北海道日米協会50年誌
事務局が編集中
以下は工事中につき内容と体裁が不統一でありますが、今年9月頃までに約30ページにまとめる予定です。最初の記述は、創立会員である長谷井真信理事が2001年に故佐藤前会長を偲んで記された報告で、協会設立の経緯が分りやすく述べてあります。(執筆:2001年5月24日)
北海道日米協会設立に関する長谷井真信理事の回想記
私が故佐藤貢先生に最初にお目にかかったのは1951年(昭和26年)10月頃であったと思います。当時私はGHQの札幌CIE図書館(連合軍総司令部民間情報教育センター)の顧問をいたしておりました。
当時米国の進駐軍の高級将校宿舎として接収されておった札幌グランドホテルの南隣の東邦生命ビルの一階にこのCIE図書館がありました。米国からの本・雑誌・16_フィルム・音楽レコード等の資料を通じ、又講演会、討論会、英語教室、映画会、婦人のための集いなどを通じアメリカ文化の紹介と日米両国民の相互理解と親善を目的とした色々なプログラムを実施いたしておりました。戦争で永らく閉ざされていた諸外国の政治、経済、芸術文化等についての知識欲に燃えていた市民の皆さんに大変喜ばれ沢山の方々が毎日利用されておりました。札幌市に於ける各界の有力者の方々がこのCIE図書館を後援してくださいました。佐藤先生もその有力なメンバーのお一人でございました。1952年(昭和27年)4月対日平和条約が発効し5月にはGHQ管轄下の札幌CIE図書館は米国の国務省の直轄となり札幌アメリカ文化センターと名称がかわりました。初代館長として外交官のJames A. Elliot氏が着任し文化活動や人物交流プログラムを活発に行なうことになりました。佐藤先生もよくプログラムに御出席になられ御講話を頂戴いたしました。私はCIE図書館から引続き札幌アメリカ文化センターの顧問として勤務いたすことになりました。1953年(昭和28年)に入ると市内の有力者の間から日米協会の設立についてのお話が出始めました。主だった方々は次の通りです。
佐藤 貢先生(雪印乳業会長)
今井 道雄氏(丸井今井社長)
島 善鄰先生(北大総長)
犬飼 哲夫先生(北大教授)
阿部 謙夫氏(北海道新聞社長)
Mr. Harold. M. Lane(北大英語講師)
Mr. James A. Elliot(札幌アメリカ文化センター館長)
伊藤 豊次氏(伊藤組社長)
これらの方々は午後7時頃からアメリカ文化センターで夜おそく迄組織づくりについて意見を交換し定款を作成いたしました。佐藤先生は米国についての知識も豊富でいつも会議をリードされておられました。会の名称を北海道日米協会とし、その目的を「日米両国民相互の理解を深め緊密な文化的、経済的提携及び友好関係の増進を図ること」とされました。そして1954年(昭和29年)九月六日に発会式を札幌産業会館で行ないました。東京の米国大使館からは大使代理としてGraham Parsons主席参事官が出席し祝辞を述べられました。又在札米国領事Mr.H.F.Pfeifferの外、在札米国人の方々も出席されました。この会合で北海道日米協会の役員が次の通り選出されました。
会長 広瀬 経一氏(拓銀頭取・北海道商工会議所会頭)
副会長 佐藤 貢氏(雪印乳業株式会社会長)
副会長 Mr. H.F. Pfeiffer(在札米国領事)
理事(20名)アイウエオ順
阿部 謙夫氏
Mr. James A. Elliot
広瀬 経一氏
堀口 光雄氏
今井 道雄氏(専任理事)
犬飼 哲夫氏
伊藤 豊次氏(会計専任理事)
木曽 栄作氏
越山 友之氏
Mr. Harold M. Lane
町村 敬貴氏
毛利 昭子氏
小熊 倉次郎氏
大竹 敬太郎氏
Mr. H.F. Pfeiffer
佐藤 貢氏
島 善鄰氏
寿原 九郎氏
富樫 長吉氏
山田 良秀氏
監事(2名)
我孫子 孝次氏
古谷 辰四郎氏
セクレタリ 長谷井 真信氏
殆どの方が故人となられましたが錚々たるメンバーでした。
Elliot館長の好意でこの会の事務所を札幌アメリカ文化センターの中において頂くことになりました。私はElliot館長の代理としてよく理事会に出席し又会のセクレタリとして、後には専任理事として佐藤会長の下42年間奉仕して参りました。
佐藤先生は1954年(昭和29年)より1964年(昭和39年)まで10年間副会長として又1965年(昭和40年)から1997年(平成9年)までの32年間会長として立派に会をリードされその後名誉会長となられました。
実に計42年の永きに亘って誠心誠意当会の発展のために御指導下さいました。先生は礼儀正しく民主的で上下の隔たりなくいつも温顔で接して下さいました。先生の事務所(北海道産業クラブの理事長室)に御伺いすると先生揮毫の「潔き事雪の如し」の額を拝見し身の引きしまる思いがいたしました。日米協会の会合では流暢な英語で、スピーチをしておられました。先生は若くして米国の大学で学びマスター・オブ・サイエンスまでおとりになられたので勿論の事ながら晩年に至るまで英語力は抜群でその記憶力には会員一同驚嘆いたしておりました。先生は北海道日米協会を代表して1965年(昭和40年)2月9日に札幌市長室に於いてオレゴン日米協会と姉妹提携調印式を行ないました。署名者は次の方々でした。
(日本側)
佐藤 貢 北海道日米協会長
原田 与作 札幌市長
阿部 謙夫 札幌姉妹都市委員会副会長
今井 道雄 北海道商工会議所会頭
(米国側)
John Herring オレゴン日米協会長
Terry Schrunk ポートランド市長
Frank Womack ポートランド商工会議所専務理事
Howard P. Traver ポートランド市助役
米国領事館主催の米国独立記念日の祝賀会や恒例のInternational Nightでは沢山の在札外国人や青少年を前に北海道日米協会長としてすばらしい英語でスピーチをして一同に感銘を与えました。又札幌アメリカ文化センターの第二代館長John Congleton氏の肝煎りで戦後荒廃していた北大のキャンパスにBoys, Be Ambitious!の名言を残されたDr. William S. Clarkを偲んで、クラーク記念会館の建設の話が持ち上がりました。北海道日米協会も協会内に募金委員会を作りアメリカ本国からの募金に協力することになりました。佐藤先生は募金副委員長として御協力下さいました。当時の金で41,788,996円が集まり北大(当時・杉野目晴貞総長)に差上げ大変喜ばれました。
1989年(昭和64年)10月17日に発生した米国サンフランシスコ地震に際しては先生は率先して会員一同とともに義捐金を集めMichael H. Armacost駐日米国大使を通じて被災者に贈られました。米国から来札される著名な外交官、学者、政治家、実業家の歓迎会や講演会にはいつもホストとして国際親善民間外交をなさいました。長期に亘り日米間の相互理解と親善に御貢献された佐藤先生の御功績に対し駐日米国大使のMichael J. MansfieldさんやWalter F. Mondaleさんから立派な感謝状が贈られました。42年に及ぶ長期間先生より頂いた御指導に対し会員一同とともに深甚の謝意を表し衷心より先生の御冥福をお祈り申し上げます。
(以上は「天 地 人 佐藤貢の生涯と追憶」に寄せられた筆者の文章を協会員のご参考に編集兼発行者佐藤巌様のご許可を得て印刷致しました。)
以下工事中