鎌田敏夫「会いたい」を読む

主人公の留守番電話に沢田知可子の歌う『会いたい』が吹き込まれていました。
誰が吹き込んだか解らぬ留守電をめぐって、意外な展開が……。
せつなくて優しい現代の歌物語を読み解いていきます。

鎌田敏夫「会いたい」を読む
 愛知私教連主催の「第3回授業改革フェスティバル」で、初対面の生徒たちを相手におこなった公開授業です。授業後の参加生徒・参観教員のアンケートも掲載しました。全4章。『解釈』第42巻第5号に発表。

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 1996年2月25日。愛知私教連(愛知県私立学校教職員組合連合)主催の「第3回授業改革フェスティバル」(於・愛知県豊川市私立豊川高等学校)で、《授業の鉄人》と銘打った公開授業の1つを担当する機会を得た。

 鎌田敏夫の短篇小説「会いたい」(注1)は、1994年度に勤務校の高1の生徒たちと共に授業で取り組んだ教材である。その折に8時限ほどかけた読解の作業(注2)を、今回は(初対面である愛知の高校生たちを相手に)1時限でやってしまおうという試みであった。なお、このことについては、公開授業の始業時にも触れた。当然ながら授業の形態も、前者と後者とでは、まったく異なるものとならざるを得ない。さらに付言しておくならば、前者は生徒たちの(自分の好きな歌をモチーフとして)「現代の歌物語を書く」という作業(注3)によって完結する取り組みであった。

 私に与えられたのは、第2校時(午前11時始業)の60分間である。ただし、第1校時(午前10時始業)がずれ込んだこと等もあり、私の始業は15分遅れとなった。司会者による私の紹介、音楽テープを聴くのに5分間、小説本文の通読(生徒各自の黙読による)に要する20分間――これらを除くと、読解作業に割くことのできる時間は30分程度しかない。多少の時間超過は構わない由ではあったものの、私がこの公開授業を終えたのが12時35分であるから、読解の作業に50分を費やしたわけで、結局、今回は1時限80分間の取り組みということになった。



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 公開授業では、導入の段階で、まず、生徒たちに沢田知可子の歌う『会いたい』という曲、
    A/ビルが見える教室で/二人は机、並べて/同じ月日を過ごした/すこしの英語と、/バスケット、そして/私はあなたと恋を覚えた
    B/卒業しても私を/子供扱いしたよね/『遠くへ行くなよ』と/半分笑って、半分 真顔で/抱き寄せた
    C/低い雲を広げた冬の夜/あなた 夢のように/死んでしまったの
    D/今年も海へ行くって/いっぱい映画も観るって/約束したじゃない/あなた 約束したじゃない/会いたい…
    E/波打ち際すすんでは/不意にあきらめて戻る/海辺をただ独り/怒りたいのか、泣きたいのか/わからずに歩いてる
    F/声をかける人をつい見つめる/彼があなただったら/あなただったなら
    G/強がる肩をつかんで/バカだなって叱って/優しくKissをして/嘘だよって抱きしめていて/会いたい…
    H/遠くへ行くなと言って/お願い一人にしないで/強く、抱き締めて/私のそばで生きていて
    I/今年も海へ行くって/いっぱい 映画も観るって/約束したじゃない/あなた 約束したじゃない/会いたい…
    (作詞=沢ちひろ、作曲=財津和夫、編曲=芳野藤丸)
を聴いてもらい、ここには「学生時代につき合っていた恋人と死別した女性の、死んでしまった彼に寄せる切々たる想い」が綴られていることを確認した。さらに、鎌田敏夫の短篇小説「会いたい」の時間が、周知の古典「伊勢物語」などと同様、作中に織り込まれた歌をめぐる物語として流れていること、すなわち、この『会いたい』という曲が小説「会いたい」の主題と密接に絡み合うものであることに触れる。

 その上で、私は彼らに次のような注文をつけ、小説本文の通読(黙読による)に入るよう指示した。――小説「会いたい」には、浩一という主人公をめぐる(現在の恋人である真弓、大学時代の恋人だった恭子、高校時代の恋人だった美知子との)3つの恋が描かれている。同じ時を共有しえないこれら3つの恋が作中でどのように結び合わされていくのか、という点に留意しつつ読み進めてほしい――と。

 小説本文は文庫本30頁におよぶ分量である。生徒たちの黙読の遅速の差を考え、20分間をいちおうの目安として設定した。その間、沢田知可子の『会いたい』が(20分テープで1往復、都合4回)BGMとして流れている。読み終えた生徒たちには、順次、短冊型の用紙に初発感想を記入して私の方に提出してもらい(初発感想用紙は、生徒の読了確認・指名のための姓名確認・以後の授業展開の決定、という3つの用に供することになる)、早めに読了した彼らが時間を持て余し過ぎないように、初発感想がある程度出揃った時点で、次の2つの発問を板書しておいた。

    1.真弓の言葉を信じるならば、結局のところ、2度目以降の『会いたい』の電話は誰のしわざだったのだろうか。
    2.真弓が踊り場で会った制服姿の少女は誰か。仮にその少女が美知子だとすると、彼女はなぜ浩一にではなく、真弓に会いに現れたのだろうか。

 以後の授業展開として、少なくとも2様のパターンを想定しうるだろう。それは、作品世界の現在時制における不在者(死者)である美知子の存在を生徒たちが認めるか否か、という1点にかかっている。すなわち、右の発問1.に絡めて言うならば、彼らの読みが「2度目以降は美知子のしわざ」、あるいは「2度目以降も真弓のしわざ」のいずれに傾くかということだ。後者の場合であれば、真弓の恋の手管とそれに翻弄されていく浩一の姿を捉え、人の心の底知れぬ深淵(あるいは闇)の怖さを読み解いていくことになる。ただし、今回は、以下に掲出する生徒たちの初発感想からも窺えるように、前者の読みに立った授業展開のパターンを選ぶのが適当であると判断した。

    ○嘉規・I(高2)この話は、留守番電話に入っていた曲をめぐってのことで、さまざまな思いが複雑に絡んでいたので分かりにくかった。
    ○剛臣・H(高2)変わっている話だった。一度解決を見せたか、と思った話が再び最後で一転した。その後どうしたのだろうか、と思うような話だ。
    ○薫・S(高1)好きな人に一秒でも多く会っていたいというのは誰でも同じだと思う。不安やいき違いも多いけど、離れた人ならなおさら切ない思いをしていると思う。
    ○香代・S(高2)自分の気持ちを伝えようと一生懸命な女性の心情が「会いたい」という曲でとても強く感じられ、女性として感動しました。
    ○智江・M(高1)浩一が自分のことを忘れてしまったことが美知子は悲しかったんじゃないかな。高校時代のことを思い出す辺から少し感動的。
    ○健太郎・S(高2)現実にはありえないけど、なんか現実味がある。真弓の暖かい心にほのぼのする部分と、美知子が現れる、ぞっとする部分が面白い。何か心に残しながらもさわやかな印象をもった。
    ○誠・K(高1)死んでしまった恋人の思いが、今そのときの心の中の穴を思い出してしまったためのなぐさめではないだろうか。
    ○直路・K(高2)死んだはずの人が、ある日突然恋人の所にやってくるなんて信じ難い話だが、死んだ人の会いたいという気持ちが伝わってくる。
    ○敬佳・F(高2)思いの強さみたいなものが伝わって来た。その思いは生きていても死んでいても変わらないものなんだと思った。
    ○真由美・I(高1)死んだはずの女性が会いたいという思いで現れたのには少し怖い気がしたが、そんなけなげな恋も何だかいいなって思いました。
    ○宏美・N(高2)電話がゆっくり切れたり、白いワンピースとか、部屋の空気とかが曲の雰囲気と合っていて、すごくこわい。
    ○喬道・S(高1)すごく悲しいと、とても恐い、というのが心に残った。必然とも偶然ともいえないような、どうしたらいいのかわからなくなる、そんな気がした。
    ○重夫・K(高1)古の日本みたいに歌に気持ちをこめて贈るのは想像の世界に入って楽しいと思う。美知子の霊だとしたら、なぜ今ごろと思った。
    ○美樹・O(高1)とても興味のわく内容の話だった。死んだはずの美知子に真弓が会ったと言う所で、とてもびっくりした。きっと何かあるのだろうと思った。
    ○和良・I(高2)美知子は浩一に会いたいと同時に真弓とうまく心が通じていない浩一の事を心配して、二人の思いをつなげようと曲をかけたと思う。
    ○睦美・O(高1)こわかった。だけど、会いたいという歌で、美知子が、この仲をとりもったような気がする。
    ○絢香・I(高2)美知子は浩一のことをすごい愛していたと思う。真弓も浩一に会いに帰ってくるなんて浩一はとても幸せ者のように思える。イイナ。
    ○三四郎・T(高1)自分の気持ちを真実として受け入れた時、その事が心から離れなくなる。そして、その心を如実にあらわしたのだと思う。
    ○秀幸・S(高2)死んだ人が会いに来た。しかも浩一にではなく真弓に。きっと美知子の心はこの歌とともに生きていて、この心を伝えたかったのだろう。真弓がボストンから突然会いに来たように。
    ○友宣・S(高1)二度目以降は死んだと思っていた美知子が生きていて、もう一度会って話をしたいと思って電話に『会いたい』を入れた。
    ○庸子・O(高2)空想的で不思議な話だと思った。このような曲も、よく聴くと一つの話になっているんだなあと思った。現実ではありえない所が気に入った。

 発問1.に関しては、2度目以降の電話の主を美知子だとするのがほぼ全員の共通理解である(だとすれば、当然、発問2.の少女が美知子であるというのも共通の前提となる)ことを言明して、発問2.に関する意見を数名の生徒たちに求めた。いくつかの初発感想でも既に言及されているごとく、浩一の現在の恋人がどんな女性なのか(あるいは真弓の気持ち)を確かめるため、浩一のことを彼女に託すため、といった答えが即座に返ってくる。そこで、恭子との交際時代にはおそらく現れなかったであろう美知子が、なぜ真弓の前には姿を見せたのだろうか、と問いかけた上で、3つの恋を浩一の側から端的に捉えた表現を板書――真弓=「不信感」/恭子=「強烈な思い出」/美知子=「淡い初恋の思い出」――し、さらに「歌の文句は、そのまま美知子と浩一の高校時代のことだった。」という叙述を指標として、沢田知可子『会いたい』と小説本文の対照作業に入っていった。

    歌詞A/バスケットコートできびきびと走りまわっている姿が印象的だった。……学内の英語弁論大会で、シャープな英語をしゃべり抜いた。 歌詞B/「遠くへ行くなよ」/浩一も、美知子に言ったことがある。
    歌詞C/美知子は、……交通事故に遭ってしまったのだ。
    歌詞D/ 「また、海へ来ようね」/と、その時に約束をしたのだ。/「試験が終わったら、いっぱい映画も観よう」
    歌詞E/怒りたいのか泣きたいのか分からずに歩いたのは、歌の文句のままだった。
    歌詞F/該当個所なし。(「美知子!」/自分でも気がつかずに、浩一はそんな言葉を発していた。/「美知子なのか!」電話は、ゆっくりと切れた。)
    歌詞G/砂浜で、浩一は、美知子と初めてのキスをした。
    歌詞H/「柏木くんこそ、遠くに行かないで。私のそばで、ずっと生きていてほしい」
    歌詞I/歌詞Dに同じ。

 『会いたい』が美知子から浩一へのメッセージであるとすれば、歌詞C「あなた、夢のように/死んでしまったの」(や歌詞E)に該当するのが、美知子の側の現実ではなく浩一の直面したそれであることは不自然ではないか。――そんな疑問を喚起して、先の板書にたち返る。

 真弓は現在ボストンの大学に留学中である。「恋仲になったばかりの時に遠くに行ってしまうというのは、自分のことを愛してないのではないか」との思いを浩一は彼女に対して抱いていた。そんな浩一の「不信感」は、(彼自身、気付いていないのかも知れないが)かつて2度目の妊娠中絶を契機に恭子の前から自分が逃げ出してしまったことへの罪悪感の裏返しであり、さらに遡れば、つき合いはじめて間もなく美知子を交通事故で失ってしまったという彼の心の傷に根ざすものであった。また、「争いもし、仲違いもし、激しく愛し合ったりもした」真弓との「強烈な思い出」は、美知子との「淡い初恋の思い出」をいつか記憶の彼方へと押しやってしまっていた。

 美知子との恋について問うと、何の疑いもなく相手に向き合うことのできた浩一の姿を生徒たちは指摘してくれた。だとすれば、真弓への「不信感」に満ちた現在の浩一は、当然ながら高校時代の彼ではない。このことを美知子の立場から捉え返すならば、あの頃の浩一はいまはいない、つまり「死んでしまっ」ていると言えるだろう。

 かくて、「死んでしまった」浩一に「会いたい」という美知子の想いは、『会いたい』という曲を媒介として、後に明かされる真弓の想い、 「私、あの曲を何度も何度も聞いてたのよ、ボストンで。あなたに会いたい、会いたいって思いながら」ともシンクロしていく。のみならず、留守電に吹き込まれた『会いたい』をきっかけに自身の過去の恋に向き合っていく中で、不信感の欠片もなく相手をまっすぐに見つめることの出来た高校時代の自分を、やがて浩一は取り戻していくことになる。それは、大学時代の恋への罪悪感が、「私は、何度もあなたに会いたいと思ったわ。会いたい、会いたいって、日に何度も思ったこともある。でも、私とあなたのことは、この歌みたいにきれいなものじゃないもの」/「おれのこと恨んでるだろ?」/「別れたときはね。でも、今となっては、いい思い出」/恭子は言った。/「幸せなのか、今?」/「ええ」/「そうか」という恭子による赦しを得るとともに、高校時代の恋によって受けた心の傷が癒されていく過程でもあった。だからこそ、「両方の気持ちがしっくりしないまま」離ればなれになった浩一と真弓は、彼を心配して突如帰国した彼女に、「おれは、きみに会いたいって、ずっと思ってたんだ」と、浩一が素直に告げることのできたとき、「久しぶりにしっくりとしたくちづけ」を交わすことになる。


/注/
(1)鎌田敏夫「会いたい」の初出誌は、『野性時代』(角川書店)1994年2月号。後に角川ホラー文庫『見知らぬ私』(1994年7月)に収載されている。ここでは、文庫収載本文を用いた。
(2)この授業の詳細(教材選定の基準、年間授業計画の中での位置づけ、授業展開、生徒たちの感想、等々)については、拙稿「鎌田敏夫『会いたい』の授業」(『同志社国文学』第43号、1996年1月)にまとめている。
(3)この授業の展開や、生徒たちの手になった歌物語については、拙稿「現代の歌物語を書く――鎌田敏夫『会いたい』の授業(二)――」(『研究紀要』第32号、1995年12月)にまとめている。

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