界中から非難が集まった≫と説明している。
 この写真はライフ1937年の10月4日号に掲載され、同じ年のアメリカ雑誌「ルック」にも掲載された。しかし、ルックの写真では赤ん坊の横に男性と子供が立っている光景が写っており、ライフでは横の男性がカットされ、がれきに1人取り残された痛ましい姿のみが強調されている。
 写真は”日本の侵略”を批判するさいに再三、登場するが、大阪市にある戦争資料館「大阪国際平和センター(ピースおおさか)」では「上海爆撃 泣き叫ぶ子供」と題して展示してきたが、「爆撃後の市街に赤ん坊1人だけでいる姿が不自然」として撤去された経緯のある、信ぴょう性に疑問が指摘されていた。
 さらに米国で反日宣伝の目的で作られたやらせ映画「バトル・オブ・チャイナ」には、大人の男性がこの赤ん坊を抱きかかえ駅のホームから線路に運ぶシーンが出てくる。プロパガンダ写真研究会では「反日宣伝のやらせ写真を撮影するために現場を演出している課程が映像に写った」と判断し、今後もプロパガンダ写真の調査を続ける方針だ。(産経新聞・平成10年9月26日朝刊より)

東中野「検証本」と合わせると彼らはこういう主張を完成させるために運動している。
1.上海南駅の赤ん坊の写真はヤラセ、演出した写真である。
2.上海南駅の爆撃は正当な軍事行動である
3.この写真がアメリカ国民の反日感情を煽るために利用された。アメリカ参戦のために使われた。
4.撮影したウォンは国民党宣伝部の宣伝部員であった。
5.この写真はのちに南京大虐殺の写真として「虐殺肯定派」に使われた
6.この写真と同様に南京大虐殺の「証拠写真」がニセ写真であり、中国や「虐殺肯定派」によって作られたものである。南京でない写真も南京大虐殺の「証拠写真」として使われた歴史はここに始まる。


中国がやらせ・演出・にせ写真を撮る−情報戦を行うという例証にしようとしている
その証拠として王小亭が中国の宣伝部員であったとしている

南京大虐殺でもニセ写真を撮っていたという例証にしようとしている。

「大虐殺派」が上海爆撃の写真を「南京大虐殺」の写真として使ってきたと主張する

南京大虐殺においてもニセ写真が証拠として使われていた例証とする。日本の侵略のシンボリック・イメージとして使われたのは事実である。
上海爆撃は事実であった。民間人を狙った恐怖作戦として非難されても仕方のない軍事行動であった。上海爆撃がなければこの赤ん坊の撮影はなかったし、イメージ・シンボルとして定着することもなかった。

東中野は「イメージ操作があるから事実ではない」と歪曲しているが、これは誤りである。
上海爆撃は事実であり、



1.2.の主張が破綻していることはすでに述べた。






  


 

  東京朝日新聞によれば、日本側は「増援部隊の本拠」であると指摘している。また、南市を戦略基地としていると非難している。軍事目標として敵部隊を攻撃するのは正当である。しかし、南駅には中国兵はひとりもいなかったし、南市にもいなかったと中国側は声明した。欧米当局者もこれを確認している。中国兵が充満していたのなら、貨車に軍需品が充満していた、という推測も可能であろうが、一兵もいない駅に軍需品を満載した貨車が来るということはありえない。
   この爆撃については、駅を取り巻く避難民を中国軍部隊と見間違えた、という説明も見られる。仮にそうであっても、結果としては避難民が密集する鉄道駅を爆撃して、無辜の市民多数を殺傷するという悲惨な結末をもたらした。避難民を殺傷したことに対する、日本側の弁解は何もない。もちろん、予告がなかったという非難に対しては日本は一切答えていない。民間人の殺傷したという非難に対しては反論の余地がなかった、あるいは無視を決め込んだ 。国内においては民間人の殺傷についてはまったく報道されなかった。国内的には報道統制において日本に不利な情報を許さなかったとしても国際的には支持を失った。これは情報戦における敗北ではなく、国際間における日本の戦略そのものの敗北であった。

  軍事目標がないことを知ってしたのだとすれば、上海爆撃は市民に対する空からのテロル攻撃でしかなかった。
  この爆撃に前後して、南京、広東その他の都市爆撃が行われた。軍事目標を攻撃するという声明はあったが、戦場から数百キロ離れた都市に対する爆撃であり、当時の常識であった戦争行動の枠を越えていた。アメリカ、イギリス、フランスは日本軍の空襲を非難した。
  上海南駅の赤ん坊の写真は軍事的に日本より弱い中国に対する情け容赦のない、爆撃は各国の中国に対する同情と日本に対する反感を植え付けるものとなった。写真は単にその表象(シンボル)に過ぎず、実態は日本軍の非道な攻撃に対するレスポンスであった。




 



疑惑
  『ルック』誌の写真は赤ん坊がひとり、爆撃跡に泣いているという構図であり、当時からアメリカ人の間にあっても、作為的な写真ではないかとの疑惑が指摘された、ということは理解できる。この写真をめぐって、作為があるという指摘があること自体は言論の自由、批判の自由がある社会であることの証でもあり、特に問題とするに値しない。当時、この写真に疑いを表明する可能性があったのは、ライバルのメディア、写真家のライバル、アメリカが日本と中国の戦争にコミットすることを恐れる「孤立主義者」、日本の利益を擁護するものたちであろう。

作為的な写真とした場合、ではだれがその作為的な写真を作り上げたというのであろうか。
ウォンが送ったのはおそらく未現像のニュース・フイルムであろう。彼はハースト社に雇われている身であり、できるだけ画になって、話題性のある、新鮮なフィルムを届けることが仕事であった。かれが送ったのはニュースフィルムだけで、特別に撮影された写真などというものはなかった。ニュース・フィルムから衝撃的なショットを選びだし、必要なトリミングを施し、キャプションや説明を付けたのは『ライフ』社のスタッフであった。  

ところが、これらの証明をした論者はいずれも同じ3枚の写真を使っている。ジャパン・タイムズ、日本に・・を与えてはという小冊子、・・これは東中野の「検証本」の写真A、写真2、写真Dに相当する。これの写真は『ライフ』に使われたものではない。ニュース・フィルム・リールの中にしかないものであった。ということはなにものかがハースト系列の映画社のフィルムにアクセスをした、ということになる。はたして、ライバルの写真家や疑い深い孤立主義者が検証をするためにハースト系列の映画社が進んでこのフィルムを提供するだろうか。

あるいはまた、熱心な探索家がこのフィルム の全容を見たときに果たして、この映画フィルムがやらせなどと真実思ったであろうか。第一に「やらせ」の根拠とされた部分は黒服の男が赤ん坊を運ぶ部分とホームに白服の男、黒服のこどもと赤ん坊がいる部分である。ということはやらせの証拠になる部分をウォンはわざわざ撮影しており、しかもそれを堂々とハースト社に送ったということになる。このことを不思議に思わなかったのだろうか。第二にフィルムすべてを見れば、赤ん坊がホームに置かれるに至った経緯はわかったはずであるのに、都合のいい写真を取り出して解説してるいることである。

これらの証明は最初はアメリカ人に対して日本への敵視を緩和するために利用された。それが国内向けになったときには、中国がアメリカ向けに宣伝戦を行っているという文脈で語られるようになった。






上海爆撃の問題点
1.結果として民間人多数を死傷させたこと
2.日本軍が主張する中国軍部隊はいなかったこと
3.「軍需物資が入った貨車」という証拠はない。この主張は中国軍部隊がいなかったことから後で継ぎ足されたものではないかと思われる。
4.爆撃するときには予告をする、といっていたが、事前の予告はなかった。このことに関しては日本側は口をつぐんでいる。