読者のぶりぶり通信〔MAIL&FORMDECORD篇〕【No.046】

◆ お返事ありがとうございました - T. MINEGISHI BACK

1998/09/16/01:39
さっそく、お返事をいただきありがとうございました。上賀茂に住んでらっしゃるんですね。私は、右京区の西院に住んでいました。そこから西大路通りを北上して、平野神社の近くにある某私立大学に通っていました。学生時代に、できれば、北白川あたりに住んでみたかったのですが、西院があまりにも便利なところだったためか、引っ越しできずに4年間を送ってしまいました。今思うと、ちょっと心残りですね。

京都は書店が充実していて、まあこれはどこの政令指定都市でも言えることなのでしょうが、町歩きの楽しいところでした。よく河原町・烏丸界隈の書店に足を運んでいました。いまごろの京都はきっと読書に親しむのにも、あるいは街を散策するにもちょうど良い季節なのでしょうね。群馬は暮らすのには便の悪いところではないのですが、こと本屋に関しては不満は少なくありません。いわゆる国道沿いのCDやら、雑貨やらなどと同列に本が並べられている書店しかないからです。もちろん最新刊などはそういうところで用は済ませられるのですが、専門書がなくて・・・。さてさて、本題です。

私が勤めている会社では基本的に教科書(光村)準拠の塾用の教材を使用しています。それに応じて、私が導入プリントを毎時作成し、授業内で使っています。中3は受験対策なので、シリウス(出版社不明・塾用ワーク)、ゼミナール古文(CKT)を使用しています。

教科書準拠の授業でネックになるのは、生徒の主体的な読みが希薄になる点です。学校の授業と塾の授業の双方からの解釈で、生徒はその解釈のみを頼りにしていくわけです。ちなみに私も光村の国語教科書の指導書を事前にチェックしてから、授業に臨んでいるので、学校と基本的には同じ視点で授業を展開しているはずです。よく生徒に「学校の先生と同じことを言っている」と指摘されるので、間違いないでしょう。

したがって、定期テストでは高い得点をあげていた子でも、初見の文章を目の当たりにするとたじろいでしまうという現象が多々起こってしまうのです。
これじゃ、いかんと出来れば、短篇小説や、短めの論評などを継続的に生徒に読ませていきたいと今計画している最中です。本当ならば、パソコンに打ち込んで、難読・難解な漢字などはひらがなにして配布したいのですが、そんな余裕がなくて、おそらくコピーになってしまうと思うのですが・・・。

自分の中でセレクトしているのは、

  • 宮本輝「眉墨」(「五千回の生死」所収)(新潮文庫)
  • 宮本輝「星々の悲しみ」(文春文庫)
  • 松本清張「『或る』小倉日記伝」(角川文庫)
  • 宮部みゆき「生者の特権」(「人質カノン」所収)(文春)
  • 山田詠美「晩年の子供」(講談社文庫)
  • 清水義範「国語入試問題必勝法」(講談社文庫)
  • 俵万智「サラダ記念日」(河出書房新社)
  • 吉野弘関係の詩集
  • 山田かまち「17歳のポケット」(集英社)
  • 井上ひさしの「国語もの」シリーズ(「ニホン語日記」「私家版文章読本」など)
  • 柴田武「日本語はおもしろい」
  • ???「日本語ウォッチング」(岩波新書)・・・会社において来てしまって、著者名が不明。
  • 新潮校閲部編「最新日本語???」(新潮文庫)・・・これも会社にあって書名が不明

    古典では、橋本治の「桃尻語訳枕草子」「徒然草(これは書名が判然としない)」
    論評では外山滋比古・中野孝次・金田一春彦などをリストアップしています。

    これらの材料が果たして中学生に読みこなせるのか。また、どう料理していけばよいのか。(ただ読ませるだけの方のが負担が少なくてよいのか、あるいは、問題化していったほうが効果的なのか・・・)。自分自身、実践に移せないのも、どれほどの効果が期待できるか未知だからだと思います。

    解釈・評論といった取り組みは、国語が好きな生徒なら楽しいでしょうが、読むことが嫌いな子にとっては、感想文の課題や作品の構造分析、解釈といった作業は苦痛極まりない。そんな気がするのです。

    たまぶりさんはどう思いますか。作品の深い読みを重視するのと、作品の本数を重視し読みに慣れ親しむのとどちらが効果的だと思いますか。

    それから、これは余談ですが、光村の「国語1」は非常に出来のよい教科書だと思っています。「そこまでとべたら」(安東みきえ)、「ちょっと立ち止まって」(桑原茂夫)、「木」(田村隆一:先日亡くなってしまいましたが)など、題材が非常に前向きで、子どもたちの文章に対する関心も高かったように思います。

    長々とメールを書いてしまいました。さて、これから明日の授業準備・教材研究に取りかかろうと思います。では、おやすみなさい。



    ★ たまぶり ★

    MINEGISHIさん、なかなかお忙しそうですね。
    うーむ、塾の授業で学校の教科書教材をやらねばならないというのは、ちょっと嫌だなあ、私だったら(苦笑)。ご指摘の通り、「教科書準拠の授業でネックになるのは、生徒の主体的な読みが希薄になる点」でしょうね。

    まあ、生徒たちの普段の成績を上げるためには指導書を踏まえた指導が必要でしょうねえ。何と言っても、学校の先生って指導書の言説の受け売りの多い人種ですからねえ。もっとも、私は指導書に縛られるかたちで教科書教材の授業をするのが嫌いで、指導書のない自主教材を半分ほど投げ込むような輩(やから)でしたが……。

    私が勤務していた塾のテキストは学校の授業のそれとは別個のものでした。(本棚の奥で横積みになって眠っていますので、どこの教材会社のものであったかは後日にでもお知らせしますね。)定期考査前にはテスト対策をやりはしましたが、複数の中学校の生徒たちが来ていたため、その進度はバラバラでした。

    リストアップされたMINEGISHIセレクション、なかなかいいのではないでしょうか。
    清水義範の「国語入試問題必勝法」は、作中に出てくる試験問題を事前に生徒たちに解かせておいて本文に入っていくという取り組みをしたことがありました。まあ、生徒たちによるこの作品自体への評価はいまいちでしたけどね。
    橋本治の「桃尻語訳枕草子」と「絵本徒然草」は、古典の作品世界を身近に感じてもらうためにはいいかも知れません。ただし、そこに出てくる訳を定期考査でそのまま使うヤツも続出しますので、十分な注意を要しますが(頭の堅いセンセエさまは、しっかりバツを付けて下さいます)。

    「自分自身、実践に移せないのも、どれほどの効果が期待できるか未知だから」との由ですが、新しい取り組みは「やってみないとわからない」というのが常ではないでしょうか。ちなみに、私は先輩による「実験くん」あるいは「曲芸師」という陰口と揶揄を密かに受けていたようです。

    教育は大いなる実験、ただしその責は自分が負うといった気構えでいればいいのではないですかねえ。まあ、コケるのが恐かったら最初から飛ばへんという選択もありうるわけです。でも、旧来のままでは「国語」の授業は面白くならないということだけははっきりしていると思います。

    国語における精読と多読といった問題については、後日あらためて。
    現在、掲示板のほうで山田詠美の『トラッシュ』と『ジェシーの背骨』が話題になっていますので、よろしかったら一読してご参加下さい。



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