現代の歌物語を書く

ふと口ずさむ流行曲の歌詞に、自分の思いを投影してしまうことってありますね。
今回の取り組みは、自分の好きな曲のメロディや歌詞から1つの物語を紡(つむ)ぎ出してみようというものです。

現代の歌物語を書く
 1994年9月。鎌田敏夫「会いたい」を読了後、高1の生徒たちが自分の好きな流行歌を素材にして創作に取り組みました。全5章。『研究紀要』第32号に発表。

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 鎌田敏夫の短篇小説「会いたい」の時間は、30過ぎの主人公・浩一の現在の恋と過去の2つの恋(大学時代の恋、高校時代の恋)をめぐる物語として流れている。そこでは、決して同じ時を共有しえないはずの3つの恋が、沢田知可子の歌う『会いたい』という曲を媒介として、1つに紡ぎ合わされていく。

 浩一の現在の恋人である真弓は、ボストンの大学への2年間の留学を希望し、2ヶ月前に渡米したばかりだった。浩一は、恋仲になって間もない時期に自分から遠く離れていった彼女に不信感を抱く。自分のことを愛していないのではないか、と。その不信感は、おそらく浩一自身気付いていないのだが、6年前、大学時代の恋人・恭子の前から(彼女の2度目の妊娠中絶を契機に)自分が逃げ出してしまったことに根ざしていた。あるいは、さらに遡って、15年前、高校時代の恋人・美知子をつき合いはじめてすぐ交通事故で失ってしまったという彼の心の傷に根ざしていたとも言える。

 真弓からの電話を待ちわびる浩一の留守電に、沢田知可子の『会いたい』という曲のワンフレーズが、2日続けて吹き込まれていた。彼はそれを真弓からの「会いたい」というメッセージだと思い込み、普段のはっきりものを言う彼女らしからぬやり方に胸を熱くする。しかし、週末の電話で真弓に冷たく否定され、浩一は彼女への不信感をいっそう強めてしまう。『会いたい』の電話はその後も何度か続き、浩一は意を決して恭子のもとに確認の電話を入れるが、例の電話の主は彼女でもなかった(恭子は浩一と別れた2年後に別の男と結婚し、既に子供も生まれていた)。浩一は恭子に示唆され、『会いたい』の歌の文句が美知子との思い出と重なり合うことに気付いていく。「誰かが、昔のことを、おれに思い出させようとしているんだろうか?」――例の電話の主が真弓でも恭子でもないとすれば、浩一に思い当たるのは、もはや美知子しかいなかった。

 『会いたい』を契機として自身の過去の恋に向き合っていく中で、不信感の欠片もなく相手をまっすぐに見つめることの出来た高校時代の自分を、やがて浩一は取り戻していくことになる。それは、高校時代の恋によって受けた心の傷や大学時代の恋への罪悪感が、恭子による、

    「私は、何度もあなたに会いたいと思ったわ。会いたい、会いたいって、日に何度も思ったこともある。でも、私とあなたのことは、この歌みたいにきれいなものじゃないもの」/「おれのこと恨んでるだろ?」/「別れたときはね。でも、今となっては、いい思い出」/(中略)/「幸せなのか、今?」/「ええ」/「そうか」
という赦しとともに、癒されていく過程でもあった。付言するならば、浩一ばかりでなく、恭子もそうであったが、さらには真弓もまた、
    「私、あの曲を何度も何度も聞いてたのよ、ボストンで。あなたに会いたい、会いたいって思いながら」
と、『会いたい』という曲を媒介として、自身の「会いたい」気持ちに向き合っていくのである。かくて、「両方の気持ちがしっくりしない」まま真弓と離ればなれになった浩一ではあったが、彼を心配して突如帰国した真弓と「しっくりとしたくちづけ」を交わし、物語は幕切れを迎える(注1)。

 鎌田敏夫「会いたい」は、『野性時代』(角川書店)1994年2月号に発表後、角川ホラー文庫『見知らぬ私』(1994年7月)に収載されている。この小説を教材として取り上げたのは同年の9月、高1普通科・国語T「現代文」(3単位)の授業においてであった。いま、「会いたい」の授業の全容をあげておくならば、担当2クラス(4組・男子45名、5組・男子44名)とも、概ね、次の通りである。

    第1時限目=50字文、プリント1の読解。
    第2〜7時限目=プリント2〜9の読解。
    第8時限目=プリント10の読解、感想文(300字文)。
    第9時限目=読解のまとめ。歌物語に関する説明、構想メモ用紙および下書用紙配布(自分の好きな歌を自由に選び、その歌詞を次時限に用意)。
    第10時限目=「歌物語」下書作業(清書は次時限に提出)。
 なお、この小説の読解にかかわる第1時限目から第9時限目の授業展開については別稿(注2)に譲ることとし、本稿では、「会いたい」読解後の第9時限目から第10時限目の取り組みについてまとめておきたいと思う。


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 第9時限目。「会いたい」の読解のまとめを終える頃には、既にこの時限も過半以上が過ぎていた。手早く〈現代の「歌物語」を書こう!〉と題したプリントを配布し、以後の取り組みについて生徒たちに説明していった。プリントの内容は次のようになっている。

    ▼鎌田敏夫の「会いたい」は、沢田知可子の『会いたい』という歌をテーマとして紡ぎ出された小説だった。▼実を言うと、こういう物語の作り方は、決して新しいものではない。なんと、みんなが知っている古典「伊勢物語」なんかも、その1つ1つの物語の多くは作品中に織り込まれた歌をめぐるものとして作られているんだ。▼ここで、少しカタイ話をしておこう。例えば、みんなの古典編の教科書に載っている大伴家持の歌は、次のようになっている。

    三年春正月一日、因幡国の庁にして、饗を国郡の司等に賜ふ宴の歌一首

    新しき年のはじめの初春の今日降る雪のいや重け吉事

    ▼下線を引いた部分を歌の「詞書」と言う。詞書っていうのは、歌の詠まれた事情や対象などを書き記したもの。この部分が長くなって物語化されたのが、「歌物語」と呼ばれる作品であると考えてもらってもいいと思う(かなり大ざっぱな説明ではあるけどね)。▼さて、そこで、今回のキミたちの取り組むべき課題だが、自分の好きな歌を1曲選んで、その歌をめぐる物語を書いてもらおうということなんだ。次の授業までに、自分の選んだ歌の歌詞をコピーまたは書き写してくること。その際に、作詞者・作曲者もチェックしておく(例えば、『会いたい』ならば、「作詞=沢ちひろ、作曲=財津和夫、編曲=芳野藤丸」となっている)。▼作品の字数は700字以上1200字以内とする。短い物語なので、鎌田敏夫「会いたい」のように歌詞を文中に引用することはせずに書いてほしい。▼物語の題名は、歌の題を取って、例えば「さよなら人類(たま)」というかたちにし、カッコ内には歌手の名前を入れることにする。

このプリントのほか、生徒たちの手許には〈現代の「歌物語」を書く!/構想メモ〉、〈現代の「歌物語」を書く!/下書用紙〉と題した2種類のプリントがわたっている。前者の内容は、

    (1)選んだ歌
    (2)歌手
    (3)作詞者・作曲者・編曲者
    (4)歌詞(コピーを貼り付けるか、書き写すこと)
    (5)登場人物(だれが、だれと)
    (6)場面(いつ、どこで)
    (7)事件(何をして、何が起きて)
    (8)結末(どうなった)
というもので、後者は原稿用紙である。

 生徒たちは、既に1学期後半の段階で「羅生門」の続編を書くという取り組み(注3)をこなしてきている。とはいえ、それは300字のものであったから、今回は700字以上ということで分量的には倍を越える、いわば前回の取り組みの応用編でもある。

 第10時限目。最終時限を迎えた教室は始業のチャイムを聞いてもまだ騒然としていたが、それはこれから取り組む作業に向けての騒ぎである(きちんと歌詞の書き写しあるいはコピーの貼付をしてきた者、他の生徒からコピーのお裾分けにあずかっている者、自分の記憶の中から何とか歌詞を掘り起こそうとしている者、お互いの選曲を確認し合っている者など)。

 私はまず1人1人が歌詞を用意できているかどうかチェックした上で、構想メモの作成と下書に入るよう指示した。「歌物語」の構想を相談し合う者、人の構想メモをのぞき込んで難癖をつけている者、早々に下書に取り組んで自身の会心作(?)の冒頭部分を周囲に読み聞かせている者……、騒然とした雰囲気は相変わらず続いたが、時限の半ばを過ぎる頃にはそれもやや落ち着き、多くの生徒が自分の下書用紙に向き合っていく。もちろん、生徒たちの作業に遅速の差があることは言うまでもない(時限の終わる頃には早くも清書にとりかかる者のある一方で、まだ構想をまとめあぐねている者もある)。とりあえず、時限終了5分前の段階で、〈現代の「歌物語」を書く! 清書用紙〉と題した原稿用紙を全員の手許に行きわたらせ、次の時限に清書を提出してもらうことを伝えた。

 生徒たちの〈現代の「歌物語」〉で最も多かったのは、男女の恋愛を題材としたものである。彼らの作品群が(TVドラマや漫画や小説などにみられるような)所謂「物語の定型」に掬〔すく〕い取られてしまっていることを指摘し、それをステレオ・タイプと断ずることはたやすい。また、指定字数の問題もあろうが、全般に気分的・雰囲気的なものに流れている点も否定しがたい。しかし、それでもなお、彼らが書くことを楽しんでいる姿や、それを楽しむ中で彼らの表現が前回よりも(徐々にではあれ)確かなものとなってきていることを看過したくないと私は思う(注4)。次に、彼らの手になる〈現代の「歌物語」〉のいくつかを掲出する。


/注/
(1) 『会いたい』という曲を浩一の留守電に吹き込んだのは、真弓だった。しかし、彼女がそうしたのはただの1度だけだと言う。また、浩一のマンションの踊り場で、真弓は制服姿の少女・美知子が自分に「今日は」と挨拶して階段を降りていくのに遭遇したことを告げる。物語は幕切れを迎えるが、それでもなお、次のような2つの謎は、解決を与えられぬまま残ることになる。
 ○ 結局のところ、2度目以降の『会いたい』の電話の主は誰だったのか。
 ○ 真弓が踊り場で会った制服姿の少女は誰だったのか。仮にその少女が美知子だとすると、彼女はなぜ浩一にではなく真弓に会いに現れたのか。
 このことは、鎌田敏夫「会いたい」をめぐる読解上の問題としてあるが、既に(注2)拙稿に取り上げたので、ここでは、あくまでも参考のため、第8時限目に生徒たちに書いてもらった300字文の中の1つを掲出するにとどめておく。
     「会いたい/将之・B/僕は美知子がなぜ真弓にあいさつをしたのかを考えた。『会いたい』を読んでいると、だんだん謎がとけてきた。1つ目は真弓がボストンから帰ってきて、浩一は1人じゃなくなるから、美知子は真弓に交代、後をよろしくという気持ちをこめてあいさつをしたこと。2つ目に考えられるのは、美知子は制服姿ということと写真と同じ姿や顔で変わりがないことから幽霊と僕は思う。最後に電話のことについて考えてみると、1度目の電話は真弓だったけれど、後の2回は誰なのかというと、浩一に会いたいと思っている人は真弓以外には、美知子がつきあい始めてあまりたたずに死んでしまって、ずっと浩一のそばで生きていたいと思っていたから、浩一の電話に会いたいという曲を入れたと僕は思う。」

(2) 拙稿「鎌田敏夫『会いたい』の授業」(『同志社国文学』第43号、1996年1月)。

(3) 1992年度に同じ作業を試みたことがあり、その取り組みについては、拙稿「高1国語(現代文)・『羅生門』の続編を書く」(『解釈』第39巻第10号、教育出版センター、1993年10月)にまとめた。なお、同稿は『国語フォーラム』第71号(小学館、1994年6月)、『芥川龍之介「羅生門」作品論集成』(近代文芸作品論叢書12、大空社、1995年11月)に再録されている。

(4) 初発感想(50字)の一覧をプリント化して配布すること、彼らの感想文や作品を(その巧拙に関係なく)読み上げること、学級通信や教科通信の紙面に彼らの作品を掲載すること――彼らの作品を国語教室へ還元するこうした作業の際、私はいずれの場合でも、その1つ1つの感想や作品の「面白い点」についてコメントすることにしている。それなりの時間と労力は要するものの、これを繰り返していると、学期が進むにつれて生徒たちの書くことに対する姿勢は少しずつ変わってくる。


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