伊東静雄「反響」
凝視と陶醉


    夢からさめて

 
 この夜更に わたしの眠をさましたものは何の氣配か。
                             みみはら
 硝子窓の向ふに、あゝ今夜も耳原御陵の丘の斜面で
 
 火が燃えてゐる。そして それを見てゐるわたしの胸が
 
 なぜとも知らずひどく動悸うつのを感ずる。何故とも知らず?
                                              ふるや
 さうだ、わたしは今夢みてゐたのだ、故里の吾古家のことを。
 
 ひと住まぬ大き家の戸をあけ放ち、前栽に面した座敷に坐り
 
 獨りでわたしは酒をのんでゐたのだ。夕陽は深く廂に射し込んで、
        うつつ
 それは現の目でみたどの夕影よりも美しかつた、何の表情もな
 
    いその冷たさ、透明さ。
 
 そして庭には白い木の花が、夕陽の中に咲いてゐた
                            すべ
 わが幼時の思ひ出の取縋る術もないほどに端然と……。
                                                   けもの
 あゝこのわたしの夢を覺したのは、さうだ あの怪しく獸めく
 みささぎ
 御陵の夜鳥の叫びではなかつたのだ。それは夢の中でさへ
 
 わたしがうたつてゐた一つの歌の悲しみだ。
 

 
   かしこに母は坐したまふ
                 した
   紺碧の空の下
 
   春のキラめく雪溪に
     かれえ        ひともと
   枯枝を張りし一本の
     こ
   木高き梢
 
   あゝその上にぞ
 
   わが母の坐し給ふ見ゆ




BACK戻る 次にNEXT
[伊東静雄] [文車目次]