日下部氏系図
日下部氏は、古事記や日本紀といった神話をはじめ、丹後や肥前、豊後、播磨などの風土記にもその名が見える一方、平城京跡や佐賀県唐津市の「中原遺跡」などから日下部の名を記した木簡が出土していることから8世紀初頭には、全国的に展開していたことはほぼ間違いないようです。 |
しかし、日下部の出自については諸説がありますが、主に神別と皇別に区別されます。 神別については神話として云い伝えられていますが、ここではその説明は省きます。 皇別とは神武天皇以来、天皇家から分かれた氏族を呼びます。 中でも源氏、平氏、橘氏が著名です。 大日本史では開化天皇の皇子・彦坐主王を祖とし、その末裔には日下部氏や朝倉氏が見られます。 そのほか孝徳天皇の子有馬皇子の遺児といわれる表米親王を祖とする系図も見受けます。 |
【 系 図 】 |
開化天皇──彦坐主王──狭穂彦王……(系不詳)…┐
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以上