読者のぶりぶり通信〔MAIL&FORMDECORD篇〕【No.077】

◆ 「ひよこの眼」を授業して - のぶさん BACK

1999/05/07/17:01
4月23日のかりんさんのメッセージを読んでドキッとしました。
実は、現在3年生の現代文で「ひよこの眼」を授業しています。
去年、三省堂の教科書を使っていたので初めて授業しました。ところが、志半ばでアキレス腱を断裂してしまい、山場である「死」について考える部分ができませんでした。そこで、今年、選択した明治書院の教科書があまりにもくだらないので、2教材めにして怒りの投げ込み教材になりました。今のところ生徒の受けも言いようで、かりんさんの指摘のようなことはないのではないかと思っています。

ところで、生徒に指摘されてドキッとしたことがあります。
幹生は「きみんち吉祥寺でしょ」と私の下車駅を知っていた。厭世的、諦観的な幹生というイメージで通そうと思っていたのに、幹生のマメさが気になりました。また、電車で通う中学校というのは、私立中学なのかという指定です。でも、幹生の家は貧しくてお父さんが借金で首が回らなくて・・・とあるので矛盾してしまいます。東京の公立中学校は学区制でも電車で通う範囲なのでしょうか。今後も、多々疑問が出てくると思いますが、よろしく。

なお、毎授業の最後に、ぼくが高校3年の時に書いた「愛と友情の間」という恥ずかしい文章を生徒に配ってへつらっています。よければ、ホームページの「のぶさん」をクリックしてください。では、また。



★ たまぶり ★

のぶさん、こんにちは。
当方、この4月より、2つの大学(4コマ)と中学校(10コマ)、そして塾(小5=2コマ、小6=2コマ、高3=1コマ)という形で、4箇所の仕事を掛け持ちのため、急に忙しくなってしまいました。
じたばたと過ごしていて、返事が遅くなり申し訳ありません。

さて、私自身は、「ひよこの眼」を授業で扱ったことがないので、今回、改めて読み返しました。

まずは第1点について。単行本194頁の幹生と亜紀のやり取りの中で、幹生が亜紀の視線に気付いていたことが語られています。 「彼は、私が見詰めていたことを知っていたのだ。そして、そこには、初恋とか、そのような甘い気持ちが混じっていないことにも気付いていたのだ。」

「でも、きみ、いつも、おれのこと見てたでしょう……なんでかなって思ってた」という幹生の発話から、「甘い気持ちが混じっていない」亜紀の視線の意味を知りたいという思いは、少なくとも彼の中にあったと考えていいと思います。そういう意味では、幹生も「甘い気持ち」抜きに彼女の存在を意識していたと言えるでしょう。

他の生徒たちと一定の距離を保ち続けるという処世のスタイルをとっていた幹生ですが、亜紀が彼に注ぐ視線は他のクラスメイトたちのそれとは少し違っていました。そこが、幹生にとって、亜紀が気になる存在であった点だと思います。意識した相手が偶然、同じ電車に乗り合わせ、吉祥寺で下車する姿が目にとまった。――私は不自然ではないように思います。

第2点について。うーむ。これは、のぶさん同様、京都在住者の私としては何とも言い難いところですねえ。誰か首都圏在住の方のご教示を得たいところです。



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