読者のぶりぶり通信〔MAIL&FORMDECORD篇〕【No.072】

◆ 読みました。 - M・野浪 BACK

1999/03/21/01:21
読みの枠を生徒たちが作り直していくというところが、面白かった。
国語教師は読みの枠を与えようとするし、生徒はその枠の中で最善を尽そうとするから、
面白くなくなるのですね。
こういう、読みの枠を作りなおしていける教材をたくさん探さなくてはと思います。
情報公開、ありがとう。



★ たまぶり ★

野浪さん、ご感想をお送りいただき、有り難うございました。
また、返信がかくも遅延し、申し訳ありませんでした。

「読みの枠を生徒たちが作り直していくというところが、面白かった。」とのお言葉のように、私にとって、教壇に立つ自分が一方的に何かを提示するばかりでなく、生徒たちの教室での活動を時に巻き起こしつつ、時に手助けしながら、自分自身の『読み』の変更を迫られる授業は楽しかったです。

それから、「国語教師は読みの枠を与えようとするし、生徒はその枠の中で最善を尽そうとするから、面白くなくなる」、「読みの枠を作りなおしていける教材をたくさん探さなくては」とのお言葉、本当に共感するとともに、心強く感じました。

これまでずっと、私自身は、自主教材が生徒たち、あるいは私たち教員に『読む』ことの再発見を促すための『仕掛け』として、国語教室の『カンフル剤』として機能すればいいと考えていました。その後、教科書教材に向けるまなざしも変わっていくのではないかと……。

今更めいた言い草ではありますが、自主教材と教科書教材というふうにあえて分ける必要はないと、いまは考えています。教室の状況に照らし合わせつつ、「いま何を読んでいくか」という観点から、教科書教材・自主教材の別なくフルイにかけていけばいいのではないかと……。

現在まとめようとしている一連の授業実践は、年間テーマに基づいて選定した教材を用いたものです。年間テーマという大まかな網の中で、ある種の単元学習のごとく複数の教材グループを連携させ、一年間の授業をどう展開していったかということについても、自分なりに整理したいと思っています。

以前、野浪さんのサイトで、ご論文を拝見いたしておりました。国語教室における≪読む≫作業の中で、作品の表現とか文体という事をもっと対象化できれば……と漠然と感じてきましたので、野浪さんの取り組んでおられる作品の構成分析や表現分析を、興味深く拝読いたしました。

私には難しいことはよく解らないのですが、読者の中で生成される≪読み≫とそれを促す作品本文の≪書かれ方≫について捉えることは、さらに教室における≪書く≫ことや≪表現する≫ことへと広げていけるような気もしています。私の勝手な思い込みかも知れませんが……。

今後とも、いろいろとご教示いただければ幸いです。



◆ 【No.072-2】 RE: Tamaburiburi!!(to Nonami) - M・野浪
1999/03/26/23:03

のなみです。お返事ありがとうございます。

読み手意識を育てる時に、「読み手がどう理解するか」という見方と、「読み手がどう反応(情動として)するか」という見方が必要だと思っています。後者は、「広告文を書く」や「手紙文を書く」などの表現指導で行われていますね。



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