読者のぶりぶり通信〔MAIL&FORMDECORD篇〕【No.016】

◆ あんまり意味の無い話 - Y・森田 BACK

1997/11/11/23:02
この前のメールを書いていて思い出したんですが、中学1年の時の国語の授業のこと。
国語の担当教官が若い女の先生で、授業が全くつまらなくて、私がクラスの皆を扇動してその教師を泣かせてしまったことがありました。

授業をするために教室に入ってきたと同時にクラス全員が自分の机ごと後ろを向いてしまうという作戦だったと記憶しています。その先生はその場で泣き出して、職員室へ帰ってしまいました。
今から思うと、かわいそうなことをしたなぁっていう感じですが、その先生もあまりにも幼稚というか、そのときには教師じゃなかったですね。

国語の授業だけでなく、どんな教科も、本来は面白味があると思うんですが、今の自分ならともかく、中学生なんかにその面白さを自分で見つけ出せというのは無理ってもんでしょう。教師が生徒にその面白さを味あわせることが、本当の意味での教師の役割なんとちゃうんかなぁ。

私の経験だけで考えているので、ひとりよがりな部分が多いとは思いますが、そういう意味で本当に教師らしい教師には残念ながらお目にかかったことがない。現場の教師は自分の理想を実現させるための時間はほとんどないんやろね。

ごめん。ほんまにつまらん話になってしもた。ほんならまた。



★ たまぶり ★

私は現在、自分と学校というものの関わりについて考えているんですが、全く同感。(私が教師から受けた理不尽体験は小1から始まり、大学院にまで及びます。)

まあ、詳しいことはいまは措〔お〕くとして、生徒や学生として素敵な師に出会ったことはないですね。ただ、教員になってみて、この人はすごいって人には沢山出会いました。もちろん、それが大人の私の目から見た評価にとどまるものでないことは、生徒たちの生き生きした姿が証明してくれています。

例の教育の掲示板、見に行って来ました。初めに開いた部分では、けなし合いみたいなコーナーなのかと思ってしまいましたが、一通り読むとそれぞれの論者の立場が見えてきて、なかなか面白いと思いました。しかし、自分がどういうふうに「いっちょ噛〔か〕み」できるか分からないなあという気もしていますが。

自分が「いい子」で来た教師は、概ね自分と同じような生徒を想定してしまいますから、違うタイプの子供らにはどうしても先入観から入っていきます。で、その先入観ってヤツがなかなか拭〔ぬぐ〕えないんです。たとえ熱心な教師であっても、やはり「いい子」だった人は、様々な「事件」を通じてさえ子供の内面になかなか迫っていくことはできないんですから。

私は自分がアホやったもんやから、どうしてもそこから出発してしまう。でも、それでも埋まらないものが必ずある。かえって生徒たちのほうがしたたかで、「ぼんぼん」とか「おじょう」で来てる教師なんか感覚的に嗅〔か〕ぎ分けてしまいますから。

うーん、書き始めるときりがないですね。今日はこのぐらいで。ちなみに、私のモットーは「ベストは尽くすが、期待せずに待つ」ってことです。熱血教師は「期待」してしまうから「裏切」られたと感じ(ほとんど思い込みの世界なんですよね)、だんだん「無気力」化していったりしますが、人間なんて自分のことさえしっかり把握できひんのに、非了解の他人まで操〔あやつ〕れると思うからあかんのですわ。

「おれはセンセエだ!」なんてのは、あーあ、肩がこる。では、また。



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