北原白秋
 

「東京景物詩」より

  
 銀座の雨




 
 雨‥‥雨‥‥雨‥‥
 
 雨は銀座に新しく
 
 しみじみとふる、さくさくと、
        りんご
 かたい林檎の香のごとく、
  しきいし
 舗石の上、雪の上。
 

      や ま た か  ラツコ
 黒の山高帽、猟虎の毛皮、
 
 わかい紳士は濡れてゆく。
  か う も り    ち
 蝙蝠傘の小さい老婦も濡れてゆく。
                 はねぼうし
 ‥‥黒の喪服と羽帽子。
  す         じやのめがさ
 好いた娘の蛇目傘。
 
 しみじみとふる、さくさくと、
 
 雨は林檎の香のごとく。
 

 
 はだか柳に銀緑の
       ガ ス つ
 冬の瓦斯点くしほらしさ、
 
 棚の硝子にふかぶかと白い毛物の春支度。
 
 肺病の子が肩掛の
 
 弱いためいき。
 ペルシヤ じゆうたん
 波斯の絨氈、
  ほ ん   きんじ   しぐれ  たまし
 洋書の金字は時雨の霊、
  アンリ   ド   レニエ        だま
 Henri De Regnier が曇り玉、
 
 息ふきかけてひえびえと
      きつす
 雨は接吻のしのびあし、
 
 さても緑の、宝石の、時計、磁石のわびごころ、
 
 わかいロテイのものおもひ。
        ふる
 絶えず顫へていそしめる
             ぬいばり
 お菊夫人の縫針の、人形ミシンのさざめごと。
 
 雪の青さに片肌ぬぎの
                    かた
 たぼもつやめく髪の型、つんとすねたり、かもじ屋に
 
 紺は匂ひて新らしく。
 
 白いピエロの涙顔。
 
 熊とおもちやの長靴は
 
 児供ごころにあこがるる
 
 サンタクロスの贈り物。
             うすゆき
 外はしとしと淡雪に
 
 沁みて悲しむ雨の糸。
 

 
 雨は林檎の香のごとく
 
 しみじみとふる、さくさくと、
  ドア
 扉を透かしてふる雨は
 ヴエルレエイヌ
 Verlaine の涙雨、
              すじ
 赤いコツプに線を引く
 
 ひとり顫へてふりかくる
  から  こしやう  すじ
 辛い胡椒に線を引く、
                   さき
 されば声出す針の尖、蓄音機屋にチカチカと
 
 廻るかなしさ、ふる雨に
         さ は り  さんかつ
 酒屋の左和利、三勝もそつと立ちぎく忍び泣き。
                うすゆき
 それもそうかえ淡雪の
 
 光るさみしさ、うす青さ、
 
 白いシヨウルを巻きつけて
 
 鳥も鳥屋に涙する。
 
 椅子も椅子屋にしよんぼりと
 
 白く寂しく涙する。
 
 猫もしよんぼり涙する。
 
 人こそ知らね、アカシヤの
 
 銀の木の芽も涙する。
 

 
 雨‥‥雨‥‥雨‥‥
 
 雨は林檎の香のごとく
 
 冬の銀座に、わがむねに、
 
 しみじみとふる、さくさくと。



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