読者のぶりぶり通信〔MAIL&FORMDECORD篇〕【No.029】

◆ おたずねします - Y・一木 BACK

1998/4/11/22:13
今度我が中学校で各教科とも基礎・基本についての研究をすることになりました。
今までは何がなくても関心・意欲だったのが方向転換。
国語教育の基礎・基本で、どういうことをさすのかからの出発。
ある学校は「自分の考えを自分の言葉で表現できる」。
でも、これでは広すぎて貧しいわたしの能力では仮説さえ立てられない。
先生は国語の基礎・基本をどうとらえますか?
ご指導のことよろしくお願いします。



★ たまぶり ★

一木さん、メール読ませていただきました。私は学校単位での教科研究というのがイメージできません。わが現場ではそういう取り組みはなかったものですから・#12290;
教育関係の上部組織からの指定を受けての研究(仮説設定→実践・検証)、公開や報告を前提とする取り組みということでしょうか。校種の違う現場の状況、お教えいただけると参考になります。
ここでは、とりあえず、「ある学校」の「自分の考えを自分の言葉で表現できる」という例から勝手に推測して捉えておくことにしますね。
まずは目標の組み立て方というか発想の仕方について。
「これでは広すぎて・#20206;説さえ立てられない」とのことですが、基本的には、ご自身の生徒たちの実態に即して考えていけばいいのではないでしょうか。
カッコいい目標設定をしてもそれが眼前の生徒たちの実態からかけ離れていたり、具体的な方策を思い浮かべられない漠然としたものでは無意味だと思います。
それに対外的にも無難な(要するに、少なくとも非難はされないといった体裁だけの)ものは、実践者としてもやりがいを感じられないのではないでしょうか。

次に私のケースから、私の考える国語の力について。
私の一連の授業実践をお読みいただけるとわかると思いますが、私の直面した生徒たちの状況は、国語の授業中に彼らが生き生きしていないということでした。
読まされている、教師の読みを押し付けられているという感覚から脱却して、読む楽しさや表現する楽しさを知ってもらいたい・#12392;いうのが私の出発点です。(わが生徒たちは、読書好きの子はわずかながらいましたが、多くは自主的な読書経験のほとんどない子でした。)

読むことや表現することって面白いと気付かせること、そのためには思いきって共通範囲・共通教材としての教科書から離れてみるのも国語教室における一つのカンフル剤となります。所謂「指導書」がない教材は、生徒も私たち教員も一読者として向き合わざるを得ないわけですしね。
多くの雑務を抱えながらのこうした取り組みはかなり苦しいものですが、やりがいのあることです。

当初の課題をこのように設定すると、目標をもう少し広げて設定することが出来ると思います。
読むことの楽しさに気付く、表現することの楽しさに気付くといっても、国語教室での取り組みである以上、当然ながら、それは教室集団における共同的な読み、共同的な表現となるわけです。
読むことは、プラスであれマイナスであれ作品への共感を持つことであり、教室で皆で楽しみつつ、自身の読みを提示し合うことは、作品という他者あるいはクラスメイトという他者を理解していくということでもあるはずです。表現するという過程は、逆に(周囲の他者たちにとっては)他者である自分を理解してもらう作業でもありますね。この段階で、例えば、カッコつけた言い方をすれば、
「(他者との)共感を育てる――読解・表現の取り組みを通じて」
といった目標設定も可能になってくるような気がします。

国語という教科が担うべき基本的な作業は、書かれたものに限りませんが、様々な関係性を読み取る力を養うということではないでしょうか。他者との関係性を捉えることは、そこに身を置く自身を捉えることでもあり、そうした読みに基づく表現は、相互に理解し合うための方策であると共に他者との新たな関係性を構築していく力となるものだと思います。

これまた抽象的でわかりにくかったでしょうか。一木さんの生徒たちの実態や、一木さんご自身がいま持っておられる国語観などもお聞かせいただけると、もう少し内容的に絞れるような気もします。
あるいは、次のような自問から始めてみるのはどうでしょうか。
「私はなぜ他の教科ではなく、国語の教師を選んだのか。」
「国語という教科を通じて、私は生徒たちに何を伝えたいのか。あるいは彼らと何を共有したいのか。」



◆ 【No.029-2】ありがとうございました - Y・一木
1998/4/12/16:04

早速のお返事ありがとうございました。詳しい事情も語らず私の一方的なお願いにこんなにも親切にお答えいただいたこと、お礼の申しようもありません。
まずは、いきさつを簡単におはなしします。この春の移動で市内の学校から同じ区内の中学校に赴任しました。この学校は文部省の指定を受け、特別活動の進路指導を研究しており今年で2年目という事でした。各教科領域も学校目標を同じく、研究していたのですが、今年からは教科に限っては基礎基本を対象にするように決まっていたようです。

何も知らない私、高齢ということで国語主任。青天の霹靂を感じる前に責任の重さを感じました。新学期の慌ただしい中、本屋に行く間もなくインターネットを頼ったというわけです。

先生のおっしゃることもっともです。教育の基本を突かれた思いでなんとかこの状況を切り抜けようとした自分が恥ずかしくなりました。部員ともっと話し合ってわが中学校の実体を詳しく調べこの中学校の生徒が何を求めているか、どうすれば国語の持つ心を共有する力を着けられるか考えていきたいと思います。
曖昧模糊とした不安が吹っ切れたような気がします。ありがとうございました。


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