鷺沢萠「ほおずきの花束」の授業

これから本腰を入れて受験勉強をしなければ、という時に大好きな男の子にふられてしまった主人公。その後も憂鬱な事件が続くのですが……。「ほおずきの実」なのに、なぜ「花束」なのでしょうか。標題にこめられたテーマを読み解いていきます。

鷺沢萠「ほおずきの花束」の授業
1996年11月。推薦入試受験であわただしい中、じっくりと作品の表現を捉えながら読むという作業の再確認に取り組みました。この作品の前後がちょうど10時間に及ぶ教材(前が松井やよりのルポ「魂にふれるアジア」で、後はデビット・ゾペティの小説「いちげんさん」)でしたから、少し息抜きにもなったのでした。全4章。『解釈』第44巻第4号に発表。

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     「あの、ほんとにありがとうございました」――そう言って頭を下げた途端、唐突に冷たい涙が滝のように夏代の頬を流れ落ちた。彼女は自分の涙に戸惑いながら、眼前の老人に「お礼です」と叫ぶように告げてほおずきを渡すや、一目散に駅へと続く坂道を駆け昇った。老人は驚いた顔で彼女の後ろ姿を見送っていた。……心臓がばくんばくんと音を立てた。終わりかけた夏の風が夏代の頬をすべっていった。/そう思ってしたことでなくとも、 優しさとか善意とかいうものは確かに人間を救うことがあるん だな。わけのわからなくなった頭の中で、夏代はそんなことを 考えていた。/何か月ぶりかで走った。何か月ぶりかで身体が 汗のぶんだけ軽くなり、そのぶん心も軽くなった気がした。

 これは、うっかり財布を落としてしまった主人公がそれを交番に届けてくれた老人の家を訪ねた場面で、短篇小説「ほおずきの花束」のラスト・シーンでもある。このとき、彼女が戸惑いや救いを感じたのには、それなりの経緯と理由があった。

 夏代は来春に受験を控えた高校3年生である。この夏休みは彼女にとって「最低最悪のもの」となるのだが、財布の遺失は彼女を襲った一連の「悪いこと」の最後に起こった。「1学期最後の模試で、史上最悪の結果を出した」のを皮切りに、終業式前日の「遊び仲間たちとのコンパ」では大好きだったオーノ君に勇気を出して告白するも見事にふられてしまう。参加した夏期ゼミの「授業にはまるで身が入らず」、やがて五月の誕生日に買ってもらったばかりのウォークマンが故障した。買った店に電話すると本店でなら無償修理できるというので川向こうの本店までわざわざ出向く羽目になるが、その折にキャッシュカードと原付免許入りの財布を落としてしまったのである(さらに、そのことで母親には「こっぴどく叱られ」る)。

 そんな中でも、夏代にとって「いちばんイヤなこと」(あるいは「いちばんマズイこと」)は、初めての「フラれるという経験」であった。そのことで彼女は「思いきり落ちこんでしま」い、「嵐のような激しい後悔」に襲われていた。「どんなことが起こっても、これ以上悪い状態にはなり得ない」、「もう自分には、良いことなんて何にも起こらないような気がした」という心境の彼女に、蓋し「悪いこと」は「続けざまにやって来」た。

 ところで、ほおずきも春には花を咲かせるというが、私の幼少期の記憶を辿ると、それはむしろ(秋の季語とされる)朱色の実の鮮烈な像を伴って心に浮かんでくる。この短篇小説も同じイメージによって彩られていることが、次のような箇所――主人公が老人の家へ向かう場面である――から窺えよう。この箇所は同時に、「ほおずきの花束」という標題に関わる直接的な記述でもある。

    駅前から銀杏の並木道をずっと歩いていくと、途中にある花屋の店先に明るいオレンジ色の花が咲いていた。何の花かと思って近寄ってみると、それは花ではなく少し早いほおずきの実 だった。夏代はほおずきを買った。愛想のいい店のおばさんが、 「少しおまけしときますね」と言いながら一本余分に持たせてくれた。/夏代はほおずきを花束のように抱えながら並木道を 歩き、坂道を下り、昇り、また下った。

 主人公の目を射た「明るいオレンジ色の花」は、実は「ほおずきの実」であった。それを買い求めた彼女は「ほおずきを花束のように抱え」て老人の家をめざした。この場面に即して言えば(とりわけ「ほおずきを花束のように」という表現に留意するならば)、作品の標題「ほおずきの花束」は〈ほおずきの実〉の〈花束〉の謂となり、ある種のねじれを孕むものであることが知れる。あるいは、〈ほおずきの実〉を〈花束〉のように抱えた夏代の姿を含意していると考えてもよいのだが、いずれにせよ、だとすればなぜ〈ほおずき〉の〈花束〉なのかという根本的な問いはそのまま問われ続けることになる。はたして、この標題は小説の展開といかに照応し、何をしるしづけているのであろうか。


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 「最初読んだ時、はじめの方に『どんなことが起こっても、これ以上悪い状態にはなり得ない』と書いてあって、僕はどんなことが起こるのだろうと思っていた。でも、これといって大きな出来事があったわけでもない。」(哲朗・Y)、「私が夏代の気持ちがわかると思ったのは、私自身がよくそういう気持ちにすぐなってしまうからだ。一つ一つを取り上げてみると大した事はないのだが、しかしそれらは、何気ない事で解決するものである。」(晋也・T)、 「ほおずきを買った時おまけしてもらったのも明るい気持ちだったからだ。不幸だ不幸だと思っている時より明るい気持ちでいる時の方が良い事が起こる。本人の気持ちが自分を幸福にするか不幸にするかを決めるのだろうと思った。」(健一・S)、「僕もこれに似た経験がある。でも、今悪いことが続いても、頑張っていれば必ずいいことが起こるというように、常にプラスの方に考えていくことが大事だと思う。」(尚史・K) といった生徒たちの感想が正しく言い当てているように、主人公の身にふりかかった「悪いこと」は、傍目に見れば些細な出来事ばかりであり、結局のところ、「本人の気持ちの持ち方の問題」(角川文庫「解説」)でもあった。

 それでも、すっかり「落ちこんでしま」った主人公は、財布が交番に届けられていたという、これまた些細な出来事のおかげで「久しぶりに他人に優しくされたような」気分になる。「明るいオレンジ色の花」に心惹かれたのも、老人と対面した後に「心も軽くなったような気がした」のも、彼女の「気持ちの持ち方」が変わったからにほかならない。《陰から陽へ》という主人公の心境の変化は一読してすぐにわかるのだが、授業では彼女を取り巻く周囲の人々の反応を拾い上げて確認していくことにした。 なお、作品の語り口は、「夏代は……」と第三者的に語りながらも、引用Iを除けば、ほぼ主人公の内面に寄り添ったものとなっている。

    Aオーノ君は困った顔で少し笑い、言ったのだ。/――ごめん、おれ俺、好きな子いるから……。
    B親友の綾は、思いきり落ちこんでしまった夏代を見て、「今までフラれるという経験をしなかったのが悪い」と言った。
    C「……ばかやろお」/思わず低く呟くと、隣りに立っていたサラリーマン風の若い男が、驚いた顔で夏代を見た。
    D「どこにあンですか、その本店っていうのは」と不機嫌な声で訊くと「は、武蔵小杉です」と恐縮しながら答えた。
    E母親にこっぴどく叱られ、取りあえず銀行と郵便局に電話してキャッシュカードの取引停止手続きをした。
    F「あー、届いてるよ、それ」/若いお巡りさんは机の引出しから、こともなげに夏代の財布を取り出した。
    G「良かったねえ、無事戻ってきて」/年とった方がニコニコしながら言った。
    H愛想のいい店のおばさんが、「少しおまけしときますね」と言いながら一本余分に持たせてくれた。
    I「あの……藤原俊造さんですか」/「そうですが」/老人は不思議そうに、ほおずきの花束を抱えた奇妙な女の子を見つめた。
    J「あの、あたし、お財布拾ってもらった者なんですけども……」/「ああ」/老人は合点がいったように頷いた。
    K夏代は「お礼です」と叫ぶように言ってほおずきを老人に渡し、驚いた顔の老人と犬に「さよならっ」と言った。
 まずは引用A−Hをみてみよう。なお、A・Bは失恋、C・Dはウォークマンの故障、E−Hは財布の遺失にそれぞれ関わる箇所である。

 周囲の人物の言動が(夏代の心境を投影されずに)ニュートラルに語られているのは、引用B(ちなみに、「親友の綾」に関しては全篇を通じて同様である)と引用Fである。ちょうど、財布が主人公の手許に戻る瞬間にあたる引用Fをはさんで、彼女を被動作主とする引用Eと引用Hでは、日常の一齣――母親にしろ花屋のおばさんにしろ、いつも通りに事態(娘の失態・買物客)に対処していたに過ぎまい――の受けとめ方が微妙に異なってきている。また、引用CとDはいずれも彼女の「不機嫌な声」への反応であったし、引用G「ニコニコしながら」というのもおそらく(その直前に描かれた)「飛びあがりたいのを我慢して」いる夏代の姿に呼応するものとしてある。

 周囲の反応は、かくて折々の主人公の表情や態度を鏡のように写し出すとともに、《陰から陽へ》という彼女の内面の変化に見合うものとなっている。だとすれば、引用Aについても、「オーノ君にふられたのは、顔があまり美人ではないのか、それともオーノ君の理想が高いだけで顔はまあまあだったのだろうか。」(健一・S)という疑問に応ずるかたちで、少なくとも、次のように言うことはできるだろう。

 夏代がオーノ君に「あなたが好きだ」と告白したのは、「一学期最後の模試で、史上最悪の結果を出」し、「第一志望はおろか、すべり止めのつもりで考えていた短大でさえ危ないと言われ」た後、しかも、終業式前日の「遊び仲間たちとのコンパ」で「受験が終わるまで遊ばないという宣言をした」直後のことである。「入試を前にこのようなことをしては、勉強に身が入らないと思う。なぜなら、もしOKが出たとしても浮かれてしまって何もできないし、この物語のように、ふられると誰でも精神的にズタズタになり性格が暗くなる。ただでさえ受験勉強は、勝手に自分自身の性格が変わっていくのに、告白というものをもっとよく考えて行った方がよかったと思う。」(宏一・S)、 「今の自分は推薦入試のことでいちおう頭がいっぱいだ。今年の夏休みは今までになく楽しくなかった。夏代と同じで何となく塾へ通い、休みを過ごした。」(安之・O)といった感想を援用するならば、オーノ君に告白をした時、既に「受験」という重圧が夏代の「顔」(表情)に《陰》を生じさせていたのではなかったか、と。「好きな子いるから……」の真偽は措くとしても、オーノ君は「困った顔で少し笑」うことで彼女に応じた。

 次に引用I−Kである。これらはいずれも、主人公が老人を訪ねた場面に織り込まれている。引用IとJは、見知らぬ女の子が〈ほおずき〉の〈花束〉を抱えて自分を訪ねてきたのだから、老人の反応としては当然であろう。ただし、「奇妙な女の子」という表現には、この箇所が主人公の内面に寄り添った語り口から離れていることを考え合わせると、読み手の側の「若い人は、僕も含めお礼に直接行くという人もめずらしいと思う。僕だったら電話だけにすると思う。それに、誰だって、この年の子がお礼でほおずきを渡すなんて、予想もできないだろう。」(優介・H)、 「普通だったらお礼にほおずきの実なんか持って行かないと思うし、花屋の店先にはもっといろいろな花があると思うけど、その中で明るいオレンジ色をしたほおずきの実が一番きれいに感じられたから、夏代は選んだんだと思った。」(勇作・N) といった感覚すら投影されていくように思われる。

 また、引用Kの老人の「驚いた顔」は、「『お礼です』と叫ぶように言ってほおずきを」渡されたせいばかりではない。ちょうど引用JとKとの間には次のような描写がはさみ込まれている。

    「あの、ほんとにありがとうございました」/そう言って頭を下げたとたん、唐突に冷たい涙が滝のように夏代の頬を流れ落ちた。びっくりしたのと恥ずかしいのが一緒くたになって、夏代の内側を駆けまわった。
 老人の「驚いた顔」は、眼前の少女が「唐突」に流した「滝のよう」な涙の意味を図りかねてのことでもあった。「夏代の態度が大げさに見える理由を考えると、告白した相手にふられ、ウォークマンが壊れ、修理屋の場所が遠く、更に大事なサイフを失くしてしまったこと、となる。老人は夏代の苦労を知らないから、自分はただサイフを拾って届けたんだ、と思っている。だから、老人と夏代との感覚がずれてしまってるのだろう。一方はあ然として、一方は感極まって泣いてしまった。」(正昭・A)という感想が この場面をうまく説明づけてくれている(こうした老人の一連の反応が、「そう思ってしたことでなくとも、優しさとか善意とかいうものは確かに人間を救うことがあるんだな。」という夏代の実感に結びついていくことは言うまでもない)。 なお、この引用箇所については次のような課題を設定することもできよう。すなわち、引用Gの直後に、
    なんだかここ数か月のうちで、久しぶりに他人に優しくされたような気がして、夏代は不覚にも涙ぐみそうになりながら「ハイ」と答えた。
という描写があるのだが、その時に(「不覚にも〜そうにな」ったのであるから、結果的には)涙を見せなかった主人公が老人に頭を下げた途端、「滝のように」涙を流したのはなぜか、という問いかけである。 言うまでもなく、ここにおける「不覚にも」という表現に、連続する「悪いこと」の渦中で何とかもちこたえようと強がっている彼女の姿を看取しうるはずだ。そんな意識とは裏腹に突然流れ落ちた涙を、いわば頑なに虚勢を張ろうとする意識を突き破って発露した自身の素直な心のはたらきを、だからこそ、「びっくりしたのと恥ずかしいのが一緒くたになって、夏代の内側を駆けまわった」というかたちでしか 主人公は捉えきれずにいたわけである。

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